208.戻らぬ家族
最悪の死に方をした猛ですが、その死は無駄になりません。
その死に一番衝撃を受けたのは、誰だったのでしょうか。
それを利用して、竜也は陽介に脅しをかけ表向き正しい言葉をかけます。それでも目的がどす黒いのが社長さんですが。
「アハハッ肉ゥ!」
倒れ伏す猛に、獣のようにかぶりつく司良木親子。しかし、それを止めようとする者など誰もいなかった。
猛に、尊厳を守る価値などないからだ。
これで少しでも死霊どもが止まるなら、食わせておけばいい。むしろ、当然の目に遭ってくれて胸がすく思いだ。
たった今見せつけられた死に心を痛める者は、一人しかいなかった。
猛が死んでむしろ和んだような空気の中、陽介だけが床にへたり込んでいた。その股間にじわじわと濡れたシミが広がり、やがて床に水たまりができる。
「あ……と、父ちゃん……父ちゃん?」
陽介がいくら呼んでも、応える声はない。
ただグチャグチャと、肉を噛む音が聞こえるだけ。
猛の体は動かず、ただ裂かれた腹からまだ温かい血だけが床に広がっていく。抵抗も悲鳴も、生きている証は何もない。
「なん……で?どう……して?
お、俺が……母ちゃんいらないって、言ったから……?」
陽介の目から、すーっと涙が流れだした。
取り返しがつかないことになってしまった、それを理解するだけでも精一杯だった。
今日はいつものように家族の幸せのために、ひな菊の言う通りにしてビッグなボーナスをもらう予定だったのに。
あれよあれよという間に数えきれないほどひどい事が立て続けに起きて、どんどん家族が壊れていって。
気が付いたら、二度と戻らなくなっていた。
その中の何が悪かったかなんて、陽介には分からない。怖くて悲しくて辛くて、逃れようとするほど悪くなって、混乱しっ放しの頭では考えることもできない。
ただ、母の怨念の叫びだけは耳に焼き付いている。
だから、アレが決定的に悪かったんだろうと何となく感じる。
思えば自分は、仲が悪い両親一方の前でもう片方の悪口を言うことがよくあった。そうすれば、その時目の前にいる方は自分に優しくなった。
それを繰り返しても、後で必死に謝れば何とかなったから大丈夫だと思って……。
大丈夫じゃないと思い知ったのは、父が帰らぬ人になってからだった。
失禁して放心状態の陽介に、近づいて来る者がいた。
それは、銃を手にした竜也社長だった。陽介は自分も撃たれるかもと引きつった吐息を漏らしたが、銃口は司良木親子の方を向いていた。
竜也は、陽介の前で腰を落とし、顔を覗き込んで言う。
「……分かったかね?自分のことしか考えていないと、いずれ味方は誰もいなくなる。
君は、お父さんみたいにみんなに殺せと言われたいか?」
「ひっ……や、やだやだぁ!!」
陽介は、ぶんぶんと首を横に振る。
これまで陽介は、父の強さに憧れている節があった。しかしそれは、面倒で嫌なことをしなくてもふんぞり返っていられるという点でだ。
母への態度や周囲とのトラブルは、内心どうかと思うこともあった。
そのうえ最終的にこんな末路を見せつけられて、同じになりたい訳がない。
そんな陽介を見て、竜也はうなずき淡々と諭す。
「こうなりたくなければ、君はもう少し人の話を聞いて我慢することを学ぶべきだ。
我慢しないやり方は一時は楽かもしれないが、周りは君をどんどん見下げていく。誰も助けてくれなくなってからじゃ遅いぞ。
それから、自分のピンチを他人が悪いことにして切り抜けるのはやめなさい。自分の首を絞めるだけだし、悪く言われた人は君をとても嫌いになる」
竜也は、チラリと楓の方を見た。
「君、このままお母さんまで失っていいのかね?」
その瞬間、陽介の目と鼻から涙と鼻水が噴き出した。
「うわああやだああ!!母ちゃん、母ちゃんだけはぁ!!」
その一言は、陽介の心を深く抉った。
守りたかった家族の一方は死んだ、だがまだ片方は残っている。今や楓は、陽介がこの世で何よりも守りたい大切な人だった。
「じゃあ、これからはきちんと私の言うことを聞くか?」
「はいっ!!何でもしまず!!きぢんと我慢しまずぅ!!」
陽介は夢中で竜也に頭を下げ、額を床にこすりつけた。
泣きじゃくる陽介に背を向けたまま、楓はその会話を聞いていた。
陽介がいくらみじめに泣いて謝って何でもしますと言っても、もう楓には信じられない。数えきれないほど同じことがあって、そのたびに裏切られたから。
だから、もう陽介の謝罪なんて聞きたくもない。
それでも……あの猛がいなくなったことは、希望だった。
これから自分たちを保護してくれる竜也社長は、頭が良くて紳士的で正義に満ちた素晴らしい人だ。
この人なら、信じられる。
だから竜也が陽介をしっかり教育し直してくれて、それで陽介が変わってくれたら、その時は受け入れてもいいと思った。
(大丈夫、社長は分かってくれてる。
社長を信じれば、きっと二人でやり直せるわよね)
その大切な社長を守るように、楓は亡き夫の亡骸を貪る司良木親子との間に立ち、棒を構えて目を光らせていた。
竜也もそんな楓の胸中は分かっていて、楓の意に沿う言葉を陽介にかける。
「いいかい、仲直りの道は簡単じゃないぞ!
あんなひどい事を言ったんだ、口だけで許してもらおうなんて思うな。
きちんと心を入れかえて、辛くても耐えて、嫌な事でもやって、真面目にやれる人間になったってお母さんに見せてあげるんだ。
逃げようと思ったら、もう仲直りはできないと思え!」
「はい……はい!絶対逃げまぜん、頑張りまずぅ!」
一見美しい、人格者が更生を促すシーン。
しかし竜也は内心、どす黒い思惑を抱えてほくそ笑んでいた。
(くっくっく……これで陽介は何があっても私に逆らえまい!逃げられまい!誰よりも大切な母との絆をダシにすれば、本当に何でもやるしかない!
それに楓がしばらく陽介を受け入れないのも都合がいい。二人で一緒に逃げたり助けを求めるのを防げる。
これでこの二人は、私の奴隷同然だ!)
竜也にとっては、壊れそうな家族の希望も母子の絆も、自分と大切な娘の忠実な駒を得る材料でしかなかった。




