207.暴漢の終わり
死んでいい奴が死ぬだけのお話。
そしてその死を巡る、三者三様の思惑。
楓の願いを叶えるふりをして引き返せなくする、観衆を誘導する、竜也社長のプロパガンダ力が火を噴くぜ!
ある意味全員が堕ちる。
そうしている間に、竜也は銃を持つ手に楓の手を持ってきて添えた。
「えっ……?」
驚く楓に、竜也は優しくささやく。
「最後は、君も一緒にやらせてあげよう。
ずっと、こうしたかったんだろう?正しい事をしようとしても力で押さえつけられて、大事な息子の心まで操られて……ひどい思いをしてきたな。
君には、こうする権利がある」
それを見て、さすがに村人や社員たちはざわついた。
竜也は、楓自身に猛を殺させる気なのだ。
連れ添って子までなした妻が、夫を殺す……さすがにこれはどうなのだろうか。見ている者の心に、いい知れぬ不安が広がった。
しかし竜也は、そんな観衆たちに堂々と言う。
「君たちも辛かったろう、こんな男の身勝手で家族や同僚を奪われて。
私は、もっと早くにこの男を止められなかったことをとても後悔している。だから、せめて今宵これ以上犠牲者が出ないようここで元を断つ。
そしてここで楓くんに手伝ってもらうから、どうか楓くんまで恨まないでやってくれ。
私と楓くんで、この男のことは責任を取ろう」
そう言われると、見ている者たちの中に別の感情が湧き上がってきた。
この男が楓の言うことを嘘と断じたせいで、十人を超える死者が出た。自分たちも楓も、助けられた者を奪われた被害者だ。
これはその、正当な仇討ちなのだ。
それに、楓をこんな男とくっつけたのは村人たちでもある。楓がここで猛への怒りを解き放ってくれた方が。自分たちへの火の粉が避けられるだろう。
村人や社員たちから、にわかに声が上がった。
「やっちまえ、楓さん!そいつが諸悪の根源だ!!」
「今までの恨み、全部ブチ込んだれー!!」
あっという間に猛に向けて、建物を揺るがすような殺せコールが巻き起こる。もはやここに、人の慈悲を持った人間はいなかった。
その大音量の応援の中、楓はうっとりと銃に指を絡めた。
「ふぅ……うふふ、やっと……!」
楓の心は、解放の予感に打ち震えていた。
結婚後しばらくしてこの男の本性に気づいてから、この日を願わない日はなかった。ようやく、このとんでもない夫と住む世界から別れられる。
もう殴られることも、やったこともない家事にいちゃもんをつけられることも、こいつの酒と遊びで金を浪費されることもない。
そのうえ、これから自分を支えてくれるのはこいつよりずっと甲斐性のある、頭が良くて人望もある社長さん。
償いは続くだろうが、その道はこれまでよりずっと明るいに違いない。
おまけに、こいつを圧倒的な力で抵抗も許さず殺せるなんて。
それに力を貸してくれるなんて、何て人情味あふれる社長さんだろう。どこまでも自分の気持ちを分かってくれている。
この人について行けば、きっと悪いことなんてない。
その未来への祝砲を鳴らすべく、楓は銃の引き金に指をかけた。
感無量の喜びに酔う楓を支えるように、竜也は後ろから抱き込むようにして銃の狙いを合わせてやる。
その耳に、この上なく甘く優しくささやく。
「大丈夫さ、こいつなんかいなくても君は生きていける。
何なら、君の家も寮の一部として会社で買い上げてあげよう。その代わり、わが社の独身の男を何人か住まわせるから、君は彼らの世話をしてくれればいい。
皆、こいつよりはるかにいい男ばかりだ。暮らしは、今よりずっとよくなるさ!」
これから独身になる楓は、会社で汚れ仕事のために雇っている元犯罪者共の共有の女にしてやろう。
そうすれば、元犯罪者共はもっと自分に感謝するだろう。
楓だって、あれほどひどい猛と比べれば喜んで応じるはずだ。それにたとえ、逃げ出そうとしても……。
「大丈夫だ、君が私から離れない限り、こんなのを罪にはさせんよ。
さあ、さっさと撃ってしまうといい!」
この恐るべき公開処刑を、陽介は足腰立たないまま見ていた。
みんなが、父を殺せと叫んでいる。竜也社長も、父を殺そうとしている。そして母の楓までもが、父に必殺の凶器を向けている。
この後どうなるか、いくら頭の悪い陽介にも分かる。
そのどうしようもなくはっきりした予感に、陽介の心はみしみしと軋む。
父が、死ぬ。
母の手で、殺される。
死んだ人間はもう戻らない。人を殺した罪は消えない。ほんの少しあとのその瞬間を境に、陽介の望んだ未来は跡形もなく消し飛ぶ。
父と母に仲良くしてほしかった。
どちらにも、自分に優しくなってほしかった。
お金に困らず日々の生活が豊かになった家で、家族そろって美味しいものを食べて楽しいことして、ずっと一緒に暮らしたかった。
周りによくいる、普通の幸せな家庭になりたかった。
それに少しでも近づくために、ごほうび目当てでひな菊のために暴れ、周りから白い目で見られても頑張ってきた。
その夢を叶えるために、今夜は黄泉の禁忌まで侵したのに……。
父が死んだら、もうその夢は永遠に叶わない。
(ああああ!!嫌だ嫌だそんなの嫌だぁ!!
父ちゃんが、母ちゃんが……やめてくれえええぇ!!!)
心の中では胸が破れそうなほど叫んでいるのに、口からはかすれたような音しか出てこない。
自分はいつでもこの夢を失いたくなくて、自分の家族を守りたかったはずなのに……その夢は手の届かぬところに飛び去ろうとしている。
陽介はこんなはずじゃなかったと心の中で絶叫しながら、見ている事しかできなかった。
「さあ、楓くん」
「はい……社長!」
まるでウエディングケーキに刃を入れるような陶酔の表情で、楓が猛に狙いを定める。
猛はメチャクチャに怯えて、必死に頭を下げて謝り始める。
「お、おい……嘘だろ楓……嘘だと言ってくれ!!
あ、謝る……ガハッ……今までのこと、謝るから……なあ……ぶふっ……許してくれ!
お願いです!何でもします!真人間になって、きちんと賠償もベェッ……しっかり、払いますから!たっ頼みます!!」
しかし、竜也の返事は無情だ。
「で、君と同じように生きたかった人たちはどうなんだ?
同じように守りたいものがあった人たちを、君はどうしたのかな?
手遅れなりにようやく少しは学んでくれたようで、良かった良かった」
その冷淡な返事に、猛は戦慄した。そのうえ、周りからの殺せコールが一段とヒートアップする。
これが、同僚たちの返事だ。
もう人間の誰にすがっても、生きることを許してもらえない。
それに気づいた猛は、今度は司良木親子にすがり始めた。
「な、なあ……ハァッ……俺を、仲間に、してくれよ!何なら、結婚してもいい!
そしたら、なあ……おまえらの憎い人間ども……いくらでも……ゲフッ……ブチ殺せる!だから、その……呪いを俺にも……」
しかし、当然司良木親子も相手にしない。
「イヤよ、私たちハ人間を殺しタイんじゃナイの!
それニ、あンタなんかお断り」
「娘をおまエのような……クズにはやれマセん!
一緒になりたいなら……撃たレたら食ッテあげルわ」
もはやどこにも、猛が助かる道など存在しない。
やがてズダーンと無機質な銃声と共に、猛の頭を後ろから鉛弾が貫く。死にゆく猛が最期に見たのは、自分をただの肉と見て大口を開ける司良木親子だった。




