205.嫌悪の矛先
さあ、過去編が終わって現代に戻ってきましたが……この過去の事情は誰が誰に何のために話したものでしたか?
清美さんもたまには役に立つけど、予想外の事態に対する対応力に難が……。
誰が予想外を引き起こすかって、悪い予想外を一番引き起こすあのクソ野郎に決まっている。
現代は今、陽介を取り巻くクライマックスのまっただ中でしたね。
清美は陽介に、司良木親子が関わった二度の災厄のことを語って聞かせた。
もちろん細かいところはだいぶ省いて、司良木親子がとんでもない悪党に見えるようにかなり偏った話し方をしたが。
しかし事実を全て語ったとしても、司良木親子に抗弁の余地はほとんどない。
司良木親子のやったことは、本当にそれくらい救いようがなかった。
特に母親のクメがやってしまったことと娘への本心は、ひどい親に育てられてきた陽介ですらドン引きするレベルだった。
「うげっ……こ、この母ちゃん、そんなにヤバいのかよ!」
陽介は青くなって、尻を引きずるように後ずさる。
清美はさらに、その恐怖を煽るように言う。
「そうよ、こんな奴の手を取ったらあんたも操り人形にされるだけ!
こいつはただ、娘にそれっぽく見える失われた幸せを与えたいだけよ。あんたを愛するつもりなんて、これっぽっちもないわ」
それを聞いて、誘惑されそうだった陽介も目を覚ました。
クメとクルミは自分に優しい言葉をかけてくれるし、二人は強く愛し合っているように見えるが、本心はそんな生易しいものではない。
クメはただ、死んでもなお理想の家族を作る人形遊びを続けたいだけ。
そのパーツとして、武に優れた陽介がいいなと思っただけだ。
クルミの方は本心から陽介に一目置いているし哀れんでもいるが、クメはだめだ。クメが求めるのは、自分に甘やかされて思い通りになってくれる存在のみ。
クルミに優しくして守るのだって、クルミが人の意識を取り戻して自分の思うように慕ってくれるようになったからにすぎない。
清美は事件の経緯から、それを見抜いていた。
「クメ、あんたのそれは愛じゃない!
私は巫女として、村の子供を不幸になんかさせないわよ!」
清美は村人たちへのポーズも兼ねて、ビシッと言い切る。もちろん清美の子の言葉にも、クメの愛と同レベルに中身が伴っていないのだが。
ともかく、これで自分の役目は果たせたと清美は思った。
しかしそこに、またしても余計な口を挟む野郎がいた。
陽介の父、猛である。
「そうだそうだ、こんな女のいう事なんざ聞くな!
子供を勉強漬けにして出しゃばる腕っぷしの強い女なんざ、ろくなもんじゃねえ。子供を苦しめて、支配して楽しんでるだけだ!
おめえだって分かってるだろ、陽介?
こんな奴について行ったら、鞭持って勉強させられるぞ!」
猛は、クメの行動力と教育熱心を殊更に悪く言ったのだ。
しかし、これが陽介にはてきめんに効いた。
「うええぇ勉強!?冗談じゃねえや!!」
陽介は目を丸くして飛び上がり、あっという間に猛の側に逃げ帰る。そして司良木親子に鉄パイプを向け、ウーッと猛犬のように唸った。
楓の下手なやり方のせいで、陽介は勉強アレルギーと言えるくらい勉強が嫌いだ。
そこを突いた猛の一言は、陽介の心を一気にこちらに引き戻した。
クルミが顔をしかめて、それに反論する。
「まァ、何を言うノ!?勉強ハ……大切ヨ!
お母サンは……私のたメに、高いお金を払ッテ、学校に入レテくれたのヨ!……私が、広く世ノ中を知れるヨウにって……!」
クルミは、勉強させてくれたことに関してはとてもクメに感謝していた。
だってクルミの生きた時代は、勉強したくてもできない子の方が多かったのだ。しかも女がというとそれだけで抵抗も多かったのに、クメはやらせてくれた。
クルミにとって、勉強はそれくらい貴重でありがたいものなのだ。
だが、陽介にとってはそうではない。勉強はこの国に生まれたというだけで強制的にやらされる懲役のような辛く煩わしいものだ。
これに関して、二人の意識は天と地ほど違った。
ゆえに陽介は、ライバルのような共感を覚え始めていたクルミを一気に拒絶する。
「ねエ……アなた強いンだから、学をツケれば最強に……」
「うっせええぇ!!その手にゃ乗らねえぞ!!」
陽介のその反応に、猛はニヤリと悪どい笑みを浮かべた。
その流れを見ていて、清美はどうするべきか迷っていた。猛の言うことは間違っているが、果たして今止めるべきか……。
陽介が勉強嫌いでそれをやらせようとする母を憎むのは、長い目で見れば確実に良くないことだ。
竜也が猛を切り捨てて楓と陽介を確保しようとしている今、猛の言うままに陽介の身勝手を増長させてはまずい。
しかし、陽介に司良木親子への敵意を向けさせるには、これが一番だ。
(え……何これ、どっちを選んだらいいの?)
清美は、こういう複雑な交渉の調整が苦手だ。
今まで神社の当主という地位にあぐらをかいて楽をしていたせいで、こういう事態にうまく対処する能力などない。
海千山千の竜也ならば、猛の間違いを糾弾しつつ司良木親子の罪をはっきりさせてうまくやれただろうが……竜也は今、楓の方に手を取られている。
清美はうろたえつつ、司良木親子から陽介を引きはがせるならと口を挟まないでいた。
それをいいことに、猛と陽介の女への悪口はどんどん悪化していく。
「なあ陽介、この勉強させたがりと図々しさ、母ちゃんみたいじゃねえか?
おまえは今までさんざんそれで嫌な思いをしてきたのに、まさか今さら母ちゃんが化けたような女について行ったりしねえよな?」
「ああ、もちろんだぜ!俺は屈しねえ!」
司良木親子への嫌悪感に便乗し、猛は巧みにそれを母の楓へと向けさせていく。
「そうだそうだ、男の俺にゃその気持ち分かるぜぇ!
だからおまえが二度とそういう目に遭わねえように、俺ぁ楓を売り飛ばして離婚しようと思ってんだ。
そうしたら、おまえはあの子みたいな不幸にならねえぞ」
母親を捨てる、という言葉に陽介の心は揺れた。
しかしチラリと司良木親子の方を見て、その方がいいかもと思ってしまう。
自分は父の言う通り、母に嫌な思いをさせられてきた。そのあげく大罪を犯させられて、これではクルミと同じじゃないか。
だったらいっそ、この機に解放されれば悪い流れを断ち切って……。
「なあ陽介、父ちゃんと一緒に生きてこうや!
ついでにあのアバズレを売って、おまえを苦しめた償いをさせてやろう!」
猛の甘言も手伝って、ついに陽介の口から、言ってはいけない一言が……。
「そうだよな!母ちゃんなんて、いーらね!!」




