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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
203/320

203.折檻

 クメがこのまま食い殺されていれば、まだある意味救いがあっただろう。

 しかし、クメのクルミに抱いていた思いは本当はどんなものでしたか?そして、クメは自分の思い通りに周囲を動かすためにどんな手段に目覚めていましたか?

 聡明な愛ならば楽にしてやる。盲目の愛ならば食い殺される。しかし果たして、愛の皮をかぶった別の醜い何かだったら……。


 村人たちの前でさらけ出された、母子の本当の関係とは。

 それでも、宗次郎は己を落ち着かせるように長く息を吐いた。

「クメ……全くもって救いがたい女じゃ。

 しかし、これで終いだ。あれほど大事にしておった娘に食い殺されるなら、あの女も大人しく受け入れ……」

「いや、どうやらまだ終わらんぞ!」

 厳しい顔で水を差したのは、喜兵衛だ。


 いきなり、クルミの体が跳ね除けられた。

 変な体勢でしたたかに地面に打ち付けられた娘の向こうで、母がゆらりと身を起こす。クメは、まだ死んでいなかった。

 その顔には、さっきよりずっとおぞましい怒りと憎しみが煮えたぎっていた。

「何で、私の、いう事を聞かないの!!」

 クメは叫び、取り落としていた薙刀を握りしめる。

「やめろって……ガハッ……言ってるのよ!!

 なのに、何で……?

 私はねえ、あんたのために、あんなに……ガフフッ我慢したのよ!?だから、あんたは、私に……恩を返して当然じゃない!!」

 クメの目には、もはや執着すら通り越した狂気が宿っていた。

「あんたが、私の、希望だから……生かしてあげたのよ!?

 なのに……ハァ……私に反抗するなんて、何事ですか!

 私がねえ、あんたのために尽くしたように……ゼィ……あんたも、私のためにいるのよ!いつだって、それで幸せだったのに!!」

 クメは血を吐き散らしながらまくしたて、娘に向かって薙刀を構える。

「それが、分からないなんて……死にきれるもんですか!!

 最期にしっかり、躾け直してあげる!!」

 クメの表情には、さっきまであった娘への慈愛すらもなかった。いや、化けの皮がはがれて上っ面の慈愛が正体を現したと言うべきか。

 クメが執着しているのはあくまで、自分が望んで描いた通りの幸せを見せてくれる分身としての娘。

 そうでなくなった娘には、もはや愛情などないのだ。


「うっぐううぅ!!」

 苦痛に呻きながらも、クメはクルミに薙刀を振り上げる。そして、起き上がってまた手を伸ばすクルミに力任せに振り下ろした。

 その刃が、クルミの片腕を切り落とす。

 体のバランスを崩してふらつくクルミに、クメは平手打ちを食らわせる。その重い一撃に、耐えられず顔から地面に倒れるクルミ。

「どう、分かった?

 分かったなら……ゼフッ……母の言うことを、聞きなさい!!」

 あくまで娘を叱る体で、怒鳴りつけるクメ。

 しかし、クルミは反応せずただ不格好に起き上がる。死霊になってしまった彼女にもう心はなく、言葉の意味も目の前にいるのが誰かも分からないのだから。

 だが、クメはそれを頑なに認めない。

「聞いて……ぐっ……返事を、なさい!!」

 何が何でも力ずくでも理想の娘に戻してやると言わんばかりに、がむしゃらに薙刀を振るってクルミを斬る。

 思うままに力ずくでやれば、通ると思っているのだ。

 愛も道理も何もない、ただ己を押し通すためだけの折檻。

 クルミの四肢をもぎ、体中をボロボロに傷つけて、可愛らしかった顔を何度も地面にぶつけて砂利を食い込ませ……。

 それでもクメの心に、かわいそうという思いは湧かない。

 だってクルミは、自分の幸せを叶えるためのものなんだから。そうでない娘がいくら傷ついても、クメに慈悲などない。

 バラバラになってなお唸る娘の顔を覗き込んで、クメはゆっくりと尋ねる。

「ね、いい子だから……分かってくれた?」

 もちろん、クルミはうなずかない。

 次の瞬間、クメの顔が失望に歪み……。

「分かりなさいよおぉ!!!」

 大上段に振り上げられた薙刀が、クルミの頭めがけて打ち下ろされる。バキャッと鈍い音がして、クルミの頭が割れ腐った脳漿が飛び散った。


「あ、あら……?」

 しーんと静かになった空気の中、クメは間抜けな声を漏らした。

 目の前に転がっているのは、見るに堪えない凄惨な斬殺死体。手足をもがれ無残に頭を砕かれた少女。

 誰よりも愛していたはずの、娘。

 クメは一瞬、誰がこれをやったのか分からなかった。

 だって自分は可愛い娘を取り返したくて、娘を奪った奴らが許せなくてここに来たのに。娘に会えたはずなのに。

 取り戻そうと必死で戦ったら、いつの間にか娘がこんなになっていた。

「くっ……ふっ……クルミ?」

 震える声で呼んでみても、反応はない。

 頭を砕かれた死霊はもう、ピクリとも動かない。さっきまであんなに見苦しいと思っていた、唸り声さえ返ってこない。


 ここにあるのはただの、壊れてしまった人形。


「あ、こんな……ゲッ……やだ、嫌よぉエゲッ……クルミ!!」

 現状を理解すると同時に、クメの全身から力が抜ける。クメは自らも糸が切れた操り人形のように、倒れて地面に這いつくばる。

 もう取り戻したかった娘は動かない。

 心の中であんなに燃えていた闘志はすっかり消え去り、まだ仇がこんなに残っているのに体はちっとも動かない。

(何で……何で、こんなに頑張ったのに……力を振り絞ったのに……。

 何で、私が、クルミを、こんなことに?)

 クメには、どうしてこんなひどい事になったのかどうしても分からなかった。

 だが、冷静に考えれば当たり前である。クメのやり方が通じない状態だと野菊はわざわざ説明したのに、クメは聞かなかった。

 どうしようもないことを力で無理矢理何とかしようとしても、無駄なのだ。

 クメはこれまでもそうやって守るべき家庭を壊してしまったが、その時は夫や周囲のせいだと責任を自分以外に押し付けていた。

 しかし、今それはできない。

 だって、クルミを壊してこんなにしたのは、紛れもなく自分だから。

 顔すら判別できぬほど崩れたクルミの亡骸が、クメにそれを突きつけた。


 村人たちは、愕然としてその成り行きを見守っていた。

 クメの激昂とクルミへの容赦ない暴行は、村人たちには想像もつかなかった。だってクメは、あんなに娘思いの母親だったのに……。

「ど、どうなっとるんじゃ……乱心したか、クメ!」

 恐れおののく宗次郎に、喜兵衛も冷や汗を浮かべて言う。

「いや、元々娘を自分のための人形としか思っとらんかったんじゃろう。

 娘が期待通りにしておれば全力で守ってほめるから、娘もそちらに誘導されて、うまくかみ合って気づかれんかっただけじゃ。

 それが、一旦外れたら、まあ……悪鬼羅刹の如しじゃな」

 その指摘に、宗次郎は悲痛な顔で唇を噛みしめた。

「そうか、クルミは……この母親に肝心なところ育たせてもらえんかったか」

「大方、そんなとこじゃろ。

 そもそも、まともな母親なら娘が罪を犯して死んでこんな凶行を起こさんよ」

 このあまりにおぞましい結末に、村人たちもクルミをかわいそうに思ってしまった。表向きは愛し合っていたように見えて、本当はこんなに一方的だったとは。

 村への凶行より黄泉の呪いより、歪んだ母の強い思いは遥かに恐ろしかった。


 とはいえ、もうクメは動けない。

 クルミを折檻するのに最期の力を振り絞ってしまったせいで、息もうまくできず血を失いすぎた体にはもう力が入らない。

 あんなに憎い野菊が歩み寄って来ても、薙刀を向けることもできない。

 野菊は、そんなクメを哀れむように見下ろして呟く。

「あらあら、私が戦うまでもなかったわね。

 この子は操られているものと割り切って私にかかってくれば、少しは報いられたかもしれないのに。

 あなたは、自分の妄執と頑迷さに負けたのよ!」

 野菊はそう言って宝剣をクメの体に突き立てた。

「良かったわね、これであなたもこの子と同じよ。

 もっとも、もうどんなに側にいてもお互いを認識できる日はこないでしょうけど」

 黒く禍々しい呪いの炎が、歪んだ母の心を塗りつぶしていった。

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