197.母のなれ果て
司良木家に捨てられたクメは、その後どのように過ごしていたのでしょうか。
復讐に囚われ荒み切ったクメは、ふさわしい生活を送っていました。
それに、時代の中で居場所をなくした者たちの怨念が惹きつけられ、クメは着々と復讐に必要なものを手に入れていきます。
時代は大正、三度目の災厄です。
司良木家を追い出されたクメには、確固たる目標があった。
それは、クルミの仇討ちをすること。
せっかく自由に幸せにやっていた娘を……自分の分身を奪われたのが許せない。自分の願いと苦労をひっくり返されたのが、許せない。
失うものは全て、クルミとともに奪われた。
ならば自分はもう誰はばかることなく、あの村と黄泉とやらに仇討ちをしよう。
(そうよ……やられたままでいるなんて、そんなの我慢できないわ!
今の世の中じゃ仇討ちは禁止になったらしいけど、そんなのおかしいわ。人の悔しさや道義を考えない西洋かぶれ共の、人を支配するための理屈よ。
私は、そんなもの認めない!従わない!)
クルミを助けなかった商人の夫を否定するクメは、仇討ちを否定する明治の世すらも否定するようになっていた。
幼い頃に叩き込まれた、歪んだ武士の精神が彼女を動かしていた。
だが同時に、自分に我慢を強いた両親をもひどく恨んだ。
自分は我慢させられ続けて、そのあげくこんなになってしまった。自分が自分の思うようにやっていれば、こうはならなかったかもしれない。
そう思ったクメは実家に帰り、両親を打ち据えて金を奪った。
クルミの仇討ちには、それまで自分が生きる金が必要だ。あんな商人とくっつけた償いに、力ずくでも払ってもらおうと。
その両親にクルミが可愛がられ、大切に思っていたことも、もうどうでもいい。
クメの頭は、完全にタガが外れていた。
そもそも両親は、幼いクメにそういう兆候を見出して恐れたからこそ、虐待的なほど厳しく育てて我慢すれば幸せになると教え込んだのだ。
その両親の言うことも聞かなくなり夫にも捨てられたクメは、もはや鎖の切れた狂犬と化した。
「ホホホホ、結局世の中、力で分からせるのが一番!
ほーら、こんなに簡単に私の思い通りになった。
待ってなさい、クルミ。あなたにひどい事をした連中にもすぐ分からせてあげるから!」
もはや両親にも、どうすることもできなかった。
クメは世話になった全てを裏切り、復讐の道へと走り出した。
それからのクメの生活は、まさに無頼者のそれだった。
場末のトラブルで力を欲している者に力を貸して金を得、時にはどこかの武術道場に殴り込んで道場破りもした。
クメの薙刀の天賦の才は、この生き方にぴったりと合っていた。
そのうちクメの周りにはその武力を慕うごろつきが集まり、積極的に仕事を探してきたり他の武道家との決闘を賭けとして仕切ったりするようになった。
クメはさながら、流浪のヤクザを率いる女親分であった。
女だてらにそんな生き方をするクメはある種人々の興味を引き、こんな生き方でも食いっぱぐれることはなかった。
それどころか、彼女に惚れて支援する者まで現れるほどだ。
この時代、士族の下っ端たちは時代に置いて行かれてひどい閉塞感に苛まれていた。
クメはそんな時代に現れた武の女神のように、古い時代を懐かしむ落ちぶれた士族たちの心を掴んだのだ。
そうして自分の手下となったごろつき共を、クメは自らの復讐に巻き込んだ。
「ねえ、あんたたちの命、私のために使っておくれよ。
私ねえ、商人とくっつけられて娘まで生んだのに、娘は見捨てられて私は放り出されたの。その娘をはめた連中に、仇討ちがしたいの。
あんたたちも、一方的に生きる糧を奪われて仕返しも許されないんだろ?
だったら、私の一世一代の仇討ちを手伝っておくれよ!」
クメの訴えはいかにも武士的で、時代に受け入れられなくなった士族たちに強烈なノスタルジーを与えた。
もう自分たちの誇りを守れる居場所がない。
ならば、仮初の居場所をくれたこの強く美しい女のために命を使うのもいいじゃないか。そうして戦いの中で死ねれば、このまま弱っていくよりはいい。
そんなごろつきたちを数十人も束ねて、クメは復讐の計画を立てた。
誰が救われる訳でもない、誰にとっても悪いことにしかならないであろう、ただ自己満足のためだけに。
裏でそんな事が起こっているうちに、数年の月日が流れ、時代は大正となった。
菊原村は司良木家が真面目に払ってくれる賠償もあってだいぶ立ち直り、また菊祭りが催されるようになっていた。
クルミが起こした災厄により、村の呪いのことは近隣に知れ渡ってしまった。
しかし幸いなことに、クルミと宗太郎がやった事があまりにひどかったため、災厄を全てこの二人のせいにして村人たちは被害者として振舞うことができた。
実際、クルミと宗太郎がやらかすまで、村は百年ほど禁忌を守ることができていたのだ。
ならば、しっかり守っていればこれからも災厄を防げるはずだ。
それに、時代はますます速く移り変わり、外と関わらなくては村自体がどんどん置いて行かれて貧しくなってしまう。
外がどんどん豊かになっているのだから、村にお金を落としてもらわなくては。
それでも外からあまり禁忌のことを知らない者を移住させるには抵抗があったため、村は菊の出荷と菊祭りで稼ぐ方向に力を入れた。
もちろん、中秋の名月の夜は自警団が白菊塚を守ることにしている。
これで今度こそ災厄を起こさないようにして、外とも適度な交流を持っていけばいい。
こうして、菊原村は再び明るい未来へ歩き出そうとしていた。
そんな菊原村にある年、華やかなドレスに身を包んだ貴婦人のような女が訪れた。その女は金払いがよく供の男たちにもよく遊ばせたため、村は女を歓迎した。
あんな派手な洋服を着て日本のやり方とは違う濃い化粧をして、きっとどこかの貿易商辺りの奥方に違いない。
それに今年はいつもに増して泊りの客が多く、忙しくて嬉しい悲鳴が止まらない。
この気前のいい客に気に入ってもらって来年からもっと金を落としてもらおうと、村人たちは意気込んでいた。
日中はその秋晴れの空にふさわしく、華やかな祭りの時が流れていった。
しかし夜半、皆が寝静まる時刻になると、女ははらりとドレスを脱いで本性を現した。
ドレスの下から現れたのは真っ暗闇の喪服、そして化粧を落としたその顔はまさしく司良木クメその人であった。
クメは馬車に隠してあった、薙刀と白菊の花束を取った。
「さあ、復讐を始めましょう」




