190.瓦解
司良木家の積み上げたものが崩れ去り、当たり前にあったものまでどんどんバラバラになっていきます。
大罪人の家族が崩壊するのは現代と一緒。
ただし、現代の某社長と違って司良木社長は経営者としてはまともだった。
しかし、それゆえに家族の手を離してしまうことはある。家族をとるか、その他全員を助けるかと迫られた場合には。
娘のために工場全体を巻き込んでいる某社長とは、逆の決断です。
しかし、平坂神社に向かう一家を襲ったのは村人たちの憎悪だった。
「おい、人殺しのお嬢がいたぞ!」
「司良木の社長も、よくも裏切りやがったな……親父の仇だ!!」
村人たちは司良木一家を目にするや否や、鬼のような顔で罵って石を投げてきた。こいつらを生かすなと、他の村人たちも次々加わって雨あられと石を降らす。
司良木の夫の思った通り、一家は完全に村の敵とみなされている。
「よそ者があ、よくも油断させてやりやがったな!」
「てめえらを信じて、受け入れたのが間違いだった!」
クルミだけではない……これまであんなに仲良くやっていた司良木の両親や工場でさえも、村人は敵視している。
だって、クルミが父の言うことも聞かずにやったと多くの村人は知らない。ただクルミがやったと聞けば、こうなるのは必然だ。
それにたとえそれが伝わっても、頭に血が上った村人たちは両親の潔白を信じられない。
宗太郎の関与があったとはいえ、両親がクルミを止められなかったのは事実だ。この時代特に娘が親に従わぬなど、それだけで品格を疑われる。
そのうえ、一度村人の方もいろいろと譲って受け入れたがゆえに、裏切られた失望と怒りは大きくなった。
村人たちは、血走った目をして叫ぶ。
「てめえらなんぞに生きる資格はねえ!
ついでにてめえらが連れ込んだ奴らも殺してやる!返り討ちだ!!」
「もう、よそ者にこの村は荒らさせねえ!!」
その怒りと敵意は、両親どころか工場の従業員や取引先の客にすら向けられていた。村人たちにとって、その全てが信じられなくなってしまったのだ。
「そ、そんなぁ……悪いの、私だけなのに!
他のみんなは関係ないのに、どうしてえぇ!!」
クルミは泣いて訴えたが、もうどうにもならない。
自分が一生懸命償えばいいと思っていたのに、父と母は何も悪くないのに、こんなひどい事になるなんて。
今さらになって、考えの甘さに打ちのめされた。
しかし、ここでクメが進み出た。絶え間なく飛んでくる石を何度もその身に受けながら、村人たちに土下座して声を張り上げる。
「誠に、申し訳ありませんでした!責任は、重々承知しております!
ですが、工場や取引先の皆さまに危害は加えないでくださいませ。あの方々は全く関与しておりません。
責任はすべて、私たちが受けます。
宗太郎やこの子のように、罪なき者を殺すのはおやめください!!」
この言い方は効果があった。
誰だって、憎い仇と同じになりたくなんかない。村人たちは少しざわつき、飛んでくる石がやんだ。
程なくして、年配の男が出て来て言った。
「分かった、工場や取引先の奴らは許してやろう。
おまえらも、死んじまったら償いができんからな。
……ただし娘、てめえだけはダメだ。てめえは黄泉の禁忌を破り、おまけに宗次郎さんの面にまで泥を塗った。
他の奴と親を助けたければ、てめえは黄泉の裁きを受けろ!神社には、来るな!!」
その条件に、クルミとクメはぎくりとした。
村人たちは、こちらを試しているのだ。本当に潔白なら、村へのけじめとして下手人だけは切り捨ててみせろと。
それを聞いて、司良木の夫は村人たちの方に踏み出し、深々と頭を下げた。
「寛大なご処置、ありがとうございます。
それで他の皆を助けられるなら、私は従いましょう」
そう言って、さっさと村人たちの方に行ってしまった。
「え、そんな……お父様?」
「許せよクルミ、おまえがやったことだ。
私は社長として、何の罪もない関係者を守らねばならない。父として、何の罪もない長男を育てねばならない。
ここで、その全てを壊す訳にはいかんのだ」
冷たくそう言い切って、父は村人たちと共に去っていった。
クルミは何が起こっているのか分からないまま、それを見送るしかなかった。
だが、クメはクルミの側に残った。去っていく夫をにらみつけ唇を噛みしめながら、己に言い聞かせるように呟く。
「仕方がないわ……あの人は社長だもの、商人だもの……。
それに、私たちのせいで罪のない人たちを巻き込む訳にはいかない。それが人道にもとるのは分かる……。
でも、ならばせめて私だけはあなたを見捨てないわ。
一緒に夜明けまで、生き残りましょう!」
父はクルミを見捨てたが、母は守ることを選んだ。
村人たちはクルミをここで殺せと言っていない、黄泉の裁きに任せよと言った。ならばクルミがこの夜を生き残っても、結果の一つだろう。
ひどく酔っているうえ武術の心得もない夫と違い、クメは腕に自信がある。あののろい死霊相手なら、クルミを守れるだろう。
村人は、神社に入りたければクルミを捨てろと言った。神社に入らずクルミを守るのは、別に禁じられていない。
「クルミ、あなたも戦いなさい。
あなたは許されないことをした、でもまだ生きる道は塞がれていません。
ならば、己の力を振るってその道を進むのです!私があなたにも稽古をつけてあげたのは、あなたにそれができるようによ!」
クメの激励に、クルミの目に希望が宿った。
そうだ、自分はまだ生き残れる。村人たちはただ自分に試練を与えただけ、落ち着いて対処すれば乗り越えられる。
そうしたら、次こそ本当に父と母に恩返しできる。
父にやはり自分がいて良かったと、見直してもらえる日も来る。
クルミはそんな輝く未来を信じ、地面に転がっていた鋤を取った。
……クルミもクメも、気づいていなかった。
村人の言った黄泉の裁きとは、本当にただ死霊から生き残れという意味なのか。
伝承を信じていなかった二人は、その存在を記憶に引っ掛けていなかった。死霊を生み出した呪いの使い手たる、死霊の巫女の話を。
この程度ならと前を向く二人の背後から、その刃は確実に迫りつつあった。
クメとクルミは、白菊塚から離れるように逃げた。
しかし、襲ってくるのが死霊だけとは限らない。二人で逃げている母子を囲むように、数人が棒を振りかぶって打ちかかる。
「お嬢様ぁ、よくも!!」
襲ってきたのは、皆クルミとそれほど年の変わらぬ少女たちだった。その恰好を見ると、クメは驚いて目を見開いた。
「あ、あなたたち……ウチの工場の……!」
少女たちは皆、司良木の工場で働く女工だった。
その一人が、鬼のような顔でクメをにらんで言う。
「奥様、あたし最近村の男と結婚したの、知ってますよねえ?
でもお嬢様があんなことしでかして、工場ぐるみで村のみんなに恨まれて……あたしこれからどうやって生きてくんですか!?
奥様なら信じても大丈夫って、ついてきた結果がこれだよ!!」
その言葉に、クメは蒼白になる。
司良木製糸の女工たちの中には、既にこの村の男と結ばれて住むことになった者が何人かいる。
しかし、クルミのせいでこれからの彼女たちの人生はどうなるのか……。
言葉を失う母子に、女工は薙刀の構えを取って宣戦布告する。
「ねえ、責任取ってよ。あたしたちのために、あんたの人生差し出してよ。
奥様、あたしを鍛えた時に言ってくれたよね?ここで高める心と体の強さは、自分の人生を切り開くためだって。
だったら、この力を奥様たちに使ってもいいよねえ!!」
その女工は、クメが薙刀道場を開いていた頃からの一番弟子だった。その人生を懸けた全身全霊の攻撃が、クルミを襲う。
クルミも薙刀を習ってはいたが、クメに次ぐ強さのこいつには敵わない。
「あっ……やっ、きゃあああぁ!!!」
あっという間に体のバランスを崩され、足を払われ、それでも逃げようと転がったところで急斜面に入り転がり落ちてしまう。
「クルミ!!」
四方から襲われて手を出すこともできぬ母の姿が、茂みに隠れて見えなくなった。




