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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
188/320

188.逃げた男

 ついに死霊が現れる中、ひたすら混乱して流されるクルミと自らの意志で最期を選び取る宗太郎。大罪人でも悪賢くて覚悟があれば、最悪の呪いを回避できる。


 宗太郎は悪い意味でも、武士としての覚悟があった。

 この場面でどんな死に方が最悪か、守り手の一族として知っていた。

 すぐ食われて死ぬのが最大の報いになるかというと、そうではない場合もある。

「ひっそんな……いやああぁー……あうっ!」

 壊れたサイレンのように悲鳴を垂れ流していたクルミは、いきなり襟首を強く引っ張られた。

 後ろから抱き留めたのは、母のクメだった。

「何をやってるの!?

 叫ぶより逃げるの、動きなさい!」

 はっと我に返ると、今まで聞こえなかった不気味な声が聞こえてくる。

 文字通り地の底から聞こえてくるような、低く恨めしい唸り声。暗い黄泉の口の奥から、何かを引きずるような音とともに迫って来る。

 宗太郎が、邪悪な笑みで呟く。

「うほほほ、来おったぞ……黄泉から上がって来る、人を食らう死霊共じゃ!」

 唸り声がだんだん大きくなり、腐臭がぐっと濃くなっていく。

 だがクルミは信じられず、震える声で呟く。

「な、何よそれ……何でそんなものが存在するのよっ!……聞いてない、そんなの学校で習ってない!非科学的なものは存在しないって、先生が……!」

「いい加減にしなさい、クルミ!!」

 クメはクルミを引きずり、怒鳴りつける。

「目の前でこんな事になってるのよ、認めなさい!

 話の通りなら、こんな所で考えたり腰を抜かしたりしてる場合じゃないの。死にたくなければ、早く逃げるの!

 あなたは、とんでもない事をした……でも、死んでほしい訳ないでしょ!!」

 クメのその叫びは、クルミの心に活を入れた。

 自分はあんなみっともない事をしてしまったのに、またこんなに迷惑をかけてしまったのに、母はそれでも生きろと言ってくれる。

 ならば、生きなければ。

 生きていれば、きっとまだ埋め合わせできる。むしろ次こそ正しい事をして恩を返すために、父母のために生きなければ。

 良くも悪くも、切り替えの早いクルミである。

 クルミは何とか足腰に力を込め、ぎこちない動きながらも月の下に這いだした。


 クルミが宗太郎を問い詰めて騒いでいる間に、穴の周りには誰もいなくなっていた。皆恐れをなして逃げ出したか、他を助けに向かったのだ。

 いつの間にか、村には非常事態を知らせる鐘が鳴り響いている。にぎやかな和合の宴は一転、前代未聞のパニックに陥った。

 しかし、その元凶となった宗太郎は動かなかった。

 どんどん迫って来る不吉な唸り声と足音を背にし、ただ佇んでいる。

 クメは怒り心頭ながらも、宗太郎に声をかける。

「あなたも、何をしているの!?そこにいたら真っ先に死んでしまうと、あなたもよく知っているんでしょう!?

 あなたも、こっちに来なさい!

 死ぬのではなく、生きて償うのです!!」

 だが宗太郎は、青ざめながらも首を横に振った。

「ひっひっひ……そいつは聞けんなあ。

 これから先生きておっても、わしにいい事なんかありゃせん。それどころか、ひたすら罰を押し付けられる生き地獄が待っておろうよ。

 それに、死霊に食われるならまだ楽に終われる。

 禁を破った者に与えられる永遠の呪い……わしは、あんなものを受ける気はない」

 宗太郎は、引きつった笑みを浮かべて穴をふさぐ木の格子に背中をつける。

「考えたのがわしとはいえ、下手人はあのお嬢さんじゃ。黄泉の尖兵となった死霊の巫女は、あんたの娘を許さんじゃろう。

 それに、村の連中も……貴様らも生き残れば、生き地獄じゃのう。

 それだけの報復ができたんじゃ、もうわしに思い残すことはない!」

 そう言う宗太郎の後ろで、朽ちかけた木の格子が軋んだ。たちまち、格子の間から数えきれないほどの腕が伸びてくる。

 その手が、がっちりと宗太郎を捉えた。

「ぐっくううぅ……先に、逝くぞおぉーっ!!」

 あっという間に宗太郎の着物が破られ、その下の肉までももぎ取られる。穴に入りきらないほど伸ばされる手に格子は壊れ、宗太郎は血を噴き出しながら押し寄せてきたモノに埋もれていく。


 クメは、悔しさを噛みしめて逃げるしかなかった。

 宗太郎は禁を破った者にとんでもない罰が待っているのを知っていて、しかし先に自分一人それから逃げたのだ。

 相応の報いを受けもせず、生きて償うつもりもなく。

 どこまでも身勝手で、卑怯な男であった。

 村にも司良木家にもこれだけの地獄を残しておいて、自分はもう何も気にしなくていい。ただ残された者の苦しみを嘲笑うだけ。

 そんな外道の思惑通り、村と司良木家には地獄が襲い掛かった。


 祠の前の広場では、動ける者たちが懸命に酔い潰れた者を起こそうとしていた。

 しかし、成果は思わしくない。皆、宗太郎が蒸留酒を仕込んでアルコール度を倍以上にした酒を、和合の祝いに乗ってカパカパ飲んでしまったのだ。

 声をかけても揺さぶっても水をかけても、ほとんどの者は起きない。起きても、他の者の介助なしでは歩くこともできない。

 そんな者が数十人も転がっているのだ。

 そのうえ目が覚めている者も、大多数はひどく酔っていて自分が逃げるので精一杯だ。

 そこにクメからの、悲鳴のような知らせ。

「死霊が出てきたわ!

 数が多い、止められない!みんな逃げてぇーっ!!」

 クメは、娘の不手際を少しでも埋めようと奮闘した。ありあわせの棒で死霊を突き倒し足を払い、少しでも時間を稼ごうとした。

 しかし痛みを感じず頭以外を壊されても止まらない死霊は、ぶたれても転んでも止まることなく押し寄せてくる。

 宗次郎が、涙を飲んで叫んだ。

「倒れたモンは捨てて逃げろ!!ここにいたら皆死ぬぞ!!」

 それを聞いて、動ける者たちは断腸の思いで逃げ出した。

 クルミはそれでも何かできることはないかとぐるぐる考えて右往左往していたが、クメに引きずられるようにして父と共に逃げた。

 諦めきれず振り返ったクルミの目に映ったのは、ボロボロに腐った死人たちが動けない者を食い散らかす地獄だった。

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