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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
187/320

187.裏返る世界

 ついにやってしまったクルミ。

 そして、そんなクルミを嘲笑い真実を告げる宗太郎。


 クルミはようやく自分の過ちを悟りますが、最近のざまぁもので流行りのフレーズ「もう遅い」。

 そして宗太郎の知識が、また悪い方向に火を噴いた!これまでの描写の中に、それっぽい伏線は入れてあるはず。

 外国の高い酒の味がこの時代の一般人に分かる訳なかった。

 クルミは、力いっぱい花束を振り下ろした。

(これで、村のみんなが幸せになれる!お父様とお母様に恩返しできる!宗太郎様を復権させてあげられる!

 誰にも、止めさせない!!

 私が、この村の文明開化の祖になるんだ!!)

 祈るように目を閉じたクルミの耳に、ぴしゃりと花束が地面に落ちる音がする。

 その瞬間、クルミの胸にすさまじい達成感と満足感が広がった。

(やった……やってやった!私は、やり遂げた!!)

 クルミの全身を覆っていた緊張が解け、口からほーっと長い吐息が漏れる。その恍惚に浸るように、クルミは肩の力を抜いた。

 自分はついに、この村の迷信を払うことができたのだ。

 これできっと、村の農民たちも文明化の良さを分かってくれるに違いない。自分たちの過ちを認め、従順になるに違いない。

 父と母もさっきは村人たちの手前止めるフリをしたが、内心は大喜びで拍手喝さいのはずだ。

 まぶたの裏に、村人たちが自分たちに平伏し崇める様子が目に浮かぶ。

 女学校の級友たちも、すごいすごいと尊敬してくれるに違いない。もう、口だけで実家は違うとか言われたりしない。

 この瞬間はクルミにとって、今までの人生で一番偉大な瞬間だった。

 村にとっても、そうに違いない。

 自分は今度こそ、揺るがぬ信念をもって世の文明開化を一つ進めたのだ。この偉業はきっと、村の歴史にも工場の歴史にも刻まれるだろう。


 胸の底から湧き上がって止まらない高揚を鎮めるかのように、クルミは大きく息を吸った。

 しかし次の瞬間、クルミは思わず顔をしかめた。

(……何よ、この臭い!?)

 勢いよく流れ込んでくる空気と共に、むっとするような生臭さが鼻を襲ったのだ。せっかくのいい気分が、台無しだ。

 一体何が起こったのかと目を開けたクルミは、さらに驚愕した。

「え……何よ、これ……?」

 世界は、いつの間にか血塗られたような赤い光に染められていた。


(622)

 クルミは、自分の目の前に広がる光景が信じられなかった。

 さっきまであんなに清らかな月の光に照らされていた世界が、ほんの数秒で赤く禍々しく変わっている。

 さっきまであんなに爽やかで清浄だった空気が、胸を悪くするような嫌な臭いに満ちている。

 一瞬、自分は本当に同じ場所にいるのかと思ってしまった。

 だが、クルミの前にはさっきまでと同じ人々がいた。

 村の外から来た人々は怯えたようにせわしなく辺りを見回し、村の人々は皆一様にひどい恐怖を浮かべて。

 どうやら自分がおかしくなった訳ではないと、クルミは少し安堵した。

 しかし、だとしたらこれは一体何なんだ。

 こうなる前にあったことといえば、自分が花束を落としたことくらい……。

「まさか、本当に……?」

 クルミは、思わず自分の足下に落ちている花束に目を落とした。

 あるはずがない、認めていい訳がない……だが、確か村の信仰にはこういうのがあったはずだ。


 中秋の名月に白菊塚に白菊を供えると、死霊が出る。


 宗太郎から聞いた、忌むべき村の迷信。

 いや、迷信に違いないと思ったから、払わねばと思ってこんなことをした。

 だが、それをやったら世界は一変した。何の変哲もない田舎の夜が、一瞬でこんな気味の悪いことに。

 クルミの心臓が、バクバクと早鐘のように打つ。

(う、嘘よ……だって、村に詳しい宗太郎様だって迷信とおっしゃってたし……!)

 クルミは懸命に理由を探そうとしたが、その思考は唐突に中断された。

「ひいっ!?」

 いきなり、クルミは悲鳴を上げて身をよじった。

 首筋に、何か生温かくてぬるりとしたものが触れたのだ。反射的に振り向いたクルミは、宗太郎と目が合った。

 宗太郎は、今まで見たことがないいやらしい顔で舌なめずりして告げた。

「ようやったのう、お嬢ちゃん。

 これで終わりじゃ、村も、おまえの工場も!」


(623)

 クルミは、何が起こっているのか分からなかった。

 おかしい、宗太郎は自分の味方のはずなのに。村を迷信から解き放つために、自分と手を取り合ったはずなのに。

 こんなことを言うはずが、ないのに。

 信じていた世界が、舞台が揺らぐ。

 戸惑うクルミに、宗太郎はくっくっと不気味に笑って告げた。

「ようやったのう、これでおまえは村の呪いに触れて多くの村人を殺した悪女、おまえの両親はそれを育てた村の敵じゃ。

 これでおまえの工場は終わりじゃ、もう村ではやっていけん!

 困っていたわしの足下を見て、土地を安く買い叩いた罰じゃ!

 思い知ったか……ワーッハッハッハ!!」

「え?……え?」

 いきなりの宗太郎の豹変に、クルミはどうしていいか分からない。自分の中の、理知的な名士の宗太郎像が崩れていく。

 そんなクルミをからかうように、宗太郎は腹を抱えて笑いながら続ける。

「まぁだ分からんか?わしは、おまえを利用したんじゃよ。

 村のことをよく知らん頭でっかちの小娘ならと思って近づいたが、こうもうまくいくとは……いやはや、大した娘じゃ!

 父の言うことも聞かず宗次郎の奴が土下座しても逆に叱りつけて……最高の見世物じゃ!」

 そう言われてようやく、クルミは気づいた。

「え、あ、あなた……私を騙したの!?な、何て人……あ」

 宗太郎の裏切りを責めようとして、クルミは思い出した。そう言えば、父も母も宗太郎は強欲で気に入らないと言っていたじゃないか。

 進歩的な名士だとおもっていたのは、自分だけだった。

 それに気づくと、顔から火が出るような羞恥がクルミを襲った。

 みんなそれを知っていて自分を止めようとしていたのに、自分は自分だけが正しいと思って言われるままに……。

 しかも宗太郎は、それで工場が終わりだという。

 クルミは思わず、宗太郎に掴みかかっていた。


(624)

「ちょっと、一体何が起こるって言うの!?教えなさいよ!!」

 半狂乱になって宗太郎を問い詰めるクルミ。

 このままではまずい、本当に工場が終わってしまったら冗談じゃない。せっかく父と母が苦労してここまで築いてきたのに。

 何とか挽回しようと焦るクルミに、宗太郎は残酷な現実を突きつける。

「焦らんでもええ、もうとっくに手遅れじゃ。

 白菊を供えられて呼び起こされた死霊は、この黄泉の口を通って現世にやって来る。腐った死体どもの、人間の踊り食いじゃ!

 そして、食われた者も呪いを受け同じようになる!皆死ぬ、呪われるんじゃ!!

 よーく知っておるぞ……百年ほど前、わしらの祖先がその命をもって確かめたからのう!」

 その言葉に、クルミは二重の意味で衝撃を受けた。

 祟りが起こると確かめられたのは、本当のことだったんんだ。なのに自分はそれを一方的に嘘と断じ、必死で訴える宗次郎に説教までしてしまった。

 自分が少しでも信じようとしたら、防げたのに。

 そして宗太郎は、それを知っていながらクルミをそそのかして禁を破らせた。村人たちがそんな恐ろしい事になるようにわざわざ仕向けるなんて、どう考えても悪以外の何者でもない。

 クルミの胸に、潮が満ちるような後悔が押し寄せる。

 自分が信じたものは、まったく逆の嘘だった。自分は信じるべきものを唾棄し、避けるべき者に手を貸してしまった。

(いいえ……まだよ!人が食われるのを防げれば、まだ……!!)

 それでもクルミは、どうしたら挽回できるかを考えた。とにかく皆に逃げるよう知らせねばと、震える足で後ずさり……。

 しかし、その考えをも嘲笑うように宗太郎は告げる。

「ひっひっひ、いくら慌てたって酔い潰れた奴は起きん。

 さっき出された酒には、すさまじく強いラム酒とウォッカを混ぜてやった。普通の酒と同じ調子で飲んだら、もう動けまいて!」

 宗太郎は、人々が逃げ延びる道すら断っていたのだ。

 真っ赤な月に届くほど、クルミの絶叫が響き渡った。

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