184.急転
ついに菊祭りの宴、そしてクルミと宗太郎による悲劇が幕を開けます。
善人ゆえに、司良木の父は娘のクルミを、宗次郎は兄のことを信じていました。
しかし信じるということは油断するも同じ。和合ムードに酔って警戒を怠った彼らは一瞬の隙を突かれ、地獄に突き落とされていきます。
やがて、とっぷりと日が暮れた。
夕方から続いた飲めや歌えやの大騒ぎは、村人たちの多くが酔い潰れてしまったことでだいぶ静かになっていた。
例年の祭りでも酔い潰れる者はいるが、今日は外の者との和合の祝いが重なり余計に酒が進んだらしい。
クメは酔っ払いだらけになっていく宴席を見てはしたないとぼやき、クルミにもう家で休んでいいと言ったが、クルミは帰らなかった。
だって、クルミにはやることがあるから。
クルミはにわかに、赤い菊の花束を持って父と宗次郎に言った。
「ここには、黄泉への穴があると聞きました。そこに関係ある話で、こんなに菊が大切にされているとも。
私、ぜひその穴を見てみたいですわ。
それからお近づきの印に、この花をお供えします」
それを聞くと、父は寄って緩んだ顔で言った。
「そうかそうか、相変わらずクルミは知りたがりだね~。それに神様にもあいさつしようなんて、偉いぞ~。
宗次郎さん、連れて行っていいだろうか?」
宗次郎は少し頭を抱えて考えていたが、うなずいた。
「分かった……その菊なら、ええじゃろ。
ただし、あそこは本当に厳かな場所じゃ。私も一緒に行こう。それから、他にも村の者を同行させて構わんな?」
「ええ、もちろんですわ」
クルミは、元気よくうなずいた。
だって、そうでなきゃ困る。これから自分と宗太郎がやることは、多くの人に見てもらって分からせなきゃいけないのだから。
この頑迷な貧民共が愕然として目を覚ます瞬間を思うと、ゾクゾクした。
この高揚を育ちのいいすました笑顔で隠しながら、クルミは祠の裏にある大穴……黄泉の口へと向かった。
黄泉への穴は、木の格子で塞がれていた。その両側には、中が良く見えるように明るいランプが置かれている。
ここだけは、今夜闇に埋める訳にいかないから。
かつて白菊姫を黄泉落としにした時に出現したとされる、五メートルほどの深さの斜め下へ向かう穴。
行き止まりは見えるし何の変哲もない穴なのだが、どんな大雨が降っても決して崩れず、土砂を入れて埋めようとしても埋まらなかった。
やはり、普通の穴ではないのだ。
さらに、この穴の近くに白菊を供えるとここが黄泉とつながり死霊が出たと、百年ほど前の平泉家当主が確かめたという。
なのでここは、中秋の名月の夜には必ず誰か近くにいなければならない。
ならばいっそ村人をたくさん集めて常に人目が周囲にあるようにしようと、毎年菊祭りの宴はここの広場で行われることになった。
まさかこれだけ人が集まった中で禁忌を破る者はいまい、という発想だった。
……しかし、どんないいものでも悪用しようと考える人間は出る。
危険だから人を集めて監視するというのは、監視していれば防げるという前提があってのやり方だ。
もし、人をたくさん集めた所で、それでも危険なことが起こってしまったら……破滅を望む者にとっては願ったり叶ったりだろう。
ランプの光の中に、予想しなかった影が浮かぶ。それは人影と、大きな桶のようなものだった。
「こんな所に、誰だ!」
宗次郎は訝しみ、目を細める。
返ってきたのは、宗次郎がとてもよく知っている声だった。
「ハハハッ兄が分からんか!?」
ランプの黄色っぽい光の中、その人影はゆっくりと顔を上げた。それはこれ以上ないくらい悪意の笑みを浮かべた、宗太郎だった。
すぐに、宗次郎が皆をかばうように前に出て叫ぶ。
「兄よ、こんな所で何をしとる!?いや、何をするつもりじゃ!?」
すると、宗太郎はもったいぶるように答える。
「ひひひっわし自身はそんな大それた事はせんよ。ここがどれだけ大事な場所か、わしもよーく知っておるでな。
わしはただ、お嬢さんを手伝うだけじゃ!」
その言葉とともに、いきなりクルミが前に出る。
「手筈通りですわ、宗太郎様!」
「何っどういう事だ!?」
宗次郎が戸惑った隙に、クルミは素早く宗太郎の方に駆けていってしまう。そしてそのまま、宗太郎に身を寄せるように並んだ。
それを見た宗次郎と司良木の夫は、目を白黒させて顔を見合わせる。
「おい、どうなっとる!?なぜあの二人が手を取り合う!?」
「さあ、私にも何が何だか……あなたは何も知らないので?」
見ている者たちには、何が起こっているのか理解できない。だってクルミは今日初めて村に来たのに、どうして宗太郎とあんなに親し気にしているのか。
予想外の展開に宗次郎は胸騒ぎを覚え、クルミに戻るよう促す。
「お嬢さん、そいつは危険です。お戻りください!」
司良木の夫も、宗太郎の悪辣さは知っていたのでクルミに呼びかける。
「ダメだクルミ、そいつについて行っちゃいかん!そいつは私と村をいがみ合わせようとした、悪い奴なんだ!」
しかし、クルミは聞かなかった。
その隙に、宗太郎が隠し持っていた小刀を抜き、クルミに突きつける。
「黙れ貴様ら、騒いだり下手な動きをすればこの小娘の命はないぞ!!」
その一言に、見ている者たちは動けなくなる。
クルミを助けようとしても、自分たちがそうするより宗太郎の刃の方が速い。何よりクルミは司良木家の令嬢、傷つけさせる訳にはいかない。
こうして、その場は一瞬で宗太郎に握られてしまった。
本人以外の誰も予想だにしなかった、鮮やかな逆転劇だった。
宗次郎と司良木の夫は、どうしていいか分からなかった。どうしてこうなったのか、どういうつもりなのかも分からない。
それでも宗次郎は、小声で後ろにいる村の衆に指示した。
「すぐ、寝とるモンを叩き起こせ!とにかく、動けるモンを連れてこい!」
それを受けて、後方にいた数人の村人が走り去っていく。宗太郎はそれに気づいたが、特に何もせず余裕の表情で笑っていた。
「ええぞええぞ、人ならどんどん呼んで構わん!
これからお嬢さんのやる事を、しっかり見てもらわんとなあ」
「ええ、その通りです」
クルミは刃を突きつけられているというのに、涼しい顔をしていた。まるで、これも示し合わせての行動だと言わんばかりに。
「全く、面倒くさいですね。
時代を動かすために、ここまでしなければならないなんて……。
でも、事が済んだらみんな絶対やって良かったって言うわ。そのためならこのクルミ、恥はいくらでもかき捨てましょう!」
クルミはそう言って、父とクメに微笑みかけた。
「大丈夫です、お父様、お母様、そこで見ていてください。
私は必ず頑迷なこの村の目を覚まさせ、文明開化を進めてみせます!」
その目には、必ずやってみせるという使命感と自信があふれんばかりにみなぎっていた。
司良木の夫とクメは、ますます訳が分からなくて混乱するばかりだ。自分たちは村とそれなりにうまくやっているのに、この子はまた何をしようとしているのか。
その間にも、宗太郎が行動に出る。
「さあお嬢さん、この桶でその花束を洗うんじゃ!」
宗太郎に言われるままに、クルミは自ら袖まくりをして花束を桶に突っ込む。そしてバシャバシャと豪快に、花束で中をかき回して洗った。
しばらくして、固唾をのんで見守る人々の前で、クルミは花束を引き上げる。
掲げられたその色に、宗次郎の目が真ん丸に見開かれる。
「それは、まさか……白!?」
輝く雫をまとったそれは、ランプの光そのままの色を映していた。さっきまでの濃い赤は、消え失せている。
まさにここで黄泉を開く禁忌の色が、そこにあった。




