177.家族思い
猛との離別は認めるものの陽介も逃がしたくない竜也は、陽介の家族への想いをだしに楓を引き留めようとします。
こんなひどい事態を引き起こした陽介ですが、その大元の動機は愛情からでした。
それを突きつけられ、将来への展望を少しはもった楓ですが……。
竜也の返答に、楓は諦め半分未練半分といった顔をした。
本人も、許されないことを言っていると分かっていたのだろう。通る訳がないのに、無茶をしてみただけだと。
その口から、蚊の鳴くような声が漏れた。
「……猛とは、本当に別れさせてくれるの?」
竜也は、真顔で深くうなずく。
「ああ、これだけは約束しよう。
君がこれからの人生を猛くんに害されることがないよう、もう猛くんが君に会えないように策を講じよう。
はっきり言おう、君と陽介君の将来と償いのために、猛くんはいない方がいい!」
竜也は、はっきりと宣言した。
これには、周りで見ていた社員や村人たちもうんうんとうなずいた。
楓を逃がす訳にはいかないが、猛と別れさせる分には何の問題もない。あの男は、家庭にも社会にもひたすら有害なだけだ。
それで楓が少しでも希望を持って留まってくれるなら、あいつこそどうなってもいい。
むしろ、猛が自棄になって楓の稼ぎまで浪費して足を引っ張ることになる前に、これ以上害をなせないよう手を打つべきだろう。
竜也の人脈と力をもってすれば、それができるはずだ。
それを聞くと、楓は今度は少しだけ切ない顔でこう言った。
「そう……ありがとうございます。
じゃあ、陽介は?」
竜也は、今度は毅然と言いつける。
「陽介君は、きちんと君が育てるんだ!もっとも、私も稼げる子に育つように多少の補助は考えよう。
考えてもみたまえ。君が親をやめてしまったら陽介君には猛くんしかいなくなる、それではどうやってもまともに育たんぞ。
かといって、親なし子にする訳にもいかんだろう」
竜也は、楓に促すように戦っている陽介の方に顔を向けた。
陽介は、恐ろしい二体の死霊に果敢に攻撃を仕掛けている。その肌には汗が浮かび息はだいぶ荒くなっているが、それでも俊敏な動きで司良木親子と渡り合っている。
片や猛は、ひたすら苛々して陽介に怒鳴りつけながら様子を伺うばかり。
重いハンマーはとどめを刺すにはいいが、長時間振り続ける戦いに向いていない。初めはそれでも攻撃しようとしていたが、疲れて陽介が隙を作るのを待つばかりになってしまったのだ。
だったら他の社員に声をかけて他の武器に持ち替えるなりすればいいのだが、猛がそうする様子はない。
結局、自分の得意なことしかやりたがらないのだ。
竜也は、ひどく落胆した様子で告げる。
「見たまえ……自分の子と共に戦いながら、あのざまだ。
私は、君のことも陽介君のこともとてもかわいそうだと思うよ。
陽介君は君から都合よく逃げさせてもらっていると思いながら、本当はあいつの都合のいい味方にされているだけだった」
目の前で繰り広げられるあまりにひどい戦いに、さすがの楓も眉を顰める。しかしその顔は、どこかいい気味だという笑みを隠しきれていなかった。
二人ともに対して、相当うっぷんが溜まっていたのだろう。
竜也は、そんな楓の情に訴えるように言う。
「それでも、あの子は猛くんに従って戦おうとしている。
……君が思っている以上に、家族思いなんだよ、あの子は」
それを聞くと、楓は気まずそうに眉間にしわを寄せた。
さっき、陽介が大罪人であると発覚した時、陽介は泣いてこう言った……ひな菊に手柄を立ててみせ、猛を昇進させて家を豊かにしたかったと。
金持ちになれば、父と母が喧嘩をしなくてすむからと。
仲良く自分を可愛がってくれる家庭が、ほしかったと。
陽介は間違いなく家族に愛されたがっており、そして家族を愛している。
たとえやり方を間違えて村にも家庭にも会社にも取り返しのつかない事態を起こしていても、その動機は紛れもなく愛だったのだ。
そんな我が子の想いに気づいて、楓は悲しそうに俯いた。
竜也は、そんな楓を励ますように力強く言う。
「私はね、あの家族思いな子があんなひどい男にだめにされるべきではないと思うんだ。あの子には、君が必要だ。
大丈夫だ、あの子は君のことも大切に思っている。
あの害にしかならない逃げ場がなくなれば、君のいう事を聞くようになるさ。
何なら、私が人生の先輩としてお灸を据えてやってもいい」
その言い方に、楓は迷った。
確かにこれまで陽介は猛の言うことをよく聞いて、楓の言うことを聞かず楽な方にばかり流れてきた。
しかし、言われてみればそれは全て猛あってのこと。
その猛と引き離され、そのうえこの立派な社長にガツンと一発かましてもらえば、心を入れ替える可能性は十分ある。
そうなれば、将来的には楓が一人で生きていくより楽になるかもしれない。
楓も基本的には、楽をしたい人間だ。しかし猛よりは先のことを考えることができ、将来楽をするためなら多少は今を耐えることができる。
陽介のことも、将来は母親である自分の味方になるかと思って、面倒でしかない育児もそこそここなしてきた。
それを裏切られたから、殊更に憎くなったのもある。
だが、もし陽介が自分を愛し孝行してくれるようになるなら……。
「陽介……」
楓は、愛憎半ばの我が子の名を呼んだ。
これまでは自分を苦しめてばかりだった、紛れもない我が子。
しかし、それが心を入れ替えて自分を支えてくれるなら……そのために、この正義あふれる素晴らしい社長が手を貸してくれるなら……。
だが、せっかくいい話で決着しそうだった雰囲気をブチ壊す声が放たれた。
苦しい戦いを続けている猛と陽介、その苦しさを紛らわすための都合のいい妄想の発露……それが耳に届いた途端、楓の額にピキピキッと筋が立った。




