167.遅すぎた警戒
ようやく竜也が異変に気付きますが……気づいた時にはもう遅いのが、ホラーの定番です。
そして一つ予想外のことが起こると、それに動揺して余計なことを考えてさらに判断を誤ってしまいがちです。
竜也が放送に気を取られている間に、野菊の隠密行動は確実に実を結んでいました。
野菊の手から宝剣が消えた……その不可解な事態に、竜也はどうしていいか分からなかった。
(なぜ……一体誰が、こんなことをした!?)
理由や犯人を考えてみても、分からないことだらけだ。
宝剣がこちらの手に渡らないようにと考えると敵のようにも思えるが、逆にこれでは野菊が復活した時に宝剣を使えない。
誰が別の者が持って行ったとしても、使えもしないし自分にも差し出してこないのは不可解だ。意味が分からない。
(……いや、平坂の一族ならもしかして宝剣を使えるのか?
清美か聖子が、立場を有利にするために手に入れた?
しかしあの二人はさっきロビーに呼んだ時以外、社長室から出ていないはず。見張りもつけているし、気づかれずここまで来るのは不可能だ)
冷や汗を垂らして思案する竜也に、猛が言う。
「で、野菊の方はどうします?
頭をもう一度潰せってんなら、すぐ行ってきますが」
ここでも、竜也は迷った。
(それができれば一番いいが……もしかしたら、無防備なフリをした罠かもしれん。もしそれで猛が死霊になったら、えらい事だ。
ここは、清美に見てもらうまで慎重に行動した方がいいか?)
簡単そうに見えても予期せぬトラブルの元になることがある。竜也がつい今さっき味わわされた教訓だ。
しかも、予想だにしなかったこの不気味な兆候を無視するのは危険だ。
竜也は、首を横に振った。
「いや、まずは清美に見てもらってからにする。すぐ清美を呼べ!
おまえたちは、野菊や他にも外に動きがないか警戒していろ」
猛は残念そうな顔をしたが、竜也はそれどころではなかった。
頭の中で、嫌な予感がぐるぐると渦を巻く。この不可解な変化は氷山の一角で、見えないところでもっとまずい事態が起こっているのではないか。
会社のトラブルや不正でも、表に出るのはだいぶ進行してからだ。
経験豊富な経営者としての勘が、竜也の頭の中に警鐘を鳴らし続けていた。
その嫌な予感をなぞるように、数人の社員がためらいながら近づいてきた。
「どうした?」
竜也の問いに、社員たちは不安そうな顔で告げた。
「それが……さっきから、姿を消して戻ってこない者がちらほらいるんです。ただのトイレかと思って、しばらく待ってみたんですが。
もしかしたら、社長に疑いを抱いて逃げたのかもしれません」
その言葉に竜也は一瞬怒りを抱いたが、すぐに背筋からぞっと冷えた。
(逃げる……まだ外を死霊がうろついている、このタイミングで?)
社員たちはそう判断したようだが、竜也にはそうは思えなかった。
今ここにいる者たちは、竜也の力と組織にすがって自分が助かりたい者が大半だ。たとえ石田のことで怪しいと思っても、わざわざ今安全な工場から飛び出すだろうか。
このままでは会社を裏切るものが出るかもしれないが、それは外の安全が確保される夜明け後のことだろう。
だとしたら消えた者たちは、どうなったのか。
竜也の頭の中に、最悪の可能性がよぎった。
(まさか、その消えた者たちは……!)
竜也は、すぐに周りにいる社員たちに命じた。
「すぐに、工場内に敵がいないか再度確認しろ!!
二人一組になって……いや、そんな少人数では危険か。五人一組をまずトイレの方に出す、楓くんも加われ。猛と残りはここを守れ」
最悪の可能性……それは、こちらの認識していない敵に既に侵入されていることだ。消えた者たちは、もうやられてしまっているかもしれない。
しかも、今宵の敵は犠牲者を仲間に引きずり込む。帰って来ない者の分だけ、すでに敵が増えているかもしれない。
だから万が一を考え、逃げ足の速い楓を向かわせた。
せめて、向かわせた全員が死霊になって戻ってこないように。
(クソッ後手に回ったか……杞憂であってくれ!)
竜也は、祈るような気持ちで楓たちを送りだした。
竜也たちの知らないところで、血の宴が繰り広げられていた。
少し前まで司良木親子が拘束されていた部屋では、死霊たちがまだ生きて痙攣している人間に群がり、貪っていた。
「あハッ……これよ、コレ……ニクぅ!」
腐りかけた顔に満面の笑みを浮かべて、喜久代は肉にかぶりつく。口から胸にかけて真っ赤に染めながら食いちぎる姿は、もはや獣だ。
一応人の意識はあって、人の言葉が少しこぼれているのに。
その手にもう、宝剣はなかった。
今宝剣を手にしているのは、古風に髪を結った女学生風のはかま姿の少女……司良木クルミだ。野菊は今、クルミの中にいた。
野菊は死霊たちを見渡し、指示を出す。
「あまり手足を食べないで、胴だけにしておきなさい。
これから彼らも戦力になるんだから……あまり手足の肉がなくなると動きが鈍くなるわ」
司良木親子の復活と前後して、野菊はさらに戦力を増やしていた。
トイレや不安などで一人二人でロビーから離れた人間を実体のない死霊の目を借りて見つけ、待ち伏せして襲う。
今のところそれはとてもうまくいき、大罪人以外の死霊は十体ほどになった。
野菊はそうして捕らえ声を奪った人間を喜久代に与え飢えを満たさせると、自分は復活した司良木親子に乗り移って対話した。
司良木親子も初めは驚いて恨み言を言ったが、もう抵抗などできないと分かると素直に今の敵と戦う気になってくれた。
もちろんそれは、黄泉による支配のせいもあるだろう。
とにかく、大罪人たちはある程度己の意志で連携して戦えるようになった。
「さあて、そろそろ竜也も気づいたみたいね。
いいわ、反撃の時間よ!」
実体のない死霊の目で楓たちの出撃を知った野菊は、闘志と恨みをその目に燃やしながら立ち上がった。
反撃の準備は、整っている。
両者が再びまみえる恐怖の時は、着実に迫っていた。




