160.静かな制圧
宝剣を手にした野菊は、さっそくもう一つの目的に向かいます。
まだ無双できるレベルではありませんが、相手に隙があれば十分うまくやれる程度にはなりました。
そして司良木親子の監視体制はどうなっているでしょうか。
危機から安全な方向にしか変化がないと、人は油断するものです。
宝剣を手にした野菊は、すぐに司良木親子が拘束されている部屋に向かった。
工場は敷地内に入ってしまえば、建物に入れる場所などいくらでもある。その中で近くに人がいない扉を選び、神通力で鍵を壊す。
宝剣をかぎ穴に当てると、鍵はすぐに錆びて崩れ用をなさなくなる。
さっきの素手の時とは、けた違いの速さだ。
(……でも、まだ遅い。自分の体と同じようには戦えない。
これなら人を直接死霊にすることはできそうだけど、その間に仲間を呼ばれないように作戦を考えないと。
さっそく、作左衛門が役に立つわね)
野菊はもう、作左衛門と手をつないでいない。
宝剣を手にして神通力がある程度強くなったので、もう少しくらい離れても操れるようになった。
これで、戦略の幅が大きく広がった。
さらに、肉体のない死霊の目も距離が近ければ借りることができる。
野菊と作左衛門は足音を忍ばせ、人間に出会わないように静かに工場内を進んでいった。
司良木親子が拘束されている部屋は、ロビーからだいぶ離れた所にあった。万が一また動き出しても、被害を抑えられるようにだろう。
そして、司良木親子のいる部屋は袋小路になっており、その前に見張りが二人いる。
さらにその一本道に入る前の部屋に交代の見張りが二人、詰めていた。そこには、ハンマーや即席の槍など戦うための武器も置かれている。
しかしこの配置は、外から敵が来た場合仇となる。
外から来られたら逃げ場がないうえに、助けを求めようにも他の人がいる場所まで声が届かないからだ。
ゆえに、野菊は真っ先にその詰め所を狙った。
明るい部屋でゆったりしている交代の見張りたちに、死の影が音もなく近づく。
今、死を侮る者たちに死の反撃が始まった。
司良木親子の見張りをしている者たちは、前線に立たなくてよくなったので楽な仕事だと安心していた。
司良木親子は強かったが、拘束されて停止している今は人形同然である。
頭に刺した杭を抜かない限り動き出しようがなく、この役目に危険はほぼなかった。そのためここに配置されているのは力の強い若者が一人と、老人一人という組み合わせである。
部屋の前の見張りも、同様だ。
もし司良木親子が動き出すようなことがあれば詰め所まで下がり、そこで若者二人が止めているうちに老人が連絡するという流れだ。
そのため、連絡用のトランシーバーは詰め所にしかない。
だからそこが先に潰されたら、もう部屋の前にいる見張りは助けを求められない。
しかし、詰め所にいる二人はすっかり気が緩んでいた。若者はあくびを噛み殺し、老人は高いびきで眠ってしまっている。
夕方から月見の宴で酒が入っている者が多く、しかしこれまでは緊張の連続で、さっきようやく野菊を倒してひとまず安全になった。
もうしばらく危険はないと思うと、眠気と疲れがどっと押し寄せてきた。
よもや、その危険が今部屋のすぐ前にいるとは思いもしなかった。
コンコンと、詰め所の扉がノックされた。
「ん……何だあ?」
面倒くさそうに起き上がった若者に、扉の外から声がかかる。
「ねえねえ、あたしを奥の部屋に連れて行って、捕まえた死霊ってやつを見せてよ。こんなの見れる機会なんて、滅多にないじゃない?」
うら若き女の、甘ったるい声だ。
「ねえ、あんたも暇してんでしょ?
どうせなら、あたしと楽しい事しようよ」
それを聞いた若者は、ほおを緩めて立ち上がった。
ただ眠気に耐えるだけの暇な時間に、願ってもない申し出だ。幸い老人は眠っているし、ここなら連絡をしなければ他の人が来ることもない。
今のところ工場内に動ける死霊はいないから、多少ははめを外してもいいだろう。竜也の指揮で死霊なんか簡単に倒せたし、見世物気分な女の気持ちもわかる。
「よしよし分かった、一緒に行こうぜ!」
若者は何の警戒もなく、詰め所の扉を開けた。
途端に、若者の口が分厚い手で塞がれる。
「むぐっ……んんっ!?」
何が起こっているか分からないうちに、体が扉に挟まれて身動きが取れなくなる。そして、首に硬いものが押し当てられる。
若者の目の前には、確かに女がいた。色とりどりの菊がちりばめられた着物を怪しくはだけた、まだ幼さが残る……生きていれば可愛かったであろう女。
しかし、その少女は腐っていた。
「社長と……放送に従わなかった己を恨みなさい!」
若者の喉元に、焼けつくような痛みと凍り付くような寒気が走った。
押し当てられた宝剣から発する炎が、まず若者の喉を腐らせて声を奪う。そしてそのまま腐敗は広がり、若者の目が白く濁った。
若者の体から力が抜けると、少女……野菊はゆっくりと若者を床に横たえた。
「まずは、一人。
それにしても……喜久代の声は男に媚びるにはもってこいね」
こうして、まず詰め所の若者が死霊と化した。
ここには死霊が来るはずはないし死霊は普通しゃべらないから、扉越しで姿が見えなくてもしゃべりかけられれば相手は人間だと思ってしまう。
野菊はそれを利用して、若者に扉を開けさせ、作左衛門と二人で襲い掛かった。
残るは、無防備に眠っている老人ただ一人。
「じゃあ、こっちも仲間にしましょうか」
野菊は老人も同じように喉から腐らせ、声を上げさせずに死に引きずり込んだ。こうして誰にも気づかれることなく、詰め所は制圧された。
二人の死霊を仲間に加え、野菊はそこにあった武器を手に取った。
「ご丁寧にこんなものまで置いてくれて、ありがたいわ。
この槍と鉄の管……司良木親子に持たせたらどうなるかしらね?」
普通の死霊は武器を持てない、ゆえにそいつら相手なら武器は人間だけのものだ。しかし野菊と大罪人は、武器を扱うことができる。
野菊は仲間と武器を手に入れ、ハンマーを作左衛門に持たせてさらに奥に向かった。




