158.弱き者の体
肉体を失って力を使えなくなった野菊は、それでも何かできないかと探し求めます。
そのカギは、すぐ近くにありました。
黄泉の力を強く受けた肉体で、復活できる、自由な体。
白川鉄鋼を攻めた大罪人は誰がどうなったか、よく思い出してみてください。
野菊はしばらく、霊ゆえの身軽さを生かして白川鉄鋼の中を探りまわった。
霊は普通の人間の目に見えないため、目の前で動き回っても見つかることはない。壁も床もすり抜けられるので、扉が閉まっていようが鍵がかかっていようが問題ない。
野菊は復活した時より迅速に行動できるように、会社の建物がどうなっているかを見て頭に叩き込んだ。
しかし、一か所入れないところがあった。
いや、入れないことはないが、入らない方がいいところだ。
(……これは、あの親子がここにいるのね!)
霊になったから見えるもの、死霊除けの結界が張られている部屋があった。工場の社長室だ。
この村でこんなものを張れる奴は、一人しかいない。平坂神社の当代の巫女である、清美のしわざだ。
(私の力なら破れないこともない……けど、破ったら気づかれる)
破ることもできなくはなさそうだが、破れば野菊が肉体を捨てて活動していることに気づかれる。そうなれば、また対策を講じられるかもしれない。
そうなると本当に打つ手がなくなるので、野菊はそこには触れないことにした。
今は、気づかれないままどこまでやれるかが勝負だ。
平坂親子の居場所が分かっただけでもよしとして、野菊は静かにそこから立ち去った。
しばらくすると、工場の裏手から車が出て来て、死霊たちの注意を引き付けてどこかへ連れて行ってしまった。
(ああっ戦力が……!!)
野菊は焦ったが、どうしようもなかった。
肉体がなく神通力が使えないこの状態では、死霊たちに声が届かない。野菊がいくら呼びかけても、死霊たちは気づかず行ってしまった。
これではたとえ自分が復活しても、操れる戦力が近くにいない。
たった一人では多勢に無勢で勝負にならないだろうし、復活してからまた死霊たちを集めている時間はない。
竜也のこちらを阻む手際の良さに、野菊は歯噛みするしかなかった。
(何とか、手駒を増やせないものかしら?)
野菊はそれから、何か使える戦力はないかと白川鉄鋼の内外を探った。
動ける死霊たちは皆車に誘導されて遠く離れてしまったし、この状態では野菊自身が人間を死霊にすることもできない。
残っているのは、頭を潰されて停止した死霊のみ。
その中には、先行して倒されてしまった司良木親子もいた。
(復活して自由になれば相当な戦力になるんでしょうけど……このままでは無理ね)
司良木親子は頭と胸に太く長い杭を打たれ、工場内の一室に拘束されている。そこには出入り口が一つしかなく、数人の社員が見張っている。
これでは、復活できないしできたとしても容易に外に出られない。
だが、そうしているうちに野菊はかすかな黄泉の力を感じた。
(外……まだ誰か残っているの?)
野菊はすぐに、力の方向に飛んだ。
白川鉄鋼の門の近く、バリケードに隠れて内側から見えないところで彼女は目を覚ました。潰されたはずの頭は、ほぼ元の形に戻っている。
「クソッ……ニク、肉……」
彼女はうまく回らない口で、それでも人の言葉を紡ぐ。
なぜそんなことができるのかといえば、それは彼女が大罪人だからだ。頭を潰されても時間が経てば復活するし、野菊の力が弱まれば意識が戻る。
彼女は門の外に打ち捨てられ、拘束されていなかった。
それは彼女が戦った相手から特殊な死霊と認識されなかった……一人だけ気づいたが、そいつの意見を他が受け入れなかったからだ。
おかげで、彼女は自由だった。
彼女は強烈な飢餓感を覚え、肉の匂いのする方へバリケードを越えて行こうとした。
しかし、できなかった。
いきなり彼女の体に入ってきた何かが、圧倒的な力で彼女を制圧したから。
(あれは、喜久代!!)
かすかな黄泉の力を辿ってきた野菊は、門の外で動く彼女を見つけた。何事か呟きながら、一人で門を越えようとしている。
大罪人だと気づかれずに倒され、放置されていたのだろう。
だが、このまま一人でバリケードを越えても、また倒されるだけだろう。そして今度こそ、司良木親子のように拘束されてしまうかもしれない。
(やめて、あなただけは……今はあなただけが戦力なのよ!)
野菊は、何とか止めようと喜久代に突っ込んだ。
大罪人は他の死霊たちよりずっと、黄泉と強くつながっている。だからもしかしたら、他の死霊たちと違う何かができるかもしれない。
幸いにも、その考えは当たった。
野菊は喜久代に触れた瞬間、体になじむような感覚を覚えた。
(これは……入れる?)
そう言えば力の強い悪霊は、人に取りついて障りをもたらすことがある。
自分にもそれができるなら……黄泉の力を強く受けたこの肉体ならもしかしたら……野菊は迷わず、喜久代の体に入り込んだ。
瞬間、野菊に肉体の感覚が戻った。
喜久代は門を登ろうとしたままビクリと痙攣し、数秒そのまま呆けていた。そして、別人のようにしっかりした顔で口を開いた。
「ふーん、こんなこともできるのね。
弱き者は弱き者で、役に立つものだわ」
その意識はもう、喜久代のものではなかった。
野菊は、喜久代の肉体に乗り移って支配したのだ。
黄泉の力と強くつながった大罪人の体は、黄泉の将である野菊を受け入れることができた。そのうえ、この体なら黄泉の力も少しは引き出せそうだ。
喜久代の意識は残っていて、驚き喚いているが、野菊を阻むほどではない。
「これなら、やれる!」
自分の声ではない声で呟いて、野菊は再び地に足をつけて一歩を踏み出した。




