148.生餌
竜也にとって、銃はひな菊を守るために失えないものでした。
そこに突っ込んでしまった石田に、竜也は残酷な処分を下します。
白川鉄鋼を安全にしながら石田を役に立てつつ処分する竜也の悪辣な策略……最後の救命士は、一体どうなってしまうのでしょうか。
一しきり話が落ち着くと、外の見張りが血相を変えて叫んだ。
「社長、死霊の奴らが塀を越えようとしています!あいつら、他の死霊の上によじ上って積み上がって……このままじゃ、入られます!
狙撃されるかもしれないので、崩しにも行けません!」
それを聞いて、一旦安心していた社員たちの顔が青ざめる。
野菊は倒したが、門の前には野菊が連れてきた大量の死霊がいるのだ。門は閉めてバリケードも築いたが、塀を越えてくるものは防げない。
しかし、竜也は落ち着いて指示を出した。
「裏の搬入口から車を出して、死霊を離れた所に誘導しろ!
野菊の統制が失われた今なら、できるはずだ」
「は、すぐに行います」
事務長が数人の社員に声をかけて、すぐに準備を始める。さらに事務長は、救命士の石田にも声をかけた。
「必要なこととはいえ外は危険ですし、もし死霊を誘導している途中に人がいたら救助することになるかもしれません。
人命のために、ご同行願えますね?」
このタイミングでの外に出る任務……石田は非常に嫌な予感がした。
だが、断るのもそれはそれでまずい。さっき竜也を責めたことで、竜也にすがる社員たちから不満を向けられている。
「救命士のくせに、何で人を救った社長にいちゃもんつけるんだ……!」
「おまえなんぞにすがったって、誰も救えんかったくせに」
方々から、そんな呟きが耳に入ってくる。
石田は観念して、うなずいた。
「分かりました、私でお力になれるのなら」
その答えに、事務長の顔がぐにゃりといやらしく歪む。やはり、確実にただの誘導ではなく何か企んでいる。
それでも、石田は行くしかなかった。
(落ち着け……まだ死ぬと決まった訳ではない。
逆に、この白川鉄鋼から出るチャンスが来たんだ。生きてここから出て、何とか他の村人と合流できれば……)
石田は事務長と社員数人に囲まれて、ロビーから消えていった。
しばらくして、白川鉄鋼の門の近くでけたたましい音が鳴り始めた。ガンガンと金属を叩く音と、車のクラクションが響く。
「おっ、やり始めたな」
裏の搬入口から出た石田と社員たちが車に乗り、大きな音を立てて死霊の気を引いて誘導を始めたのだ。
門の近くに群がっていた死霊たちは、徐々にそちらを振り向き、車に向かってぞろぞろと歩いていく。
「よし、いいぞ。ゆっくり走らせろ!」
死霊たちが塀から離れると、車はゆっくりと白川鉄鋼から離れていった。
それを窓から見ていた社員たちから、安堵の吐息が漏れる。
「良かった……さすが社長さんだ」
あんなにたくさんの死霊に迫られて本当に大丈夫かとヒヤヒヤしていたが、信頼する社長はまたしてもうまくやってくれた。
もうこの人について行けば間違いなどない、そんな空気が工場を支配しつつあった。
しかしその頃、車の中では不穏なことが起こっていた。
「大人しくしな、役立たずの救命士さんよお」
車に乗り込むなり、石田は社員たちに取り押さえられて身動きが取れなくなっていた。頭にネイルガンを突きつけられ、車から飛び出すこともできない。
それでも石田は、気丈に問う。
「この死霊共を、どこに連れて行く気だ?」
人気のないところへ誘導して振り切るならいい。しかし、そうではない気がする。
石田は救急隊として、何度かこの村を訪れたことがあった。その時の記憶が正しければ、今走っている道の先は……。
「へへっ、おまえが助かるかもしれねえところだよ!」
この村に、夜もやっている大きな病院などない。
あるのは……道の先に見えてくる明かりは、住宅地だ。
突然、石田の足に一瞬気が遠くなるような痛みが走った。
「ぐうっ!!?」
遅れて認識できて、ネイルガンの発射音。石田のアキレス腱を貫くように、太い釘が深々と刺さっていた。
「ほらよ、あそこの家まで頑張れば、誰か助けてくれるかもよ」
その残酷な言葉とともに、石田は車から放り出された。そして死霊たちを導くように、車は住宅地に向かってアクセルをふかした。
「あ、ああっ……!!」
石田は痛みに悶えながら、遠ざかっていく車を見送っていた。
ここまでやられるとは思わなかった。甘かった。あの竜也という男の凶暴性と非常時の集団心理をまだ軽く見ていた。
こんな、大勢殺すようなことが平気でできるとは。
死霊たちは唸り声をあげ、足を引きずりながら、住宅地に迫ってきている。さっきの放送でここに死霊は来ないと思っているところに、こんなに来たらどうなるのか。
竜也は初めから、こうして死霊すらも利用するつもりだったのか。
いや、今はまず自分のこの危機を何とかしなければ。
石田は右足首を釘で貫かれ、アキレス腱をやられてしまった。もう、自力で走って死霊を振り切ることはできない。
「ぐっ……だが、易々と死ぬものか!」
それでも歯を食いしばって白衣のポケットをまさぐり、鎮痛剤を取り出して自分に打つ。これが効いてくれば、多少は動けるようになるだろう。
だが、動いて誰かに助けを求めることを考えて、はたと気づいた。
今自分は、死霊と同じかそれ以下の速さでしか動けない。その自分が助けを求めて家に向かえば、その家の開くドアの前に死霊を誘導することになる。
しかし自分が助かるには、そうするしかない。ここまま誰の手も借りずに一人で逃げ切ることは、できる訳がないのだ。
そもそも、後ろからは死霊の大群が来ていて逃げ場が住宅地しかない。
何という残酷な状況だろう。
いっそここで潔く死ぬことも考えたが、あいにく苦しまずに死ねる薬は持ち合わせていない。救急セットは、奪われてしまった。
それに、死ねば救命士の姿の死霊が一体生まれることになる。その姿に引かれて生きた人間が食われに来ないと、誰が保証できようか。
どう転んでも、地獄だ。
しかし、歯噛みする石田の前に、キキッと音を立てて何かが止まった。目の前には細い車輪、そしてそこには、真の村を守る戦士が乗っていた。




