14.知るは地獄
白菊姫は逆上して野菊に襲い掛かりますが、それはさらなる恐怖への一歩でしかありませんでした。
だって、野菊も村人たちも、もう死んでいるのですから……白菊姫もようやくそれに気づきます。
そして、今までどうしても分からなかった自分が責められる理由も……タイトルは、知らぬが仏の逆です。
しばらく、時間が流れた。
白菊姫は半泣きになって、全身の力を込めて首を絞めたが、いくら絞め続けても野菊は平然とこちらを見ている。
そのうち、白菊姫の方が疲れて息が上がってきてしまい、手の力が緩んだ。
それを見越したように、野菊が白菊姫を振り払う。
「あうっ!」
勢いあまって地面に倒れ伏しながら、白菊姫は怯えた目で野菊を見上げた。
「野菊……おぬし、なぜ死なぬ!?」
小刻みに震えている白菊姫を見下ろし、野菊はさらりと告げた。
「死なないわよ、もう私は死んでいるもの」
「な、ん……!?」
白菊姫は驚愕した。
目の前にいる野菊は確かに立って動いて、言葉もしゃべっているし触れるのに、もう死んでいるとはどういうことか。
いや、さっき直に触れた野菊の体は、ひんやりと冷たかった。それに、あれだけ首を絞めても苦しまないどころか、首がぴくりとも動かなかった。
白菊姫の奥歯が、がたがたと鳴り始めた。
野菊は不気味な笑みを浮かべて白菊姫に歩み寄り、そっと顎をすくい上げた。
「私だけじゃないのよ、今ここにいる人たちはみんな、死んでいるの。
ほとんどの人たちは、あなたのせいで死んだのよ。
だって考えてもみてごらんなさい、こんなに腐り果てて生きている人間がいる訳ないでしょう?動いているのは、私が黄泉にお願いして魂を返してもらったからよ」
月の光を反射して、野菊の頭の冠が鈍く光った。
「ねえ、知ってる?
私はイザナミに使える巫女、死者の声も聞けるのよ。
……ああ、今は巫女じゃなくて、黄泉の将になったわ」
白菊姫は、もう生きた心地がしなかった。
自分を囲んでいるのは、もはやこの世の者ではない……自分は、死者に囲まれているのだ。白菊姫は、放心したようにへたり込んで、ぽろぽろと涙をこぼした。
もう、自分は助からないのか。
このまま、死霊の餌になるしかないのか。
村人たちは勝手に死んだのに、その罪を着せられて……。
そんな白菊姫の心中を見透かしたように、野菊は白菊姫の顔をのぞき込んで言った。
「ねえ、どうして村の田畑が枯れ果てたのか分かる?
水がなかったからよ」
それを聞くと、白菊姫は少し泣き止んで野菊の方を見た。
「あなたの大事な菊は、水がないと育たないのよね?」
「うん、だからたくさんあげないと……」
「そう、でも田畑の作物だって同じなのよ。
稲だって麦だって豆だって、菊と同じように水がないと育たないの。いくら土を耕しても肥料をやっても、水がないと枯れてしまう。
村中の土がこんなになって、水をやらずに作物が育つ?」
野菊は白菊姫の手を取り、土の塊を握らせてやった。
だが白菊姫が少し力を込めると、それはぼろぼろと崩れて砂になり、指の間から落ちていった。
「育つ……訳がない……」
白菊姫が涙声で答えるのを確認して、野菊は続けた。
「そうよね、だから食べ物を作るためには、田畑に水をやらなきゃいけなかったのよ。
でもね、その分の水はなくなってしまった。
どうしてか、分かる?あなたが菊に水をたくさんあげるために、水を独り占めしてしまったから。あなた、そのためだけに村を支えていた川の水を止めたでしょう。
そのせいで、村の田畑の作物が全部枯れて、そのうえ飲み水さえなくなってしまった。
何も食べられず飲み水もなかったら、人間はどうなるかしら?」
白菊姫は、答えられなかった。
喉が詰まって、言葉が出なかった。
どうして自分が菊を育てようとしただけで村人が死ぬのか、これまで野菊に聞いても作左衛門に聞いてもどうしても分からなかった事情が、やっとつながった瞬間だった。
「ああぁ……!!!」
白菊姫の目から、どっと涙があふれ出た。
さっきまでの涙とは違う、己の無知を悔いる涙だ。
野菊の言う事は正しい。作左衛門もひどい人間だったが、これに関しては正しい事を言っていた。
村人たちは間違いなく白菊姫に殺されたのだから、恨みを持っても当然のことだ。
白菊姫が水を閉ざしたせいで、村人の多くが死に村は荒廃した。皆その事実を知ったうえで、己が正しいと思うように動いていただけなのだ。
ただ一人、白菊姫本人を除いては。
知らぬが仏とは、まさにこのような事を言うのだろう。
白菊姫の体が、がたがたと震え出した。
気づいてしまったら、これほど怖いことはない。
自分は知らないうちに、自分で村の現実から目を背けて、村人を何百人も殺した恐るべき殺人鬼になっていたのだ。
そして今、殺人鬼の自分にふさわしい罰が下されるのだ。
殺された村人たちによる、死刑。
これは全く正しい判決だ。
どこも間違ってなどいない、助けられる余地などない当然の結末だ。
(いやじゃ、わらわは死にとうない!)
白菊姫は、死が恐ろしくてたまらなかった。
自分はまだ若く、これからできることもたくさんある。どこかから婿をもらって子供だって生めるだろうし、もっと美しい菊を作ることだってできるだろう。
その未来をごっそり奪われるのが、白菊姫は怖くて仕方なかった。
怯える白菊姫に、野菊はぴしゃりと言い放つ。
「分かったでしょう、あなたがどれだけの人の未来を奪ったか!」
今白菊姫が味わっている恐怖を、ここにいる死者は皆味わったのだ。
先立つ恐怖、残していく恐怖、何もできない無力感、逃げることのできない絶望……何百人分もの暗い感情が、そこにあった。
もはや、言い逃れなどできようはずがなかった。




