132.守る使命
江戸時代その後、そして現代に戻ってきます。
咲夜は、ようやく自分のルーツを知り、両親の態度の理由を知ることができました。父の宗平にも、葛藤があったのです。
使命ゆえにこじれていた親子に、野菊は……。
それからしばらく、村は宗吾郎が夢見た通りの繁栄を享受した。
村人たちは飢えぬようしっかり食物を育てる傍ら、村の方々で生き残っていた菊を畑で大事に育てた。
数年後には村の菊は藩で有名になり、村には多くの金が落ちるようになった。
その金で村人たちは、白菊塚に悲劇を伝える石碑を立てる。白菊姫の名は、菊畑の開祖と村を滅ぼそうとした悪党両面でもってそこに刻まれた。
しかし、宗吾郎の名は刻まれなかった。宗吾郎自身が、それを望まなかったせいで。
宗吾郎の名とエピソードを詳細に語り継げば、宗吾郎が懸念したように将来の悪党に生き残るヒントを与えかねない。
ゆえにその話は、平坂家と平泉家の直系にのみ伝えられることとなった。
こうして、現代につながる村の形ができあがった。
しかし明治に入ると、宗吾郎の懸念の一つが現実となる。
平泉家の、堕落であった。
明治時代に近くの町まで鉄道が引かれたことで、村の菊をより遠くまで運んで売りさばけるようになり、村と平泉家はさらに大きな儲けを手にした。
それに気をよくした当時の当主、平泉宗太郎は自分に商売の才能があると思い込み、他にも多くの事業に手を出してしまう。しかしそのやり方は典型的な士族の商法(上から目線、庶民のニーズ無視、コスト意識なし)であった。
結局、失敗して多額の借金を抱えてしまう。
焦った宗太郎は村の土地を生糸工場の司良木家に売り、菊畑をことごとく潰して生糸のおこぼれにあずかろうとする。
それどころか自分の足下を見た司良木家をも恨み、司良木家の息女……司良木クルミをそそのかして禁忌を破らせ、自分に反対する村人たちもろとも葬り去ろうとした。
それに抵抗したのが、村に残り士族の身分を捨てて姓をも平民風に変え豪農となった弟……泉宗次郎である。
泉家は村をまとめて司良木家や宗太郎と戦い、村のリーダーを引き継いだ。
そして『明治の白菊姫』司良木クルミとその母『復讐母』司良木クメの起こした二回の災厄に立ち向かうこととなるが……それはまた別の物語。
これが、今も村の有力者である伝統ある菊農家……泉家のルーツであった。
その話を、咲夜はポカンと口を開けて聞いていた。
「じゃあ……私は、その宗吾郎さんて人の、子孫?」
「ああ、そうだよ。だから我が家は、菊農家の人たちに慕われてるんだ」
父の宗平が、少し緊張した面持ちで答えた。
宗平は、知っていたのだ。そして、きちんと義務感を持っていたのだ。だから咲夜の起こしたトラブルで村が分断されたことを、殊更に気にしていたのだ。
「咲夜ももう少し大きくなって将来の進路を考える頃になったら、教えようと思っていたんだけどね……私自身も迷っていたんだ。
おまえを、血筋だけでこの村と菊に縛り付けていいのか。
いつもひな菊の旅行話を聞かされて嫉妬しているおまえを見ているとね……」
そう、村のまとめ役を継ぐということは、村を離れられなくなるということ。
宗平だって、たまには咲夜に広い世界を見せてやりたい気持ちもあった。その方が新しい見分を得られて、咲夜の世界が広がるだろうと。
しかし一方で、咲夜がそのまま村を飛び出してしまうことを恐れていた。
外の世界は、刺激的で魅力的だ。そこでどっぷり浸かって帰って来なくなるか、帰って来ても清美のようになってしまうかもしれない。
それでは、もう泉家は村を守れなくなる。
だって、今泉家の子供は咲夜一人なのだから。
だからといって、咲夜に菊以外のことを教えず世の中の他の価値を知らないままにしておくのはどうなのか。
それでは、白菊姫と同じだ。
家に課せられた使命と娘の自由との間で、宗平は悩んでいた。
そして、今までずっと結論を出せずにいた。
できれば穏便に村に残ることを選んでもらいたいから、菊農家の日常を咲夜の当たり前に固めてしまうべく、ひたすら村で家業を手伝わせていた。
「……ごめんな、咲夜。理由も言わずおまえを村に縛り付けて。
苦しかったろうな、理不尽だったろうな。何でひな菊や工場勤めの家の子は外に行けるのに、真面目にやってる自分は駄目なんだって……。
そんな気持ちが溜まって、敵を叩かないとやってられなかったんだよな」
宗平の言葉には、咲夜への謝罪と後悔がにじみ出ていた。
「父さん……」
咲夜は、何と言っていいか分からなかった。
今宗平が口にしたことは、まさしくこれまでの咲夜の気持ちそのものだ。その気持ちをこじらせて、咲夜は村の中の対立を災厄が起こるまで激化させてしまったのだ。
菊を育てるのに、やりがいは感じていた。村も嫌いではなかった。
しかし自分の中で、どうして自分は菊を育てる道にいるのか、どうして村から出られないのか納得できる理由がなかった。
だからひな菊を憎みつつも憧れ、自分がそうなれないからますます憎かった。
それを認めたくなくて、正義を振りかざしていた。
(そうだよ、大事な理由があったなら教えてくれれば……)
本来なら、ここで父に文句を言ってやりたいところだ。しかし、それを口に出せない自分もいる。
たとえ理由を教えてもらったって、自分がそれで納得できたかは分からない。今回のような災厄が起こらなければ、その意味と重大さを実感はできなかっただろう。
それどころか、かえって反発し父の心配した通りになっていたかもしれない。
(父さんは、そこまで考えて悩み抜いてた……だから……)
「あーあ、まるで昔の私みたい!」
突然、野菊が咲夜の肩をポンと叩いた。
びっくりして目を丸くする咲夜をしっかりと見据えて、野菊は言った。
「あのね、気持ちっていうのは口に出さないと伝わらないの。で、遠慮して少しだけ口にした言葉だけで周りに判断されてしまうの。
さっきの私の話、聞いてた?
使命や周囲に気を遣って真面目にやるのはいいけど、たまには自分の思ってることも言わないと、気づかれないし報われないわよ。
最悪、私みたいに死んでも何も言えなくなっちゃう」
それから、野菊は宗平にも言った。
「宗吾郎の遺志を守ろうとしてくれるのは、嬉しいわ。でも、それは今生きているあなたたちの気持ちを殺してまですることじゃない。
他に引き継げる人はいるんだから、自分だけで抱え込まずに新しい道を探せばいいのよ。
最悪、絶えてしまっても……災厄が起きるたびに、私がその時の人に伝えて、その時の人が必要だと思ったら作り直せばいいのよ。守る使命なんて」
それを聞いた宗平の目に、涙がにじんだ。
宗吾郎は死に泉家の存続も危うくなっているが、宗吾郎の意志は消えない。永遠の呪いに縛られていつまでもそれを語れる野菊が、ここにいるから。
今度は私があなたたちの心を守ってあげると、野菊はそう言っているようだった。




