130.本心
野菊がずっと胸に秘めてきた、本心が明かされます。
野菊は菊を憎む村をどう思っていたのでしょうか。
そして、菊を復活させようとした宗吾郎への思いは。
心でどんなに思っても、立場上言えないことってありますよね。特に、多くの人の命を左右する権力のある立場の場合は。
雪崩のように止まらぬ泣き声を響かせて、野菊は地面に崩れ落ちた。
赤く照らされた地面を穿ち、さらに濃い赤の涙がぽたぽたと滴り落ちる。その体は、怯える小動物のように震えていた。
「野菊様……!」
宗吾郎が声をかけると、野菊はぱっと顔を上げた。
そして、再び顔を突っ伏して叫んだ。
「お、お願いみんな……殺さないで!その人の家族、こ、殺さないでぇーっ!!
その人、悪くない……何も、悪いことしてないっ!悪いのは私、白菊のことも菊のことも、好きになった私……。
だからお願い、助けてあげてぇーっ!!」
いつの間にか、野菊は村人たちに平伏して許しを請うていた。
この勇気ある優しい男と、そして勇気を出せなかった自分。
「わ、私……本当は……すごく辛かった。白菊を呪ったことも、そのせいで菊がみんなに嫌われたことも、毎年のように菊が抜かれ続けるのを見るのも。
でも、言えなかった!言っちゃいけないと思ってた!
だって私は、いつも村のことを考えなきゃいけないから……村のみんなの気持ちに合わせなきゃいけないって……。
そこに、宗吾郎さんが来て……この人ならって、勝手に期待して……!」
野菊は、罪を懺悔するように己の気持ちを吐露した。
自分には、村を守る巫女という立場があった。生前はそれに従って、村を滅ぼそうとした白菊姫を討った。
しかし一方で、野菊は白菊姫を可愛がり、守りたいとも思っていた。
自分が白菊姫を手にかけた後も、せめて白菊姫の残したもの望んだものだけでも守られたらと願った。
それは、花いっぱいの村。花を愛でて喜ぶ人々の笑顔。
飢饉の前は、当たり前に存在していたもの。
だが、飢饉の一件で全ては変わってしまった。
白菊姫はとんでもない悪女、そいつが育てていた菊は破滅の花。そして自分は、それらから村を救った救世主。
村人たちは白菊姫と菊を憎み、野菊を崇めた。
そしてそこに生えているだけの菊に鬼のような顔を向け、懸命に引っこ抜くようになった。
野菊は白菊姫に裏切られて死んだ。だから白菊姫と菊が憎いに違いないと、勝手に思い込んでいた。
しかし、本当は違ったのだ。
野菊は、日々そんな村を見ていて、辛くてたまらなかった。自分のためといって大好きな菊が抜かれて燃やされて、胸が張り裂けそうだった。
それでも、自分からは言えなかった。
自分を崇める村人たちの気持ちを、裏切りたくなかったから。
それで村人から失望されて、村を救ったことまで疑われたくなかったから。
そんな時宗吾郎が現れて、野菊の心に光が差した。この人が村を変えてくれればと、秘かに期待した。
しかし自分は何も言わず、他力本願で。
その結果、宗吾郎と家族はあんなに力を尽くしたのにこんなひどい事に……。
「うっ……うっ……ごめんなさい!
私のせいでひどい目に遭わせて、本当にごめんなさい!!」
野菊は今度は、宗吾郎に謝っていた。
「わ、私が死霊を通じてこの気持ちを伝えてれば、あなたにこんなことをさせることも、こんな目に遭わせることもなかったのに!
痛い目に遭わせて、辛い目に遭わせて、努力を水の泡にして……本当に本当にごめんなさぁい!!
悪いのは、私……だから、どうか村を嫌いにならないでぇ!!」
必死で泣きじゃくり頭を下げる野菊に、宗吾郎は優しく答えた。
「大丈夫じゃ、嫌いになんかならんよ。
それに、今あなたがこうして本心を伝えてくれたことで、わしの行動は報われた。決して、無駄になってはおらん」
宗吾郎は、野菊を責めなかった。
その優しさに心を打たれ、野菊はまた泣きだした。
「あ、ありがとう……ありがとうございます!!うわあああーん!!」
その光景を、村人たちは呆然として見ていた。
「野菊様……そうじゃったのか」
さっきまでの殺気は、もう消えている。宗吾郎の家族はもう解放されているし、武器は取り落としてしまった。
野菊がああ言っているのだから、もう誰も責める理由はない。
むしろ、今は野菊や宗吾郎に対する申し訳なさで一杯だ。
「わしらは野菊様のためと思ってやっとったが……それが間違いだったか。確かに、野菊様は菊を滅ぼせなんて一言も言っとらんかった」
「勝手に思い込んで野菊様を苦しめとったのは、俺たちの方か」
「野菊様だけじゃねえ、宗吾郎様もだ。本当は宗吾郎様のやることが一番野菊様の心に適っとったのに、わしらは何ちゅうことを……!」
村人たちは、ひどく後悔していた。
野菊の心を、勝手に決めつけて苦しめてしまったことを。野菊の望みを、あの飢饉の時のことだけで判断してしまったことを。
確かにあの一件は白菊姫が悪かったし、野菊も白菊姫を憎んでいた。
しかしそれ以前は、二人はとても仲良しだった。秋になるたび、見事に咲き誇った菊を見ながら楽し気に談笑していた。
野菊は村を守る巫女であると同時に、花と友を愛する一人の少女だったのだ。
なのに村の誰もが、それを忘れていた。
いや、一人だけ……。
「神主様は、気づいていらしたのですか?」
村人に問われると、野菊の父たる神主は深くうなずいた。そして、しんみりと野菊の方を見つめて答える。
「ああ、あの子は必死でやめてやめてと口を動かしていた。昔から、言いにくいことだと声を出さないことがよくあってね。
それに何より……」
神主がすっと指差したのは、死霊と化した白菊姫。
「見てごらん、白菊姫の頭に、塚に供えた白菊が飾られている。
本当に白菊姫が嫌いなら、あんな事はしないよ」
白菊姫の頭には、生前彼女が好んだように、大輪の白菊が飾られていた。死してなお友を思う野菊の本心が、そこにあった。




