13.目に映るもの
やっとのことで屋敷の外に出た白菊姫ですが、待っていたのは情け容赦のない現実でした。
しかし、白菊姫にはそれが何を意味するのか未だに理解できません。
白菊姫の視点から見た一揆は、こうなっているのです。
「ど、どういう事じゃ……?これは、一体……」
白菊姫は、思わず立ち止まって辺りを見回した。
これまで何度もこの道を通ったはずなのに、こんな光景は初めてだった。
自分は、どこかいかしな世界に迷い込んでしまったのだろうか……白菊姫はそう思わずにはいられなかった。
だって、さっきから周りで起こるのは恐ろしい事ばかりで、周りにいるのは人間じゃない化け物ばかりで……。
その迷いを覚ますように、後ろからはっきりとした声が響いた。
「ようやく、見てくれたのね」
振り向くと、そこには野菊がいた。
野菊はたじろぐ白菊姫に、静かな声で告げた。
「まるで、初めて見るような顔をするのね……。
でも残念、村は夏の初めから雨が降らなくて、二ヶ月くらいこんなだったのよ。
あなたはその間、何度でもここと菊畑を往復してたはずだけど……どうせあなたのことだから、菊の事ばっかり考えてて見えてなかったんでしょ」
「はあ……!」
白菊姫は、狐に化かされたような顔をした。
だが、試しに触ってみた地面は確かにカラカラで、水気などこれっぽっちもなかった。
(ちょ、ちょっと待て!
わらわは、ずっとこの道を通って……!?)
白菊姫は、混乱した頭で、自分の見てきた景色を何とか思い出そうとした。
照り付ける太陽と空に浮かぶ入道雲、青々と茂る田畑、陽の光を浴びてキラキラと輝く用水路……それらは全て、過去に見てきたいつもの村の風景だ。
毎年毎年、変わることのなかった風景。
この道を通るたびに見てきた、脳裏に焼き付いた記憶。
幼い頃は全てが珍しかったのでいちいち見ていたが、最近は菊の事で頭が一杯で、今年もどうせ変わらないだろうと思って……。
よく考えたら、今年もそうだと思っていたのは、全部過去の記憶だった。
「む、そうか……そうだったか。
だが、わらわの菊畑はいつもの通り青々としておったぞ?」
それでも、白菊姫は食い下がった。
これでは、まるで自分が村の現実を見ていなかったみたいではないか。
まるで自分が悪い事をしたみたいではないか。
作左衛門や、化け物になってしまった野菊が言っているみたいに……。
(嘘じゃ、わらわは何も悪い事などしておらぬ!)
白菊姫は、心の中で自分に言い聞かせた。
今年自分がやった事は、いつも通り美しい菊を咲かせるために全力を注いだこと……それが悪いと言われた事なんて一度もない。
現実が見えていなかったとしても、ここ数年はずっとそんな感じだった。
物心ついてからずっと、自分は菊を中心に評価されてきた。
水はいつでもたっぷりあって、畑が足りなければ開墾して、秋にきれいな菊が咲くと村人も両親も笑顔で褒めてくれて、最近は偉い人がはるばる見に来てくれて……。
だから自分は、今年も皆を喜ばせて褒めてもらおうと思ったのに。
多少問題が起こっても、秋に菊を見せたら皆笑って許してくれたではないか。
今年だって、もう少し待って見事に咲き誇った菊を見せてやったら、きっと村人たちもみんな笑顔になってくれるはずだったのに。
……あんな風に菊を踏み荒らされたのは、初めてだ。
それに、どうして自分が菊を育てるのが村人の飢え死ににつながるのか。
目の前の景色から、村の田畑が荒れて食べ物ができないのは分かる。
自分が現実を見ていなかった事も、認めざるを得ない。
だが、田畑を管理するのは百姓の仕事であって自分の仕事ではない。田畑の管理を怠ったのは、百姓たち自身ではないのか。
そこまで考えると、白菊姫は野菊の目をしかと見据えて言い放った。
「ふん、百姓どもが飢えたのは自業自得であろうが!
わらわの菊畑はあんなに茂っておるのに、田畑は枯れておる。これは、百姓どもが仕事を怠けたせいであろう?
畑の事は、わらわより百姓の方が詳しいはずじゃ。わらわにできて百姓にできぬはずがない、それができぬは怠慢の証よ!」
しかし、野菊の表情は変わらなかった。
相変わらず、呆れたような冷たい表情で小さなため息をついた。
代わりに、辺りに不気味な唸り声が響き始める。
「!?」
白菊姫は、辺りを見回してぎくりとした。
野菊の後ろに、おびただしい数の村人たちが集まっている。屋敷の中だけではない、外からも白菊姫を囲むように集まって来ている。
そのうえ、さっきはあんなにうつろな表情だったのに、今は皆一様に歯を剥いて怒っている。
骨と皮ばかりの腕を伸ばして、じりじりと迫ってくる。
このままでは逃げ場がない、と白菊姫が涙目になりかけたところで、野菊が声を発した。
「待て!!」
途端に、村人たちの歩みが止まる。
野菊は悔しそうに唸る村人たちに、はっきりと言った。
「まだ話が終わっておらぬ、今食うことはならぬぞ!」
村人たちは、素直に野菊に従った。
それを見て、白菊姫はだまされたような気分に襲われた。
(この一揆……最初から野菊が操っておったのか!?)
もしそうだとしたら、ひどい話だ。
自分は野菊の事を友達だと思っていたのに、野菊は裏で一揆の指揮を取り、自分の両親まで殺した。
いくらなんでも、これはひどすぎやしないか。
村人たちを止められなくてというなら分かる、しかし自ら率先して一揆を起こすなんて。
少なくとも、友達のやる事ではない。
「野菊……貴様、貴様が一揆をぉ!!」
白菊姫は、一瞬で頭に血が上って野菊に掴みかかった。怖いのも忘れて野菊の襟を掴み上げ、乱暴に引き寄せて締め上げる。
「おのれ、父の仇!母の仇!殺してやる!!」
白菊姫は怒りの赴くまま、力任せに野菊の首を絞め続けた。




