128.退かぬ
引き続き江戸時代。
死霊を呼び出した宗吾郎は、ついに野菊と対面し言葉を交わします。
しかし宗吾郎の熱意とは逆に、野菊はつれなくて……野菊のよそよそしい態度の裏には、何があるのでしょうか。
平坂神社に着くと、宗吾郎たちは結界の中に入って様子を伺った。
死霊の群れはぞろぞろと宗吾郎たちを追ってきたが、結界より先へは進めず立ち止まって唸るばかりであった。
それを見て、宗吾郎と村人たちは一安心する。
「……どうやら、結界の話は本当のようじゃな。
これならもし誰かが禁忌を破って死霊を呼び出したとしても、神社の結界がある限り村は滅びぬであろう」
これで、安全装置がきちんと働くことは分かった。
あと、やることは一つ。
宗吾郎は、今一度妻と息子を抱きしめた。
「お父上……!」
宗吾郎の息子はもうとっくに成人しているが、それでも幼子のように宗吾郎にすがりついて訴えてきた。
「せっかく安全だと分かったのですから、お父上がここから出ることはございません。
野菊と話をするならば、結界ごしにもできましょう。そうすれば、お父上の命は安泰でございます!」
涙を浮かべてそう言う息子を、宗吾郎は厳しく諭した。
「そうすることもできようが、それではだめなのだ。
わしは、この村の菊について野菊と腹を割って話したいと思っておる。それなのに、こちらが殻にこもっていてどうして本音で語れようか。
それに、わしは村のためとはいえ禁忌を破ったのに変わりはない。
のちの戒めとするため、その罰はきちんと受けねばならぬ」
そこで、宗吾郎は周りで蠢く死霊たちに視線を移した。
「その心構えを忘れれば、わしらもあの娘と同じになってしまう」
その視線の先を見て、息子ははっと息を飲んだ。そこにいるのは、無残な姿になった美しい女……黒地に大輪の白菊をあしらった着物に、かつて親類の集まりで心をときめかせた美貌の面影。
「白菊殿……!!」
「そういうことじゃ。
ゆめゆめ、あのようになるでないぞ」
後を託す息子にそう言い残して、宗吾郎は結界の方に足を進めた。
「野菊様、そちらにおられるか!」
宗吾郎は、結界の前に陣取る死んだ人垣に向かって声を張り上げる。すると、死霊たちの動きに変化があった。
まるで何かに操られるように、ざわざわと両側に寄って中央に道を作る。
その道の奥から、返答があった。
「私は、ここにいるわ」
そこだけ黄泉に変わったように立ち並ぶ死霊の奥から、しずしずと歩み出てくる者があった。黄ばんだ衣に赤いはかま、頭には金箔のはげ落ちた冠。
宗吾郎は結界から踏み出し、平伏した。
「野菊様とお見受け申します。
まずは、私事でお呼び立てした事、お詫び申し上げます」
「ええ、もちろん簡単に許されることじゃないわ。
それでも分かっててやるなんて、剛胆なのね」
野菊の厳しい言葉とは裏腹に、死霊たちは襲い掛かってこなかった。餌を前にお預けをくらった犬のように、涎を垂らしながらもじっとしている。
そこで宗吾郎は、話を聞き出しにかかった。
「この死霊たちは、人に見境なく襲い掛かる訳ではないのですか?
てっきり、出た途端に食いつくされるのかと」
すると、野菊は嫌悪感を露わにして首を横に振った。
「冗談じゃないわ!彼らも元はここの人間なのに、同朋や家族に食らいつくなんて……そんな事をさせる訳がない。
私が率いている限り、そんなひどい事はさせない。
この死霊たちの爪と牙は、村を脅かす罪人のためだけにある!」
それを聞くと、見ていた村人たちから感嘆の息が漏れた。
村人たちも内心、恐れていたのだ……黄泉の将となった野菊が自分たちをも祟る存在になったのではと。
だが、これでその不安は解消された。
「聞いたか者共、野菊様は今もこの村の味方じゃ!安心せよ!」
村人たちにそう呼びかけながら、宗吾郎はひとまず額の汗を拭った。
そんな宗吾郎を前に、野菊は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。そして、手でしっしと追い払うしぐさをして声をかける。
「とても優しくて、勇気があるのね……これを確かめるためだけに私を呼ぶなんて。
それで、もう用は済んだの?だったら早く結界の中にお入りなさい。私はあなたみたいな人を殺したくないけど……禁忌を破ったから、黄泉が殺せってうるさいのよ」
野菊は、宗吾郎の禁忌破りを責めず助けようとした。この寛大な処置に、村人たちもホッと胸を撫で下ろした。
しかし、宗吾郎は動かなかった。
二本の足でしっかりと大地を踏みしめ、野菊を正面から見つめて言い放つ。
「これはこれは、野菊様ともあろうお方が、妙なことをおっしゃる。
これだけで用が済んだのかですと?そのような事は、死霊を通して地上を見ておれば分かることでしょうに」
その言い方に、野菊の顔が歪んだ。
「そちらこそ、分かっているの?
これ以上外にいては命が危ないと、私は言っているのだけど」
野菊の持つ宝剣の刃に、禍々しい炎が揺らめく。
それでも、宗吾郎は一歩も退かなかった。
「ハッハッハ、呪われて黄泉に落ちる覚悟ならとうにできております!そちらとしても、禁忌を破った者をみすみす逃しては都合が悪いでしょう。
わしの命は差し上げます。しかしその代わり、わしの問いに本音で答えていただきますぞ。
わしの問いたいこと、知らぬというならここでこの口で問うまでのこと!」
命すら惜しまず堂々とした態度に、野菊は焦る。
「無茶は止めて……あなたはまだ、この村に必要な……!」
「ほほう、聞かれるのが怖いのですか?」
野菊が命を守って退くよう促しても、宗吾郎は頑として動かない。その目、表情、体中から、村のために退かぬ覚悟があふれていた。
動揺する黄泉の将を前に、宗吾郎は単刀直入に問うた。
「聞きたいことは一つ……あなたは菊を憎む今の村を見てどう思われる?
この村から菊をなくすべきや否や、返答はいかに!!」




