127.悪意なき破戒
引き続き江戸時代パートその2。
禁忌を破るのに必ずしも悪意が伴うとは限りません。こういうパターンもあるのです。
ただしホラー映画などで面白半分に禁忌を破ると、ほぼ例外なくひどい目に遭います。
宗吾郎の場合はきちんと目的があり本気度も違いますが、果たして……。
その年の中秋の命月がやってきた。
村には黄金の稲穂が風に波打ち、普段であれば村中総出で稲刈りに忙しい時期だ。
だというのに、その日は昼間から田んぼに人影は少なかった。集落の方でも、女子供の姿がほとんどない。
残っているのは男衆と子育てを終えた老女、長く歩けない病人のみだ。
宗吾郎は、自ら配下の侍を連れて家々を見て回った。
「死んじゃならん女子供で、残っとるモンはおらんな?」
「へえ、皆山を越えて隣村に避難しました!」
そう、今夜この村に自分の身を守れない者はいてはならないのだ。死霊を呼び出す以上、そういう者はあらかじめ避難させねばならない。
平坂神社に結界を張れば安全だと言われてはいるが、それが本当かまだ誰も確かめていないのだ。
もし神社に避難させておいてそれが嘘だったら、洒落にならない。
だから宗吾郎は、だいぶ前から隣村の領主に頭を下げてこの日村人が避難できるようにしておいた。
残っているのは自分の身を守れる男衆と、死んでも悔いのない老人である。
宗吾郎の家族も万が一を考え、娘は避難させている。
妻と後継ぎの息子は、残った。
息子は次代のこの村の領主として、禁忌を破ればどうなるかをしっかり見ておかねばならない。それが、村を継ぐ者の責任であり覚悟だ。
妻は、自分が慕い尊敬する宗吾郎にどこまでもついて行く覚悟だ。
かつて村人たちにつけられた古傷の残る手で宗吾郎と握り合う妻の姿に、村人たちは皆心を打たれた。
「何て潔く、芯の強いお方だ……!」
「あんなに村とお互いを思い合うお二人に、俺たちは何てことを……」
もう、この夫婦を疑ったり嫌ったりする者は村にいなかった。
しかし今夜、宗吾郎は村のためにあえて禁忌を破る。その結果、宗吾郎は自らの命を引き換えにするかもしれない。
今さらやめようとは言えない。
しかし村人たちは、宗吾郎がそうならぬよう心の底から祈るのだった。
夕方になると、村の男たちは総出で老人や病人を神社に避難させた。
神社では現当主である野菊の両親と妹が、儀式を行い結界を張った。呪いの伝承が本当なら、これで死霊は入れないはずだ。
野菊の父は、宗吾郎に深く頭を下げる。
「本当に申し訳ない……娘の残した呪いのために、ここまでしていただいて。
本来なら、こうなるまで何もできなかった我々がやるべきでしょうに」
宗吾郎も、野菊の家族に深々と頭を下げて謝った。
「いやいや、こちらこそ……村があんなになるまで白菊とその両親を止められんで申し訳ない。わしら親類が総力で止めとれば、あんたの娘に呪いを使わせることもなかった。
わしは、その責任を取らにゃならん」
お互い、考えるのは村のため。
村を滅びから救った野菊の残した呪いを、単なる災いに変えてはならない。そのために、呪いのことを正しく知らなければ。
「この村が呪いとうまく付き合い、天地ある限り続くことを願って!」
夕日を浴びながら、二人は軽く杯を交わした。
その日が山に落ちて見えなくなると、宗吾郎は覚悟を決めて歩きだした。野菊の家族は、涙ぐんでそれを見送る。
宗吾郎を待ち受けるは、夜の闇に包まれていく白菊塚であった。
白菊塚には、あの飢饉の後既に祠が建てられていた。そして祠の側には、浅い洞穴が地面に口を開けていた。
村人たち曰く、呪いを使った翌日突然現れたのだという。気味が悪いので埋めようとしても、いくら土を入れても埋まらないとのことだ。
村では、黄泉の口と呼ばれている。
それを少し離れて眺める宗吾郎の手には、白菊の花束が握られていた。
「野菊様……ご無礼は承知のうえでございます。
ですが村の未来のため、どうか今一度お姿を見せてくだされ!」
心の底から呼びかけて、宗吾郎はその花束から一本の白菊を引き抜き、地面に向かってゆっくりと手放した。
ぱさりと、白菊の花が地面に落ちる。
宗吾郎とついて来た村人たちは、額に汗をにじませて身を固くした。
だが、村には相変わらず穏やかなクリーム色の月光が降り注いでいる。頬を撫でていく風は、いつもの爽やかな秋風のまま。
しばらくそのまま待って、宗吾郎はふっと肩の力を抜いた。
「……どうやら、ここはまだ大丈夫じゃ。
きちんと距離を記録しておけよ」
言われた村人が、菊の落ちた所に目印の杭を打ち込む。こうしておけば、後でどこまで大丈夫だったか分かる。
宗吾郎たちはまず、白菊が穴からどれくらいの距離で呪いを呼び覚ますかを試していた。
塚からだいぶ離れたところから、時間を置いて少しずつ白菊を近づけていく。こうすれば、後々どこまで守ればいいか分かる。
人々は宗吾郎と共に、手に汗握りながら前進した。
穴がだいぶ近づいてくると、穴の中の異変をすぐ察知できるように穴の入口に松明を灯して続けた。
そうして花束がだいぶ小さくなり、月が西に傾きかけた頃、異変が起こった。
宗吾郎の落とした花が地面につくと同時に、ざわっと村の空気が変わったのだ。月の光に照らされた村の風景は赤茶け、風はぞわぞわと悪寒を起こす。
驚いて空を見上げた村人が叫んだ。
「月が、赤い!あの日にそっくりだ!!」
「呪いが来るぞ、下がれ!!」
宗吾郎たちはすぐに武器を取り、穴からだいぶ下がって身構えた。
思わず身震いするような生臭く不気味な風が、穴の入口の松明を吹き消す。それを補うように、村人たちは穴の近くにいくつも松明を投げた。
その光が届かぬ真っ暗な穴の奥から、人とも獣ともつかぬ唸り声が聞こえてくる。
そしてついに、その光の中に足を踏み出してくる者があった。
ズルズルと足を引きずる音が、幾重にも重なって響く。
穴の近くに投げられた松明の光の中に、一人また一人と疲れ切ったような人影が現れた。やがてそれが月の光の下に出ると、村人たちは震え上がった。
「あ、あいつらは……飢え死にしてあの夜化けモンになった……!」
「ありゃ俺の親父だ……あの侍は白菊姫に仕えてやがった……!」
現れたのは、ボロボロに腐りかけた亡者の群れ。
村人たちの知った顔ばかりであった。それもそのはず、呼び出された死霊はあの飢饉と地獄の夜の犠牲者ばかりなのだから。
「何ということだ……本当に、こんなことが……」
宗吾郎は、顔面蒼白になってその光景を見ていた。
死霊たちは白く濁ったうつろな目をして低い唸り声を上げながら、松明を踏んでもものともせずに歩き続ける。
黄泉とつながった穴から、後から後からどんどん出てくる。
それを見ている宗吾郎の側で、数人の侍が刀を構えた。
「では、この亡者どもがいかなるものか、我ら老兵の身で試しましょうぞ!」
「主よ、先に黄泉にてお待ち申し上げます!」
それは、宗吾郎に使える年老いた侍たちだった。平和な世に鍛え上げた武で最期に一花咲かせんと、果敢に斬り込んでいく。
その白銀に輝く刃が、死霊の首をはねた。
「眠れるならば、眠らせてやろうぞ!」
首をはねられた死霊はばたりとその場に倒れ、もう動かなかった。
だが死霊たちは止めどなくあふれてくる。戦闘の十数人を斬ったところで、年老いた侍たちは他の死霊に囲まれ、掴みかかられ噛みつかれる。
「ぐあああっ!!お役目、果たしましたぞおぉ!!」
死霊に埋もれ、鮮血をまき散らして果てていく老兵たち。
それを見届けた宗吾郎は涙を拭い、村人たちに叫んだ。
「よし、このまま死霊を連れて神社に向かうぞ!
つかず離れずを保て、よいな!」
こうして呼び出された死霊を自らを囮におびき寄せながら、宗吾郎と村人たちはゆっくりと平坂神社に向かった。
後は、この中に野菊がいることを祈るのみであった。




