126.平泉宗吾郎
再び過去、江戸時代です。白菊姫の災いよりちょっと後の話。
災いが去った後、村では何があったのか。
心温まる真面目で優しい新領主のお話です。
村の生活が安定し、新しい命が増えてきたある日のこと、宗吾郎は村人たちを自分の館に招いてこう言った。
「皆、そんなに菊の花を憎まんでも良かろう。
ひどい姫の残したモンじゃが、花に罪はなかろうに。
それに、この村の菊は確かに他の村のよりもだいぶ見事で優れとる。他の土地に余裕がある時なら、金になるんじゃ。
むしろあの姫の残した菊で、皆で豊かになろうじゃないか!」
宗吾郎は、人々の労力と白菊姫の努力の結晶がことごとく無駄になっていくのを見ていられなかった。
だから、菊を駆逐するのに力を使うなら逆に育てて売ろうと提案したのである。
事実、この村の菊は他の土地にできるものより美しく力強い。
他の土地から来た宗吾郎は、それに気づいていた。
「これは、先日わしの実家から採ってきた菊じゃ」
宗吾郎はそう言って、見事な大輪の黄色い菊を差し出した。花は大人の握りこぶしほどで、これ一輪でぱっと空間が華やぐ。
それから、妻に命じて庭の菊を取ってこさせた。
「そしてこれが、同じ株を分けてこの村で育てたものじゃ」
その黄色い菊は、確かにさっきの花に似ていた。しかし花は片手にようやく乗るくらい大きく、黄色はしっかりと濃く、より優雅に大胆に開いていた。
二つの花を並べて、宗吾郎は説く。
「見よ、同じ株でもこの村とあちらでこんなに違うのだ!その他の土地でも、だいたいこの小さいのが普通だ。
つまり、こんなに大きいのはここでしか作れんのじゃよ!
これほど菊に向いた土地、白菊姫の残した品種と知識、もったいないと思わんのか!」
宗吾郎の提案は、確かに村のためのものであった。
今無駄にされているものを全て役立てる方向に転換し、村をさらに豊かにしていこうという建設的な話だった。
宗吾郎は、菊のこと以上に村のことを思ってこの話をしたのだった。
しかし、白菊姫の件ですっかり菊嫌いになっていた村人たちは猛反発した。
「とんでもねえ、村を滅ぼしかけた菊をわざわざ育てるなんざ!」
「そうだそうだ!だいたい、菊なんざどこにでも生えるモンでねえか!」
「その二つは確かにだいぶ違うが、たまたまじゃろう。作物にもできがいい時と悪い時がある。それと同じじゃ!」
菊は菊、土地によってそんなに変わる訳ないじゃろ!」
「そうやってわしらをだまして、おまえさんの道楽に付き合わす気か?
わしらのために借金こさえて貧しく暮らしとるが、それで恩を着せて趣味のために力を貸させる魂胆だったか?」
「結局、おまえさんも白菊姫と同類の、何も知らんお侍じゃ!
また村を滅ぼしたくなくば、黙っとれい!!」
菊の話になった途端、さんざんな言いようである。
宗吾郎は確かに菊が好きだが、白菊姫とは全く違うことを言っているのに。
ただ菊を愛でるために全てをつぎ込むのではなく、産業として皆の暮らしを支えようと現実的なことを言っているのに。
ずっとここで生きてきた村人たちより、宗吾郎の方が広い世界を知っているのに。
ほとんど村から出たことがない村人たちにとって菊は当然どこにでも咲き乱れるもので、他の土地がどうかなど見たこともない。
村がこうだから世界中こうなのだと思い込み、宗吾郎が嘘をついていると疑ってしまう。
何より、今の村人たちにとって菊は諸悪の根源、あってはならない悪魔の花だった。
村人たちはあっという間に我を忘れて宗吾郎に詰め寄り、菊を全て捨てろと拳を振るい石や皿までぶつける始末だ。
結局、宗吾郎と妻が怪我をして、その場はお開きとなった。
部屋はメチャクチャに荒らされ、バラバラになった菊が散らばった。庭の菊は無残にむしられていた。
しかし、宗吾郎は諦めなかった。
どうにかして無益な憎しみを取り除きたいと、より一層願うようになった。
それから宗吾郎は、菊を受け入れてもらうためにいろいろと努力した。
白菊姫がつなげた菊好きの人脈を使って菊を高く売れる相手を見つけ、自分と家族だけで育てた菊を売り払って利益を得た。
それでこれだけ借金返済できたと村の寄り合いで発表し、その金で質のいい農具を買って村人たちに配ったりもした。
新しい子が増えた家にその支援はありがたく、宗吾郎に感謝する者は増えた。
しかし、菊を自分たちの畑には決して植えたがらなかった。
「いくら菊で儲かっても、そりゃ呪われた銭だぞ」
「ああ、わしらの手でそんな稼ぎ方はできん。
そんな事したら白菊姫のせいで死んだ皆に顔向けできんし、きっといつか黄泉のバチが当たるに決まっとる。
そんな、あの災いを忘れるような事……野菊様が許すはずないで」
……そう、村人たちは野菊の祟りを恐れていたのだ。
菊に狂った白菊姫に手酷く裏切られ、憎しみに染まった野菊。
白菊姫の暴走を終わらせるため、村を守るため自らの命を捨てて黄泉に身を捧げ、自ら呪われた存在となった野菊。
村人たちはそんな野菊に、強い畏敬の念を抱いていた。
そして、こうも思っていた。
あの方をあんなに苦しめた菊に、自分たちが頼ってはいけない。あの尊い方にあんな死に方をさせた花を、村に満たしてはならない。
今や黄泉の将となったあの方を怒らせれば、今度はどんな災いが村に降りかかるか分からない。
祟られるのは、侍だけで十分だ……と。
その事情を知ると、宗吾郎は思案し、呟いた。
「なるほど……ではこの村の菊を活かそうと思ったら、その野菊とやらに直談判せにゃならんということか」
宗吾郎の村と菊の未来を思う心に、迷いはなかった。
それからまたしばらく時が流れ、村には子供たちの笑顔が満ちるようになった。
ここ数年村はあの時の飢饉がうそのように豊作続きで、宗吾郎の力添えもあって、順調に人が増え活気を取り戻していた。
そんなある年の夏、宗吾郎は村人たちに言った。
「一度、白菊塚の呪いを目覚めさせて野菊とやらに会ってみようと思う」
その瞬間、会合は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
村人たちは血相を変えて、口々に宗吾郎を止めようとする。
「お、おやめくだせえ!それだけは!!」
「そんな事したら、また人を食うバケモンが黄泉から上がって来ちまう!野菊様だってどれだけお怒りになるか、どんな祟りが降りかかるか……」
「菊を認めて欲しいのは分かります。しかし、そのためにあんたの命を投げ出すことはありません!
菊のことを除けば、あんたはとってもいい人なんですから……」
騒ぐ村人たちを、宗吾郎は厳しく一喝した。
「黙れぃ、これは村の安全のためじゃ!!」
宗吾郎は、村人たちを見回して言う。
「この村には呪いがある、白菊塚に中秋の名月に白菊を供えてはならん。それは知っとる。
しかし、詳しいことは何も知らん!塚に供えるとはどのくらいの距離までなのか、出て来た死霊はどのように動くのか、野菊様はどうなっておるのか、神社の結界の中は本当に安全なのか……誰も何も確かめとりゃせん!!
これからも子々孫々この村に住むのに、そんな無知無責任でおまえたちはよう枕を高うして寝られるわ!!」
その言い方に、村人たちはぞっとした。
言われてみれば、自分たちは呪いの詳しいことを何も知らない。知っている事が本当か、確かめたこともない。
「わしの家も神社の平坂家も、今はまじめじゃ。しかしこれから世代を経れば、白菊姫のようなのが出るかもしれん。
そうなって、突然災厄が起こってからでは遅いぞ。
禁忌破りの罪はわしが受けるゆえ、皆で一度確かめようではないか!」
こう言われては、村人たちもやってみようという気になる。
宗吾郎の言う通り、寝た子を起こさぬまま何も知らないでは危険だ。これからのためにも、一度やってみた方がいいかもしれない。
それに、どんな血筋でも時々良くない者が出るのは世の常だ。平泉家や平坂家がそうなった時自分たちに情報がなければ、どうにもならない。
こうして、意図的に白菊塚の禁忌を破る計画が持ち上がった。




