118.意識消失
咲夜たちのリンチ中、白菊姫に変化が起こります。
咲夜たちにとっても白菊姫にとっても、歓迎できないもの……この裏で野菊に何が起こっていたか、思い出せますか?
白菊姫は、必死に謝っていた。
(ごめんなさい、ごめんなさい!迷惑かけて、ごめんなさい!)
目の前にいる菊を育てた少女に対して、申し訳なくてたまらなかった。
自分は、菊を一番に考えるあまりたくさんの村人を死なせ、そういう嫌な歴史を村に残してしまった。
その村には今も菊畑があるが、外の人目につくところに白はなかった。
これが何を意味するか。
きっと白い菊は、人目につくのもはばかられるほど忌まわしいものになってしまったのだ。だから、こんな小屋の中で育てるしかないのだ。
そして、この菊を育てた少女は追い詰められた目をして自分を悪い子と言った。
もしかしたら、白い菊を育てていることで村から白い目で見られてしまったのではないか。それで、白菊姫と自分を重ねて憎んでしまっているのではないか。
少女は自分のことを菊作りを継いだと言っていたから……それで村の中の悪評をも継ぐことになってしまったのか。
かつての思い出と少女の言葉から、白菊姫はそう思った。
(やめて、違うの……そなたは、わらわとは違う!
そなたは悪くない、そなた自身を憎まずともよいのじゃ!)
白菊姫は、必死で訴えようとした。
しかし腐りかけた舌はうまく回らず、おまけに絶え間なく殴られるためまともな言葉が出てこない。届けられない。
それでも、この身に与えられる暴力を避ける気にはなれなかった。
この子たちの怒りは、自分に向けられて当然のものだ。
自分がかつてあんなひどい事をしてしまったせいで、この子たちは苦しんでいる。菊作りを忌み嫌われ、そのうえ呪いのせいで何度も死霊に襲われて。
この子たちは、見たところ何も悪くないのに。村は見る影もないほど発展していて、全然潰れそうな様子はないのに。
そのうえ、昔は考えられなかったこんな美しい花を咲かせることができるのに。
この素晴らしい仕事を、自分のせいで後世まで貶めてしまった。
この素晴らしい花を咲かせる子を苦しめて、こんなひどい顔をさせてしまった。
いくら謝っても、謝り切れるものではなかった。
どれくらいそうしていただろうか。白菊姫の体では感じられないが心を抉り続ける痛みが、ふっと弱まった気がした。
それだけではない。急速に思考にモヤがかかり、意識が薄れていく。
入れ替わるように、急激に襲い掛かってくる強烈な飢餓感。とにかく血肉を口に入れたいと、頭の中がそればかりに塗りつぶされていく。
目の前の少年少女たちが、この上なく美味しそうに感じる。
菊のことを考えようとしても頭は全く言うことを聞かず、目の前の人間にかぶりつく瞬間の妄想ばかり浮かんでくる。
(い、嫌じゃ……食いとうない!
わらわは、かような罪なき子らの血肉を……!)
抗おうにも、その意志すら削り取られていく。
このままでは、自分は食う事しか考えられぬ化け物になってしまう。そう確信した。
おぼろげで途切れ途切れの記憶。
とにかく腹が減って喉が渇いてどうしようもなくて、何か口に入れられるものはないかとそれだけを考えてさまよっていた。
最初に見つけたみずみずしいものは、苦くて青臭くて食えたものではなかった。
今だから思い出せるが、あれは何かの花だった気がする。
しかしあんなに乾ききって荒れ果てた村に花なんて……これ以上は考えられないが、考えない方がいいかもしれない。
その後何度か口にしたのは、肉だったような気がする。
生臭いはずなのにそれがとてもよく感じられて、噛むと濃厚に生を感じられるうまい汁があふれて、ぐにぐにと面白い歯ごたえがあって……。
多分、自分はあの時の死んだ農民たちと同じことをしたのだろう。
その全てを押し流す飢餓感が、再び白菊姫を襲っていた。
自分が自分でなくなり、狂った本能の操り人形にされるような感覚。
(逃げて……!)
目の前の子らに訴えようにも、声が出ない。ただ消えゆく意識の中で、必死に叫ぼうとしながら、白菊姫は堕ちた。
「グルルッ!」
いきなり、白菊姫が咲夜の振るった鎌を掴んだ。
白く濁った目で咲夜をにらみつけ、手が切れるのも構わずものすごい力で鎌を奪い取る。
「何!?」
咲夜は驚いて、本能的に身を引いた。
直後、咲夜の手があったところで白菊姫の歯ががちんと打ち鳴らされる。
「大丈夫!?」
「食おうとした!?」
今までされるがままだった白菊姫の突然の反撃に、浩太と大樹も驚いて身構える。今まで、こんな素振りは全く見せなかったのに。
白菊姫は、獣のように唸りながら咲夜たちを見回した。その顔に人の感情はなく、口からダラダラと涎がこぼれている。
「何これ……理性がなくなった?」
呟く咲夜に、浩太もうなずく。
「どうやら、そのようだね。
人として辛いのが嫌で本能に身を任せたか、それとも死んでるのに生存本能が働いたか……どちらにしろ、人間の心はなさそうだ」
「つーことは、襲ってくるのか?」
大樹が恐る恐る言ったことにも、浩太はうなずく。
「だろうね。今咲夜にしようとしただろ」
三人の間に、じわりと恐怖が広がる。
白菊姫は、もう脳内菊畑の話ができるけど通じないお姫様ではない。本当の意味で話ができない、化け物になったのだ。
今まで話をしていた咲夜たちのことも、もう餌としか見ていない。
しかし、咲夜はごくりと唾を飲んで強気で言った。
「だったら、もう何もためらうことはないわね。
こいつは呪われた人食いの化け物。私たちはこいつにとどめを刺して、黄泉に送り返す。要は、やっちゃえばいいのよ!」
咲夜の言葉に、大樹も己を奮い立たせた。
そうだ、こいつは元々倒すべきもの。それは変わらない。
最初からそのつもりだったではないか。ただこいつに少し心が残っていたから、人間のように対応してみただけ。
こいつはこの世にいてはいけない、黄泉の存在。
こいつは忌まわしき死霊にして、呪いの元凶。
だからこれまで通り、いやもうこれ以上痛めつける意味はないので、後はサクッととどめを刺すだけだ。
「大丈夫だ……もうだいぶ体の損傷がひどい。
大した動きはできないはず……」
安心させるようにそう呟く浩太の方を、白菊姫がぐるりと振り向く。
「ガァッ!」
「うわっ!?」
白菊姫が襲い掛かったのは、後ろにいた浩太だ。目の前にいた咲夜が下がったため、一番近い標的が浩太になっていたのだ。
「こんにゃろっ!」
大樹が横から杭で突き倒そうとするが、白菊姫は止まらない。逆に杭が刺さったまま体をひねり、大樹を揺さぶってバランスを崩させる。
そうして大樹が杭を離してしまうと、また浩太に手を伸ばす。
その白菊姫の体が、がくりと止まる。
「くっ……そっちには、行かせない!」
咲夜が、白菊姫の腸を地面に縫い止めているフックに体重をかけて全力で支える。さすがの白菊姫も、これでは鎖につながれた犬と同じだ。
しかし、白菊姫は一瞬手にした鎌を見ると、それを自らの腸に振るった。ピンと張られた肉のひもが切れ、白菊姫はその勢いのまま浩太に飛びかかる。
「ダメ、浩太!!」
どうにか身をよじって白菊姫の手を避けるも、その場で転んでしまう浩太。倒れ込むもすぐ片手をつき、獣のように口で浩太に襲い掛かる白菊姫。
咲夜は、罪なき友を守るために夢中で白菊姫に覆いかぶさっていた。




