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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
116/320

116.思い出せ

 攻撃ターン再び。しかしさっきとは目的が違います。


 白菊姫と接触し会話する中で、咲夜たちはあることに気づいていました。

 そして、それを突きつけることで白菊姫の方にも変化が……。

「ヤメテッ!!」

 白菊姫が叫ぶ。鋏の刃に抉られた腕から、腐った血肉が飛び散った。

 それを見て、咲夜は嘲笑する。

「ふーん、やっぱりね……自分より菊が大事なら、先に逝かなきゃ」

 咲夜が狙ったのは、白菊姫ではなく近くにある花だった。それもひときわ大きくて見事で、いかにも白菊姫が気に入りそうな一輪。

 白菊姫は、その花をかばって刃を受けたのだ。

 動かなければ、当たらないはずだった。死んでいるとはいえ人の意識があれば恐怖もあろうに、白菊姫の体はそんなものに従わなかった。

 いや、菊への愛がそれを軽く凌駕した。

 白菊姫にとっては、自らより菊が傷つく方が嫌だったのだ。

 しかし、守ろうとした花も無傷ではない。白菊姫の傷から飛び散った腐汁が花にかかって汚い点を作り、清らかな香りを腐臭で濁らせてしまう。

「あ、そんナ……花がァ……」

 自らから出た汚れに染まった花に、うろたえる白菊姫。

「あーあ、台無しだね。臭くて汚くて、とても癒しになんかならない。

 そうだ、あなたは、自分が死んでるって分かってるの?」

 煽りながら、咲夜はずっと気になっていたことを白菊姫に尋ねる。

 遭遇してからこれまで、白菊姫の行動や表情は生きている人間のそれに近い。死んだ身の悲壮感などは、感じられない。

 痛みを感じていなかったり片腕がなくなっても平然としていたりはするが……目の前の菊に夢中で気づいていないことは有り得る。

 地縛霊は死んだことに気づいていないとか聞いたことがあるが、白菊姫もそういう状態なのだろうか。

 自分のした事と最期を、都合よく忘れて……。

 ならば、思い出させてやらねばと思った。

 死んで汚れ物の塊となったその身で花を汚すという、最も残酷に白菊姫の心に刺さる方法で。


「えっ……!?」

 白菊姫は、一瞬呆けたような顔をした。

 それから、慌てて自分の腕の傷に目をやる。

 そこにあるのは、血の気を失ったうえに腐って変色した肌。そこに刻まれた、茶色くひどい臭いの腐汁をこぼす傷。

「イヤぁっ……!」

 白菊姫の顔が、面白いように歪んでいく。

 白菊姫はしばらく自分の手を見つめて、それからはっとその手を左肩に回した。すると、そこにあるべきものがない。

 左腕は、さっき咲夜が切り落としたから。

 自分のおぞましい状態に気づいてガクガクと震える白菊姫に、今度は浩太が声をかける。

「もっとよく知りたいなら、こっちに来てよ。面白いものが見られる」

 浩太が誘ったのは、手洗い用のシンクだった。

 そこはちょっと前に取り替えたばかりで、側面などはまだピカピカ輝いている。鏡のように、物をきれいに写せるほどに。

 白菊姫は、恐れながらもフラフラとそこに近づいた。

 そして、促されるままそこをのぞき込むと……。

「ギィヤアアァ!!!」

 全身を震わせて、耳を突き破るような絶叫を上げた。

 だってそこにあったのは、生前見慣れた美しい顔ではない。

 髪は血脂でべたべたに固まり、目は幕を張ったように白く濁り、おまけに頬に穴が開いて口の中が見えている。

 そのうえ、そこに浮かぶ表情は紛れもなく自身のもので……。

 見るもおぞましい化け物の姿が、そこにあった。

「ア、あァ……ウああぁっ!!」

 白菊姫は慟哭し、残った片手で顔を覆ってその場に崩れ落ちた。その指の間から、腐って濁った涙が落ちる。


「これで、思い出せたかな?」

 浩太が、後ろから淡々と声をかける。

「もっとも、その腐った脳ミソに記憶がしっかり残ってるかは分からないけど……これが、今の君の姿なんだよ」


 あまりに無残に変貌した己の姿に、白菊姫は泣いた。

 知らなかった……自分がこんなになっていたなんて。

 知りたくなかった……自分が愛する菊を汚したものの元凶だなんて。

 だが、知ったことで理解できたことも多々ある。それは主に、激しい飢えの合間に訪れた一時の目覚めのこと。

 あのぼんやりした、不思議な体験の正体。


 自分は死んだ身でありながら現世をさまよったのだ。

 この傷つき腐った、見るだけで吐き気を催しそうな姿で。

 ならば、出会った人たちが自分を攻撃してきたのも当然だ。誰だってこんなものが目の前に現れたら、身を守るために戦うか逃げるかのどちらかだ。

 話ができなかったのも、言わずもがな。

 妙に体が重くて昔ほどうまく動けないのも、これなら納得だ。動くのに必要な体が、ボロボロに壊れかけているのだから。

 そして、その現世だが……。


「わらわ、が……死んデから……何年、たった……の……?」

 白菊姫は、近くにいる少年少女たちに尋ねていた。

 ここは確かに、白菊姫が暮らしていた村だ。それなのに、人の住処も服装も知っているものと全然違う。

 それでもこの子たちは、白菊姫と同郷の子なのだ。

 ここは、見知らぬ異界などではない。

 その意味するところは……。

「だいたい三百年ってところね」

 菊を育てたという少女が答えた。

「あなたが菊のために村中を飢えさせて、死んだ農民たちに食い殺されてから三百年。それだけ時代が変わってるのよ。

 でも、あなたは何度か今の姿で村に来ている。

 野菊があなたに罰を与えた時に残した呪いが目を覚ますたびに……あなたみたいな人を退治しに現れる、野菊と一緒にね」


 白菊姫は、驚愕した。

 自分の知らない間に、そんな事になっていたなんて。

 しかし、信じない訳にはいかない。信じれば納得できることが、自分の身に起こりすぎているから。

 むしろ、自分が信じがたい存在になっているのだから、もう何が起こってもおかしくない。

 それに、今少女が放った言葉がかつての記憶を解き放っていた。


 菊のために村中を飢えさせ、死んだ農民たちに食い殺された。

 野菊が自分を罰するのに使った、呪い。


「あっ……ううぅ……!!」

 思い出すだけで、泣き叫ばずにはいられない。痛くて苦しくて怖くて辛くて、悲しくてたまらない記憶。

 覚えている。自分がどうなったか。

 宴席を照らした赤い月。胸が悪くなる腐臭と、地の底から響くような唸り声。なだれ込んでくる死人たちと、踏み荒らされた庭の菊。飛び散る侍たちの血しぶき。

 まるで昨日のことのように、思い出せる。

 逃げ回った屋敷の中。自らも死に、変わり果てた野菊。汚い本性を表し、襲い掛かってきた作左衛門。そして、カラカラに乾ききった村。

 その声音や息遣い、サラサラとした土の感触まで蘇ってくる。

 あんなにひどい出来事を、どうして忘れてしまったのか。

 いや、あまりにひどすぎるから思い出すことを拒んだのか。

 そうだ、思い出したい訳がない。知った時も、認めたくなくて全力で拒もうとしたではないか。

 今のこの少女と、あの時の野菊の言葉が重なる。

 自分は、菊以外のことを知ろうとせず大勢の人を殺した。

 自分をあんなに心配して諌めてくれた親友を、こんなひどい呪いを使うほど追い詰めてしまった。

 そして、その呪いは今もなお村に災いを起こし続けている。

 後世の村人たちが、自分を憎むはずだ。鍬や鎌を振り下ろしてくるはずだ。その理由が、今分かった。

 自分は、今も人を脅かし続ける災いの元凶になっていたのだ。

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