113.求めるものは
白菊姫は、攻撃されても菊を放しません。
咲夜たちはこれを好機とみて、再度攻撃を仕掛けますが……。
白菊姫が咲夜たちに求めるものは、何だったのでしょう。
「ふぅ……危なかったぜ!」
ひとまず白菊姫から距離を取り、大樹たちは一息ついた。
片腕を失った白菊姫は、うまく起き上がれずバタバタともがいている。思った以上に、動きが鈍いようだ。
しかし、その原因はすぐに分かった。
咲夜が、呆れたように言う。
「見て、あいつ菊を握ったまま起き上がろうとしてる。
あれじゃうまくいく訳ないわ」
よく見ると、白菊姫の残された右手は白菊の茎を握って放さなかった。当然握ったままでは、うまく地面に手をつくことができない。
白菊姫はさっきから、チラチラとこっちを見ている。一応、ここに餌があることを認識してはいるようだ。
しかし、それでも菊を放り出して素早く起き上がろうとはしない。
何が何でも放さぬと白菊を掴んだまま、動けず四苦八苦している。
「……何じゃありゃ」
「ここまでくると、さすがに哀れになってくるね」
大樹と浩太も、これには思わず気が抜けてしまった。
理性も思考も失い人を食うだけの化け物かと思いきや、この姫は死んでも菊を捨てることができないらしい。
尋常でなくこだわっていたとは聞いていたが、ここまでくるともう笑えてくる。
菊に心を奪われて村を飢饉に陥れ、自らもその罰で永遠の飢えを与えられながら、なお菊にこだわって目の前の餌に辿り着くこともできない。
こんな滑稽な存在は、見たことがなかった。
「やっぱり、こっちから行かないとダメじゃない?
アレ、いつまで経っても来ないかも」
ため息混じりの咲夜の言葉に、大樹と浩太も同意した。
「そうだな……けど、今度はちゃんと三人でな」
向こうから来ない以上、とどめを刺すにはこちらから近づくしかない。三人は得物を構えて、慎重に白菊姫に近づいた。
白菊姫は、イモムシのように体をよじってどうにか起き上ろうとしていた。しかし左腕を失って体のバランスがおかしくなっており、どうにもうまくいかない。
何度も地面にもんどり打って倒れ、それでもようやく起き上がったところで……
「ほいっとな!」
大樹に杭で突かれ、あっさりとまた倒れてしまう。
「グベッ!?」
とても姫とは思えぬ濁った悲鳴を上げ、顔面を固い地面に打ちつける。そんな状況でも、白菊の花を握ったまま。
そんな白菊姫の体を、大樹と浩太が杭で押さえつける。
「今だ、咲夜!」
そこに、鍬を上段に振り上げた咲夜が踏み込む。
「終わらせてあげる。……でも、その前に……」
咲夜は、足下に伸ばされた白菊姫の右手に目を落とす。そこには、咲夜が育てた開き損ねた白菊の花。
燃え上がる憎しみのままに、咲夜は歯を食いしばって片足を上げた。
(殺す前に、こいつの目の前で花を潰してやる!)
その足を踏み下ろそうとした時……白菊姫が動いた。
「イヤッ!!」
突然、死霊とは思えない速さで手を引いたのだ。
「あっ……こいつ!」
咲夜の足は空振りし、地面に叩きつけられた。ついでに振り下ろされた鍬も狙いが外れ、白菊姫の背中に突き刺さる。
しかし、これで白菊姫は容易に起き上がれなくなった。背中に深く食い込んだ鍬が邪魔で、転がることもできない。
弱点である頭部は、無防備に投げ出されたままだ。
もはや、白菊姫の二度目の死は目前であるかのように思われた。
しかし、それでも白菊姫はわずかに体を持ち上げ、白菊を握った右手を体の下に入れて隠してしまった。
これには、咲夜たちも驚きを隠せなかった。
「ちょっと……何やってんのよこいつ」
「何って……花を守りたいんだろ、多分」
三人が呆れ果てて見守る中、白菊姫は鍬が食い込んだ背中を懸命に丸めて身を縮めている。まるで、我が子を抱いて守ろうとする母親のように。
三人がすぐ側にいるというのに、噛みつこうとする様子はない。
「僕たちを食べに来たんじゃ、ないのかな?」
浩太が、ぽつりと呟いた。
言われてみれば、そうだ。白菊姫はさっきから花にこだわった行動ばかりで、人に噛みつこうとしていない。
咲夜と大樹もそれに気づくと、はっと顔を見合わせた。
その時、白菊姫が顔を上げ、咲夜をじっと見つめた。
「な、何……?」
しばらくにらみ合っていると、急に白菊姫が目をカッと開いた。そして次の瞬間、いきなり右手を咲夜に向かって伸ばした。
「キクゥ!」
「わっ!?」
その右手には、何も握られていなかった。
驚いて後ずさる咲夜に、大樹がはっとして声をかける。
「おい咲夜……おまえ、それ、腰に……」
言われて慌てて自分の腰に目を落として、咲夜はぎょっとした。
白菊の花が、そこにあったのだ。ビニールハウスで咲いていた、まさに今白菊姫が守ろうとしていたのと同じ花が、ズボンのベルト通しに刺さっていた。
おそらく、さっき激情のままに花を刈っては潰していた時、刈られた花が偶然落ちて刺さったのだろう。
白菊姫は、これに目をつけたというのか。
「これが欲しいの?」
咲夜がそれを差し出すと、白菊姫はニッコリと笑った。
「こ、れ……これじゃ……ワラワの……キクぅ……」




