111.接触
ついに、咲夜たちの隠れ場所に怪しい影が現れます。
予想と違う来訪者に、咲夜たちはどう動くのでしょうか。
そして、そこに現れたのは……。
招かれざる者の接近にいち早く気づいたのは、浩太だった。
「何か来る!」
浩太の鋭い声に、咲夜と大樹もはっと身を固くした。元々来るんじゃないかと思っていたせいで、それほど驚きはしなかったが。
「どこ?人間?それとも、死霊?」
「ここからじゃまだ分からない……けど、死霊のような気がする」
「マジか!数は!?」
「今見えたのは、一体だけ」
三人はすぐビニールハウスから出て、浩太の指差す先に目を凝らした。
山裾の菊畑の間を走る農道。それをところどころ照らす寂しい街灯の一つが、そいつの姿を映し出していた。
遠い上に暗いので顔や服装ははっきりしないが、その人物がずいぶん袖と裾の長いものを着ているのは分かる。
おそらく、現代の服ではないのだろう。
歩き方も、生きた人間のようにしっかりしていない。頭の重さに引かれるままに前屈みになり、足を引きずるようにのろのろと歩いている。
「ふーん、私を狩りに来たって感じじゃないね。
はぐれかな?」
咲夜が、少し拍子抜けしたように呟く。
ついさっきまでここに来るのが野菊に率いられた大軍団だと思っていたのに、予想に反して現れたのは一体だけ。
「集まられる前に、倒した方がいいかな?」
「いや、見つかってないなら隠れてた方が……」
苛立ちをぶつけるように好戦的な目をする咲夜を、大樹がなだめようとする。
しかし、浩太は険しい顔で言った。
「いや、ここに居続けるなら排除した方がいい。
ここは明るいから、あいつは多分光につられてきてるんだろう。だったら僕たちが動かない限り、そのうち僕たちのところに来る。
襲われないためには、あいつを倒すか僕たちが動くかのどちらかだ」
「なら、村のためにも戦いましょ」
一瞬酷薄そうな笑みを浮かべて、咲夜は足取り軽くビニールハウスの中に戻った。
程なくして、三人は戦うための装備を整えてビニールハウスから出てきた。
咲夜は自分の肩ほどまでの長さの四本爪の鍬と、鋭い手鎌を持っている。自らの手で死霊を倒す気まんまんだ。
大樹は背丈ほどの長い杭を三本と、短い鉄のフックを五本。それから短いが重量のあるバールをとどめ用に。
浩太は長いロープと、砂袋をいくつか持っている。それからどうしても自分が戦わなければいけない時用に、厚刃で丈夫な枝切り鋏を一つ。
これらの戦いに使える農具があることが、三人が逃亡先にここを選んだ理由であった。
「さあて、呼び出しちゃったものは少しでも私の手で潰そっか」
そう言って眼下の農道を見つめる咲夜の目には、残酷な光が宿っている。その殺意に満ちた視線は、だいぶ近づいてきた死霊に向けられている。
咲夜は、死霊を倒すことで気持ちの整理をつけようとしていた。
自分は悪い事をした。他人の命にかかわる災厄を招いてしまった。
そんな自分が、何の償いもなしに許されていい訳がない。
せめて死霊を倒して死んでしまった人の仇を討って、死霊を減らして未来のこの村を少しでも安全にして、悪いことを相殺できるくらい役に立たないと。
それが、咲夜が自分を許すために自分に課した条件だった。
このままでは自分を許せないし、他の人も自分を許してくれるなんて思えない。そんな気持ちのままでは、生きていくのも辛い。
だから……たとえここで命を落としたとしても、それでいいと思っていた。
あんな恐ろしいものを呼び出す隙を作った娘が、自分で何とかしようとして戦った末死んだ……それなら、両親への責めも少しは軽くなるだろう。
犠牲になった村人の家族も、少しは溜飲が下がるだろう。
生真面目な咲夜は、贖わなければと強迫のように感じていた。
それが自分だけの妄想だなどと、知るすべはない。
皆の前で罪を晒されて追放されて、他の人間と接触を断ってしまった以上、あの後平坂神社であったことは知りようもないのだから。
死霊は、ゆっくりと農道を歩いて近寄ってくる。
咲夜たちは、固唾を飲んでそれを見守っていた。
今のところ、周りにそいつ以外の人影はない。平坂神社にはあれだけの死霊が押し寄せていたのに、こうなるとかえって不気味だ。
「一応、他の方向にも注意しておいて。
野菊が僕たちを狙うなら、あいつは囮で、あいつが気を引いているうちに他の方向から一気に押し寄せてくるかもしれない」
浩太がそう注意を促し、時々他の方向も懐中電灯で照らして様子を見る。
しかし相変わらずそいつ以外に近寄って来る影はなく、他の音も聞こえない。
咲夜たちはその果てしなく長く思える時間を、辛抱強く待った。決してこちらからは飛び出さず、じっと息を整えて待ち続けた。
戦わなければ気が済まないとはいえ、無駄死にしていい訳がない。
戦うなら、ハウスの明りで視界が確保されているここでだ。おびき寄せて、こちらの不利をなくして確実に迎え撃つのだ。
そうして待つことしばらく、死霊はようやく一番近い街灯の下までやって来た。
街灯の白い光が、そいつの姿を照らし浮かび上がらせる。
まず気づいたのは、そいつが着物姿の女だということ。
「ああ、こりゃいいとこのお姫様かもな。
あんな良さそうな着物着てても、ああなったらどうしようもないよなぁ……かわいそうに」
大樹は素直に、呟いた。
それから分かったのは、その着物に花の模様がついていること。下の方はひどく汚れてしまっているが、それを免れた部分からその花が白い菊であると分かった。
(黒地に、大輪の白菊模様の着物……!)
大樹は、その特徴に思い当たることがあってぎょっとした。
咲夜と浩太も、目を丸くしてそいつを凝視している。
「あ、ああ……こいつ、まさか……!」
咲夜は素早くそいつの頭に視線を走らせたが、頭に花は刺さっていなかった。しかしその代わり、手に持っていた。
まさに今背にしているビニールハウスで、咲夜が世話をして育てた花を。
咲夜たちは、しばし驚いて二の句が継げなかった。
目の前に現れたのは、まさにこの災厄の元凶である原初の大罪人。菊の情熱を燃やすあまり、村を滅ぼしかけた姫。
自分たちが夏休みの間あんなに調べて話を聞いた、白菊姫その人だ。
一瞬、ただ格好が似ているだけだと頭のどこかが反抗しかけた。
が、見れば見る程そいつが白菊姫だと確信が増していく。
咲夜たちは、神社で一度白菊姫の姿を見ている。平坂家の当主である清美が白菊姫と認めたのだから、間違いない。
今目の前にいる女は、その時と寸分たがわぬ姿をしていた。
頭に刺さっていた白菊を、手に持っている以外は。
そのうち、白菊姫は昨夜たちに気づいて顔を上げた。
「……!!」
その顔を真正面から見つめて、咲夜たちは息を飲んだ。
ビニールハウスの暖かい色の光を受けてなお、異様に白すぎる肌。そのところどころに、痛々しい傷が刻まれている。
着物は大きく乱れて破れ、その裾からのぞくうら若き少女の足は滑らかな肌と肉を抉り取られ、寒々しく骨を露出させている。
顔はそれなりに美貌を残していたが、耳から頬にかけて穿たれた穴から奥歯が見えていた。
黒目がちで美しかったであろう目は、どろりと白く濁っていた。
その顔が、いきなり笑ったように見えた。
待ち望んだものをようやく見つけたような、醜悪な肉の花がほころぶような笑み。
「ひっ……!」
咲夜は思わず、小さく悲鳴を上げた。
よりのもよって、なんでこの女なのか。自分にあんな顔を向けて、一体どうしようというのか。自分に、何を見出したというのか。
震える咲夜の前に、白菊姫はさっきより若干足を速めて近づき……おもむろに、手に持っていた白菊の花を差し出した。
(あっ……!)
咲夜の中で、何かが切れた。




