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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
110/320

110.彷徨の姫

 野菊が倒れている間、その支配から解放された原初の大罪人の話。

 白菊姫の行動原理は、人格と思考ある限り死んでも変わりません。

 たとえ周りが想像を絶する変化を起こし、自分を憎む魔境に変わっても……。

 澄んだ夜風の中を、一体の死霊が歩いていた。乱れた長い髪を揺らし、そのたびに風に腐臭を混ぜていく。

 赤い月に照らされてよたよたと歩く黄泉の存在は、それだけで禍々しさを感じさせる。

 しかし、彼女の頭の中にあるのは人の肉のことなどではなかった。

「き……く……きく……」

 うわごとのように呟きながら、餌がたくさんいるのとは別の方向に歩いていく。その手の中には、一輪の花があった。


 汚れなき純白の花弁を持つ、菊の花。

 彼女を魅了してやまない、美しいもの。

 そして、彼女を地上に呼び出した、災厄の呼び水。


 彼女は、元々菊が好きだった。

 幼い頃から他のどの花よりも菊が大好きで、自分の手で限りない愛情を注いで育てていた。自分の菊が美しく咲き誇ることが、何よりの喜びだった。

 菊のためならば何を捧げてもいいとばかりに、見境を失くすほどに……。

 それが原因でとてつもない恨みを買い永遠の罰を受ける事になったが、それも彼女にとってはある意味幸運だったのかもしれない。

 だって、死んでも終わることなく何度も菊を見に来られるのだから。

 それでもいつもは、菊のことすら考えられないほどの飢えに苛まれ、菊を認識する余裕などなかったのだが……。

 今はなぜか、その飢えが少し遠のいていた。

 おまけに、気がついたらこんな素敵な花が頭に刺さっていた。

 となれば、やる事は一つだ。この素敵な花がどこにあるのか探して、できればこれを育てた人に会いたい。

 菊のために死に、死んでもなお菊にこだわる女……その名も白菊姫は、菊に導かれるように集落から離れていった。


(365)

(菊……菊畑は、どこにある?)

 狭いアスファルトの農道を踏みしめながら、白菊姫は周りを見回す。

 村は、これが本当に自分の生まれ育った土地なのかと思うほど様変わりしている。道は黒い小石のようなもので固められ、見たこともない形の家や箱のような建物が乱立し、夜だというのにそこここに明かりが灯っている。

 自分の知っている景色と、あまりに違いすぎる。

 白菊姫は、自分が異界に放り出されたような気持ち悪さを覚えた。

 それでも、赤い満月に照らし出される山の形や土地の起伏が、ここが自分の村なのだと教えてくれる。

 時折風の中に感じる、菊の匂いもまた……。

(感じる……この匂い、どこかに必ず咲いておる……)

 山裾の辺りまで来ると、農道を囲むようによく茂った畑が広がっている。

 そこには、白菊姫が探していた菊の葉があった。いくつかの畑には、花も咲いていた。しかし、白い花はなかった。

 しばらく周りの菊畑を探し回ったが、白い花はどこにもない。

 頭に刺さっていた不思議な形の菊だけではなく、見慣れた形の伝統的な菊すらも見当たらない。

 白菊姫は、焦がれるようなもどかしさを覚えた。

(どこじゃ、一体どこにある……?)

 他にも菊畑はたくさんある。だが、これだけ探してないとなるとどこも同じようなものかもしれない。

 白菊姫は、恋する乙女のようにため息をついた。

(ああ、白い菊の畑はいずこ……。

 そう言えば前に気が付いた時も、この村には白い菊が咲いておらなんだ。わらわはあれほど愛して育てたというのに、一体なぜ……?)

 自分が原因だということも知らず、白菊姫は嘆く。

 このよく分からない状態になってから村に戻るたび、村はひどく様変わりし、そのうえ白菊がなくなっている。


 ……そう、白菊姫の思考が戻ったのはこれが初めてではない。

 白菊姫は相変わらず菊に焦がれながら、前回のことを思い出した。


(366)

 以前にも一度、白菊姫はこうしてしばらく飢えが収まり、ぼんやりした思考の中で村をさまよった事があった。

 前回、野菊が銃で頭を撃ち抜かれて倒れていた間のことである。

 その時も白菊姫の頭には、見事な大輪の白菊が刺さっていた。その時の菊は、白菊姫もよく知っている伝統的な形だった。

 しかしその時も、村の畑に白菊の花は見つからなかった。

 おまけに、村人たちは白菊姫を見ると化け物でも見たように恐れて逃げ出すか、親の仇のように憎んで攻撃してきた。

 その村人たちは皆白菊姫の見知らぬ人間で、異国の者のように見たこともない服を着ていたのに。

 家や道の様子も、白菊姫の知っている頃とは似ても似つかぬほど変わっていた。

 白菊姫は訳が分からなくて戸惑い、それでも頭に刺さっていた菊の在処を求めてさまよい……見知らぬ服の男に頭に鍬を振り下ろされたところで記憶が途切れている。


 思い返せば妙な体験をしたものだと、白菊姫は思った。

 しかし、何より心に残っているのはやはり白菊がなかったことだ。

 昔から菊といえば白は一番大事で外せない色なのに。自分の知っている村の菊畑には、その花があふれていたのに。

 ここは同じ村のはずなのに、一体どこに行ってしまったのだろう。

 畑そのものは、自分が知っているものよりずっと広くなっているのに。

 しかしその畑にも、あちこちに見たことのないものが立ち並んでいる。大きなかまぼこのような形の、柔らかいのになかなか破れない奇妙な幕に包まれた場所だ。

(畑にある以上、アレも何かを育てておるのか?)

 好奇心に駆られて中を覗こうとしたが、中は真っ暗で見えなかった。出入口らしきものも見つけたが、鍵がかかっていて入れなかった。

 だが、白菊姫はついに見つけた。

 暗い畑の中、たった一つだけこうこうと明かりが灯っているかまぼこを。

 あそこなら、中を見られるかもしれない。そしてもしかしたら、あの中にこそこの探し求める菊があるのかもしれない。

 白菊姫は、明かりに引き寄せられる虫のようにそのビニールハウスに向かった。

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