108.折れた花
舞台が大きく変わって、久しぶりに咲夜ちゃんたちです。
平坂神社から逃げた後、彼女たちはどのように過ごしていたでしょうか。
真っ先に神社から追い出されてしまった咲夜たちは、自分たちが野菊の狙いではないことを知りません。
てっきり、野菊が自分たちを狙うものと思って待っていますが……。
だいぶ冷えてきた夜風が、村を吹き渡る。昼間のぬくもりが失われ、今この風に肌を晒せば少し肌寒く感じることだろう。
周りの明りの少なさと相まって、村はいつもよりずっと暗く冷たく見えた。
いつもは真夜中でもカーテンごしの薄ぼんやりした寝床の明りが見えるものだが、今日はそれもない。
多くの村人が、死霊を恐れて避難してしまったせいだ。
住宅地から外れると、白川鉄鋼以外の明りはほぼない。
村の土地の多くを占めているのは夜に人がいない田や畑、そして人の生活圏にならない山林だ。
いつもより暗い集落は、沈みかけの島のように見えた。
しかし、そこから外れた農地に、一つ明るい場所があった。
地面にかまぼこのように立ち並ぶビニールハウスの、一つだ。他はみな真っ暗なのに、そこだけこうこうと明かりがついている。
中には、白い菊が咲き乱れていた。
そしてその中に、空虚な眼差しの少女が一人、佇んでいた。
「……もし私の家が菊農家じゃなかったら、今日は何も起きなかったのかな?」
そう呟き、手近にあった花を一輪、握りつぶす。
ハウスの中には、既にそうして無残に潰された花の残骸がいくつもあった。花弁は折れ雄しべと雌しべはぐちゃぐちゃになり、美しさは見る影もない。
しかし、ハウスの中にはまだまだ美しい花がたくさん咲いている。
それが、少女には憎らしかった。
「ねえ……昨日あんなに切ったのに、もう今日こんなに咲いてるの。
まるで、いくら叱られても懲りない悪い子みたい。
こいつのせいで、村はあんなになったのに……ねえ?」
ストローのような純白の花弁を真っ直ぐ伸ばした凛として美しい花にささやき、添えた指に力を込めてまた握りつぶす。
念入りにぐりぐりとすり潰すと、折れた花弁がパラパラと散った。
「まるで、私みたい……ねえ、そうでしょ?」
自嘲の乾いた笑みを浮かべ、少女は振り返った。
「咲夜……おまえは、そんなんじゃない」
大樹はしっかりと、少女……咲夜の目を見つめて答えた。他にかけたい言葉はたくさんあるが、まずは自己否定の否定。
咲夜は悪くないと、それだけは言いたかった。
しかし、それでも咲夜は頑なに首を振る。
「中身のない慰めはやめて!!
私は、この花で村に災いを招いてしまったの!私がやったミスで、あんな恐ろしい死霊が本当に出てきちゃったの!
それで、もう死んじゃった人だっているんだから……私が悪くなくて何なのよ!!」
咲夜はそう叫び、また近くにあった花を潰して泣き崩れてしまった。
そう、咲夜は罪を犯した。
この災いの、一端を担った。
学芸会のことでひな菊と対立して陥れ、その余波で村に迷惑をかけてしまった。それを両親に咎められても、意地になって反省することはなかった。
そして、やり場のない怒りをぶつけるように白菊を入れた焼却炉の鍵を投げつけ……拾って鍵をかけることなく放置した。
そのたった一夜のうちに白菊は盗まれ、白菊塚に供えられ……村に死霊があふれている今に至る。
その罪を暴くように、黄泉の断罪者……野菊は現れた。
悪い事は隠し通せる訳もなく、咲夜の罪は平坂神社の巫女である清美に糾弾され、村の皆に晒された。
そして関わった疑いが強いという理由で大樹と浩太まで巻き込んで、平坂神社から追放されてしまった。
野菊の生贄として、黄泉に裁かせるために。
こうなっては、もうどこにも帰る場所はない。
咲夜たちはほうほうの体で逃げ、この元凶のビニールハウスに来ていた。
建前としては一晩逃げ延びて生き残るために……本音を言えば、もう自分の罪に誰も巻き込まないために。
「それなのに、あなたたちはついて来るのね」
咲夜は、哀れむように大樹と浩太の方を見つめた。
確実に罪を犯したのは自分なのに、狙われているのは自分だけなのに、なぜかこの男子二人はついてきた。
「本当、分からない……私といても、いいことなんて一つもないのに。
そのうちここに野菊がやって来て、逃げようと思った時には囲まれてて、みんな食べられて死霊になっちゃうかもしれないのに」
投げやりになっている咲夜に、大樹は優しく言った。
「できるだけ、そうならないようにしたいから、かな」
すると、咲夜は起こったように金切り声を上げた。
「でも付き合う必要なんかないでしょ!!
私は悪い、野菊にはそれを裁く力がある!私は、裁かれるべきなの!でも、周りの人を巻きこみたくないからできるだけ長く死霊を引きつけようと思って、逃げてるだけ!!
私は、狙われるようにわざわざ電気つけてんの!
ここにいたら……分かるでしょ!?」
明かりのない農地に、こうこうと光るたった一つのビニールハウス。人の目にも死霊の目にも、それはもうよく目立つ。
これは、標的がここにいるという信号なのだ。
災いの花が育ったビニールハウス。それを育てた泉家のビニールハウス。
人間に対しては、ここに元凶がいるから近づくなということ。死霊と野菊に対しては、脇目もふらずにここに来いということ。
こんな所にいれば、巻き込まれるのは時間の問題……。
「いや、案外生き残れるかもしれない」
そこで、浩太がふと呟いた。
「予想よりも死霊が来るのが遅い。神社から真っ直ぐ歩いて来れば、もうとっくにここに着いてるはずなのに。
それに、外の様子がおかしい……家の明りが、増えた気がする」
そう言われて外をのぞいてみると、確かに住宅地の明りがさっきより明るくなっていた。
「何これ……一体、何が起こってるの?」
咲夜も、思わず絶望を忘れて呟いた。
とはいえここからでは、何が起こっているかなど見えるはずもない。ただ、咲夜の思う通りに進んでいないことは確かだった。




