102.異質な死霊
咲夜ちゃんたちの方に行く前に、白川鉄鋼前の戦いです。
大罪人の初戦闘。
前回の大罪人で軍人の娘、喜久代ちゃんの戦いです。
普通の死霊と違う動きをする喜久代に、白川鉄鋼の迎撃隊は……。
野菊が目覚める三十分ほど前、白川鉄鋼の前に一人の異質な死霊が姿を現した。
黒地に色とりどりの菊が刺繍された艶やかな着物をまとった、十代後半と思しき少女の死霊。
彼女の見た目は他の死霊たちと大差ないが、その内面は全く異なっていた。彼女の足取りは、他の死霊たちよりずっとしっかりしていた。
彼女は、目の前に立つ大きな工場を憎らし気に見つめた。
「だレが、こんナ……わたシの、いえに……!」
彼女には、思考と言葉があった。
もちろん生きている人間ほどはっきりしたものではない。しかし、ただ飢えにのみ突き動かされる普通の死霊とは違った。
こうこうと光を放つ工場を前に、彼女は思う。
(こんなに明かりを漏らして、村が爆撃されたらどうするの!?
私やお父様があんなに締め付けても、まだ分からないのね。電気もガスも無駄にして、まだこんな非国民がいるなんて。
それに、村を守って国を守るお父様と私の屋敷を潰すなんて……!!
絶対許さない!食い散らかしてやる!!)
彼女には、感情もあった。
そこに、死霊として与えられた飢えも同居していた。
その二つが組み合わさって、彼女は普通の死霊よりずっと凶暴で執念深くなっていた。噛みつく動機が食欲だけではなくなっていた。
混沌とした意識から湧き上がる怒りのままに、彼女は歩を進める。
彼女の名は、間白喜久代。
六十年以上前、この村にやって来た軍人の娘。
国を守るために権力をかさに着て何の罪もない村人を弾圧し、村の伝統であり誇りであった菊作りを潰そうとした女。
そして白菊を供え死霊を呼び起こし、野菊に討たれた大罪人。
今は、黄泉の呪いを宿して生者を狩る死の尖兵であった。
「おい、また死霊が来たぞ!」
門の前に立つ死霊の姿に、白川鉄鋼からはまた迎撃隊が出撃した。陽介の父、猛と母、楓を主戦力とする十人ほどだ。
対する死霊は喜久代を含めて七体。喜久代を除く六体は、目の前に現れた餌に向かって一直線に近寄っていく。
「死にぞこないが。ハッ!」
食うことしか考えない愚かな死霊たちは、すぐ楓に足を払われ転ばされる。
すると、猛を中心とする男たちが群がって頭を潰す。
「へへっどんどんいくぜ!」
「俺らもやるぞ!」
最初は猛以外の者は恐怖で腰が引けていたが、何度も死霊の掃討を繰り返して慣れつつあった。
今は他の男たちも、転んだ死霊に積極的に突撃して頭を潰そうとするようになっている。倒せると分かり、闘争心と欲が勝ったのだ。
しかし、心が勝っても力はそう簡単に変わらない。
死んで腐っているとはいえ、人間の頭蓋骨を破って脳を傷つけるには強い力と思いきりが要るのだ。
死霊に向かっていけるようになっても、すぐに猛ほどの力が出る訳ではないし、人間だったものを傷つけるためらいが完全に消える訳でもない。
そうなると、完全に倒すまで猛より時間がかかる。
そうやって目の前に死霊に集中していると、周囲の警戒がおろそかになる。
恐怖や良心と戦いながら必死で目の前の死霊の頭を殴ったり押さえつけたりしている者に、喜久代はこっそりと近づく。
そう、喜久代は人間を見てもすぐに突撃しなかった。
なぜなら、彼女には思考があるから。
彼女は、他の死霊を囮にして自分から目をそらさせる作戦をとった。他の死霊を相手にして無防備になった人間を襲うことにした。
知能のない死霊では有り得ない動きで、喜久代は人間の首に歯を突き立てようとした。
だが、そんな喜久代に気づく者がいた。
「危ない!!」
すんでのところで、楓の物干しざおが喜久代を突き飛ばす。ぎょっとして振り返る男たちの前で、喜久代は他の死霊と同じように転がる。
「誰か、早くこいつにとどめ刺して!」
油断なく物干しざおを構えたまま、楓は叫ぶ。
襲われそうになった男たちは、まだ押さえつけている死霊を完全に停止させていない。となると、他からの助けが必要だ。
しかし今は他の男たちも、他の死霊で手一杯だ。
それでも、楓はそう心配していなかった。
男たちが駆けつけてくるまで、楓がこの死霊の動きを封じ続ければいい。相手は一体だし、死霊は相手を食おうとするばかりで防御や回避という発想がないため、そう難しい事ではない。
だが、その楽観は裏切られた。
派手な着物の少女は竿を手で払いのけ、楓から距離を取るように転がってから立ち上がった。
「え?」
あっけにとられる楓に向かって、彼女は叫んだ。
「チクショウ!」
「しゃべった!?」
その声は、しっかり聞き取れる言葉をなしていた。
今までの死霊とは全く違う言動に、楓は面食らった。そのうえその間にも、派手な着物の少女はじりじりと下がって逃げようとしている。
「早く、誰かっ!こいつおかしい、逃げられる!」
楓は、大慌てで叫んだ。
その声に、猛がかけつけてくる。
「何やってんだ役立たずが!」
楓を汚く罵りながら、猛は一瞬で喜久代に迫り殴り倒す。それから間髪を入れずにハンマーを振り下ろし、頭を砕いた。
その後楓はこの死霊が普通値違うと訴えようとしたが、猛は聞き入れなかった。それどころか楓がミスを隠そうとしていると責め、血肉まみれのハンマーを向ける始末だ。
楓は、黙るしかなかった。
喜久代は大罪人と認識されぬまま、眠りにつかされ、放置された。




