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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
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10.白菊の涙

 死霊があふれる屋敷の中で、白菊と野菊は対峙します。

 しかし、野菊の予想に反して白菊姫は泣いて謝り始め……その真意は、どこにあるのでしょうか。

「姫、わしの後ろにおれよ……!」

 作左衛門が野菊に刀を向け、白菊姫をかばう体勢をとる。

 しかし、白菊姫はそれを押しのけるように前に出ようとし、野菊に頭を下げた。

「おお野菊、本当にすまなんだ!!

 わらわの事で怒っておるのじゃろう?分かっておる、わらわは悪い事をした……」

 突然の謝罪に、野菊の目つきが少しだけ和らいだ。

 作左衛門は、びっくり仰天して白菊姫にまくしたてる。

「何を言っておる!?あのような下賤の輩に頭など下げてはならぬぞ!

 そうじゃ、何も心配する事などない、わしが姫を守ってやるからのう。おまえはただわしの後ろで、菊のことだけ考えておればいいのじゃ!」

 しかし、白菊姫は首を横に振って叫んだ。

「いや、わらわは謝らねばならぬ!

 わらわは、取り返しのつかぬ事をしてしもうた。これを謝らずに済まそうなど、虫のいい話じゃ。

 野菊、本当にすまなんだ!!」


 目の前で、白菊姫が必死に頭を下げて謝っている。

 その光景は、幾多の亡霊に意識を乗っ取られかけていた野菊の心を呼び覚ました。

「白菊……もしかして、分かってくれたの?」

 野菊の口からは、いつもの優しい声がこぼれた。

 白菊姫がこうして謝ってくれるのは、野菊が夢にまで見た願いだった。

 それが、今こうして叶っている。

 自分は白菊姫が絶対に謝らないと思ったから、こうして死霊を率いて罰を下しに来てしまった。

 だが、白菊姫は自分の過ちに気づいて謝ってくれた。ならば、どうにかして白菊姫の命を助けてあげたい……そんな想いが野菊の心の中に広がっていった。

 そうだ、白菊姫がもうこんな事をしないと誓うなら、代わりに自分が人柱になってもいい。本当に改心してくれるなら、犠牲は無駄ではなくなるのだから。

 感涙に目をうるませる野菊の前で、白菊姫は深々と頭を下げた。


「野菊よ、そなたの言いたい事は分かっておる。

 そなた、わらわの行いを責めに来たのであろう?

 本来そなたとわらわは唯一の友であったはず、わらわは一時の情に流されてそれをないがしろにしてしもうた。

 これは許される事ではない……」

 白菊姫は、本当に悲しそうな顔をしていた。

 心から、罪を悔いる顔をしていた。

 野菊はそれを見て、優しく、しかし厳しい口調で告げた。

「そう、あなたは裏切った……それで私がどんな思いをしたか分かる?

 分かるなら、自分の犯した罪をその口で告白なさい」

 それを聞くと、白菊姫の目からぶわっと涙があふれた。

「おお、告白するとも!元よりわらわが悪かったのじゃ。

 わらわはそなたを唯一の友とし、わらわの喜びはいつもそなたと分かち合うものじゃった。しかし今日の月見の宴に、わらわはそなたを呼ばなんだ!」


 あれ?


「わらわは毎年、わらわの育てた菊をそなたに見せ、共に喜びを分かち合っていた。

 花は心を癒す、わらわの菊でそなたの心労も少しは癒してやれたはずじゃ……。

 しかし、あの愚かな百姓どものせいで、庭の菊はそなたに見せる前に台無しになってしもうた!もう今年の庭はそなたに見せられぬ、取り返しのつかぬ事をしてしもうた!」

 野菊は、開いた口が塞がらなかった。

 作左衛門も、さすがにこれには唖然とした。

 結局、白菊姫は菊のことしか考えていなかったのだ。

 自分がこの村に何をしたのか、全く分かっていない。

 自分のせいでどれだけの村人が飢えて死んだのか、どれだけの怨念を生み出したのか、そもそも野菊が何に心を痛めているのか全く分かっていない。

 野菊の体が、怨念にぶるぶると震え出した。

「う……ううおぉあああーっ!!!」

 野菊の口から放たれたのは怒りの咆哮、目からあふれたのは悔恨の涙だった。


 白菊姫は、びくりと体をこわばらせた。

 野菊は怒っている……なぜ怒っているのかは分からない。

 しかし、どうやらまずい事を言ってしまったのは確かなようだ。

 その証拠に、野菊の手は怒りに震え、筋が浮き出ている。そればかりか、握っている宝剣が火もつけていないのにめらめらと燃え始める。

「あ……あ……!」

 白菊姫は、どうしていいか分からなかった。

 どうにかしなければと心が焦るばかりで、体はどうにも動かない。

 そんな白菊姫の手を、作左衛門がぐいっと引っ張る。

「こっちじゃ、早う!」

 作左衛門は素早く横の障子を開け、白菊姫を部屋の中に引きずり込む。

「いいか、死んではならんぞ。

 野菊は亡霊に取りつかれておる、もうおまえのことも分からんのじゃ!

 あれはもうおまえの友などではない、何としても逃げるんじゃ!!」

 作左衛門は早口で白菊姫を諭しながら、次々と障子やふすまを開け、野菊の視界から逃れるように走り続ける。

 はっきりしない頭で作左衛門の言葉を聞いて、白菊姫はようやく自分を納得させつつあった。

 そうだ、あれはもう野菊ではない。

 あれはもう昔から友達だった野菊では有り得ない。

 だって野菊は昔から自分に優しくて、自分が見せる極上の菊を笑顔で褒めてくれて、悪いことをしても謝ったらちゃんと許してくれたのに。

 それに、野菊の目はいつも澄んで清らかで、あんなにぎらぎらしていたことはない。髪や身なりだってきちんとしていて、あんなに汚い訳がない。

 だから、あれはもう友達の野菊じゃない。友達の自分に対する礼儀も知らず、自分を一方的に責めたてる奴なんて絶対に野菊じゃない。

 白菊姫は傷ついた心でそう決めつけて、ただ前を見つめて走った。

 開いては閉じるふすまと障子に阻まれて、野菊が遠ざかって行く。

 今、白菊姫と野菊の心は完全に離れた。

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