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エボニー、アイボリー、そしてメイプル

 ガードオフィスの小会議室で、ラピスは厳玉鈴の前にいた。ただし12時間前と立場は逆だ。今はラピスが上位者であり、生殺与奪の権を握っていた。

 玉鈴が引き連れてきた人員は、技術者は監視付きで虎の子の戦闘車両や外骨格歩行作業車(エクソウォーカー)などの整備にあたり、少数の戦闘要員は空いたシェルターに押し込められていた。無論、それらにも監視のための人員を割いている。


「どうするつもりですか、こんな事をして――」

 玉鈴は蒼白な顔でラピスに向き合っていた。チャイナドレスからバーガンディーのスーツに着替えた彼女は、腕を背中に回した状態で縛られ、オフィスのチェアに座らせられていた。

 周囲の部下と同様に、ラピスもPDWを玉鈴に向けていた。傍らの床の上にはガード隊員が二名、胸骨と頸椎を折られて絶命している。玉鈴が制圧される前に、彼女の蟷螂拳によって出た犠牲だった。

 だが、玉鈴は判断をあやまった。ここにいる隊員たちは目の前で仲間を殺され、もはや彼女がいかなる条件を出そうとも、それを呑むことはない。ラピスはこの数年、部下たちをそのように育ててきた。


「どうもこうもない。おあつらえ向きにここへ向かっているんだろう? AIFの上陸部隊が。何も知らんフランスの沿岸警備艇から先ほど通達が来てる。イギリス海軍の27型フリゲート『アッシュダウン』と揚陸艦『キャットヘッド』が接近しているとな」

 まさにナポレオン時代以来の伝統――フランスの意図をくじくは王室海軍(ロイヤルネイビー)なり、というわけか。ラピスは苦笑した。

「ここにある一切合財はAIFに引き渡し、投降する」

 恐らくは厳しい尋問を受けることになるだろうが、構うものか。


「分かってるんですか? 瑠璃沢一美。あなたは、ルビコンに、ISLEに対して重大な背信行為を行っています。武装解除して私に指揮権を返還しなさい。そうすれば――」

「どうするというんだ? 降格だけで許してくれるのか? 命だけは助けてくれるのか? ……ふざけるな」

 あの写真を見るまでは、状況に絶望しつつもISLEの枠組みの中で働く意思はあった。だが、STORMの原因がすでに彼らの手の中にあるとわかったその時点で、ラピスはルビコンとISLEへの忠誠心を失ったのだ。


「正直に言って、私はあなたが恐ろしかったよ、厳玉鈴。だが、あなたの個人的武勇を別にすれば、あくまでもルビコン・オードナンスとブラックウォード・インターナショナルが背景にあっての話だ……ISLE財団は何もルビコンだけで動かしてるわけではない。まともな企業や団体が名を連ね、れっきとした主権国家が後ろについているんだ。一企業の利益だけを図って、ここの研究データを持ち出そうとしたことが明るみに出たら、その『背信行為』にもさぞ重い制裁が加えられるだろうな」


 PDWのスリングをわざと鳴らし、玉鈴の額に向ける。押し当てたりはしない。この蛇はまだ生きている。彼女の肩に軽く接触しただけの隊員が、巧妙な体のひねりと重心移動によってひっくり返されるのを、ラピスは目の前で見たのだ。

「話せ。なぜこんな吐き気のするような施設をISLEは作った。なぜ、わざわざ巨額の金をつぎ込んで、学生たちと、私たちガードを含めた多くの人間の命と尊厳を弄んだんだ?」

 ラピス自身もかつてここの学生だった。彼女の人生はこの十年近く、あまりにもISLEと密着してきたのだ。その陰でどれだけの危険にさらされていたかを、戦慄と怒りを胸に振り返る。

 玉鈴は困惑の表情を見せた。

「私が知ってることは……あまり多くありません。ルビコンが開発する兵器の運用データを集め、同時にISLEで行われる様々な基礎、応用両面にわたる科学研究の成果を共有できる――そのために資金と人員をつぎ込んできた。その程度です。ただ……」

「ただ?」

「ローマ・カトリック教会がISLE財団に密かに出資していて、エージェントを送り込んでいるという情報があります。詳しいことは教会が知っているかもしれませんね」

 この期に及んでまだ、玉鈴には不敵な笑いを浮かべるだけの精神力が残っているらしかった。ラピスもそれには素直に敬意を抱いた。

「私の妹は、この島に学生として編入した後、三年前に行方不明になった。帰ってきません。できればここのすべての情報を手中に収めて、手がかりを探したかった……」

「――あなたの妹が?」

 やるせない思いがラピスの胸によぎった。ガードはSTORM発生のたびに、死者と『難破者レックマン』それに捕食された犠牲者を可能な限り記録してきた。行方不明者の数はごく少ない。


 玉鈴の妹とは、サン=クロンを襲ったあの怪鳥型難破者(レックマン)だったのではないか?

 拘束したあの若い工作員、『赤い獅子(レオン・ルージュ)』も三年前の行方不明者の一人だった。そして彼はやはり難破者(レックマン)だった。

(よくもここまで生き延び、鍛え上げられて帰ってきたものだ。部下にほしいくらいだ)


 彼がいとも簡単に、あの変容制御デバイス『フェイス・アンカー』とやらをこちらに渡したことも引っかかっていた。『Principal』を破壊してしまえば必要ないとも思えるが、彼、不破崇(ふわ・たかし)は確かに「量産してくれ」と言ったのだ。


(これは、やはりミルトンを尋問するしかないか……)

「何にしても、これ以上あなた方の下で働くのはごめんだ、厳玉鈴(ユアン・ユーリン)

 部下に命じて玉鈴に筋弛緩剤を投与させる。元上司がぐったりと脱力するのを見届けて、ラピスは唇を引き結んで医療センターへ向かった。



         * * * * * * *



 心拍計の電子音が無限に繰り返されている。静まり返った病室の中に、点滴チューブの中を落ちていくソルデム輸液の音が響くような錯覚。

 崇は体を拘束衣で包まれていた。変容体の力を振るった後につきものの消耗状態も手伝って、ほぼ無抵抗でガードに投降するしかなかったのだ。


「存外に親切だな。殺されないまでも自白剤や向精神薬の投与くらいは覚悟してたんだが」

 そう言いつつ目をやった隣のベッドには、環が横たえられている。持ち込まれた彼女の完成度の高さに研究員たちは驚嘆した。そして、彼らは必死でその機能の保全を図ったのだ。

 9㎜弾に粉砕されたグラフェン燃料電池に代わって、ありふれた屋内用電源と装甲車用バッテリーが接続され、彼女の『脳』に栄養液を送るポンプが稼働し続けている。

 だが体を動かす高分子繊維は電源を断たれ、今彼女にできるのは見ることと聞くこと、話すことだけだ。

「聴覚センサーを最大感度にしたら、彼らの指揮官の話が聞こえましたよ。タカシは戦力として期待されてるようですね。それにAIFの情報を持ってますし、簡単に殺されたり廃人にされたりすることはないでしょう」

「そうか……向こうもどうやら必死の綱渡りを始めてるらしいな」

「ルビコンとの妥結も難航してるようです」

 崇はふっと息を抜いて笑った。いずれにしてもこの状態ではできることは少ない。

「それはそうと、いい加減固形物が食いたいな……君の作ったロレーヌ風キッシュはすこし塩気がきつかったが、美味かった」

「光栄です……タカシ、怒ってませんか?」

「何をだ?」

「私が、それに姉さんが、人間ではなかった――」「よせ」

 崇は環を鋭く制した。

「それを言いだすと、俺が……いや、それはともかく一つだけ教えてくれ。なぜ、都は俺たちと一緒に、学園で学ぶ必要があったんだ?」

「私と姉さんは、それぞれ別のコンセプトで作られたんです」

 環の返答は若干遠回りなものだった。この『論理回路』を作り上げるのにどれだけの才能と年月を要したのだろう。

「姉さんは、人間との完全に双方向的なコミュニケーションを――セックスも含めて――意図して作られました。感情と呼べるものの原型を作り上げ、分化させ洗練させる。それはフレームの中に矛盾と不合理を抱え込む危険な試みでしたが……タカシ、姉さんはどうでした? いえ、この言い方は誤解を生むでしょうね――姉さんは、あなたにとって良い恋人でしたか?」


「君たち姉妹は不思議だな。こうやって話してても、全然違和感も虚しさも覚えない……そうだな、都は、素敵な女の子だった。最高の恋人だったよ」

 その言葉を受けての環の発言には、羨望がにじんでいた。

「それは、姉さんと父への、最高のはなむけですね。ありがとうございます。姉さんが、少し羨ましい」


 崇にはそれで思い当ったことが色々あった。恐らく環は、一般的にアンドロイド――あるいはガイノイドという言葉からイメージされる能力、性能を可能な限り盛り込む方向で作られたのだろう。彼女がやたらと感情表現にこだわり、崇の性的なストレスにまで配慮して見せたのは、姉に対するその『劣等感』が原因だったのだ。

 崇は、環のほうへ懸命に首を傾けて笑いかけた。

「『人間』と言う言葉の定義は、きっと昔より曖昧になってきているんだろうな。だけど、俺は今、はっきりと自分の答えを出せる――環。君たち二人は、人間だ」

「タカシ……勘弁してください。これ以上不合理な入出力をループさせたら、私も壊れてしまいます」

「誰かを愛し、誰かを案じることができるなら。劣等感や嫉妬を抱き、それに苦しむことができるのなら。肉でできていようと高分子ゲルでできていようと――それは人間だ」

 それが人間であるはずだ。

「やめてください、死んでしまいます」

 環は、この時初めて吹き出して笑うという芸当を見せた。



「なかなかぐっとくるピロートークだったわ。でもちょっと、そこから先はお預けね」

 病室の薄暗がりの中に、場違いな声が響いた。

「ツジムラー! チヒロ助ケルシゴト、マダスンデナイ。寝テル暇ナシ」


 リラダン長屋の二人組が、カッターシャツとスラックスという見慣れない姿でドアのところに現れた。医療スタッフ用の制服を盗んできたらしい。

「なッ……ビアンカ!? それにラエマ! なぜここに」

「私たちが入ったシェルター、場所がよかったらしくてさ。ガードに接収されちゃったのよね。つまり、追い出されたわけ……今はあいつらに従わない職員や、新任のガード隊員が収容されちゃってるわよ」

「ぽすと部分ノ昇降用電源停メレバ絶対出ラレナイ。考エテミレバ恐ロシイネ」

「寮から、ボローニャソーセージとポットの紅茶もってきたわよ。辻村、食べないとまずいんでしょ?」

「そーせーじ、三本アルヨ」

「……助かる! というか、よくわかってらっしゃる」


「そんな受け答えができるようなら、大丈夫そうですね、タカシ」

 環がちくりと皮肉を投げかける。

「タマーキサン! アナタ一体」

 環の変わり果てた姿を見て、ラエマが驚きの声を上げた。


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