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誤謬のフォーマット

 バタバタと倒れて動きを止めたガード隊員たちを前に、角を持つ黒い難破者(レックマン)――『ウォーマスター』は戸惑っているようだった。崇の姿を認めたその四つの眼が点滅し、脱出経路を探すように首をめぐらせた。


 崇の中には底の抜けたような諦観があった。あの『角付き』の変容体は危険すぎる。サン=ロレ島を逃げ出してフランス本土へ渡られたら、被害がどれだけ拡大するか想像もつかない。

「俺ニ、彼ラノ命を選別スル資格も権利モナい。だが、俺がヤルしカナい……同ジ立場の変容体――ISLE側ノ言う『難破者(レックマン)』トシテ」

(――気負いは結構、だが急いでくれ……たった今、『栄養脳コンデンサ』が一個つぶれたところだ)

栄養脳(コンデンサ)?」

 思念と一緒に伝わってきたイメージから察するに、内胚葉由来の脂肪を多く含んだ組織を、思考力や記憶力の拡張領域として使うものらしい。怪しげな用語に、フェイス・アンカーの下で頬が一瞬緩む。真は昔と何も変わっていなかった。

「30秒で片を付ケル。無呼吸で動イタら、俺の体内の酸素ハソのくライが限度ダロウ。もシもガスを吸い込ンジまっタラ俺を気絶さセテクれ」

(――分かった)

『ウォーマスター』を殺さなければならない苦しみと裏腹に、崇の心は晴れやかだった。真は人間の心をおおよそ守り通したままで、待っていてくれたのだ。置き去りにしたものを、一つ取り戻せた。


 肺で空気を圧搾し、背部に突き出したノズルから轟音とともに噴射する。全力で疾走――たちまち肺の中が干上がり、首筋からこめかみへ熱い塊がこみ上げた。膀胱のあたりにどんどん重苦しいものが蓄積していく。

 黄色い霧が視界を覆う。だが崇は寸分の狂いなく、逃亡を試みる黒い変容体を追尾していた。この時初めて気づいたが、変容中において崇の視覚は光線スペクトルの赤外領域へわずかに拡張しているのだ。つまり、熱が見える。相手が霧の中に隠れようが同じことだ。

 接近して手刀を叩き込む。体軸をずらして『ウォーマスター』が逃れ、そこへ膝を狙った前蹴りが伸びる。ぎりぎりでかわす動きが次第に崩れ、隙が大きなものになっていく。


 酸素を求めて肺が悲鳴を上げた。だが文字通り歯を食いしばって耐える。

(スピードはある。パワーもそれなりにある――だが、『鏡面(ミラーフェイス)』ほどじゃない!)

 反撃に転じた『ウォーマスター』の鋭い蹴りを前腕部で受け、崇は確信した。こいつは、単体での戦闘力で勝負するタイプではないのだ。

 受けた腕を巻き込むように相手の脚を絡めとる。身動きを封じられたその上体に、頭を振って髪の毛を叩き付けた。


(食らえ! 念動発火ナトリウム(ナトロン・ファイアー)を!)

 体内のナトリウムが単体金属の微粒子に還元され、周囲の物質との接触を断つ微細念動力の赤い光を帯びて送り込まれる。その光が消え、ナトリウムが直接水分と反応した時――対象は細胞レベルで加熱され燃え上がる。

 光点の幾つかが『ウォーマスター』のノズルに吸い込まれ、次の瞬間胸郭の一部が風船のように膨れ上がった。皮膚の下から光が透け、赤く輝く。フェロモン霧を生成する前段階の物質は可燃性の高いものらしい。膨れ上がった風船の一部が熱で変性し、黒く炭化し始めた。

 酸素欠乏で霞む意識を必死でつなぎ止める。最後の力を振り絞って跳躍し、崇は上空へ逃れた。


 地表で小さな爆発が起き、『オグル』の機体も揺さぶられた。同時に、ラピスは体の自由を取り戻していた。

赤い獅子(レオン・ルージュ)……またしてもあいつか」

 何か伸縮性に富んだ素材のスーツを身に着けていたらしく、体は黒く見えたが、白い長髪とあのおびただしい赤い光点を見誤りようもない。

(トロル2を操縦していた……隊内にいたのか? まさかな)


 着地した『赤い獅子』はそのまま搬入口へと駆けこんでいく。ラピスはそれを「ガスは中和、もしくは希釈された」と解釈した。通信機に向かって指示を飛ばす。

「マスクを着用できたものは私に続け。地下施設を制圧、『Prinsipal』を破壊する」


 搬入口前に生き残りの部下たちが集まってくる。トロルはE1と2が残っていた。

「カシワザキ。お前はトロルの交代要員として訓練を受けていたな? あそこに放棄されているトロル2を頼む」

「了解!」

『難破者(レックマン)』の遺体撤去と、この地点の確保を支援してくれ。頼むぞ」

『オグル』は内部ではほとんどまともに動けない大きさだ。降りるしかない。


         * * * * * * *



(――君だけならよかったが、周辺の人間すべてを拘束したのはいささか無理があったようだ。栄養脳コンデンサがもうたない。健闘を祈る)

 苦しげに伝えられる真の思念に、崇はうなずいた。

「あリガとう、十分だ」

 疑似STORMの影響が消えていく。崇は再びあのひどい無力感と疲労を味わっていた。スキンスーツの3Dメッシュ構造に自壊した組織片が絡みつき、かろうじて「裸ではない」というだけの姿だ。肉体がほとんど窒息寸前まで追い込まれた為に、吐き出された体液でスーツの一部がじっとりと汚れていた。

 通路は静まり返っている。恐らくもう、排除すべきものはない。千尋を迎えに行くだけでいい。そう思った、その時。


「何だ、これは?」

 目の前に現れた物体に、思わず声を上げる。


 壁や天井までべっとりと付着し滴り落ちる、おびただしい血液と肉片の中に、うずたかく盛り上がったそれは、無数の――毛皮で、骨質の甲殻で、粘液にまみれた皮膚で、あるいは粘膜、棘の塊その他もろもろ思いつく限りの組織で覆われた、肉体の山だった。そのほとんどは生木のように引き裂かれ、切断されて原形をとどめていない。

 山がぐらりと揺れ動き、崩れる。身幅30㎝ほどの、鈍い光沢を帯びた(ブレード)が突き出され、カニのような甲殻に覆われた姿がそれに続いた。右顔面から伸びた鋏脚が目を引く。

 その変容体の左肩から先は食いちぎられたように失われ、わずかに甲殻の一部を残した皮膚が雑巾のように垂れ下がっていた。

「お前は……!」

 変容体――平川慧一は残った左目で崇を見つめ、その顔に装着されたままの銀の鬼面を確かめると満足そうにうなずいた。

「あナタか……約束ハ、ハタしダ……千尋――」

「おい! 死ぬな! 死ぬんじゃない、こんなところで――」

 山から転がり落ちた彼には、右足の膝から下もなかった。腹には別の変容体のものらしい、鋸のような棘を並べた腕が突き刺さっていた。

 肉の山の奥には、引きずったような血痕が長く延びている。

(こいつらと殺し合いながら、ここまで押し出して……!)


 周囲に特殊ゴム製靴底の足音がいくつも重なる。慧一の体の上にかがみこんだまま動かない崇のこめかみに、PDWの銃口が突き付けられた。

「両手を頭の後ろで組め。不用意に動くな、撃つぞ」

 女性指揮官の声がした。


 通路を照らしていた警告灯の点滅が止まった。空調のファンが動き出す。どうやら応急修理が行われたらしい。恐る恐る呼吸をしてみるが、特に身体や意識に変調は感じられなかった。

「助かった……の?」

 千尋のつぶやきに、ミルトンが皮肉げに応じた。

「だといいがな」


 千尋たちのいるモニター室の前にも武装したガード隊員が現れた。ドアが外から開けられる。

「学生か! こんなところによくもまあ……もう大丈夫だぞ」

ガード隊員の一人に抱きかかえられて通路を出口へ戻る途中、千尋は銃口を突き付けられた崇と、その傍らに倒れて動かない慧一を目にした。

「あれは……!」

 千尋は隊員の襟元を引っ張って注意を引いた。

「すみません、下してください」

「何を言ってる。ここは危険だ、早く――」

「下して! あの二人は、友達なんです!」

 身をよじってガード隊員の腕を抜け出し、二人のところへ走る。動揺した隊員たちが銃口を向けたが、ラピスはそれを制した。

「落ち着け。ただの学生だ……話をさせてやれ」



「平川くん……」

 がっくりと膝を折って千尋は二人のそばに座りこんだ。

「君を助けに行くつもりだったが、俺は結局役立たずだったな……君を守ったのは彼だ。一か月前の約束を、守りぬいてくれた……」

 崇は苦い思いにとらわれていた。自分は非力だ。


 人間を異形に変化させる超常現象。その中で自分を保ちつつ力を引き出して戦う――どこぞのヒーロー活劇のようだが、現実はそんなに甘くはない。

 STORMが起きている中でなければまともに戦えず、戦闘のあとは環のような協力者のサポートを必要とし、そこまでしてもまともな兵器を装備した人間の組織の前では、一人では所詮如何ほどのこともできはしない。


 千尋が泣いている。ぽろぽろと涙をこぼし、慧一の引き攣れた唇に指を触れなぞりながら、言葉もなく泣いている。


 ヒーローと言う言葉をあえて使うのなら、そう呼ぶべきはこの男だ。肉体のほぼ三分の一を失い、人間の姿に戻ることもできず、それでも――おそらくは千尋を守るために――圧倒的な数の変容体を相手に戦い抜いて、今ここで死に瀕している、この男だ。


「平川慧一……アンカーはお前の手にこそ、委ねられるべきだった」

「やめて、辻村さん……あなたは、私を助けに来てくれたじゃないですか」

「それは、俺の本当の名前じゃない。偽名だ」

 自嘲の響きが込められた、乾いた笑いが通路にこだました。協力を誓った相手に、結局本名も明かしていなかった。訓練の結果とはいえ自分は心底『AIFの工作員』になり切っていたのか。


(アンカーを俺が独占することは、正しいことなのか? そもそも、俺にアンカーが届けられたのは……本当にこんな事のためなのか?)

 慧一の手にアンカーがあったなら。それなしでも理性を保ち、幽閉の一か月に耐えた彼ならば、どれだけのことを成しえたか?


 ビアンカの言葉が思い出された。


――凄いね、アンカーって。ねえ、量産できないの? それ。


 不意に、崇は気づいた。電流に撃たれたようなショックとともに、背中に鳥肌が立つのが感じられた。

「そうか……わかったぞ」


 フェイス・アンカー。この銀色の鬼面は、STORMとほぼ不可分の関係にある。そうでなければ、これが持つ機能の特異性は説明できない。

 おそらくこれ(アンカー)は、量産されてISLEに携わるすべての人間の手に届けられるために、崇に預けられたのだ。


 アンカーを作ることができるのは、STORMを熟知し、人間の脳を熟知している人間だ。そして、その人間は、崇のことを何らかの形で知っている。

津田沼宗稔(つだぬまむねとし)……都と環の父親(制作者)か――)




 六時間後。サン=ロレ島のISLE全施設は、ラピス率いるガード部隊の制圧下に入った。

 

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