皮膚の下
医療センター周辺は殲滅戦の状況を呈しつつあった。地下へのシャッターが吹き飛んだ搬入口の前で、カッツバルガー装甲兵員輸送車から降りた徒歩戦闘要員たちが、遮蔽物の陰からPDW(個人防御火器)で『難破者』に銃撃を加え、弾幕を抜けて肉薄してくる個体はトロルとオグルが重火器で足を止める。
崇は苦悩しつつその状況に参加していた。変容体たちを殺したくない、そんな煮え切らない思いが照準を甘いものにする。20㎜短機関砲での砲撃はそのことごとくが1テンポ遅れ、むなしくセンターの外壁に穴を穿つばかりだった。
ビロードのような表皮を持つ小柄な『難破者』が外壁に沿って走り抜け、そのすぐ後ろで粉砕されたガラス窓が立て続けに破片を噴き上げた。
「トロル2、もっとしっかり狙え!」
「は、はい!」
その個体が手のひらから粘液を放出し、足元の地面との摩擦を奪われた、4人ほどの隊員が折り重なって地面に倒れる。捕食すべく近づいてきた別の『難破者』を、『オグル』のスナイパーライフルが撃ち抜いた。
〈油断するな! だが絶望もするな。やつらは無限に湧き出すわけじゃない。もう、あと10体程度のはずだ!〉
空中から砲声とともにラピスの檄が響く。
異変に最初に気が付いたのは、ミゼリコルド車内にいたアンゼルムスだった。数人ごとの班に分かれた徒歩戦闘要員たちからの通信に支離滅裂なうめき声が混ざり、連絡が届かなくなったのだ。
直後、搬入口のすぐ近くへ展開していた隊員たちの間で怒号が上がる。アンゼルムスは通信士ハッチのペリスコープ越しに、事態の意味を表わす明らかな徴候を見た――発砲炎が、こちら向きにも発生している。
〈隊長、異常事態です。隊員同士が、交戦しています!〉
「何だと?」
ラピスの『オグル』はちょうど滑空を終えて着地したところだった。この位置からでは前方の状況が見通せない。トロルに比べてやや柔軟性を欠いた歩調で、オグルは踏切に適した足場まで移動した。背部ジェットをふかして再度のジャンプを試みる。立体視可能なカメラアイを望遠モードに切り替えた時、地上を俯瞰する視界の中に彼女は最悪なものを見た。
身長3mほど。オレンジ色に発光する四つの眼が並ぶ頭部には、水牛を思わせる角が生え、肩甲骨の上と脇の下からは二枚貝の出水管のような平たいノズルが突き出している。黒鉄色をした表皮に、所々真っ赤な斑模様が走っていた。見覚えのある『難破者』の姿。
「あれは……ウォーマスター!?」
ガード隊員として着任間もなかったころのラピスが、初めて遭遇した『難破者』だった。初代の隊長はあれの所為で死んだのだ。物につかれたようにPDWを乱射し、それでも殺しきれなかった研究員に喉を食い破られてだ。
(まだ生かしてあったのか、あいつを! バカどもが!)
「状況『ガス』――装面! 総員、可能ならば後退しろ!」
通信機のマイクに向かって叫ぶ。
あの時はまだ外骨格歩行作業車は配備されていなかった。20㎜短機関砲やO-スティンガーでの撃ち合いになれば、悪夢どころではない。
「どうも、えらく拙いことになったらしいな」
崇はうめいた。
トロルのコクピットは『半開放型』だ。30㎜砲弾への抗堪性を目指した傾斜面を持つ前面装甲ブロックを備えてはいるが、空調装置の重量を排する為に足元や両脇に切り取ったような開口部がある。『作業用』機械として武器輸出規制を潜り抜け、民生品としても普及するための措置だが、それが今、彼を窮地に陥れていた。
ガスマスクなどの装備品は乗員が個別に携帯することになっているらしい。コクピット内に備え付けのものは見当たらない。
〈『角付き』の難破者が人間を兇暴化させるガスを発生させている。外気を吸うな〉
通信機から女性指揮官の声がした。次第に焦りを帯びてきている。
「ガスって、そういうことか……最悪じゃないか」
〈タカシ、まだ正気ですか?〉
通信機から環の声が聞こえた。慌てて通信をキャリア2号車との双方向回線のみに切り替える。
「まだ何とかな。問題の変容体はここからも見える。だが間にガードの歩兵と外骨格歩行作業車がいて、狙撃できない」
崇のみならず、指揮官が乗っているらしい飛行型も攻撃しあぐねているらしかった。『角付き』はガードをからかうように歩き回り、時にしゃがみこみあるいはごろごろと地面を転がって照準から逃れ、その間も首のまわりに薄い黄色の霧をたなびかせていたのだ。
〈ガードも殺してしまえばいいじゃないですか〉
「そんな風に割り切れるなら、とっくにやっている!」
環の恐ろしい言葉に、崇は思わずマイクに怒鳴っていた。そういえば、この外骨格歩行作業車の乗員も彼女が殺したのだ。
〈……やっぱり、嫌いですか? 殺人は〉
崇は返答できなかった。不幸にも徒歩戦闘要員とともに突出していたトロル一機が、短機関砲を棍棒のように振りかぶってこちらへダッシュして来ていたからだ。
「やめてくれッ!」
叫びながら、崇は目の前のそれが機械であることに安堵していた。至近距離まで引き付け、暴走トロルの関節部を狙って砲撃を行う。脚の基部に三発。肘関節の内側に三発。弾数インジケーターが残弾1を告げて点滅する。
「弾切れか!」
頭部の複合カメラに、最後の一発。崇の機体にもたれかかるように暴走トロルは動きを止めた。
「殺人を好きになれるものか。だが、機械なら停めればいい……」
吐息とともに呟く。微妙にサイズの合わないヘルメットの内側から、すえた匂いの汗が滴り額を伝った。
「タカシ、気を付けて! まだ終わってません」
不意に環の声が聞こえた。肉声だ。
はっとして見回すと、正面のトロルに環が取り付いていた。暴走トロルの前面装甲ブロックがスライドし、その奥のコクピットから乗員が這い出そうとしていた。手には自動拳銃を握っている。
足場の悪いトロルの機体の上で、環はその乗員の右腕を捻り上げて極め、無力化しようとしていた。だが男は右手の拳銃を左手に移し、イジェクションポートから熱い薬莢が飛び出すのも顧みずに、トリガーを引き絞った。
「環ッ!」
スキンスーツ越しに押し付けられた銃口が彼女の腹の前で跳ね上がり、三点バースト射撃で9㎜弾が撃ち込まれる。ほぼ同時に、環はその乗員の頭をヘルメットもろとも槌拳で叩き潰し、右腕をもぐように折っていた。
ダークイエローで塗装された装甲ブロックの上に、環の腹から液体が滴る。
それは血液ではなかった。高分子材料らしき白いチューブが何本も飛び出した傷口から、ピンク色の透明な液体が流れ出している。環の両足が力を失い、そのまま地面へずり落ちた。崇は言葉にならない叫びを上げながら、自分のコクピットから飛び降りた。
「私は大丈夫です、タカシ。千尋さんのところへ行ってあげてください」
崇に上半身を抱き起され、いつもと変わらない冷ややかな微笑みとともに彼女はそう告げた。
「これは何だ……これはどういうことだ」
「会話が全然噛み合ってませんね。見ての通りです、私は……ああ、残念です。ガードの皆さんを気絶させて回ろうと思ったんですが」
「サイボーグ……いや、女性型アンドロイドってやつか。まさか……」
「フフ……皮膚の下には隠された秘密……頭脳は高分子被膜の積層構造に培養された神経細胞を挟み込んだ、ハイブリッド・バイオプロセッサー。主要パーツは日本製……私たちは津田沼宗稔が作り上げた……」
「莫迦な! 都は確かに――」
都は、崇を受け入れてくれた。汗を流し、緊張に震え、喜びに頬を染めて――二人は青春と呼べる日々を共にしていたはずだった。
(あれが人形だというのなら、ではそもそも人間とは何だ!?)
自問自答と惑乱の時間は、しかし長く続かなかった。サン=クロン市をメイリンが襲った時と同じ、恐怖と不安、圧迫感が突如として崇の脳を襲ったのだ。
(これは!?)
(――行くんだ、タカシ。ガード隊員たちは僕が停める)
ひどく懐かしく、それでいてどこか煩わしいあの声が、再び頭の中に響いた。
「真! 君なのか!?」
(――やっと話ができたな。君たち――この島にいる人間の思考は、すべて僕が観察している。受信は簡単だからだ。だが、僕でも送信には多大なエネルギーを必要とする。これを送り込むのは特にね)
懐かしい友の声はしかし、崇に感傷を許さなかった。
(――さあ、行け……僕らの過ちの日を、あの子たちに繰り返させるな。都に報いるんだ)
ガスの滞留するエリアを避け、ラピスは『オグル』を戦場からやや後方、『オグルワゴン』の待機地点近くに着地させていた。着地点を決める直前に確認した隊内の状況が気になる。あの射撃の下手なトロル2は兇暴化した乗員の操縦するトロル3に激突されていたようだ――ラピスは個別呼び出し回線でトロル2を呼んだ。
「トロル2、応答しろ。無事なのか?」
通信回線から、聞き慣れない声が聞こえた。マイクから遠い場所で発されたような、かすかな音声。それは、奇妙なフレーズだった。
〈フェイスアンカー、投錨!〉
(何だ!?)
同時に、ラピスの体は接続を断たれたようにこわばり、脳から随意筋への指令を一切受け付けなくなった。




