奈落の呼び声
千尋とミルトンは、先ほどの小部屋――慧一の檻に隣接したモニター室に何とか退避していた。
ケージのシャッターは完全に解放され、小部屋からの操作を全く受け付けない。電源との接続は切れているらしかった。
「ここと通路の間のドアは、ごく脆弱なものだ……檻のシャッターが閉鎖できるなら通気口を通ってでもあちらへ移りたいが、これではな」
ミルトンは神経質に何度もシャッターの開閉ボタンを触っている。顔色が悪い。
千尋は周囲を見まわしミルトンに質問した。
「私たちが通ってきたのは、STORM被災者――『難破者』の搬入路ですよね? スタッフ向けの通路はないんですか?」
「ある。だがこのモニタリング・ルームが檻の幅の半分までにしか及んでいない事には、気づいているかね? ここは収容直後に檻内の環境を調整するための部屋なんだ。本来のスタッフ用通路とモニター室はちょうど反対側にある。電気系統も空調もすべて別だ」
「じゃあ、なぜこっち側に?」
「……君のQREスティックでは、あっちのセキュリティをパスできないからだ」
「色々と、裏目に出てしまったんですね……」
「ああ。……今のところ彼らはそれぞれの個性に応じた、ばらばらの行動をとっている。だが、彼らの多くは肉食だ。我々の存在が認識の片隅にでも引っかかったら、このドアを破って殺到してくるだろう」
千尋は唇をかんで息を殺した。ここよりも奥の通路から、何か大きなものがぶつかりあう音と、口蓋音が響いて来るのが聞こえた。それも複数。変容体同士の戦闘が同時に複数発生しているのだ。ふと、恐ろしい可能性に気が付く。
「……ミルトン局長。収容されてる人たちの発現してる能力、把握されてますか?」
「特に印象的なものは記憶しているが……全部は無理だ。ここのデータベースにアクセスすれば判明しているものはすべて確認できるが」
ミルトンは傍らのコンソールデスクに向かい、ネットワーク端末を起動した。端末への電源と回線は生きていたようだ。8bitカラーの古めかしい画面に『難破者』のリストが低解像度で表示された。堅牢性を重視して枯れたシステムを使用しているらしい。
「火炎とか、毒ガスとか、この地下施設の環境を生存困難なものに変えるような能力を持つ個体がいれば、私たちは……」
「そうだな、助からん」
ミルトンのこめかみから汗が一筋流れ落ちた。空調は停止している。
「熱は無理としても、毒ガスや病原体から防護するようなものはここにはありませんか? ガスマスクとか、N……NBC防護スーツとか」
ミルトンは申し訳なさそうにかぶりを振った。
「ガス程度はこの部屋の気密設計で防げるが、それ以上のものはあっても向こう側だ。そもそも教育機関、学園に隣接してバイオセーフティーレベルを設定されるような施設は作れない。フランスの国内法が逆立ちしても許さん。それに」
いったん言葉を切った後、祈るような調子でミルトンは言った。
「『難破者』はあくまでも人間だし、彼らの変容はあくまでも生存が目的だ。自分の生命を危うくするような能力は……」
分かるものか、と千尋はどこか冷えた頭で考えた。人間のやることには必ず落とし穴がある。抜いていいと思ったところでは手を抜く。自分だってそうだ。だいたいのっぴきならない事態に陥って身動きが取れなくなってから、人間は己の甘さに気づくのだ。
「そのコンソール、ISLEのメインサーバーにはつながってないんですか?」
「回線はつながっている。だがここのマシンでアクセスできる領域は限られている。通信に使うコードやデータ形式、処理速度の問題が」
「これなら?」
千尋はポケットから支給品の個人用端末を取り出す。ミルトンは一瞥するや落胆の色を露わにした。
「ケーブルコネクタの形式が違う。使えんよ」
なるほど、想定範囲の回答だ。千尋はくす、と笑ってポケットの底に手を入れた。掴んだそれをずるずると引き出す。細めのスパゲッティほどの太さの、黒いケーブル。その両側には、何種類もの形式の違う端子が枝分かれしていた。
「私が生まれて間もないころ、日本では火山の噴火と、それに伴う核燃料処理施設の事故がありました。ご存知かもしれませんが」
千尋はケーブルの一方を個人用端末に、もう一方の古臭い形式の端子を壁のパネルに設けられた予備の差込口に接続した。
「父が言っていました。その時何よりも恐ろしかったのは、アクセス集中や物理的な断線による通信インフラの機能停止だった、と」
(これでなんとか、みんなに連絡をとれば……)
車列の先頭部では既に衝突が起きているらしかった。兵員輸送車の後部ランプドアが開かれ、武装したガード隊員が駆け出していく。曳光弾の赤い光に照らされ、数体の異形が浮かび上がった。
「もうこんなところまで這い出して来ているのか」
環との間に白目をむいて突っ伏した運転手の遺体を気にしながら、崇は状況の変化の速さに舌を巻いた。
〈キャリアー各車、『トロル』のリフトアップ急げ!〉
〈キャリア1、了解!〉
〈キャリア3、了解!〉
「キャリア2、了解」
到底その声帯から出たものとは思えない、野太いドスの利いた声で環が応答した。
「何だ、その声……」
その問いには答えず、環はいったん通信回線を切った。
「タカシ、あの外骨格歩行作業車、操縦できますよね?」
「ん、AIFでシミュレーター訓練は受けた」
「では出撃してください。しれっと」
「待ってくれ、俺に彼らを殺せっていうのか。冗談じゃない」
「言いませんよ。戦闘中行方不明を装って戦線離脱するんです。探し出したい人がいるんでしょう?」
「ああ、いる――」
崇はその瞬間、恐ろしいジレンマを自覚していた。自分はどちらを探しに行くべきなのだ? 倉川真か。皆川千尋か。どっちだ?
「真を救出したい……だが皆川千尋との約束が――」
学生食堂での千尋の言葉がよみがえる。
――あなたにとってSTORMが『過去』だったとしても、私たちにとっては今現在、まさに目の前にある危険です。回避されるべき『未来』です……もし可能なら、その力は私たちを守るためにも使って欲しいです――
過去と未来、どちらを優先すべきかはいくらなんでも分かる。
「あ、そんなに悩まなくていいみたいですよ。ただし状況は最悪です」
環がドリンクホルダーに立てかけた個人用端末をちらりと見て、そう言った。
「彼女の端末から、ISLEのサーバーを経由して、救援を求めてきてますね。医療センター地下の隔離病室で孤立しているようです」
「む……」
一瞬の安堵が訪れる。メディセンター地下なら、真も近くにいる可能性が高いのではないか? 真と千尋、両方を救出できるのではないか? だが問題が一つ。
「緊急避難としてやむを得ないが、俺たちの存在はISLE側に知られてしまっただろうな」
「そうです。これからの身の振り方が難しい」
「……とにかく、こいつで出る」
キャビンから這い出し、荷台の上へ移動する。環は指揮車との通信を再び回復した。通信を切ったままではさすがに怪しまれる。
〈キャリア2号車、どうした? リフトアップシーケンスが遅れているぞ〉
「申し訳ありません、ダンパーの油圧に異常が。何とか正常になりました」
環がまた、男の声で応答した。
「トロル2、オールグリーン」
白々しくコールしながら、崇はトロルを搬送ベッドから踏み出させ、機体を高速移動モードに変形させた。前方の車列を追い越し、交戦中のガードの横へ出る。
〈待ちくたびれたぜ、早くやつらを――〉
隊員の誰かが叫んだ声を、外部音声のマイクが拾った。だが次の瞬間その隊員は、金緑色の表皮をもつ『難破者』が振るった、ムチ状の触角に喉元を貫かれていた。
「くそッ!」
こちらへ延びてくる触角を20㎜機関砲の三連射で払い落とす。金緑色のカミキリムシを思わせるその変容体は、肩口を吹き飛ばされて5mほどの距離を転げまわった。その動きはまだおぞましいほどに人間のままだ。
「俺は嫌なんだぞ! 化け物のままお前らを殺すのも! お前らに人間を殺させるのも!」
だから、道を開けろ。俺は真を、皆川千尋を、迎えに行きたいだけなんだ――崇の胸中に声にならない悲鳴が満ち、渦巻いた。
機体に飛びつき複合カメラをもぎ取ろうとした、サンショウウオに似た姿の個体をマニピュレーターで突き放す。腕と胴の間に張られたムササビめいた飛膜が破れ、血が噴き出した。
「畜生! どいつもこいつも、いとも簡単に手放しやがって!」
サン=クロンでメイリンを呼び戻そうとした時のことを思い出す。人語を操る知性を残しながら、彼女は戻ろうとはしなかった。リラダン長屋での再戦の時も、ほとんど人間といっていい姿だったにもかかわらず、彼女との間には深い断絶があった。
「俺だってアンカーがなけりゃどうなってるかわからん……だが千尋のそばにいたあいつは、少なくとも彼女を守ろうとしたぞ!」
変容体になっても、理性を保つ人間とそうでない人間の差はある。それが各人の意志で選べることではないだろうとも分かる。
それでも、理性を、人間性を放棄した変容体の姿に、崇は悲しみと怒りを覚えるのだ。
(真もなのか……いや、真はどっちなんだ)
再会がかなった時、倉川真には自分が分かるだろうか。言葉を交わすことができるだろうか? その言葉の向こう側には、自分と同じ人間の心が残っているのだろうか?
ガクン。
トロルの脚部クロウラーが何かに引っかかったように動きを止めた。カメラの死角をカバーする補助CCDをチェックすると、先程の二体がトロル2の脚部を抱え込んで足止めしている。
「拙い――」
前方から別の一体が近づいてきている。バッファローに近い四足の体に、頭部に生えた角から紫色の電光を迸らせる異形。重量級のその体躯は、大型の4輪駆動車ほどもあった。
(莫迦な――ここまでだってのか)
死を覚悟したその瞬間、ターボファンエンジンの金属音が頭上を通り抜けた。トロルの機体が風圧で軋みを上げる。足元にいた二体と正面の大型、計三体の変容体が体の一部を破裂させて崩れ落ちた。
ドキュム! ドキュム!
20㎜短機関砲より幾分甲高い発砲音が追いかけてくる。
駆け回る車両群が投げかけるハロゲン灯の明かりを装甲の曲面に鈍く反射させ、灰色の機体が空中をわずかに前進しつつ着地した。
後の話との矛盾点を見つけたので加筆。




