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時計仕掛けの檸檬

 明けて月曜日、午前10時。サン=ロレ島北側の埠頭に接岸した、一隻の貨物船があった。ベルギー船籍のその船は、イタリアから空路をブリュッヘの国際空港へと運ばれた『Rubicom』のロゴが印された巨大なコンテナを三個、積み込んでいた。


 ガードへの補充人員は未明に到着済みだ。ラピスはコンテナの搬入に立ち会っていた。午後に厳玉鈴(ユアン・ユーリン)が到着するまでは、部隊の責任者は依然、彼女なのだ。

 格納庫内で梱包を解かれた物体を見て、隊員たちがどよめいた。

 破壊されたトロル1の補充として受領した、指揮官用改修型のトロルE1が一機。そして、これまでに見たことのない、ロービジ塗装を施された機体が、二機。


「こいつが新型か……まさか、飛行できるのか?」

「可能ですが、ごく短時間。単に飛ぶだけならそれこそ戦闘機や攻撃機、ヘリで事足ります。こいつはいうなれば鬼子(おにご)だ」


 貨物と同時輸送で派遣されてきた新顔の整備員が、言葉とは裏腹に誇らしげな様子で、その灰色の機体を見上げた。

 胸部前面装甲からつながる、のっぺりしたラインでまとめられた『頭部』を持つそれは、明らかに空力的特性を考慮してデザインされている。腰の両脇には戦闘機のそれを思わせるエア・インテークが左右に開口し、背部には折りたたまれた巨大な後退翼と、ターボファンエンジンの可変ノズルがあった。

「技術的なブレイクスルーを目指した、試作機なんですよ。一応、通常部隊の防空、要撃において運用可能ですが……汎用性は低い」

「見ればわかる。こいつを作ったやつは頭がおかしい……だが戦場がここなら使いようがある。十二分にな」


 新型の外骨格歩行作業車(エクソウォーカー)『オグル』は特異な機体だ。基本的な構成はトロルと同様だが、高速移動モードの代わりに、ターボファンエンジンと再燃焼装置(オーギュメンター)によって上空へジャンプ、短時間の空中機動が可能だ。


「背部ジェットは普段はほぼデッドウェイト、燃料電池は小型のものしか搭載できません。稼働時間は従来の『トロル』の三分の一といったところでしょう」

 整備員は冷ややかに、頭上の巨体を寸評する。だがこれはまさにサン=クロンでの戦訓を踏まえてラピスが欲したものだ。

「気に入った。私が使いたいくらいだが、ここは正式に搭乗員を選抜しよう。マニュアルとシミュレーターを準備してくれ」

 整備員の肩に手を置き、信頼をアピールして見せる。

「しかし、歩行作業車(ウォーカー)とはもう呼べんな、これは。『外骨格空中要撃戦闘車エクソインターセプター』とでも呼ぶべきか」

「長いですよ。『オグル』で十分です」

 整備員は誇らしげだった。



 格納庫からオフィスに戻る。ノーマンとアンゼルムスが席へやってきた。どうやら昨晩頼んだクラッキングの報告らしい。無言で促して防音の効く部屋へ移動する。

「ネットワーク内も通信士の領分だったか」

 そういいながら、ラピスは自分たちの存在そのものに矛盾を感じていた。警備が仕事というのならば、電子データのセキュリティに携われないのは不自然ではないか。


「ガキの頃からの趣味で。昨日の今日ではまだ大した成果は上がってません。ただ……」

「ん。何があった?」

 アンゼルムスの表情には困惑の色が浮かんでいた。

「ここのサーバ内はハニーポットや侵入検知システムでいっぱいです。それは当然ですが、いくつか不自然なものがありました。作成日付が偽装されたデータや、そこにいるだけで何もしない去勢されたワーム、そんなものが」

 アンゼルムスがとうとうと語るネットワーク内の不審な痕跡に、ラピスは眉をひそめた。アンゼルムスが列挙するそれらの『がらくた』には、廃墟にもぐりこんだ子供がそこを宮殿や基地に見立てて遊ぶような、不思議な感じがあった。ふと、書店の平台の上にレモンを置いて帰る有名な短編小説を連想する。


「……本気のクラッキングなら、痕跡は消す」

「ええ、あれは遊びです。遊んでいる自分自身を見て楽しんでる。そんな感じでした」

 薄気味悪そうにアンゼルムスが頷く。

「我々以外にもここのサーバーに侵入を試みるものがいるのは確かなわけか」

 一か月前のSTORM発生直前、島に低空進入した何者かの存在が頭に浮かぶ。

(考えてみれば、そいつが未だに工作員然とした風体で、どこかに潜伏しているわけはないんだ……まだいるとすれば、ごく自然に溶け込んでいるに決まっている。どこだ?)

「ご苦労、アンゼルムス。引き続き調査を続けてくれ。その『いたずらっ子』の侵入経路も何とか探り出せ」

「了解です」



 時刻は正午を回っていた。オフィスに現れた厳玉鈴(ユアン・ユーリン)は一見して20代前半。刺繍のごく少ない膝丈長袖の黒いチャイナドレスに身を包み、水仙を思わせる物柔らかな女性だ。


「私がここにいるのには理由があります」

 彼女は口を開くや、核心から話を始めた。

「先のテロ行為への非難声明はAIFの居直りを招き寄せました。諜報員の報告によれば、彼らはISLEを逆に非難する声明文を準備、秘密裏に上陸部隊を編制してサン=ロレ島への出動を画策中です。それに備え、水際でその意図をくじく――これまでの任務と性質は変わりませんが、規模と緊張度は大きく跳ねあがるでしょう」

 重苦しい沈黙がフロア全体を覆った。

「そして、必要になれば迅速にわが社の提供した器材、人員と出資に見合う研究成果を回収して、この島を離脱します」

「そこまで――」

 そこまで、事態は窮迫しているのか? 隊員たちは顔を見合わせた。


 玉鈴は左耳に飾った巨大なイヤーカフに手を触れた。真珠母を大胆なカットであしらったそれは、彼女を龍神の眷属か何かのように見せる。

「AIFの動向を掴んでいるのはまだ我々だけでしょう。各自緊密な連絡を絶やさず、指示あるまで怠りなく通常業務に努めてください。訓示は以上」


 そういいながら、彼女は滑らかな歩調でラピスの眼の前まで移動した。身長は160cm足らず。ラピスより頭半分は確実に低い。

「これまでご苦労様でした、瑠璃沢主任。異常過ぎる状況下であなたはよくやったわ。人員の喪失も、機材の損耗も、やむを得ないこと。不問に処しましょう」

「う……ぐ……」

 ラピスは何か言おうとしたが、声が出せなかった。鼻の奥がつんとして涙腺がおかしくなってくる。これはねぎらいに対する安堵などではない。絶対に違う。


 恐怖だ。自分はこの白水仙のような、黒髪の童女めいた上司が恐ろしいのだ。

 玉鈴の腕が軽く伸ばされ、ラピスの腹部にわずかに触れた。子宮の位置。

「これからは無理をせずに私に従ってください。勝手な真似は、許しませんよ」

 言葉と同時に見上げた玉鈴の眼差しには、極北の氷が浮かんでいた。



         * * * * * * *



 検査は何事もなく終わった。基礎麻酔による半覚醒状態のもとで視聴覚を中心に様々な刺激を加えたときの脳波の変化を記録し、血液を採取し、脳の断層撮影が行われた。

 ライトグリーンの薄い検査衣から制服に着替え、千尋はほうっと息をついた。無機質な検査機器に囲まれてストッキングもなしの無防備な姿でいるのは、どうにも不安で薄気味が悪い。


「分からん……」

 液晶ディスプレイをにらみながら、ミルトンが不服そうにそういった。

「これまでのSTORM被災者と君の間にある違いが分からない。何一つ手がかりがない。科学者の端くれとしてこんなことを言いたくないが、現在の科学ではお手上げだ。今のところはね」

「そうですか……」

 平川慧一を救うために、自分は役に立てないのだ。そんな思惟を絡まった糸の中から摘み上げる。だが、それはどこか実感を伴わず空々しいものに感じられる。自分はあの、よく言えば社交性に富んだ、悪しざまに言えば図々しい少年を忘れつつあるのだろうか。

 背筋に這い上がるおぞましい罪悪感。千尋はぶるっと震え、首をぶんぶんと左右に振った。


「お願いがあるんですが」

「何かね」

「これまでの被災者の記録、閲覧できますか?」

「……なぜかな? 患者のカルテを医者が軽々しく第三者に開示できないことは知っていると思うが」


 千尋はその瞬間、自分が恐ろしく危険な橋を渡りかけていたことに気が付いた。自分の体験の中にあった『孤独感』が特異なものである可能性を、どうやって知ったと伝えればいいのか? 辻村の体験との差異には言及できないのだ。必死で頭をフル回転させる。

「あ、あの……STORMに遭遇した時、イメージが見えたんです。底のない谷の上を飛んでいるような、宇宙空間を浮遊しているような」

「ふむ……?」

「私のようなケースはこれまでにないっていうお話でしたよね? それなら、私の体験した主観的なイメージも、特異なものじゃないのかなって」

 よし。何とかそれらしい論理立てができた。だがこの怜悧この上ない医師を、果たしてこれで納得させられるのかどうか。

「恐怖感と不快感、不安感……それに、経験したことがないほどの孤独感がありました」


「孤独感……?」

 ミルトンの眉がいぶかしげに持ち上げられ、目に異様な光が宿って感じられた。


「STORMに被災して生き残った人間は少ない。君のように励起(アタック)タイムからフルに曝されて、聞き取り(ヒアリング)が可能な状態にとどまったものはさらに少ないが……」

 ミルトンがためらいの表情を見せる。そして次に口を開いて発した言葉は、意外なものだった。


「ケイイチ・ヒラカワに会ってみるかね?」



        * * * * * * *



 心身の不調を感じて、ラピスは午後4時過ぎに自室へ引き上げた。

 急性ストレス障害(A S D)がまだ残っているのだ、と医療センターの当番医が診断してくれたのをよいことに、厳玉鈴から逃げ出してきたようなものだ。

(くそ……ルビコン社の利益を口実にすれば、まだフリーハンドを与えたままにして貰えるかもしれないが……)

 あの女はダメだ。絶望的な思いで、自室のドアを閉めるとそのまま背中をもたれて息を吐いた。


(あの女は見かけ通りじゃない。逆らっても従っても、電動歯ブラシの穂先のように使いつぶされる)

 ずるずると玄関の床に崩れ、スラックスの尻を冷たいリノリウムの上に落とす。ふと妙なものに気が付いて、ラピスの目はそれに吸い寄せられた。


 ドアの郵便受けの内側に深々と差し込まれた、大きな封筒。ドアの外からは見えなかった。本来ならば個人あての郵便物は宿舎入り口の集合ポストに入る。ということは誰かがわざわざ、廊下を通ってここまで持ってきて郵便受けに差し入れたのだ。

(何だろう?)


 床に座ったまま、封筒を開ける。写真印刷用の光沢紙にレーザープリントされた写真が3葉入っている。引き出してみると、それは鉱物質の外観を持つ物体の写真だった。アングルやトリミングは違うが、どうやらすべて同一のものだ。

 乾燥した土のこびりついた、黒っぽい表面。所々に金属質の輝きを帯びたそれは、全体的には、胎児のように身を丸めた、人間に近い形をしているように見えた。

「これは……」

 ラピスは息をのんだ。もともとの撮影された年代はかなり古いらしく、画面の隅には古めかしい字体で印字された数字カードが3個並べられている。


 その数字は左から『5』『8』『3』。


(583? これは何の意味だ?)


 何か手がかりがないかと、封筒の中と裏表をためつすがめつ吟味しているうちに、裏面の片隅に油性のフェルトペンで細く書かれた文字が目に入った。

Principal(プリンシパル)」とある。

学長(プリンシパル)? いや、莫迦な……原型のラテン語なら『第一人者』法律用語なら『本人』だが……これは一体)

 その単語と写真の奇妙な取り合わせに、ラピスは混乱を覚えたが、やがて確信が芽生えた。


 STORMの原因は、こいつだ。

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