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窓の外

「あの、もっとゆっくり食べてくれませんか」

 餓えた野良猫のような不穏な形相でピザを頬張り、ハンバーグをレトルトパックから直接押し出してかぶりつく『辻村高志』に、千尋は恨めしげな視線を向けた。いくらなんでも無造作すぎる。

 生命の危険があるほど腹が減っていたのはわかる。詳しいことはさっぱり分からないが、あの赤い超人が彼なのだとすれば、目撃したような能力の数々を発揮するには膨大なエネルギーを必要とするに違いない。

 問題は、それを千尋の財布から賄うのではたまったものではない、ということだ。今回は仕方ないとしても、せめてもっとゆっくり味わって欲しいではないか。

 だが千尋の願い、あるいは呪詛をこめた凝視も虚しく、彼はハンバーグ三個を瞬く間に平らげ、45cm径のピザを二枚、4つ折りにして押しこむように片付け、コーラ1リットルを一気に飲み干した。どのような魔法を駆使したものか、げっぷの音一つたてず、ただ「フッ」と短く息をついただけ。


「もうダメ。私、見てたら気持ち悪くなってきた」

 ビアンカが部屋の反対側の隅へ移動し、胎児のような姿勢で横になって外界の情報を遮断した。



 千尋が14号室に戻ったとき、崇はちょうどビアンカによって砂糖たっぷりの紅茶をじょうごで口に流し込まれ、その効果で意識を回復したところだった。

 ピザとハンバーグの後、彼はさらにソーセージ二缶とチョコレートクッキー入りのアイスクリーム1パイント(473ml)を腹に収めて、ようやく満足そうな吐息をついたのだ。

「チヒロ、泣イテルカ? ドウカシタカ?」

「大丈夫、大丈夫だからッ!」

 気にしないで、という千尋の目もとは、やはり赤い。


「ソウカ? ア、11ジダカラワタシ、ラジオキクネ」

 ラエマがいそいそと端末をネットにつないでネットラジオのアプリを立ち上げた。


(やあやあ、一週間のご無沙汰と相成った。6月もあとわずか、教会やホテルで働いておる者はさぞ忙しい事であろうな! 思い起こせばさかのぼること10年、そう、拙者の時間で10年前に、かつての妻と結ばれたのがちょうどこの季節でな。こら、なぜ笑うイングリット――)


 千尋は耳をそばだてた。ごつごつした感じのするその外国語は、どうやらスカンジナビア系の言葉のようだったが、副音声で小さく日本語が重なっていたのだ。

「これ、どこのラジオ?」

「あいすらんどノRiki-774ッテ放送局ヨー、コノ番組今年デ8年目、大人気ネ。私コノぱーそなりてぃノオカゲデ、ニホンスキニナタ。こんご国境紛争デノ難民ニ、ラジオで支援呼ビカケシテクレタヨ」

「へぇ……この人、日本人なんだ」


 ラジオの音声に、『辻村高志』が反応を示した。

「ん、そういえば個人用端末があるんだったな……済まない、ちょっと貸してくれないか。寄宿先に連絡を取りたいんだ」

「寄宿先?」

 いぶかしむ千尋に、彼は答えた。

「俺は普通とずれた時期に編入したんで、宿舎が空いてなくてね。この島のもともとの所有者だった人の家に間借りしてるのさ」

「そうなんですか」

 ならばその寄宿先の人とやらに、この男の食べたものの代金は請求できるかもしれない。


「ラエマ。すぐに端末貸してあげて。ゲスト用アカウント作ってあげればいいわ」

「エエー、ラジオ……チヒロノジャダメナノ?」

 そういえばどっちでもよかった。無意識に辻村を拒絶する心理が働いていたらしいと気づき、千尋は少し反省した。この男は命の恩人のはずではないか。


 ラエマの端末はラジオを付けたままになった。辻村の話す声をカモフラージュし、ラジオパーソナリティのものだと言いぬけるためだ。ビアンカもようやく部屋の隅から戻ってきた。

 寄宿先だという屋敷の住人には、すぐに回線がつながった。日本とは形式の違う長ったらしいアドレスをよどみなく打ち込む辻村に、千尋は密かに舌を巻く。

 彼の話しぶりとイヤホンから漏れる声からすると、向こうはどうやら若い女性らしい。

「ああ、環。連絡をとれなくて済まない。今? ……学生寮にいる。いや、リラダン長屋(テネメント)……ああ、そうだよ! 女子寮だよ。違う! そうじゃないんだ――勘弁してくれ、こんな状況でたちの悪い冗談は……あ? そう、そうだよ。着替え全部だ。うん、パンツも……仕方ないだろ! 破れたんだから! え」

 茫然と見守る千尋たちを見まわし、彼はマイクとイヤホンをいったん遠ざけて確認した。

「えっと、ここは何号室だ?」

「14号」

 千尋の返事にうなずき、再び機器を装着して通話に戻る。

「14号だ! 頼んだ! あ、でも普通に歩いてくれよ」


 会話がとぎれて五秒ほど虚空をにらんだ後、彼はようやく回線を切った。

「ふーっ」

 疲れた、といった面持ちで深々と息を吐く。


「……びっくりしました。仲がいいんですね」

 回線の向こうにいる相手に、まんざらでもない風に振り回されていた辻村の様子を見て、千尋はなぜか微妙に腹立たしさを覚えていた。


「奥サンミタイネー」

「こりゃチヒロには勝ち目ないんじゃない?」

 ラエマとビアンカがてんでに勝手な感想を述べる。

「何でそんな話になってるのよ!」


 わいわいと騒いでしまった彼女たちに、隣の部屋から壁を叩いての警告が入った。はっと状況に気づいて固まる。ほかの学生に踏み込まれるようなことになってはちょっと困るのだ。


「済みません!」

 千尋が叫んだ。しばらく、そのまま部屋が静かになる。女の子向けの内装を施された部屋に、裸の上半身をさらした男と、女子学生が三人。じわじわと気まずさが高まっていく。

 十分ほど経ったころだろうか。道路のある側に面した足元までのガラス窓の外に、気配がした。がさがさと植え込みをかき分ける音。

「あ、来たんじゃないですか」

 千尋はほっとしてそう辻村に告げた。これで彼も帰れるし、自分たちもおかしなリスクを負わずに済む。話したいこと、聞きたいことはあるが、日を改めて落ち着ける状況で――だが、辻村高志の表情はすっと険しく暗いものになった。


「みんな、部屋から出ろ。そっとだ」

「え?」

「おかしい。早すぎるんだ……津田沼邸は島の反対側にある。環が全力疾走すればともかく……」

 言葉の端が重く濁る。環の身体能力はいささか信じがたいものだが、普段はセーブしているはずだ。先ほどの電話でもそう念を押した。


 窓外の闇の中から、人の腕が差し出された。華奢だが筋肉のしっかりついた、張りのある曲線。新生児のようなピンク色――それが窓ガラスにべたりと手のひらを押し当てる。じゅわ、と音を錯覚させるほどにはっきり、その周りに粘液質の何かがふきだして広がった。 蛍光灯の光を受けたそれは、うっすらと血の色を帯びていた。

「なに、これ!」

 ビアンカが叫ぶ。


 窓の外のそれは、すでにガラスの向こうに全身をさらしていた。その姿を認めて、崇は深い絶望を味わっていた。ピンクの皮膚のところどころには無残に引き攣れ焼け焦げた痕がある。そして見覚えのある顔――メイリンだ。


 信じがたいことに、彼女は人間の形態をとっていた。その口がぱっくりと開く。

「私ノ部屋ナノニ――ナゼ……アナタハ、マタ!」

 暗く濁った眼差しが崇と千尋たち三人に向けられた。腕がずるりと二倍ほどの長さに伸び、前腕小指側に尖った櫛の歯のようなものがびっしりと生じていく。紫色の電光が腕の上に迸った。

 

 千尋が長く尾を曳く悲鳴を上げた。何事かと周囲の部屋の学生たちが廊下へ出る音――

「くそッ!」

 崇は傍らのアンカーを手探りで掴むとベッドから飛び出し、ふらつく足を無理やりに動かして窓際へと走った。引き戸ではなく回転式のパネル窓。それを吹き飛ばすように外へ押し開き、メイリンにとびかかって諸共に植え込みの向こう側へと身を投げ出す。

 彼女の体表は滲み出す粘液でべっとりと覆われていた。それが崇の皮膚を汚し、彼に例えようもない嫌悪感を抱かせる。


 メイリンに覆いかぶさった崇の腹部に、メイリンの深く折り曲げた足が押し付けられる。意図を理解した崇は腕を地面に突いて斜め後方へと跳んだ。だがタイミングはやや遅く、鳩尾に重い蹴りが食い込んだ。太極拳の蹬脚(とうきゃく)に近い技法だ。

「グボッ」

 勁力が浸透する。胃から未消化物を含んだ液体が逆流し、喉が灼けた。


「辻村さん!?」

 室内から千尋の声が追いかけてくる。植え込みに踏み込む音。三人分――

「来るな、危険だ!」

 必死に呼吸を整え声を振り絞る。メイリンには指向性を伴った疑似STORMを投射する、恐るべき能力がある。彼女たちにそれを防ぐ術はない。


「フェイスアンカー、投錨(レッゴー)!」

 静電スパイラルモーターのかすかな唸りとともにビスが回転し、崇の顔面に銀の鬼面が固定された。STORMが発生していない今、アンカーは彼の脳を守る限定的な機能しか持たない。だがアンカーがそこにある以上、矢面に立ってメイリンから少女たちを守るのは自分の役目だ。 

 無論、崇にとってもこの状況は死地といってよかった。自分は脳の防御以外は完全に生身、しかしメイリンの側は変容によって強化された身体能力をそのままに、幼少時から身につけた武術の技を駆使してくるのだ。特殊部隊の訓練を三年受けたとはいえ所詮は付け焼刃。勝算は、ない。


 彼女の体表の火傷のような跡。おそらくは電気ショックで気を失う寸前、中途半端に発動した彼の能力『念動発火ナトリウム(ナトロン・ファイアー)』がメイリンの肉に達したのだ。

 推測を許されるならば、彼女は損傷した部分を切り捨て、残った質量で肉体を再構成した。それがたまたま人間の形をとったのだろう。外形だけの回帰――その頭蓋の中には、人間から遠ざかりゆく魂が収まっている。


 滑るように間合いを詰め、胸骨を狙って繰り出される危険な掌打の連撃。まともに受ければ心臓が破裂しかねない技を、腕をからめて逸らす。反撃の肘打ちを試みる崇の視界からメイリンが消え、足元に殺気が膨れ上がった。膝を打ち当てるような距離での鋭い前掃腿。

 跳び上がって躱し、メイリンの胸を蹴って反動で後ろへ逃れる。粘液で足がずれ、距離が十分に稼げない。


 頭のどこかで今この瞬間にSTORMが発生しないものかと願う。自分の力だけでは足りない――その発想のおぞましさに眩んだ視界の奥から、ピンク色の腕が触手めいて伸び、喉元を狙う。はじき返した腕の皮膚がわずかに切れ、メイリンは自分の後方に中心をおいた裏返しの円の動きで崇の死角へと消えた。直後、背中に強打。呼吸が一瞬止まる。

(ダメだ、殺される)

 倒れながら必死で地面を転がり、踏みつけによる追撃を逃れた。足底が食い込んだ石畳に、蜘蛛の巣のような亀裂が広がる。


 その震脚による急停止から再びダッシュに移ったメイリンと、喘ぎながら地面に横たわる崇の間に、不意に立ちふさがったものがあった。崇からは角度の関係で膝あたりまでしか見えなかったが、それは緊迫した闘争の場に不似合いな、平板なまでに落ち着いた声を発した。

「おやおや、とんでもない処へ居合わせてしまったものです。タカシ、女性との裸での交流は、せめて屋内にしませんか。どうやら着替えはまだ不要ですね」

 ウレタンソールのスニーカーと、そこから伸びたすらりとした脚を覆う黒いスキンスーツ。

「た、環か。この状況を見てよくも――」

「ええ、すみません。冗談です。冗談として通じているかどうか確認できれば嬉しいのですが……とりあえずこの痴女は排除した方がよさそうですね」


 いつの間にか島の上空には風が出てきていた。そのひと吹きが環の前髪を側面から後方へとなびかせ、広めの明るい額が露わになる。


 メイリンがかすれた声で呟いた。

「ミ……ヤコ……?」

「残念ですが、姉さんではありません。妹の、たまきです」

 環がやや速足でメイリンに近づく。その姿に、メイリンは根源的な危機感を覚えたらしかった。

「来ルナ!」

 叫びとともにメイリンの体から紫の電光が迸り、環を包むように膨れ上がった。

アクションは難しいなあ……


劇中ちょっとしたお遊び。そう、この物語は作者の別作品と時間軸が連結しています。賛否あると思いますが私は謝らない。

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