表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
酔狂領主様の怪奇譚  作者: 七色春日
第三章 水色にして燃える憤怒
20/31

-5-

 来る懇親会の日。


 ヨークトンの商業地区を通る国道の一角に<ホテル・インシグニズブルー>という名の宮廷風ホテルがそびえている。化粧漆喰(けしょうしっくい)の壁面は赤と黄のレンガ風に飾られ、丸型の鐘楼(しょうろう)を頂上としてブロック一帯を占拠し、横幅は大いに伸びてオフィス街の人間が呆れるほど前庭が広がっていた。


 一階の廊下の控え室でミスリルは美容師の為すがまま、鏡台に座らされて丁寧に化粧を施され、きらびやかな衣装を更にまばゆい装身具で固められていく。着せ替え人形になったような気分だったが、注文をつけられる立場でもない。


 ――これで三回目か。


 それはパーティーでアクネロの露払いをした回数だ。


 こういう日だけ、一介の雇われメイドから貴族の細君に変身する。


 実を伴わない虚飾の立場であったがミスリルの心は自然と浮き足立つものがあって、派手な衣装を着た上流階級のパーティーに出席するのは夢見心地ではある。


 新婚の夫人のように扱われる――傍で腕を組み、離れずに愛想笑いをするだけの単純な仕事ではあるが気分はどうしても高揚する。


「素敵なドレスです」


 鏡を前にして立つと、ため息は止まらなかった。


 純度の高い黒絹のドレスは金糸とレースがふんだんに散りばめられ、丁寧に装飾の施されたオーバースカートは楕円状に広がって床ぎりぎりのところで裾は止まっている。


 袖口にもスカート同じく段になって重ねられふわりとし、網目となって透けたフリルが花を模して開いている。


 首にかかるネックレスや細腕を包む腕輪も呆れるほど大きな宝石が散りばめられ、自分と同じ世界に存在していた物とは思えなかった。


「羨ましい限りですわ」


 側に控えて着替えを手伝ってくれた召使が表情を崩さずにいった。遅まきながらミスリルに相槌を打ったようだった。


 ミスリルは(ひるがえ)ってぎこちなく笑った。


 彼女と自分はなんら立場は変わらない。借り物にしても価格は途方もない気がする。こんなものを着せられたら幸せな勘違いをしてしまう。数時間だけのことが永遠に続けばいいとさえ思ってしまう。


 不意にドアがノックされ。


 アクネロが声をかけ、入室してきた。


 彼はシックな燕尾服であったが革靴には光沢があり、袖口のカフスボタンが白金で飾り付けられていた。


「やはり、お前は髪が白いゆえ黒いドレスが似合う。しかし、借り物だから汚すなよ」


「わかってます……気をつけながら色々食べていいですか?」


 賛辞の照れ臭さを誤魔化すために拳を握って見せた。


 壁際を背にしている召使がぎょっとした。彼女は平服で訪れたとはいえミスリルを高貴な人物だと思っていたので振る舞いに驚いたのだ。


「たらふく食ってもいいが、皆に酒が入ってからにしろ」


「まあ、アクネロ様の奥様になるわけですから大人しくしてますよ」


「あくまで遠縁の親戚と名乗るように。結婚しているとなれば祝い物が届く危険がある。そうしてあり得んとは思うが、陛下の耳にでも届けば名実とならざるを得ないことなる。俺はそんな理由で王都に凱旋(がいせん)したくなどない。あの人は本当に世話好きだからな……」


 アクネロはやや恐怖を交えていった。


 なるほど、結婚したければ結婚したといい出すだけでいいのか――ミスリルは内心でメモを取った。


 実行する勇気はないが、知っておくだけでためになるような気がしたからだ。


「しかし、今日はどういった方々がいらっしゃるのですか?」


「気にする必要はない。お前はいつも通り俺にくっついていればいい」


「まあ、このようにですか?」


 ミスリルがすすっと近づき、背中に片手を回し、肩付近に頭部を押し付けた。頬を擦りつけたかったが頬紅をつけているため避けた。


 内部にゴムでも詰め込んだかと思う硬い筋肉を通して体温を感じた。心臓が跳ねて高鳴った。顔のにやけは見えないように隠した。


 アクネロは短く嘆息をついた。


「毎回思うのだが、サルが木にくっついているようだな……」


「私も成長しておりますから色っぽくなってますよ。最初の頃より背も伸び、身体もメリハリができております」


 口を尖らせ、腕を組んだ。


 空いた手でアクネロは召使に向けて銀貨を放り投げた。彼女は見事に片手でキャッチして目を白黒とさせる。


 唇に指を当て、黙っておけと告げると彼女はこくこくと頷いた。


「外見がどれだけ磨かれ、身体が成長しようとも意味などない。人の美しさとは内面世界にあるものだ」


「では、私はどうすれば美しい内面世界になりますか」


「普段やっている雑巾がけをもっと真面目にやれば俺は美しい女だと思うぞ」


 ミスリルは声を詰まらせた。


 扉を開けて廊下を並んで歩き、パーティー会場の大広間を前にしてアクネロに向けて赤い舌を出した。






 ☆ ★ ☆






 花畑があれど羽ばたく蝶の姿はなく――この日、アクネロは予想に反してモテなかった。


 馴染みの貴族や豪商、各種組合長や上級官吏などがちらほらと挨拶に来て、変わらぬ恭順を示して去っていく程度だったので早々にミスリルを自由にした。


 背後関係を洗い出せばヨークトン市長セレスティアの外交力が発揮されていたのだが、アクネロはそんなことを知るよしもなく、いかに権威があろうと古代という名の冠のついたボロ船を引っ張り出す作業に歳若い乙女が興味を惹くはずがなかったと思い直していた。


 そうして自分の浅はかさと吸引力の低下をしみじみと感じて苦笑し、独身の寂しさをそこはかとなく思った。そろそろ結婚しようか、などと一時間前はそれほど気乗りもしなかった考えも浮かぶ。


 ちょうど良く――視界に見知った顔の二人組がいたので、よい話し相手にでもと思い歩み寄る。


 濃紺のチョッキを着た恰幅の良い中年男と若いパンツスーツ姿の女だった。


「やあルーシー。そしてザイン。昼間から不倫とは精が出るな。その大胆さを是非あやかりたいものだ」


 アクネロに声をかけられると、中年男は内緒の話をするように唇に指を当てた。


「これはブラドヒート様。妻には内緒にして頂きたい。あれは私が目玉を横に移動させただけで後頭部を叩き、外に押し出そうとする」


「不倫ではありません」


 セレスティアの秘書官、ルーシーは生真面目に返答した。


 委細承知、といわんばかりにアクネロは嬉しそうに頷いた。


「なるほど、真剣なのか。この中年の男は闊達(かったつ)な五十代だが、なんと大きな博物館の館長をしている。このヨークトンで一番夜逃げが疑われている人物だから気をつけるがよい」


「借金はしておりますが、幸いにして私は銀行家と出納係りを泣かすのは得意中の得意。ルーシー、今後の交際には支障はないぞ」


「付き合ってなどいません」


 ルーシーは己をダシにした冗談の応酬にぴくりとも表情を変えなかった。


 性質の悪い酔っ払いを生真面目に相手にするのを彼女は慣れていたし、なるべく平常心を持つべしとの実直な心構えがあるせいだった。


「それで、ザイン。ルーシーは俺が狙っていたのだが、そこのところはどうなのだ?」


「いえ、彼女は私の元部下であり元学芸員でございまして。今では立派な公僕となったところなので久方ぶりに声をかけたのですよ」


「そうなのか? 是非俺も研究対象にしてもらいたかったな」


「ブラドヒート候は誰でも口説くのはお止めになった方がよろしいかと」


「馬鹿な。俺はいつも女性に対しては『こんなこというのは君だけだ』と伝えている誠実な男だぞ」


「確かに誠実だ」


 調子を合わせ、カンカンッとグラスを当て合って二人は陽気な笑みを浮かべた。


 ルーシーはもう帰りたそうな顔をした。平常心を保つのも限界がきて、舌先では勝てそうにないと悟った。


 そして場から離れようと口を開こうと瞬間、ザインが表情を急激に引き締めた。


 空気の変化を敏感に察知し、ルーシーは留まった。開いた足が閉じる。


「ブラドヒート様、少しお話しが」


「我が家の美術品をまた無料で貸与して欲しいのか? そんなに宝物庫を空にしたいのか?」


 からかいながらもアクネロもまた目は笑っていなかった。


「ご存知のとおり私は三十年近くヨークトンにおける古美術商の末席に名を連ねております。その甲斐あってあらゆる商組合の顔ぶれを記憶しております。また前途ある若者が考古学会に論文を提出した際、掲載される版画付きの学会誌の通読を欠かしておりませんし、億劫に思える上流階級との付き合いも慣れたもの。自慢話や土産話に聞き耳を立てて呑みこみ、隠れたる有能な研究者や冒険家の名前はこの場の誰よりも熟知しているといっても不遜とは思いません」


「お相手してくれて感謝しているぞ」


「このパーティーの主催者たるアルプ・スターライトなどという者はどの門下にも名を連ねておりません。無頼の徒が集まる冒険者組合や盗賊組合にもです。調べましたところ暇を持て余した有閑のマダムが集まるサロンやチャリティー展などに出没し、その線の細い貧弱な身体を馬車にぶつけて心臓発作を起こし、売れない芸術家や詩人と名乗って同情と哀れみを頂戴しては日々の生計を立てていたそうでございます。もしも彼の言い分が正しいのならば、全ては偶然であって実に七度ほど心臓発作を起こして生還した 奇跡の男(ミラクルボーイ)でございますな」


「俺はそういう英雄譚は好きだがな」


「私もそれだけなら膝をしきりに叩いて笑いましょうが、『ドレッド』を見つけた奇跡の男としてはやや不適格に思えてなりません。何よりも我ら学術の徒とは別種の考えを持っているようでございます」


 アクネロは片眉を吊り上げた。


「良き友にはなれんか」


「どうぞ中年男の見苦しい嫉妬とお笑いください。しかしブラドヒート様が片足を持ち上げるとお聞きしたのでこんなお耳汚しを」


「……胸に留めておくとしよう」


「いずれまた競りのときにでもお会い致しましょう」


 ザインは丁寧に会釈をしてテーブルから離れていった。


 笑みをなくしたアクネロは空になったワイングラスを通りがかった給仕に渡した。なみなみと赤い液体が入った新しいグラスを手に取って縁に口づけした。


 冷え切った光を帯びた蒼瞳がゆっくりと、がやがやとした人々の喧騒を見渡す。


 ルーシーにはその顔が静かな怒りに染まっているように見えて身を硬くしていた。しかしアクネロの整った顔に魅了されたせいか、頬を赤くして顔を逸らした。こうしていると黙って寄り添っているように見えなくもない。


 喉の渇きを覚えたのか、頬の赤みを誤魔化すためか彼女は赤いワインをこくりと飲んだ。





 ★ ☆ ★






「むぅー」


 ミスリルは壁沿いに設置された横長テーブルの前に立ち、数え切れないほどの銀皿に並べられた料理を吟味した。


 食い意地は張っているが胃袋は小さく、食べられる量は少ない。ならばとのしかめっ面だった。


 今年は毛蟹が豊漁らしくそのレパートリーは多彩で焼き物、素揚げ、酒蒸し――海鮮リゾットや甲羅味噌のチーズ和えなどが大量に目に付きやすいところに置かれている。


「いぶっくろ四つで羊の胃~♪」


 鼻歌を歌いながらノルマンダン地方の名物たる香草羊のホワイトソース添えをトングで掴み取り、自分の取り皿に乗せる。


 湾岸近くに自然栽培された塩気のある香草(ハーブ)を食べて育ったこの羊肉は焼いただけでも調理済みかと思うほど滋味豊かで、船乗りや庶民に愛される――だが少々割高な食材だった。


 立食式のパーティーに招待された客はそれぞれ自分のテーブルで食事をするのだが、談笑が中心となって賑やかな様相となっている。


 部屋角の壇上では白服を着た海軍の楽士が人々の交流の邪魔にならない程度の控えめな音楽を提供し、銀盆を肩に抱える給仕や地位ある人物の召使が忙しなく動き回っていた。


 ふと、ミスリルは傍にあった飾り柱に異物感を覚えて振り向くと。


 ハンカチをキィィと噛んでいるセレスティアが一定方向を凝視したまま肩を震わせていた。


 あまりの狂態にびくりっとしてミスリルは取り皿を落としそうになったが、フォークで肉を口元に運ぶのは忘れなかった。塩気がたっぷりで肉質は柔らかく、病みつきになりそうな味わいだ。


「セレスティア様……」


「何よあんなに見つめちゃって……! 減給よ。減給にしてやる。こっそりと。この裏切りは絶対に許さないわルーシー……っ!」


「あの」


 ぎろり、と睨まれてミスリルは反射的に背筋をしゅんと伸ばした。


 セレスティアはミスリルを意識の中に入れると、相好を崩した。口元に微笑を貼り付け、艶やかな黒髪をかきあげる。


 肌に密着する肩紐なしのビスチェドレスはミスリルと同じく漆黒であり、谷間と肩から二の腕の曲線を強調する造りとなっている。


「ミスリルだったかしら……? 素敵な装いね」


「セレスティア様の大胆でお美しい姿には及びません」


 事実、セレスティアのスタイルは抑制が利いており――ミスリルの女としての自意識が大いに刺激された。


 下を見下ろして見比べてしまい、急激にドレスが自分の身の丈に合っていないのではないかと不安がさざ波となって押し寄せてくる。


「アクネロのメイドなんて大変でしょう。良かったら生活が安定する公務員になるつもりはない? 最近、清潔で素敵な女子寮を建てたのよ。手先が荒れちゃう水仕事だってしなくていいし、机に座って簡単な事務を短時間するだけよ?」


 セレスティアは身体をくねらせ、両手を合わせて露骨な笑みを浮かべ勧誘した。


 人事院の職員が聞けば激怒しかねない発言だった。職権濫用はなはだしい。


「いえ……アクネロ様にお仕えできるのはとても幸せなことだと思っています」


「どこが?」


 即座の返答。表面上は朗らかでも、目が全然笑っていなかった。


「セレスティア様もお仕えしていたのならおわかりになるかと……メイド風情に借り物とはいえ、こんな高級なドレスを着せてくださる方です」


 顔を伏せながら裾を指先で摘む。


 さらりとした手触りが長手袋をつけていてもわかる。庶民には試着どころか近寄らせても貰えないだろう。


「それ貸衣装じゃないわよ。生地が使いまわせるようなものじゃないわ」


「えっ」


「何をいったか知らないけど、貴族が仮装パーティーでもない限り、貸衣装を借りることなんてプライドが許さないわ。愛されてるわね……私ももう一度、メイドに戻ろうかしら」


「そんな……」


 自然と頬が綻んでしまった。いけない、と思いながらも制御できない。


 主人の前では騙されたままでいなければいけないというのに。澄ました顔ができる自信がない。


 ミスリルが喜びと申し訳なさで痛み入っているとセレスティアは自棄を起こしたのか、きらびやかな料理のアクセントとなっていた茹で蟹をまるごと直接手掴みし、剥き身となっている足に齧りついた。


 バリバリと甲殻まで噛み砕きかねない勢いだった。近くの鉄板で肉を焼いていたコックはショックを受けて凍り付いていた。


「私がメイドだった頃もよく演劇やお祭りに誘われたわ。窓拭きしてるとびくつきながら寄ってきたのよ。『セレス、僕と一緒に出かけないか』って。私が断ると速攻で『じゃあ別の娘を誘ってみるよ』って切り替えやがったのよ。こちとら自由に出かけられる身分じゃなかったってのに……!」


 苦渋を思い出してるのかセレスティアの顔は険しい。


 ミスリルは胸をちりちりとくすぐられるほど嫉妬を覚えた。


 演劇やお祭りになど誘われた経験はほとんどない。過去に愛称で呼ばれていたのも違いを見せ付けられた気がした。


 それでも疑問が先立った。


「どうしてお断りになられたのですか? その日がだめでも別の日ならといえばよろしかったのではないでしょうか」


「そ、それは……その、照れ臭くて恥ずかしかったから。身分の差も、服装の差も、取り巻く人間の差もあったわ。あの頃は私には耐えられなかったし」


 後悔が表情に出ていたが、ミスリルには許せなかった。


 後悔するくらいなら素直になるべきだ。素直になれないでも誤解を解くべきだ。それが当たり前のことじゃないか。そんな当たり前のことができない人が主人の想い人だったなんて許せない。


「アクネロ様がすぐに切り替えたのは落胆を誤魔化すためではないでしょうか。セレスティア様は一番に誘われたのでしょう。誰であれ、当時の他のメイドが断ったところを見たことはございますか。素敵な娯楽を共にできるとならば飛び上がらんばかりに喜ぶことでしょう」


「わかってるけど……私は追ってきて欲しかったのよ。手を引っ張って欲しかったの。身分の差を忘れさせてくれるくらいに」


 ごきりっ、と蟹の爪関節を外しながらセレスティアは呟いた。


 見かけ上は素っ気なかったが、溜まり濁った願望が込められていた。


「セレスティア様は意地になっておられるのですね。今でも遠巻きに見つめるだけで何もなさらない。そのような方は恐るるに足らず。一生、柱や壁を寝具となさったらよろしいのです。お似合いというものです」


「いってくれるじゃないの。これでも私はこの街の行政の長なのよ?」


 権力を振りかざしてからセレスティアはハッとして恥じ入ったように俯いた。


 聡明な彼女は自分の恥知らずぶりを察知して羞恥し、バツの悪そうな顔つきで目線が合わせられなくなったのだった。


 ミスリルも一瞬だけたじろいだものの、すぐに持ち前の反骨心を高ぶらせて反論した。


「好きな男性に満足に声もかけられない行政の長でございますか」


「……貴女、大人しそうに見えて骨があるわね。声をかけてくるわ。たかがメイドに発奮されなくたって、どうってことないわよ」


 セレスティアは腕組をしてミスリルに冷たい一瞥をぶつけると、足の向きを変えてパーティー会場を横切っていった。


 威圧から解放され、へなへなとミスリルは尻餅をついてしまいそうだったが心臓に手を当て目をきつく縛って耐え忍んだ。


 恋路の手助けなどするつもりはなかったが――アクネロが過去に想いを寄せていたのならば――それが主人の幸せに繋がることになるのならば仕方ないではないか。


 誤解が解かれることは雪解けになり春が来るかもしれない。


 衝動的にミスリルもまた蟹を手掴みした。胸のもやもやを噛み千切れるといわんばかりにかぶりと貪った。


 コックは最近の淑女(レディ)の間で流行していることに違いないと達観した顔に変わった。









 ★ ☆ ★





「いやいや、しかし……」


「こっちも引く手数多なんですよ」


「わかりました。では――」


 二人の男はさながらセールスマンのように慇懃にアルプに接していた。事実そうだったかもしれない。腰を折って丁寧に商談を続けようとしていたが、近づいてくるアクネロの姿を察してすぐに背筋を伸ばして直立した。


 二人の商人の顔に緊張の色が駆け巡り、生唾が飲み込みまれた。


「精が出るな」


「これは領主様……では後ほどお話ししましょう」


「失礼を」


 商人達は足早に、でありながらも無礼にはならない速度で立ち去った。


 アルプは鍔広(つばひろ)の大きな羽毛帽子を被り、縁取りに金糸をあしらったチョッキと真っ白な絹製シャツを着こなしていた。ズボンも馬革で上質なものが用いられて加えて、貴金属が散りばめられたネックレスや指輪をはめ、悪趣味なほど鈍金色の輝きを放っていた。


 楽器でも持っていれば吟遊詩人として通じるかもしれない。


「競売商と古物商か……気が早いことだ」


「『ドレッド』が墜落した当時、多くの富裕層が財産を載せていたという確かな史料があります。黄金や白金は勿論のこと、あらゆる美術品や魔導具……金銭的価値においては天文学になるかと。勿論、納税者として遅滞なく取得税を国庫にお納めします」


「すぐに全てを売り飛ばすつもりか?」


「古代人の遺物の売買は正当な商取引であると国家間、並びに諸侯間の条約において保障されております。少なくとも、発見者には五割ほど権利があるはずです。勿論、航路権のある領主様が海に一隻も僕の関わる船を出すなとおっしゃるならば手も足も出ませんが、何も『ドレッド』本体であるまこと貴重な水中文化遺産を丸ごと売り飛ばそうなどとは考えておりません。有り体にいえば細かな金目の物はさっさと売ってしまおうという誰にでも益のある話です」


 誰かに入れ知恵されたか――そもそも、最初からそのつもりだったか。


 アルプの口ぶりには傲慢さとも思える自信があった。なるほど理屈としては通っているかもしれない。理屈だけ見ればだが。


 もはやサルページを中止にできるはずがない、とアクネロができないとタカをくくっての態度だった。


「……アルプよ。オークションを開けば我がノルマンダンだけでは収まらん。噂を聞きつけて各地から訪れた蒐集家(しゅうしゅうか)が買い漁り、結果として遺産は散り散りになって死蔵(しぞう)され、せっかく我が地に眠っていた古代の美を領民が鑑賞する機会も奪われよう。

 協力する海軍も領民の納税によって運営されているのだぞ。一年や半年、展示せよとはいわん。ほんの一ヶ月でよい。身分の差なしに見せてやるべきだ。美術とは職人の技術の粋であり、人の文化の結晶。触発され、感銘を受ける人間も多くいよう。それは金銭に代えられぬ素晴らしきことなのだぞ」


「確かに海軍には尽力して頂きたく思いますが、まずは“ひっくり返して中身を調べる”ことは危険性を確かめるための作業。安心を提供されて納税者も納得するでしょう。それに財宝を買い占めることなど領主様にとっては造作もないことではありませんか?」


 そんな無作法はできん――アクネロは怒鳴りたい衝動を堪えた。


 金にものをいわせて買い占めれば競売に訪れた人間たちの楽しみを奪う形となって顰蹙(ひんしゅく)を買い、無用な争いを呼ぶ。


 ザインもアクネロに助けて欲しかったから内実を打ち明けた。同好の士を集め、少しでもこの事態を収拾するためだ。


 あるかどうかはわからないが、保険は打っておいてよい。


 アクネロは極力感情を抑えた口ぶりで言い募った。


 同じく考古学者だと名乗った男に――せめて心根を確かめたかった。


「学術の徒として……来る後進のために機会をもうけようとは思わないのか? 考古学とは本来、金にならぬ因果な学問。ほんの僅かでも成果物を通して探求の素晴らしさを人々に知ってもらおうと思うだろう? 我々は皆、家族にすら理解されずに古書の読解に励み、仮説を立て、実地調査し、もがき苦しみながら歴史という暗闇に手を伸ばすのだ」


「さすがは領主様の精神は純金のごとく高潔です。僕はくず鉄のごとく低俗なのです。何分、平民の身の上ゆえに浅ましいのです。セリンとの結婚のために家を構え、蓄えをため、華やかな式を挙げなければなりません。一人の独立した男としての義務を果たすためです」


「そのセリンが今、お前のために何をしているのか知っているのか」


「知っておりますとも。胸が張り裂けんばかりです。僕らは共に歩むために覚悟を決めねばなりません。どうかお許しを」


 悲壮な言葉とは裏腹にアルプは堂々と胸を逸らした。


 驚きで目を大きく見開いたアクネロは居た堪れなくなってつま先を正面扉の向けると――ちょうど、歩み寄ってきたセレスティアとかち合った。


「セレスティア。お前にとっても『ドレッド』は単なる公共事業の一つか? 財宝が手に入ればいいのか?」


「え……? まあ、宝物があれば形は海軍への寄進としてアクネロの取り分は一割に設定してあるけど不満かしら。できればそっちで配分して欲しいけど」


「ああ――目の前が白い霧に覆われた気分だ。実に我々はくだらん」


 眉間を指で押し付け、アクネロはセレスティアの肩を押し退け、肩を怒らせて扉に向かって歩いていく。


 自分の致命的な選択ミスに気づいたのか、セレスティアの顔は瞬時に青白くなっていたがアクネロはそれに気を払うことはなかった。


 廊下に出たところで目で追っていたらしいミスリルがスカートの両端を持って小走りで追いつき、横に並んで声をかける。


「アクネロ様。どちらへ」


「屋敷へ戻る。気分が優れん」


「何かご不快なことでもお話しになったのですか?」


「聞くが、お前は好きでもない男に接吻ができるか?」


「できません」


 ミスリルが即答すると、アクネロは足を止めた。


「セリンは今、引きあげ作業のために見ず知らずの水夫たちにキスをかわし、身をすり減らして水術を行使し続けている。お前と同じ年頃の乙女が愛する男のためにする献身だ。俺はそれを止められないし、認めなければならない。この愛は本当に尊いものなのだろうかミスリル? 部外者の俺の意見だが、金のために自分の愛する女を他の男とキスをさせるなどはらわたが煮えくり返って気が狂ってしまいそうになる。とても平然とパーティーなど出れん」


「それが本当であっても……何もいえません。ただ、幸福に至る道が過酷かもしれませんし……私はセリンさんを信じたいです。どうか、愚か者とお思いでしょうがお許しください。将来の結婚生活のためにまとまったお金も必要だと思うのです」


 ミスリルの声は沈んでいたが(かたく)なであり、はっきりと否定の意思を示していた。


 友人を盲目的に信じているのか――アクネロは脇柱に手をつき、寄りかかって額を擦りつけた。アクネロの理屈ではこれっぽっちも理解できない友情の糸がミスリルをがんじがらめに縛り付けている。それを許したのは自分自身であり、もぎ取ってしまうのはためらわれた。せっかく構築した大切なものだ。残してやりたい。


 俺が間違っているのか――理想主義者(ロマンチスト)も過分になれば鼻につく。


 アクネロは自戒を試みた。拳固を強く壁に押し付けた。ミスリルがいなければ思いっきりぶん殴ってしまっただろう。目を閉じて深呼吸を繰り返した。平静さを取り戻す作業に集中した。


 これも海神の試練か、と胸中で呟くと頭をだらりと落とした。神には助けを求められない。











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ