第99話 伊王野合戦・開戦(閑話) ※地図あり
※後書きに城周辺の地図を載せてあります。
天正6年(1579年)7月 下野国 那須郡 伊王野
奥羽連合軍は下野伊王野に向けて進軍していた。里見家による支配を打ち破り、那須宗家の北部下野支配の復活を果たすためであった。
連合軍が当座の目標とした伊王野宿は、東山道と奥州街道が交わる交通の要衝である。その宿場を見下ろす比高100mほどの山上に、要害伊王野城が屹立している。
伊王野城は要衝とは言え、旧来は山間の砦程度の規模であった。が、昨年以来奥・野間の緊張が高まったことで整備が進められ、国境の城にふさわしい大きさまで規模を拡張していた。
城を守るは蘆野資康。蘆野氏は那須七党の一員とは言え、数年前までは山間の小名であった。
しかし、東関東を制した里見氏に早くから通じたことで、没落した伊王野氏に代わって、この要衝を任されていたのだ。
奥羽連合軍の南下の報を受けて、城には蘆野の手勢に加え、新たに下野の旗頭になった土岐頼春の筆頭家老、鎗田勝定の軍勢が入り、城兵は2千にまで膨れ上がっているとの報である。
しかしながら、奥羽連合軍は総勢2万5千。伊王野城がいくら堅城とはいえ、10倍以上の兵をもって掛かれば抜くことは容易。そう考えた連合軍の諸将は、悠々と伊王野宿に着陣した。
どうやら城は惣構えを目指していたようで、宿場の周りを低い土塁が取り囲んでいた。しかし、広大な惣構えは2千人で守るには些か広すぎたらしい。既に宿場は放棄され、ほとんどの家々は焼き払われて見る影もない。
城へは、先手の結城(※小峰)義親らが一当てしたものの、撃退されたとのことであった。
蘆名盛隆ら連合軍諸将は、焼け残った無人の家々を中心に陣を敷くと、翌朝からの城攻めに向けて、束の間の休息に入った。
諸将が異変に気付いたのは翌朝であった。朝靄に煙る南の梁瀬山に翻る旗は二つ引両。夜間に里見の援軍が到着していたようだ。
この状況は普段であれば城との挟撃を恐れるところである。しかし、此度は諸将に焦りはほとんどなかった。なぜなら、自分たちは低いとは言え土塁の中に陣を張っていたからだ。
それに、定石であれば、援軍なら、入城を図るか夜襲をかけてくるはず。それがなかったと言うことは、里見にとって我らの進撃の速さは『想定外』だった。あるいは、単に兵数が足りないのであろう。
実際のところ、里見は昨年5月以来大きな軍事行動を取ってはいない。噂によると、『昨年の代替わりは、里見義弘が倒れたため』とのことであったが、どうやらその噂は真実のようだ。
此度の援軍も『1万5千』と号している。大軍であることは確かだが、これは里見の総力を考えるとあまりにも少ない。里見の家中に何らかの混乱が生じているのは確実であろう。
しかしながら、こちらから攻めかかるとなると、ちと心許ない。総勢は2万5千を誇る連合軍ではあるが、未だ後詰めの伊達輝宗率いる7千の兵が到着していない。そのため、現状では、1万8千対1万7千(※城兵を含む)で、戦力は拮抗しているのである。
これでは返り忠を約束しているとはいえ、大田原綱清や大関高増も動くかどうかは疑わしい。幸い、里見もこの土塁を見て攻撃をためらっている様子である。
この日の軍議では、城からの突出にだけは気を付けて、伊達勢の到着までは対陣を続けることと決まったのだった。
待ちに待った伊達勢が到着したのは、2日後の午後であった。
伊達勢の着陣を見たのであろう。伊王野城内からは盛んに狼煙が上がり、それに応えるかのように、里見が陣を置く梁瀬山からも狼煙が上がる。何らかの連絡をとっているのは確実であった。
得体の知れない狼煙を警戒しつつ、無事に陣に伊達勢を迎え入れ、その日は暮れていった。
奥羽連合の陣に大田原綱清の密使が飛び込んできたのは、その夜のことであった。
綱清によれば、『里見は明朝、全軍で朝駆けを行い、城兵を迎え入れた上で、黒羽城に撤退する』とのこと。奇襲はバレてしまっては奇襲ではない。敵の奇襲が事前に知れているなら、味方にとってはこの上ない好機。またとない情報に諸将は沸き立った。
緊急の軍議で決まった奥羽連合軍の作戦は、『攻めさせておいて叩く』という単純な物であった。そもそも、奥羽連合軍の方が兵の数が多いのだ。策を弄しすぎて破綻してしまっては目も当てられない。
この策は、すぐに全軍に通達された。大田原・大関からの情報では、里見の朝駆けは夜が白み始める寅四つごろ。鏑矢の合図で攻撃が始まるとのことだ。
対する味方は、土塁の裏に隠れて矢合戦をやり過ごし、矢が止むのを待って突出する手はずになった。
奇襲に気付いていることを悟られるわけには行かぬから、炊煙は上げられぬ。食糧は糒で凌ぐしかないが、千載一遇の好機である。諸将は猛る気持ちを抑えながら、床についたのであった。
「ひゅるるるるるるるる」
朝靄を切り裂くように、一條の鏑矢が打ち上がる。時を合わせて北の城から南の陣外から大量の火箭が、奥羽連合の陣に打ち込まれ、伊王野の谷間に鬨の声が轟く。
しかし、来ると分かっている奇襲など怖くはない。矢が止むのを待って、陣内の諸将は反撃を開始する。まずは、竹把、矢楯を構えて迫り来る里見勢に弓鉄砲を雨霰と撃ち込んだ。
いきなり反撃を受けるとは思ってもいなかったのであろう。こちらの斉射が終わった途端、里見勢は、持っていた竹把や矢楯を放り出し、算を乱して逃げ始める。
「追えや!」
連合軍の将兵たちは、土塁を乗り越え、雄叫びを上げながら追撃を開始したのであった。




