第91話 歴史資料:ガレオン船上総丸 船長 舟浦シモンの日記・後編(閑話)
8月15日
晴れ。昨日より海は落ちついている。9時。父島の泊地に帰港。そこでは驚くべき報告が我々を迎えてくれた。なんと泊地の北側にある山(※三日月山)で、チョウジと胡椒が発見されたのだ! 最初は耳を疑ったが、持ってきたサンプルを見れば、それは見事なチョウジの蕾とグリーンペッパーだった。これは期待がもてる。3隻の乗組員を24の部隊に分け、父島と周囲の島の探索を行うことにする。
(※これは小笠原諸島最大の謎の1つである。チョウジと胡椒は父島にしか分布がなく、どこから誰が持ち込んだのかはわかっていない。しかも島内の湖沼に堆積する花粉を調査したところ、16世紀後半のこの時期から急に花粉の堆積が始まっており、状況を考えると、何もないところにいきなり生えたようにしか見えない。今後の研究が待たれるところである。)
8月18日
雨 外海は多少うねりがある模様。残念だが、父島北部の半島以外では胡椒もチョウジも発見できなかった。幸い泊地に適した湾と、居住に適した平地がすぐ側にあるので、収穫はさほど難しくないはずだ。しかしここがバレたら、強欲なオランダ人どもが押し寄せてくるのは目に見えている。防備もしっかり調えられるよう殿に進言しなくては。
取りあえず、今回は回収できたクローブ3樽と胡椒5樽を持って帰還することにした。
16時。小笠原泊地を出帆する。そのまま八丈島に戻るのではなく、トーレ船長(※ベルナルド・デ・ラ・トーレ(西))が発見したとされる火山島を求めて南下する。とりあえず明日は1日探索に当てることにした。
出帆してすぐ、陸から1海里ほど離れたところで、また坊ちゃんが網を放り込みたいと言い出したので許可した。綱が軽くなったあたりで網を引き上げると、これまた立派なサンゴが獲れた。香辛料と言い、サンゴと言い、小笠原は宝の島だ。
8月19日
晴れ。海は平常。7時、北緯24度45分。島が見えた。小さな島かと思い、近づいていくと、島の南端に丸い山(※摺鉢山)がそびえ、それ以外は平坦という面白い島であった。また、周囲はほとんどが砂浜であり、上陸地点には困らないように見える。ただ、周囲は浅瀬が多く、接近は危険である。風下に当たる西側に回り、短艇を下ろして上陸することにする。
風下に回ると島から距離があるにもかかわらず、硫黄臭が漂ってきたため、坊ちゃんによって硫黄島と命名された。
なお、また坊ちゃんが上陸を望まれたが、やんわりと断った。このような波が荒い中での短艇への乗船などさせられるものか! いい加減にしてほしいものだ。
坊ちゃんは、かなりごねていたが、調査隊が島の中央に見えている森で、『樹皮を2樽分を回収してくる』という条件で引き下がった。はっきり言って意味は分からないが、坊ちゃんのすることだ、何か意味があるのだろう。調査隊には普段の任務に加えて硫黄の探索についても指示して送り出した。
(※こちらも小笠原諸島の大きな謎である。なお、回収を依頼されたと言われる樹皮は、キナノキのものと推定される。南米原産のキナノキがなぜ硫黄島に生えていたのか? なぜ梅王丸がその効果を知っていたのか? など、謎が多い。分布については、第1発見者のトーレが持ち込んだ説もあるが、彼の艦から島に上陸した者はいない。また、『梅王丸の指示で樹皮を持ち帰った』くだりは、1,580年代から始まるマラリア治療の手柄を梅王丸に帰し、彼を神秘的な存在として扱おうとする意図が感じられる。こちらも詳しい調査が待たれる案件である。)
16時、調査隊が戻ってきた。この島でも胡椒とチョウジは確認できなかった。また、猛獣や危険な生物が見当たらないのも他の島と同様であった。なお、予想どおり硫黄の結晶ができている場所が多々あり、硫黄鉱山としても有望であると考えられる。ただ、それなりの面積があるにもかかわらず、川は1本もなく、いたるところから硫黄が吹き出しているため、井戸水にも期待できそうにない。自ずと水は天水に頼らざるを得ず、食糧の生産を含め多数の人口は養えそうにもないと考えられる。
また、調査隊によると、最高地点である南端の山から南にも北にも島影が確認できたとのこと(※両島はそれぞれ、南硫黄島、北硫黄島と命名)。しかし、両島とも海からそびえ立つような島だとみられ、移住先としては期待できない見込みである。
17時、夜の間に潮流に流され浅瀬に乗り上げることのないよう、まだ日がある内に出帆する。
8月22日
晴れ。海は穏やか。6時、北緯30度29分。東の方角に島影が見えた。島のサイズは小さめ。しかも切り立った断崖に囲まれており、上陸は難しそうに見える。無視して通過しようと思ったが、坊ちゃんが「遭難者がいないか確認してほしい」とおっしゃるので、一応、島の周囲を1周してみることにする。するとどうだ! 白い毛むくじゃらの何かが、こっちに手を振ってるのが見えた。化け物かとも思ったが、坊ちゃんが、「あれは鳥の羽を集めて作った服だ」とおっしゃる。そう言われてみると、ちゃんと人間に見えてくるから不思議だ。短艇を出して救助に向かう。
遭難者は2人だった。髭が生えているので男なのは間違いないが、困ったことに、何を話しているのか誰にも分からない。そんな時はやっぱり坊ちゃんの出番だ。2人に近づくと、あっという間に話を聞き出してしまった。坊ちゃんによれば、この2人、ガダオとグアパンと言い、チャモロ人(※マリアナ諸島の原住民)らしい。島が手狭になったから、新天地に移住しようと家族とともに船出して、大嵐に巻き込まれてこの島に漂着したとのこと。どうやって生き延びたのかと言えば、この島は晩秋から春にかけて巨大な鳥が数え切れないほど営巣をするらしい。しかもその鳥、陸上では非常に動きが鈍く、道具なしでも簡単に捕まえられるので、それを食べて暮らしてきたそうだ。その鳥が巣立ち、磯の貝やカニで飢えを凌いでいたところにこの船が通りかかったということだった。とりあえずそのままにはしておけないので、一緒に上総に連れて行くことにした。坊ちゃんは見込みがあるとおっしゃるが、あのチャモロ人(※当時マリアナ諸島は『盗賊諸島』と言われていた)だ。しっかり目を光らせてやらないといけない。
(※梅王丸は語学に優れていたとの記録が残るが、いくら何でも一度も聞いたことのない言語を瞬時に理解し、あまつさえ会話まで行うなど、常識的にあり得ることではない。)
8月24日
雨、八重根港に入港。やっと八丈島に戻ってきた。今回の探険もそろそろ終わりだ。それにしても今回は大変実り多いものになった。褒美も頂けるだろうが、それ以上に発見物の分け前が期待されてならない。堺か、マニラか、琉球か交易船の船長もぜひ任せてもらいたいものだ。




