第四話:これだから悪魔は
悪魔と天使は相反する存在。だが決してその力は正と負で釣り合っているわけではない。
悪魔の帯びる闇の力は天使の放つ光に焼き払われ容易く消える。
如何に悪魔が強力なスキルを保持しようが、生来生まれ持ったその運命は易易と覆るものではない。
記憶がギシリと軋んだ音を立てて痛む。
我の『裁き光』を打ち払う程に強力な傲慢を宿した悪魔を相手にした所で、所詮、王ですらない悪魔などに敗北する理由などないはずだった。
――だが、何故かかつての決着はすっぽりと記憶から抜け落ちている。
「ヴァニティさん? 今更怖気づいたんですか?」
「……愚問、だ」
律儀にピタリと後ろについてきたヒイロが囁くように言葉を吐く。
その言葉を一笑に付し、切り捨てる。
怖気づく?
この我が、曾て天上で神々に最も近き位置に君臨した王の一柱であったこの我が、たかが一魔王に怖気づく、だと?
下らぬ挑発だ。
そのような感情を抱く者に王となる資格などない。
だが、同時に警戒もまたあった。前回撃ち漏らした理由がわからないのだ。
確かに裁き光は防がれた。弾かれ、消えた。
だがしかし、あの程度の力で我に勝てる程の能力を持っていたとはとても思えん。ましてや、嘗ての奴は魔王ですらなかったのだ。
――現に、我は未だ力を失うこと無くここに在る。
配下の目を通して眼下を見る。その視界には既に戦場が入ってきた。さほど時間をかけずにたどり着けるだろう。
ハード・ローダーとゼブル・グラコスの実力はほぼ互角だ。
神速での移動を繰り返すハードに、異常な回復力と強力な攻撃力で対抗するゼブルの図。思った以上に『悪食』がやるという事か。その間には序列程の差異はない。
現在、ハード・ローダーはゼブルを先に片付ける選択を取ったことを後悔しているだろう。奴は一匹一匹相手にしてでも、空を行く我が天使共を相手にするべきだった。
今の戦力差。ハードが有利だが僅かでも隙を見せれば悪食の持つ広範囲を対象とした暴食の上級のスキルを受ける事になる。基本的に悪魔の能力は一部を除いて攻撃力に特化している。一撃でも正面から受けてしまえばハードのダメージは甚大だ。
「こちらから打って出るか……否」
奴にどのような奥の手があるか判明していない以上、油断は禁物。
もとより、ゼブルに加勢する理由もない。共倒れが最も都合が良いがさすがに無理か……だが、ここまで拮抗していると勝利した方も相当に力が削られているはず。焦らずに待つだけでよい。
「……あーん、状況が全然見えないです……! ヴァニティさん、ヴァニティさん、闇討ちしましょう……! 大丈夫、ゼブルさんと戦っている間に後からこっそり攻撃すればさすがのハードさんも――」
「……」
こいつは一体何を言ってるんだ。
我はヒイロを完全に無視することに決めた。
この女、事ある毎におちょくるような事を言ってくるな。レイジィは何を考えてこいつを配下に加えたのか……いや、勝手に加わったのか……
闇討ち程度で仕留められるようならとっくに仕留めてるわ!
大体、ゼブルは必ずしも我の味方でもない。
僅かでも隙を見せればあの女、背後から喰らう程度の事、余裕でやってのけるだろう。
配下に虚飾のスキルで更なる力を与える。その飛行速度がさらに一段上昇する。
知っている。傲慢のスキルに遠距離攻撃用のスキルは――存在しない。
ハード・ローダーに天使の群れを止める手段はなく、一度引き離せば後は影寝殿まで――奴の元主の居城まで、止める者はいない。
貴様の傲慢はその不備を許容出来るか。否、できまい。奴はそういう悪魔だ。
「……所詮その程度の男だという事か……」
「ヴァニティさん、一撃だけ! 一撃だけ入れましょう! すれ違いざまに一撃だけ!」
「……お前、ハードになにか恨みでもあるのか?」
「……いや、別にないですけど。ほら、私、ヴァニティさんの忠実な部下なので」
目をそらしてしれっと言い切るその姿には四方八方どこから見ても誠実さというものに欠けていた。
ハード……貴様も苦労していたようだな。
先ほどから言いたい放題言っている至上稀に見る根性の曲がった悪魔に命令する。なんかもうこいつ、処分したい。
「そこまで言うのならば、貴様が行くがよい、ヒイロ」
「……ふぇ!? いいい、いやいやいや、ほら、私――力ないですし……むむむ無理ですよ。ハードさん序列第一位ですよ? 序列第一位。私なんて一息で殺されちゃいますよ? あの人、手加減とかしないので!」
「……く、くく、力……力、か。力がないと言ったか、貴様。ならば――くれてやろう!! その力を持ってハード・ローダーを撃て!! 『虚ろなる栄光』!」
欲しければくれてやる! さぁさぁさぁ!
最初に送った際よりも、更に力を注ぎ込む。まだ力は余っていた。言い訳できない域にまで、小物には勿体無いくらいまで、力を注ぎ込んでくれる!
渇望の赴くままに力を注ぎ込む。将軍級ではまだ足りなかろう。魔王級になるまで注ぎ込んでくれる!
やがて、最低ランクの魔王と同等の力となるまで注ぎ込めた。カノン・イーラ―ロード配下の魔王の中、序列の中でも十番以降の魔王と同等。
戦乙女とやらにやられた魔王と同等なれど、されど魔王には違いない。元の力と比較すれば百倍に値しよう。
ヒイロが自らに積み重なった力に気付いたか、大きく身震いする。
「さぁ、くれてやったぞ、ヒイロ。これで文句はなかろう。行くが良い!」
「あ……え……ホント――ちょ、い、いや、ちょっと待ってくださいッ!! 私、実は軍属じゃないんですよ!」
「貴様……この後に及んでまだ言い訳をするつもりか!」
「だ、だって、スキルも全然――使い方がわからな……あ、ヴァ、ヴァニティさん! ほら、この気配!」
正直、いらいらした。よもやハード以上に自軍に苛つかせるとは、ここ数万年記憶にない。
これならばハードの動揺を誘えないにしても、人格を奪い取り新たな人格を付与したほうがまだマシだ。
だが、我にはその時間も残されていないようだった。
「……どういう事だ。何故こんな所に――」
配下の天使の知覚が一つ消え去る。
絶対の炎、魔界最強を誇る滅びの火によって、天使の数体が僅か一瞬で消え去った。
滅びの火。一切をリセットする憤怒の炎。
王領を張っていなかった事が認識の遅れに繋がった。
否、こんな所に来るはずがないのだ。何故なら奴は――
「何故、大魔王がこの地にいる!?」
「し、知らないですよお。お散歩とかじゃないですか?」
んなわけがあるか!!
完全に想定外だ。
だが、ここまで近づかれると分かる。それは見まごうことなき大魔王の魔力。
今代の大魔王――カノンの小娘は憤怒を司っているにもかかわらず理知的で冷静だ。
非合理的な行動は行わず、昨今のハードのように己の領外を飛び回る事もほとんどない。故に、読みやすい。強力ではあったが、危うげないそのあり方は我が道を塞ぐものではなかったはずだ。
先ほどの会合でも微塵も出陣の素振りを見せなかったというのに。
生み出した天使が徐々に数を減らしていく。カノンが攻撃を仕掛けているのだ。
わざわざ……わざわざこの程度の規模の天使の軍を滅ぼすためにこの地に赴いたというのか!?
否、例えそうだとしても――虚飾の隠蔽が破れるわけがないのだ。
計算が崩される。無理だ。トップクラスの破滅の力を保持する大魔王を前に天使の軍など雑魚に等しい。
軍を分割する。少しでも被弾を減らすために。だが、別れ相当の速度で飛翔する天使は一匹一匹蟻でも潰すように丁寧に削除されていく。
「馬鹿な……まずいな……」
「こんな一つの所に序列が上位の魔王級がこんなに集まるなんて珍しいですね……」
珍しい? 前代未聞だ。
カノンが来たことで勢いを取り戻したか、上の天使に気を取られる必要がなくなったためか、地響きがより大きなものになっていく。
そして、刹那の瞬間、カノンの魔力が膨れ上がった。
それは閃光だった。
炎の波が空に一気に広がり、終末を予感させる紅蓮に染める。
熱波が万物一切を焼きつくし破滅を与えるべく席巻した。
あの小娘……格下相手に上級のスキルを使いおった……
オーバーキルにも程がある。
天使の反応が一瞬で全て消滅する。
上下左右、目前に迫りくる炎の波をとっさに『優越』で向かい撃った。
破滅の名に相応しい莫大なエネルギー。
よほど日頃怒りを溜めていたのか。
「うぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
せいぜい生誕から一万とちょっと。カノンの積み重ねてきた年月は我が十分の一にも値せぬ。
優越が、先達たる優越が、かつて天使の王であった優越が回避不可能の炎を防ぎ、そして消滅させていく。
力が、魔力が消費されていく。今まで長き年月溜めてきた力が、築いてきた力が、絶対の破滅を回避するために解放される。
炎を受けていたのか数分か、あるいは数秒か。
そして、ついに勝利した。
空が晴れる。そこには何も残っていなかった。
熱の一片すら残っていない。まるで今発生した事象が夢であったかのように。だが、消耗した力と消え去った天使の反応がそれを現実だと示している。
まずい。
これでハードの憂いがなくなった。最上級の魔王が二人でかかれば、さしものゼブルも敗北は必至。
「く……『虚ろなる栄光』!」
地上を行く我が軍団――備蓄の内、三体を天使に変える。
純白の光を伴い、垂直に飛び上がった虚構の天使は横から飛んできた炎の矢に貫かれ灰も残さず消えた。
無理、か。
相性が悪い。ハードだけならばともかく、カノンは翼がなくとも天を行く兵を討滅できる。
残りのストックは五百体弱。だが、こいつらを全て天使と化すわけにはいかぬ。不自然過ぎる。
「チッ……おのれ、小娘。最悪のタイミングで我が前に立ちふさがるとは……力が……――力が足りぬ」
「ヴァニティさん……避ければよかったのに……」
ちゃっかり飛竜から飛び降り、破滅の炎を回避したヒイロが地上で呟いた。ヒイロの飛竜は燃え尽きていた。
「うるさいわあああああああああああああ!!! くそっ、くそがあああああああああああああああああああ!」
足りぬ。届かぬ。
三体。最上級の魔王が三体。否、ハードとカノンの小娘、二人だけでも、我が討滅するには重い。
ヒイロを見下ろす。あれはダメだ。あれは屑だ。そもそも、最低ランクの魔王ではかの二人にとって足枷にもなるまい。
幸いな事にずっと容姿を偽ってきた。顔も体躯もばれてはいない。いや、我が権能なら自由に変える事ができる
ならば逃げるか? この我が、逃亡を選択するか? それを許容できるか?
否、否、否! この我が、この我が、カノンとハード・ローダーを前に逃亡する?
許容――出来るわけがない。
「ヴァニティさん、おち、落ち着いてください! 落ち着いて私にもっと力を下さい!」
「……何?」
あろうことか、屑が真剣な表情でよくわからない事を言い始めた。
「何を言いたい?」
「よく聞いてください、ヴァニティさん!」
キラキラと碧眼が輝いている。
腕をわざとらしく組んでこちらを見上げる様に負い目が感じられない。こいつの忠誠ってなんなんだ?
「相手は二人、しかもハードさんとカノンさんではさしものヴァニティさんでも厳しいと言わざるをえないです。一対二ですからね」
「然もありなん。続きを言ってみよ」
「そこで、このヴァニティさんの忠実な部下であるヒイロの出番です! 私がヴァニティさんの側に付けば二対二、少なくとも数字の上では同点になります。ですが、今の私の力ではカノンさんを相手にしてもハードさんを相手にしても一瞬も持たないでしょう」
「なるほどな……つまり貴様は、もっと力を詰まれればカノンかハードのどちらかと戦うと、そう言っているのだな?」
この屑め、貴様程度にハードとカノンの相手が出来るものか。
例え圧倒的な力の差があったとしても戦闘経験の差で貴様は負ける。大体、自分で言ったことではないか。自分は軍属ではない、と。
もはや言うことなす事、信頼ならぬ。
ヒイロは我の言葉を聞き、言いづらそうに言った。
「いえ……私では多分相手にならないので……でも応援はします。あは」
「力いらねえだろおおおおおおおおお!!! この屑があああああああああああ!! 貴様は、この我を、馬鹿にしているのか!! ああ?」
くそ。なんだってこいつはいちいち我の反感を買うような事を言うのだ!
もういい。無駄な事をした。ヒイロの力を――取り上げる。
この女に与えた程度の力を戻した所で大した足しになるまい。だが、このまま持たせておくよりは何倍もマシだ。
飛竜を下げる。どちらにせよ、天使を使えなくなった以上、撤退かあるいは突撃かの二択に別れるだろう。
地面に突っ立っているヒイロを睨みつける。思えば、貴様を配下にしてから天運に見放された気がする。
いいだろう。せめてもの情け、苦しまずに殺してやる。
腕を伸ばし力を取り上げようとした瞬間、ヒイロが眉をひそめた。
「あ、でも……あれですね……なんか互いに戦ってますね」
「……何?」
傲慢と暴食と憤怒の魔力が交じり合い巨大な風を巻き起こす。
三人の手前で停止していた我が軍からの視界は、確かにヒイロの言葉が正しい事を示していた。
ハードの拳が炎をまとったカノンに向けられ、ゼブルの飢餓の波動が何もかもを飲み込むべく爆発的に広がる。その殺意は、戦意は、風景は、確かに互いが互いに向けられている。
一体いかなる理屈で同じ軍属の魔王が互いに争うのか。しかもその内の一人は大魔王と来ている。
恐るべき協調性のなさ。悪魔に堕ちて幾万年、理解してはいたが……くそ、これだから悪魔は嫌いなのだ!
「なんか馬鹿らしくなってきたんで、もう帰りますね……ヴァニティさんも、もう帰っては? いえ、別にあそこに参戦するなら止めませんけど……」
ヒイロが我の降りた飛竜に勝手に乗り込んだ。
確かに馬鹿らしい。馬鹿らしいし、意味がわからないが、信じられない事を言い出す女だ。
しかし、あの三つ巴……いや、バトルロイヤルに参戦するのも確かに、無駄な力を使う事になるだろう。
二人の時ははっきりわかった趨勢が三人になった事で複雑さを増している。本来ならば同じ陣であるハードとカノンが協力するべきはずなのだが、カノンは好んでハードを狙っているようでもあった。
一方ハードは均等に喧嘩を撃っており、おまけに何が自信になっているのか現在進行形で力が上昇していっている。三人が三人とも高い攻撃力を持つ渇望を司っており、一つの事故で誰が勝ってもおかしくない。
迷っている間に飛竜が上空に飛び立っていった。力を奪いそこなった。
……だが、そうだな。確かにあの娘が一番賢いかもしれぬ。よもやこんな状態になるとは……我も修行が足りぬと言うことか……
溜息をつく。本当にカノンは何故ここにいるのだ……おかげで千日手だ。
ハードの主に天使を差し向けるという最低限の目的は達したが、計画の練り直しの必要があるだろう。
何よりまずはカノンの意向、性格を探る所から始めなければ……。兵の数もだいぶ減ってしまった。それも補充せねばなるまい。
ちょうどその時、最後の最後に天上からヒイロの声が聞こえた。
「あ、ヴァニティさん。最後に一個だけ……ヴァニティさん『混沌の王領』切ってるので気づいてないかもしれませんが――白い気配がこちらに向かってきているようなので、相手したくなければ位置を変えたほうがいいですよ。位置的に第一に遭遇するのはヴァニティさんです。くすくすくす、今日は本当に賑やかですね」
言うだけ言って、飛竜の影が遠く空に消える。どこに変えるのかは知らんが、巻き込まれぬように、だろう。影寝殿とは逆方向だ。
最後の最後の忠告だけが忠誠、か? ……まぁゼロよりは遥かにマシか。
白い気配……白い気配、か。我の作った天使は全て消費した。という事は、残されたのは天界から迷い込んできた天使か、あるいは『本物』の戦乙女か。
どちらにせよ我が敵ではない、が……見つかると確かに面倒だな。我が気配は消せても白の気配とやらは消せん。
互いに集中しあってるあの三人が気づくかどうかは微妙だが……
さて、どうすべきか。
首をかしげたちょうどその瞬間、知覚がその存在を察知した。存外に近くにいたらしい。
気配は消しているにもかかわらず、その物体は一直線に矢のようにこちらを目指している。距離は既に一キロを切っている。相当な速度、今からの撤退しても追いつかれるだろう。
傲慢の権能を発動する。時の流れを置き去りにするスキル。発動させるのは久方ぶりだ。
認識が鋭敏化され、時の流れが数段落ちる。
そして我は、白き光を纏い閃光のように上空から降ってきた女を最低限の動きで躱し、光の剣をへし折り、拳で頭部を叩き潰した。
お待たせして申し訳ないです。ストックが溜まっていなかったので投稿が遅れました。
次話は来週くらいに投稿出来るようにします。




