第一話:病的で、そして愚かだ
まだ物心ついたばかりの頃の話だ。
お姉ちゃんに聞いたことがある。
「なんで私達にはファーストネームしかないの?」
悪魔の名前は皆、名と姓で成り立っている。
自らの個体を示す名と、自らの在り方を顕す姓。
在り方が決定づけられるまでは、大抵の場合、先祖代々受け継がれてきた姓を使うことになる。
だから、悪魔の成り立ちとして、先祖代々魔王様に使える私の家系で、姓がないというのは本来ありえない。
そんな私に対して、私にそっくりの容姿を持つお姉ちゃんはただ一言、諭すように優しく教えてくれた。
「私達の在り方は魔王様が決めるのよ。だから、私達は先祖代々、姓がないの」
ただただ、信じられなかった。
遥か遠い昔。
私も、私の両親も、その又両親も生まれていない時代から脈々と受け継がれているそれは、もはや一種の伝説と言っていい。
戦場で功勲を立てるわけでもなく、渇望を追い求めるわけでもない。
強いていうのならば、私達の姓は『影』
悪魔にして、悪魔らしからぬ摂理を持ってただ堕落の王に寄り添う私達はきっと正しく影そのものだ。
弱いわけではなく、かと言って強いわけでもない。
強さなど影に不要。私達に求められるのはただ仕えるという事だけで、それは報われる類のものではなかった。
悠久の時をただ無為に過ごす王に付き従う私達の存在も、恐らく堕落の王と同様に無為であるのだろう。
ご先祖様の事を想う。
数万年前に何があったのか、私は知らない。想像すらできない。
だが、その身に宿す渇望を押し殺し、ただ悠久の時を王に寄り添い、息を潜めて生きてきた彼らはきっとその辺に居る二束三文の悪魔よりも病的で、そして愚かだ。
だから、お姉ちゃんも含め、私はご先祖様全てを嘲笑った。
その日、天からは咽び泣くような雨が降っていた。硝子窓を叩く激しい雨音、鳴り響く雷鳴の轟。
暗闇に反射した私の身体はお姉ちゃんとそっくりで、でも目元だけが少し違う。
先祖も親兄弟も、仕えるべき主ですら嘲笑った私。
それさえ嘲笑うように、その碧眼は私自身を至極真面目な表情で覗いている。
稲光が大きく輝いた。
雨の夜は邪気が蔓延る。魔界の悪魔、強き負の魂の間にさえ伝わるそれは、ただの迷信だったはずだ。
だが、闇を遮るその硝子の向こうで、私は自分でも知らなかったくらいに、惚れ惚れする程の微笑みを浮かべていた。
その笑みに邪気は一切ない。
そのどす黒い感情全ては、私自身の中に封入され、それは僅かな欠片すら外に漏れることはない。
そうだ。
これこそが私の『傲慢』
自身を高めるのではなく、他者を蔑む悪徳の罪。
努力など不要。
強さなど不要。
友など不要。
何もかも、全ては――愚鈍だ。
その結果が孤独だったとしても、私は名もなく静かに横たわるのならば一時でも光り燃え尽きることを選ぶ。
磨き上げられた鏡のような硝子の中で、金髪の女の子がくすくすと笑った。
それは自分のはずなのに、どこか現実感がない。
「くすくす……いくらなんでも……我慢しすぎですよぉ……」
どこか甘えの入った舌っ足らずの声が口から漏れた。
そう。これが私という魂の形。
欲するならば求めよ。
主が受動ならば能動せよ。
広き魔界の何もかもを優越せよ。
自分が自分であるがままに。
渇望が悪魔の力を決めると言うのならば、
私が持つ傲慢こそが世界最強の悪魔の証であるに違いない。
暗闇の中で、唇が笑みを形作る。
――だってほら、こんなにもキラキラと光り輝いている。
窓の枠の中で私がくるくると回っていた。明かりが金髪に反射してきらきらと輝いている。
それはまるで妖精のようで、そして何故か味気ない。
「……怠惰の王様、私を見てください。覚えてください。私の名を、姿を、声を、魂を」
ただ無意味な人生を過ごし何も感じず、何も思わず、何も記憶せず、私達を歯牙にもかけなかった貴方に私の存在を――
くすくすくす
そうだ。ならば、まずは初めに自己紹介。
「私の名はヒイロ。傲慢のヒイロ」
姓もない、在り方のないただの悪魔。
だが、その渇望を積み立てて天を雪いでみせよう。
私は傲慢のヒイロ。
だけど、ひれ伏さなくていい。跪かなくていい。崇拝もいらない。
愚かな貴方達に私を理解してもらうつもりもない。
ただ、私が上で貴方達が下。
その事実だけがあってくれれば。
でも、さすがに目にも止まらないのは想定の範囲外だ。
完全復活ではありませんが……最低でも週一くらいであげられるようにします。




