第四話:あれは酷い
『破炎殿』
大魔王、カノン・イーラロードの居城であるその地は魔界の最重要地点でもある。
その規模こそレイジィ様の影寝殿には及ばないものの、天を見上げても届かない程の尖塔が無数に構築されたその様は天を陵辱するような禍々しさを思わせた。
煉獄の炎の如き破滅のカノンの憤怒を示したこの地に足を踏み入れる者は、その地の中心から感じる触れただけで魂まで焼かれるような獄炎を想起し、その大魔王への畏怖に頭を垂れる事となるだろう。
だが彼女はブラコンである。
キャラじゃないだけでブラコンである。それはこの広大な魔界に存在する一つの禁忌だった。
多分、その情報を漏らしたら私は魂まで焼き尽くされるだろう。私は寝言でも漏らさぬように気をつけている。
もし一言でも口にしたら周囲一帯焦土と化すに違いない。無数の悪魔がわけも分からないうちにその生を閉ざすことになる。
カノン・イーラロードは何だかんだで憤怒の大魔王であった。彼女の怒りは彼女自身を含めた誰にも制御不可能で、そしてレイジィ様の耐性を貫くほどに無駄に威力が高い。
憤怒のスキルは威力が高いが、自分で制御できない場合が多い。それは憤怒を追い求める者としては背負い続けなければならない咎なのだろう。
彼女自身、気にしている節はあるが、レイジィ様の側に居る際は隠す気あるのかというくらいに頻繁に兄様兄様いうので、耳を塞いでも入ってきてしまうのだ。
大魔王ならもっと威厳を持てよ。何が兄様だ。実兄であるわけでもないのに。
私は飛竜の首に抱きついた姿勢で、心中でカノン様に文句をぶつけ、不貞腐れながら外界を見下ろしていた。
破炎殿というわりにはこの一帯は赤獄や炎獄の地程に暑くない。大魔王の憤怒は歴代の魔王と比較すれば恐ろしい緻密さで制御されている。だから、飛竜に乗っていると、涼やかな風が頬を撫でてきて、なかなか心地の良い気持ちになる。これで目的が魑魅魍魎が跋扈する会合の出席じゃなかったらさらにいい気分になっていただろう。
ちなみに、飛竜の操縦はリーゼがやっているので私はフリーだ。頑張っている自分を褒めて欲しい。
こんなに長時間飛竜に乗るのなんてほぼ一年ぶりだ。
リーゼは少しは申し訳ない気持ちでいるのか、私を慮るような台詞をたまにかけてきてそれがとても面倒くさい。
「ミディア……本当にレイジィ様にそっくりになったわね……」
褒め言葉なのか、馬鹿にしているのか一瞬迷う。
普通ならば魔王様に似てきたと言われたらそれは褒め言葉だろう。だが、相手はあのレイジィ様だ。
……
「……ありがとう」
だけど、所詮私はまがい物だ。
もう何もかもがどうでもよくなったなんて半端な理由で怠惰を得た、得てしまった私は三流に違いない。とてもじゃないけどレイジィ様と比較されるような悪魔ではない。
どうせなら魔王になってから得たかった。だけど、もしあのまま怠惰を得ずに嫉妬を追い続けても結局魔王にはなれなかっただろう。
いくらなんでもアブノーマル過ぎる。枕に嫉妬なんて……まだローナに嫉妬の方がマシだった。例え、いたした結果、レイジィ様からの反応がほとんどなくても、だ。
そういう意味で私の人生は既にお先真っ暗だった。嫉妬の感情も怠惰とセットにすると割りと使い物にならない。どうしようもない。
もうこうなったら枕として生きよう。そうしよう。究極の枕として生きてやる。
そしていつか呼ばれてやる。枕の王、と。
「……くぅっ……」
「ミディア!? な、なんで泣いてるの!?」
泣いてなんか……ない
これは唯の汗だ。涙ってのは、血で出来ているもののことをいうのだ。私がかつて流していたように。
そんな下らない会話をしているうちに、破炎殿の尖塔の一つに飛竜が降り立った。飛竜乗り場だ。
そこには私達の他にも、十を越える数の飛竜が忙しなく行き来している。
そこから降り立つ悪魔は老若男女怪物動物触手ありとあらゆる姿形をしていたが、共通している事実が一点だけあった。
どいつもこいつも将軍級以上の力を持っているということだ。
いや、一人だけ騎士級がいる。私はこそっと飛竜の影に隠れた。
飛竜の首元を叩いて労っていたリーゼが首を傾げてこちらを見る。
「どうかした?」
「……なんで、ヒイロが……」
顔だけ出して覗く、私の視界にははっきりと映っていた。
魔界の精鋭たちに混じってたった一人、小さな力の悪魔が居ることが。
人形のような美しい金髪碧眼に、肩まであった髪をツインテールに可愛らしく結っている。あれだけハードに無茶ぶりされてそれでも疲れを見せる様子が一切ない事に、私は感嘆のため息しかつけない。
さすが傲慢……自分よりも上位の悪魔の群れを前にしてその動きには僅かな乱れもない。もしかしたらヒイロの性格かもしれないけど、その面の厚さが今はただただ羨ましい。
幸いなことに、当のハード・ローダーはいないようだ。
「……なんで隠れてるのよ……」
呆れたようなリーゼの声が耳に痛かった。
あれがヒイロの性格なら、私の性格はこれだ。私にはトラウマが多すぎる。それはこういう場で度々私の動きを鈍らせる。
「いや、だって貴方――」
「わかってる」
リーゼの言葉は痛い程にわかっている。さすがに自分よりも力が下の悪魔があそこまで堂々としているのに私だけこんな風に隠れているわけにはいかない。
経緯がどうあれ、今の私はレイジィ様の代わりなのだ。私の態度はレイジィ様の格を落とす。
それは、レイジィ様自身は小指の爪の先程も気にしていなかったとしても、私自身のプライドが許す事ではなかった。
――何だかんだ私はレイジィ様が嫌いではないのだから。
私は覚悟を決めると、胸を張ってヒイロの元に歩みを寄せた。
「ヒイロ……久しぶり」
「……ミディア……さん?」
ヒイロの表情が一瞬歪んですぐに笑みに戻る。そこら辺は凄くローナに似ている。
私の全身をもう一度見直すと、呆れたようにヒイロが口を尖らせた。
「……よくもまあ私の眼の前に姿を表せましたね。ミディアさんを助けたせいで、私殺されるかと思ったんですよ?」
「……それは自業自得」
確かに、ヒイロはハードの命に背いて私を助け、命の危機に瀕したかもしれない。
だが、それは彼女自身の浅慮がなしたことだ。助けられておいてなんなんだけど、それは私のせいではない。誰だって逃げる。
私の表情を見て、ヒイロは年齢に見合わない大人びた表情でため息をついた。
「まぁ、結局生き延びられたので別にもういいですけど……で、何の用ですか?」
「……用?」
いや、別に用なんてないけど。
別に、数少ない知り合いを見つけたから声を掛けただけだ。私はデジやハードと違って顔が狭い。
そんな私の態度をどう取ったのか、ヒイロは明るい声をあげた。
「あ、もしかして、命を助けられたお礼ですか? くすくすくす、ミディアさんも貧相な身体をしておいてなかなか義理堅いですね」
「……」
本当にいちいち感の触る言い方をする悪魔だ。
まぁ、そんなつもりはなかったが、そういわれてみればヒイロはあっという間に拉致されていってしまったのでお礼をしていない。
彼女自身の思惑があった以上、お礼をする義理もないが、私自身命を助けられたのは確かな話だ。
私は眉を顰めて一応聞いてみた。
「……何が欲しいの?」
「あ! 本当にですか? えっと……命を助けられたんだから、なんでも聞いてくれるんですよね?」
指を組んで上目遣いで私を見つめるヒイロはもう媚び媚びだった。
悔しいが可愛らしい事には変わりない。ヒイロはこんな性格でもローナの妹だし、ローナと違って自分を良く見せようとしている。
私は警戒しながらも答えた。
「言ってみるといい」
「……私と立場、代わってくださ――」
「却下」
「えー!? な、なんでですか!?」
言語道断だ。まだ報われないと解っていてもレイジィ様のお側にいたほうがマシだ。
悲鳴をあげるヒイロを無視し、、こちらを呆れた眼で見ているリーゼに合流した。時間の無駄だった。さっさと会合の場に向かおう。
しかし……なるほど。代わってくれ、か。
表には出さなくとも、確かにハードの施した教育はヒイロに効いているらしい。
……性格変わってないんだけど、ハードは何を鍛えなおしているんだろう。悪魔としての力?
私は涙目で追いすがるヒイロをあしらいながら、歩みを進めた。
影寝殿には他領の魔王が訪れることがほとんどないから他の魔王達は知らないだろうが、破炎殿の内部は影寝殿によく似ている。
床も壁も天井も墨色の石材でできており、廊下に刻まれた奇妙な模様も影寝殿に相似している。違うのは、城主が憤怒を司るが故に満ちる、静かに燃えるような空気だけだ。
私もここに来るのは二度目だが、前に来た時にも思ったことだ。
大魔王カノンのブラコンっぷりは留まることを知らない。そんなに兄様が好きなら呼び寄せればいいのに。そんなんだから私みたいなのがここに来る羽目になるんだ。
ぐちぐち文句を言いながらも、警戒は忘れない。
さすがに会合を行う前に攻撃を受ける事などないとは思いたいが、何が起こるのかわからないのが悪魔というものだ。弱肉強食。自己責任。何もかもが弱いから悪い、の一言で納得させられる世界。
リーゼという案内役が居るが、如何にリーゼといえど魔王級には敵わないだろう。
彼らは化け物である。将軍級と騎士級の以上の差が、将軍級と魔王の間にはある。多分、それは私達が思っている以上の差だ。
それは、稀代の魔剣を使ってもゼブルに手も足も出なかった事からわかったことだった。
私のような者がいるのが珍しいのか、身を裂くような魔力、興味本位の視線を切って突き進む。
しばらく歩くと、今回の会合の場が見えてきた。教えられなくても明確にわかる魔力の渦。溜まりに溜まった昏い魔力は、明かりで照らされているにも関わらずはっきりとその場が死地である事を思わせる。
強欲、色欲、憤怒、嫉妬、傲慢、暴食
怠惰を除いた六つの渇望を司る魔王が犇めくそこは、多分、魔界で最も危険な場所だった。
そして、怠惰を司る殺戮人形のレイジィ・スロータードールズの代替である私。穴埋めにもならない程度の私が追加されたことで、七つの渇望を持つ悪魔たちが揃った事になる。
それは碌でもない事だ。私達はその渇望故に、悪魔同士でさえ相容れない。
友軍が集ってるとは思えないびしびし感じる戦意は、魔王共がどれだけ好戦的であるのか示しているようで私はもう胃が痛い。入る前からその扉の向こうが蟲毒の術を試行しているかのように見えてもう何か色々と嫌だ。
一方、猫のようにじゃれついて来ていたヒイロ、その場を見た途端この有り様である。
「あ、つきました? じゃー私、先に行きますね!」
ヒマワリのような笑顔で何の躊躇もなく扉に手をかけると、一気に開ける。
一体彼女はその矮躯のどこにそれだけの自信を秘めているのだろうか。
「ハード・ローダー様ー? 飛竜を片付けてきました!」
序列一位。魔王の中でも随一の傲慢の担い手の名前をまず第一に発声して魔境に踏み込んでいく。
それを見た瞬間に、直感した。
ああ、虎の威を借る狐か。どうしよう、凄くそれっぽくて微笑ましい。
そのまま若干短いスカートの裾をはためかせて室内に入る瞬間、私は確かに見た。その華奢な足が微かに震えているのを。
リーゼも同じものを見たのか、呆れと尊敬の混じった絶妙な表情で呟いた。
「……大したものね」
「確かに。私も負けていられない」
「いや、貴方は――」
何事か言いかけるリーゼの言葉を遮って、私も続いて扉をくぐった。
視線が集中するのを感じる。魔界の闇よりも尚濃い黒の視線だ。魔王が魔王と呼ばれる所以。殺意こそないがそこには害意が、魔王にとっては恐らくそよ風にしか感じられないであろう強い渇望の視線があった。
――他者の魂すら犯す程に強烈な情念が。
ここにいる魔王は知っている。
そこに集っている者達が、自分の命を脅かしかねない自身と同等クラスの悪魔だと。その事実が王たちの精神を研ぎ澄ませ、そこは戦場にも劣らぬ災厄の場となっている。
枯木のような老人。私より頭ひとつ分は小男。
風船のような巨体に申し訳程度の四肢がついた男。
もしかしたらヒイロよりも年若いであろう黒髪の少女に、筋肉の鎧で包まれた禿頭の大男。
金属のような無機質な身体を持つ性別不詳の人型に、半透明の身体を持つ宙に浮いた女、などなど
基本的には影寝殿に詰め、レイジィ様の護衛をやっていた私にわかる顔、名前は多くなかった。
しかし、よくもまあここまでバリュエーション豊かに揃えたものだと感心せざるを得ない異形の王たちだ。
ここまで個性豊かだと、レイジィ様のようなただの痩身の男性悪魔だと没個性となってしまう。いや、むしろ逆に突出するのか……だってレイジィ様、きっとこの場でも寝ているだろうからなあ……
「……」
中でも一際強い視線に心臓が縮む。私は恐る恐る、カノン様の最も近くに座る人影に視線を向けた。
ハード・ローダー。多分この中で最も新参で、最もマトモで、そして最も強力な傲慢の魔王。
久しぶりに会うその姿、視線からは私の印象が最悪のままだということを窺わせた。
文句を言わないのは会合の場だからか、あるいは私がレイジィ様の代わりだからか。多分後者だろう。
そして、上座に座る長身の女性こそが件の張本人である。
この広大な魔界の大部分を支配する一大勢力『大魔王軍』
その主であり、その獄炎で万物一切を破滅に叩きこむ憤怒の化身。
破滅の王。
カノン・イーラロード
その眼は激情を意味する憤怒を司る者とは思えない程に、聡明で理知の光を宿している。
「ああ、ミディア・ルクセリアハート。レイジィにいさ……怠惰のレイジィの代替か。座るがいい」
「……はい」
私はもうつっこむのをやめた。別に私と関係ないし、好きにするがいい。
気まずい空気を振り切るようにして、備えられた末席に座る。
円卓とは言え、座席は序列の順番だ。怠惰のレイジィは最下位なので、ハード・ローダーとは最も席が遠い。それだけはラッキーだ。さっさと終わらせて逃げることにする。
私の短くはない経験が警鐘を鳴らしている。ここは……やばい。
針の筵のようにしか感じられない場、豪奢な黒の椅子に腰をおろし、口を噤んだまま出席者を窺った。
席は半分以上埋まっていたが、空席を含めてもその数は私が予想していたよりも少ない。
それはつまり、それだけ討滅されたという事だ。私は一人だって相手するのは嫌だけど、如何に魔王と言えど死ぬ時は死ぬという事か。
挙動不審な私と比べて、リーゼは相変わらず堂々たるものだった。背筋をぴんと伸ばし、動揺の欠片すらない。
私は小声でリーゼに文句を言った。
「リーゼ」
「……何?」
「……見たところ私くらいしか代替で出席している人いない……」
皆、魔王だ。
円卓を囲むのはどいつもこいつも魔界の支配階級だった。側に付いているのは監察官だろう。さしもの大魔王直属でもその力の大きさは王と比べれば見劣りする。そしてそれにも見劣りするかもしれない、わ・た・し。
一番力が小さいのがヒイロだが、そんなのは何の慰めにもならない。セットでワンパンだろう。ワンパン。
「……そりゃそうよ。魔王様は大抵皆出席するわ。これは威光を示す意味もあるから……」
「……」
騙された。
いや、騙されているのはとっくにわかっていた。もう発情していないはずなのに心臓の音がやけに激しい。
私は顔を顰めて冷静な振りをした。
そして、ようやくその時に気づいた。
円卓の真ん中に何か居る。
黒いボールのような影だ。大きさはサッカーボールぐらいの大きさで、風もないのにコロコロと転がってくる。こちらの方向に。
私が『空の右手』のスキルを使用するのと、それに手足が生えたのは同時だった。
反射的にそれに向かって手を振りかぶる。球体の足が大きく収縮し、バネのように疾風迅雷の速度でこちらに向かって飛びかかってくる。
大きく裂けた口に並んだ白刃のような牙が本の数十センチ前まで迫り、そこで大きく弾き飛ばす事に成功した。
上げかけた悲鳴を何とか抑える。いや、悲鳴を上げる暇すらない。
何あれ!?
私がリーゼに助けを求める前に、リーゼが私の代わりに怒声を上げる。
「誰ですか!? 『餓鬼』を召喚したのは!?」
弾き飛ばした餓鬼がターゲットを変える。私の前に座っていた金属質の身体を持つ不詳の魔王に跳びかかった。
小さな身体にも関わらず、繰り出されるその速度はは将軍級の私の目を持ってしても追い切れない。だが、移り変わる光景は私の理解の範疇からは大きく外れている。
鉄柱のような腕が一瞬動いたのが辛うじて見えた。極短い音と共に餓鬼とやらがまるでトマトのように弾ける。青白い血液が飛び散り、その隣に座っていた女の子にかかる。
刹那の瞬間、私と同じくらいの見かけの女の子の腕が鉄柱に変化した。
室内が大きく揺れる。気づいたら金属魔王の身体が壁にめり込んでいた。女の子の表情は無表情のままだ。
私はあまりに置いてけぼりの展開に冷や汗を垂らして目を瞬かせるしかない。
殴った。殴ったのだ。私には見えない速度で。無表情のままで。
「……こら、やめろ」
カノン様の一言を遮るように天井から無数の球が落ちてくる。
ちょ……これ全部さっきの――
一度バウンドすると、それぞれの球が裂け、巨大な顎を成す。
ナイフのような牙が無数に立ち並ぶのが見えた。
それぞれの頑強な手足が生える。よく見ると、それは私の手足よりもよほど屈強だ。先ほどの挙動も見るに、瞬発力では完全に後塵を拝する。
命が何個あっても足りない!
空の手でまとめて薙ぎ払おうとして、それをカノンの怒声が吹き飛ばした。
「やめろと言ってる!!」
怒声と同時に眼の前を業火が通り過ぎた。炎の疾走の跡には、あれほど沢山いた餓鬼とやらが何一つ残っていない。
熱を感じる間さえ与えられない刹那の破壊は破滅の名に相応しい。
壁にめり込んでいた金属の魔王の身体がむくりと起き上がる。
傷はほとんどない。が、唯一その右腕だけが削り取られたかのように消え去っている。
違う。削り取られたのではない。
私は一瞬で看破した。
――これは『簒奪』だ。
「シトウ。返してやれ」
「……ふっ」
シトウと呼ばれた少女の魔王が大魔王様の言葉を鼻で笑った。
ほぼ同時にその身体が弾け飛ぶ。
金属の魔王が薙ぎ払ったのだ。私には薙ぎ払ったという結果しか見えなかった。
鈍重そうな巨体にも関わらずなんという加速。
シトウの頭が天井に突き刺さり、ぷらんぷらんと垂れ下がった。鮮血がぽたぽたと黒い円卓を汚す。
もうやだ。
こうしているだけでがりがり怠惰の力が削られていくのを感じる。
そりゃ死人も出るわ……
少女の身体が重力に負けたように天井から落ちる。
ちょうど、私からは表情が見えた。
頭蓋から滴り落ちる赤黒い血痕の奥から覗く漆黒の瞳にはただ絶望だけがあった。
それは、表情だけでただの悪魔の心を折るであろう渇望の奈落だ。如何に自分と魔王という存在に差異があるのか知らしめるそれは、言葉で言うのならば『格の差』というものなのだろう。
降り立つと同時に振り上げた腕が金属体の魔王に振り下ろされる。その足取りにダメージは見受けられない。
躊躇いない其の攻撃は、時間差で殺気が押し寄せるようなあまりにも鮮やかな一撃だった。
それを金属体の魔王が受け止める。
膂力に結界の弾ける儚い音が響き渡り、硬度の高い石材できた床が大きく陥没した。
「おい、シトウ。返してやれ、と言ってる」
「返す相手はすぐに『なくなる』」
シトウが平坦な声で返す。
答えになってない。
なんてこと、もちろん口に出しては言わない。私に迷惑がかからないならば好きにするといい。
まぁ、絶賛継続中で私に迷惑がかかっているわけだけど……
左腕が消える。同時に、シトウの左腕が金属のそれに変わる。
両腕に自身の身長以上の鉄柱を掲げたその姿は異様という他ない。
その存在に身体を震わせていると、それまで黙って見ていたハードが鬱屈げに声を漏らした。
「さっさと終わらせるぞ。僕は忙しい」
ぱん。
と、何かが弾ける音がした。頭を失ったシトウの肢体がゆっくりと崩れ落ちる。
「……容赦な……」
ぞっとしない思いで呟く。いくらなんでも唐突過ぎる。
ハード・ローダーが拳を下ろした。傲慢独尊はその場から動いてさえいない。ただ肘をついてつまらなさそうにシトウを眺めていただけだ。
そこが自らの玉座だと言わんばかりに。
まるで、シトウと自身の距離など無に等しいとでも言わんばかりに。
あまりの速度のそれに、部屋中が静まる。その中で、多分下から二番目に弱い私はほっと一息ついた。
しかし、ようやく始まるのか……まだ始まっていないのに、いくらなんでも血の気が多すぎ……
心の中でぶつぶつ呟きながら倒れ落ちるシトウを何気なく見た瞬間に、シトウの眼が私とあった。
「……ふっ」
なくなったはずの首が生えていた。再生なんて速度じゃない。こちらを向いていたはずなのに、治癒する瞬間を私は見ていない。
シトウが倒れこんだまま、何事もなかったように唇を歪めて笑う。
何だこの魔王は!? いくらなんでもでたらめ過ぎるだろ。
まず序列はなんい――
その言葉が頭をかすめた瞬間、私の視界は闇に閉ざされた。
*****
「どうかしたの?」
「……会合が始まる前に死んだ……」
私はげんなりした気分でベッドに潜ると、レイジィ様の背中に頭を擦りつけた。
本当に良かった。幻を派遣しておいて。
本当に良かった。まだ『分装幻舞』を使用できて。
本当に良かった。リーゼの話を真に受けてノコノコ出かけなくて。
いくら魔王と言ってもあれは酷い。そりゃ死人も出るわけだ。正真正銘の化け物じゃないか。
大魔王カノンやハード・ローダー、そしてリリス・ルクセリアハートが常人に見える。レイジィ様が無害なだけで愛おしく思える。あれは魑魅魍魎の類だ。
一体あんな空気で何を話すんだろう、とかリーゼは大丈夫なんだろうか、とか色々思う所はあったが、意外な事に一番気になった事は見るに明らかなやせ我慢をしていた一人の少女の事だった。
ヒイロは大丈夫なんだろうか……
死んだらローナは悲しむのかなあ。
眉を顰めて私を引き離そうとするローナを見て、私はそんな下らない事を考えて、もう一度強く、レイジィ様に抱きついた。




