第三話:でもそれ絶対におかしい
枕が手強すぎて勝ち目がない。
成果は戦って勝ち取るものだ。
例え戦場が変ってもそれは変わらない。私は、レイジィ様が使用している枕を睨みつけながら術を考えた。
怠惰の王は物事をあまり深く考えない。だから、レイジィ様の私を見る目はいつも『何かまたいるなあ』ぐらいのものだった。
多分何もかもがどうでもいいのだ。それこそが彼の無為である。
その自己を防衛する心の強さははっきりいって無敵だ。堕落のレイジィの心はいつも深く静まっており、それが情動に動かされる事はない。それ故の、誰もが辿りつけなかった怠惰の王の地位。
こっそりレイジィ様が寝ている間に枕を燃やし続けた私だからわかる。彼は枕ですらどうでもいいのだ。ベッドからはじき出されたらそのまま床で寝始めるのだから。
だが、そんな事は割りとどうでもいい。
私にとって重要なのは、今代の枕が燃えない枕だということである。つまり、私は動けるという長所を生かして枕を始末することができないのだ。
大魔王から下賜されたものらしい。
炎竜の幼体の羽毛で製造された枕だ。
枕なので銘はない。だがそれは、銘があってもおかしくないくらいの逸品だった。
多分、私が来る前にリーゼが散々燃やした枕の代わりなのだろう。だから燃えないのだ。
竜種は現在、魔界に棲まう中では、悪魔に匹敵する力を持つ唯一の種族だ。特徴は高い各種属性耐性とその耐久性で、将軍級悪魔程度の攻撃を受けてもそうそう打倒できるものではない。ただし、数は少なく、その中でも幼竜の羽毛ともなれば並の魔道具よりよほど希少品だ。
幼竜の羽毛は成体になると鱗になる。羽毛の状態では成体の鱗程の頑強性は持ち合わせていないが、私が素手で立ち向かうにはあまりにも強大な相手だった。
ちなみに、言うまでもなく竜種で最も脅威なのはその爪や牙、尾から放たれる攻撃力である。ただし、枕になってしまった時点で攻撃も何もないので無用の心配だ。
「おのれ大魔王……私の邪魔をするとは」
私が一人ベッドの中で騒いでいても、その主は全く反応する様子を見せなかった。心底興味がないのか、本当に眠っているのか、判断が付かない。
身体をそっと揺すってみても、手を触ってみても抱きついてみても全く動く様子のない彼こそが、枕として非常に相応しいようにさえ思える。
失礼な話だ。私がプライドを捨てて枕に徹しようとしているのに、多分レイジィ様はそのことに気づいてすらいない。
それは、私の矜持を揺るがす大問題だった。そして同時に、凄く虚しい。
もうどうにもならないこの世で多分一番酷い戦いを繰り広げていると、この部屋に近づく足音が聞こえた。
足音は二つ。ここに来る者は限られている。以前は刺客が入り込む事もあったらしいが、ハードが周辺を支配してからそんな事もない。
ならばおのずと対象は知れた。
即ち、ローナか、リーゼ・ブラッドクロスだ。
リーゼという女の事を私はあまり知らない。
私が知っている事は、カノン様直属の騎士団にして、魔王を観察することを目的とした黒の徒の一員である事くらいだ。
後は、そこそこ強いという事くらいは知っているが、ハードやレイジィ様と比較するとステージが違いすぎるのであまり強さを感じない、それを発揮した機会が枕を燃やすだけという、私とは別の意味で可哀想な女だった。
予想通り、二対の足音は扉の前で止まる。私は面倒臭い事になりそうな予感に、身体全体を布団の中に深く引っ込めて、レイジィ様の身体に抱きついた。
私は枕。自分から動ける『できる』枕だ。
扉が小さな音を立てて開く。私はそれをやり過ごすべく息を潜めた。
「あれ? ミディアがいない?」
やっぱりレイジィ様じゃなくてこっちに用事だったか。
そう、私はいない。だから早くどっかに行って。
怠惰のスキルには身を隠すスキルもある。今の私はレイジィ様と一体になっていて、気配を感じられないはずだった。
ローナとリーゼが何事か小声で話し合っている。よく聞こえない。スキルを使って探りたいが、さすがにスキルを使ってしまってはリーゼに察知されるだろう。怠惰のスキルは基本的に自分が何もしないことを前提にしているのだ。
もうちょっとスキルツリーを進めればもっと何もせずにいるためのスキルが手に入るはずだった。
だが、残念な事に相手は怠惰のプロフェッショナルだ。
この魔界で希少である怠惰の魔王相手に何年も仕え続けてきた生粋の猛者である。彼女らほどに怠惰を相手にしてきたものはいないだろう。
掛布団が大きく剥がされ、私は光と冷たい空気に目を瞑ってぎゅっとレイジィ様を抱きしめた。
「……現実逃避しすぎでしょ……」
リーゼがあきれ果てて言う。
いい。現実逃避でもいいからそっとしておいて欲しい。
そんな私の強く抱きしめた腕に手がかかった。
「ほら、ミディア。レイジィ様から、離、れ、な、さ、い!」
恐るべき怪力だ。騎士級相当であるはずのローナが仮にも将軍級である私の腕を引き離すなど、そうそうできることではない。
だが、どういう摂理か、私の腕はぎりぎりと引き離されつつある。
「ほら、リーゼ。貴方も手伝いなさい!」
「……はぁ……なんで私が……」
ぼやきながらもリーゼの手が私の胴にかかった。
リーゼの格は私よりも多分上だ。純粋な力でこられたら敵わない。
冗談じゃない。今引き離されたら面倒なことに巻き込まれる。私は仕方なく怠惰のスキルを使った。
「不動」
身体がいっきに重くなり、ベッドがみしりと音を立てた。
引き離されつつあった腕が、重力に引かれるように再びレイジィ様を掴む。
不動のスキルは自身の重さを増やす、怠惰の持つスキルの中では珍しいタイプのアクティブスキルだ。その重さたるや、二倍とか三倍などというレベルではない。
一方、ベッドが軋む程の重さをかけられたはずのレイジィ様は全く起きる様子はなかった。
リーゼが顔を歪めて呟いた。
「ミディア……スキルまで使って……酷い……」
うるさい。
何が酷いのかは言われなくてもわかる。自分でも自覚してる。だから口に出さなくていい。
その時、顔を伏せる私の耳に、ローナの声が入ってきた。
「ミディア……離れないと、私もスキル使いますよ?」
「……!?」
悪寒が背筋を駆け上がり、頭の中で警鐘が鳴り響いている。
ローナの声は平時と同じだ。だからこそやばい。まさか虎の尾を踏んだか?
いや、待って。
冷静に考えるんだ。悪魔としての格は私の方が上だ。スキルを使われた所で、怠惰を得た私の耐久力を、戦闘訓練すら受けていないローナが破れるわけがない。
心臓が痛い程に鼓動を打っている。私はそれを抑えるかのようにレイジィ様の身体を抱きしめる力を強めた。
ローナの手の平が首筋に触れた。ただそれだけなのに、頸動脈に剣を当てられているかのような感覚に陥る。
いや、これは幻だ。嫉妬していた私だから知っている。色欲は物理的な力はほとんどない。彼女に私をどうこうできるわけがない。
ならば、このじわじわくるような恐怖は一体何なのか?
「ミディア……降参する時は降参って言うのよ?」
「……」
「もしかしたら言えなくなるかもしれないけど……」
「……な、何を……」
思わず口を開きかけた瞬間、それは起こった。
傷ひとつついていない。痛みもない。ただ、本能が悲鳴をあげていた。
精神汚染耐性のスキルがひっきりなしに発動し続ける。
それは、悪魔としては酷くポピュラーなパッシブスキルだ。子供だって持っているそのスキルは、ありとあらゆる精神汚染系のスキルに対して無効化判定を行い、それを無効化する。
それは色欲を最弱たらしめるスキルでもあり、将軍級ともなればそのスキルはほぼ百パーセント無効化できるだろう。
だから、ローナがいくらスキルを使った所で私にそれが効果を及ぼすとは思えない。
私が愕然としたのは、その内容だった。
色欲のスキルツリーは単純だ。精神汚染系を含めた各種状態異常の付与と幻惑に特化している。
ぞっとしない何かに、私は思わず頭を動かしてローナの表情を確認してしまった。
明確に動いた事により、不動のスキルがもたらしていた重さが消える。
穏やかな表情のローナがその碧眼を私に向けていた。
「ちょ……わ、私に何をするつもり!?」
「…………」
本能で何が仕掛けられているのかわかる。
何度も何度も諦める事なく、怖気を感じる程の数、速度で仕掛けられている状態異常は色欲の最も得意とするそれだ。
その名を『発情』と呼ぶ。
冗談じゃない。
かからないとわかっていても冗談じゃない。
「手を、離して!」
「降参する?」
でも、それも嫌だ。負けた気がして嫌だ。
そもそも、そんな事やっても無駄だ。並の悪魔でもかからないのに、仮にも怠惰の悪魔である私にかかるわけがない。魔力を消費しきるほうが先だ。
その時、脳裏を嫌な予感が過った。
でも、何回使える? 何十回? 何百回? 何千回?
『発情』は色欲の最も基本的なスキルだ。発生したばかりの悪魔にだって使える。それはつまり、ほとんど魔力を消費しないという事だ。
騎士級のローナなら何千、何万回使えても不思議じゃない。
ローナが私の考えを見透かすようにくすりと笑った。その笑い声はヒイロのものと似通っていて、二人の姿が少し重なる。
私は確信した。やっぱり、あの妹あってこの姉だ。いや、逆か。
「……ミディア。貴方、どの程度の割合で抵抗できるの? 千回? 万回? くす……私の『獣欲の枷』じゃ時間がかかるかもしれないけど……貴方、絶対にかかるわ」
状態異常抵抗はあくまで抵抗……判定による無効化だ。完全な無効化じゃない。
確率は零ではない。凄まじく低確率ではあるが、かかる時はかかる。そしてその時、私じゃそこから脱却する術がない。
もちろん、その確率は戦場で期待できる程高くない。だから、戦場では一切気にしなくていい。
だけどそれは、逆に言うなら――
ローナが死刑宣告でもするかのように宣言した。
「かかるまでかける。『獣欲の枷』くらいなら――魔力の回復速度の方が速いから」
「ッ!?」
それはつまり、無限に試行できるという事。
如何に確率が低くても、かかるまでかけられるのならばそれは百パーセントと変わらない。
リーゼが引きつった表情でローナを見ていた。多分それは私が今浮かべている表情と一致している。
「じょ、冗談……?」
「……」
ローナは私のすがるような言葉を聞いても笑みを欠片も崩さない。
それが、凄まじく不気味で、そして本能が絶え間なく告げる抵抗成功の情報が不気味に私の心を揺さぶる。
こいつ……本気だ。
「わ、私が発情した所で――」
――何の利もない……はず。
そう言おうとした私の唇をローナが指で触れて塞ぐ。
そこにいたのは、一人の色欲の悪魔だった。淫蕩に濡れた瞳が私の全身を舐めるように品定めをしている。それは私がレイジィ様のベッドに裸で潜りこむようになって初めて受けた性的な視線だった。
「……くすくす……働かないミディアなんて――レイジィ様に、無様な姿を披露すればいいわ」
「い、いや、趣旨が違――」
リーゼが不味いと思ったのか、ローナに進言する。
それに大して、ローナは事も無げに答えた。
「リーゼ、彼女の怠惰は……唯の怠惰よ。レイジィ様のそれとは違います」
「え……?」
何が違うの? と、リーゼの眼が言っていた。
私も完全に同意だ。
何が違うんだよ。答えてみろよ。
いや、私の方がまだ動いているだけマシ――
その時、私の足首から背筋に掛けて小さな衝撃が走った。
あまりにも小さい、しかし鮮烈な衝撃に私の身体が意図せず跳ねる。
「くすくす……ほら、『かかった』」
「ッ……」
身体が僅かに体温を上げる。くすぐったい熱が脳内に薄い雲を作り出す。
思考が解れていく。身体が熱い。心臓の音がうるさいくらいに鳴り響いていた。
かかった。それ自体は致命的な状態異常ではない。あくまでこれは基本スキルだ。
治癒のスキルがなくともこの程度のうずき、それほど時間をかけずとも治るはずだ。
怠惰のスキルで感覚を遮断する。それだけで、熱に浮かされる思考がまるで別世界の出来事で有るかのように遮断される。
私は熱い吐息を漏らし、半ば強がりのような言葉を真上に向かって放った。
「……はぁ……この程度じゃ……」
「……往生際の悪い……くすくす、知ってるでしょ? ルクセリアハート。そこまでいったら……貴方の負けです」
ローナの右手の人差し指に小さな光が灯っていた。ピンク色の特徴的な光だ。スキルによるものだということは一瞬で判断できた。なんのスキルなのかも。
色欲のスキルは射程も短く、そのほとんどは接触しないと発動せず、そもそも発動出来た所で抵抗に抑えられる。
が、この上ないデメリットはこの上ないメリットと対になっている。
色欲は精神に影響するスキルツリー。まず条件を満たせないが、それだけに嵌ると無類の強さを発揮する。
レイジィ様に抱きついている今の状態でそれを避けるすべはない。
既に『獣欲の枷』は発動していない。精神汚染耐性はあれほど鳴らしていたアラートを止めている。色欲には段階があった。まず火を点し、次にそれを燃え広がらせる。
そして、これが問題なのだが、そこに状態異常耐性は発動しない。つまり、一発でアウトだ。
ローナがまるで魅せつけるようにその指をゆっくりと近づけてきた。
白魚の指が首筋に軽く触れる。それだけでぞくりとした情欲が切り離したはずの頭の中をかき乱した。
「貴方を咲かせてあげる」
狂わせられる。
その声は、それを確信させるに十分な闇を孕んでいた。それは、とてもじゃないけど私には耐えられない事だ。
反射的に身を起こした。怠惰の本質から離れたせいで怠惰の力が低下するがそれどころじゃない。
このままでは私は一生の心の傷を追うことになってしまう。もう何かまた新しい渇望を得てしまいかねない。
「こ、降参! ギブ、ギブアップ!」
ローナは私の顔を見て一度頷いて、私の首に指を這わせる。それだけで私の鼓動は跳ね上がった。
もう何が何だか分からない。泣きそう
「……ごめんなさい、は?」
「ごめんなさい」
「……レイジィ様の布団を汚しちゃって……また洗わないと……」
ローナがちらりと私のいた場所を見て、再度私を見下ろした。
怒りの感情がそこに見えないのが恐ろしい。彼女は多分微笑んだまま人を殺せるタイプだ。軍に入ったらもしかしたら私よりもよほど優秀な軍人になれるかもしれない。
「ミディア。今すぐ服を着て、椅子に座りなさい。貴方に話があります」
有無をいわさぬその口調に、ベッドに座り込んだまま思わず背筋を伸ばす。
眼が光っていた。少しでも迅速な動きをできなかったらローナは間違いなく私を壊すだろう。それも考えうる最も悍ましい、戦士にあるまじき方法で。
「は、はい」
まだむずむずする身体を動かして、ローナの用意した服を着る。
下着に身体を通し、かつて私がまだ司令官をやっていた頃によく着ていた戦闘服に身体を通す。
黒い厚めの生地でできた衣装は直接攻撃さえ防ぐ程の防御力はないものの、ある程度の属性ダメージを緩和する特殊な魔法が刻まれていた。
当たり前だがその分硬く、着心地はよくない。だからそれは、私が枕に転職してからは一度も袖を通したことがないものだった。
これは……面倒くさそうな匂いがぷんぷんする。
私は一瞬だけベッドを見たが、ローナの笑顔に負けて仕方なく立ち上がった。
正直、凄く怖い。もともと、私はローナには頭が上がらないのだ。いわば、おかーさんみたいな存在だ。何かもう色々とごめんなさい。
行儀よく椅子に座った私の眼の前に、リーゼとローナが立つ。
真剣な眼だった。それはそうだ。リーゼが私に用事があるなんて、枕になってから一度もない。何度も言うが、外ではいくら騒がしくても、今現在の影寝殿は平和なのだ。
まさか……首? 数ヶ月枕やっていただけで? いやいや、でもこれが私の仕事だし……そもそも、首とかはローナやリーゼが決めることじゃなくてレイジィ様が決める事であって……
リーゼの眼の下には隈ができていた。最近忙しいと聞く。ハード・ローダーの監察官なんて、少し考えただけでも重責だ。ご愁傷様です。
リーゼは一瞬逡巡したが、すぐに部下に指示するような凛とした口調で述べた。
「ミディア・ルクセリアハート。貴方に一つ、仕事があります」
……やだ
答えかけて、ローナの眼光に射抜かれ口を閉ざす。
数秒後出てきた言葉は私が意図したものではなかった。
「……何?」
戦闘か? それが一番可能性は高い。私は元軍人だ。逆に言えばそれくらいしか私にできることはない。
並の悪魔との戦闘くらいだったらなんとでもなるだろう。将軍級悪魔でももしかしたらなんとかなるかもしれない。かつてのハード・ローダーのような化け物じゃなければ。
なんたって私にはレイジィ様を嫉妬して手に入れた『不可思議で便利な空の右手』がある。
左手こそ持っていないが、並の相手ならば右手だけで十分だ。ゼブルが知らなかったように、そのスキルはほとんど誰にも見られたことのない未知のスキルなのだから。
面倒だけど、それでローナの眼から逃れられるなら是非もない。
嫌だ……自分の意志なく発情するなんて本当に最低だ。これだから色欲は質が悪い。
それは私がかつて色欲の魔王、リリス・ルクセリアハートを嫉妬する際、精神汚染系ではなく幻惑系のスキルを模倣した理由でもあった。
意志を奪うなんて本当に悪魔の所業だ。いや、悪魔なんだけど……
だが、リーゼが次に口を開いて述べた言葉は私にとって青天の霹靂だった。
同時に最低だった。
「貴方にはレイジィ様の代替として、カノン様の招集に応えてもらいます」
「え? なんで?」
思わず眼を瞬かせて大魔王の使徒の表情を見る。
一瞬申し訳なさそうな表情になったのを、私は見逃さなかった。
一方、少しも申し訳なさそうな表情をしないローナが私の問いに答えた。
「そんなの当然です。レイジィ様はご多忙ですので……」
「え? どこが?」
思わずベッドを見る。
レイジィ様は相も変わらず死んだように寝ていた。あれほど周りでうるさくしているのに、脅威の集中力に私はもう何も言えない。
なんでレイジィ様はこれまで生き延びられたのだろうか……最近になって私は再びその理由がさっぱりわからなくなっていた。
以前までは、私が怠惰の悪魔でないから理由がわからないんだろうと思っていたが、怠惰を得てからもまったく理由がわからない。
そんな私を見て、ローナは厚顔無恥に言い切った。
「貴方の眼は節穴? レイジィ様が安らかにお眠りになっておられるのがわからないの?」
「いや、それは……」
それは見ればわかる。
わかるけど、その事実と忙しいが全く結びつかない。
大体、私だって暇じゃない。枕になる方法考えたり他の悪魔の様子を覗き見たり色々しているのだ。
もちろん口には出さない。怖い。
ローナは若干頭があれなので仕方なくリーゼの方を見上げる。彼女はローナより大分まともだ。まともだから苦労している。
「……カノン様の招集には魔王様から委任された将軍級悪魔が推参する習わしになってるの。今レイジィ様の軍には所属メンバーがミディアしかいないし……」
「それは……」
確かにその通りだ。数千人居たはずのレイジィ軍にはもう枕になった私しかいない。だけど、私は行きたくない。
レイジィ様が行くべきだ。それは魔王であるレイジィ様の役割なはずだ。
いや、本当に、私が行きたくないとかじゃなくて、べき論で考えるとそうなるはずだ。
言葉に出すとローナがまた口を挟みそうなので眼でリーゼに訴える。
リーゼは一瞬躊躇したが、目を伏せてすぐに言った。
「レイジィ様を動かさないのは大魔王様の意向です」
「え? それおかしくない?」
どういう事だ。魔王を眠らせておくのが大魔王の意向ってどういう事だ?
本来の役目を成さずにいることを許す?
大魔王様が魔王を招集すると言ったら一つしかない。
『魔王の大円卓』
魔界に非常事態が起きた際にのみ開かれる円卓会議だ。最近、外界は騒がしいようなので恐らくその件だろう。
魔王は基本的に自分勝手だが、大魔王に逆らう愚か者はそうはいない。いつもは各地に散っている錚々たる顔ぶれが集まるはずだ。
そしてそれは、渇望を極めるという魔王の性質上、毎回数名の死者が出るという本末転倒な会合でもあった。
断言しよう。将軍級なんて出たら一撃で踏みつぶされる。
「……それが大魔王様の意向です。ミディア、貴方は逆らうつもりですか?」
「……え? いや……でもそれ絶対におかしい……」
「ちなみに今まではハード・ローダーが代わりに出ていました」
……
どれだけ皆レイジィ様を甘やかしているんだ。
でも私は出たくない。凄く出たくない。
レイジィ様はもう最下位の魔王だ。でないわけにはいかないだろう。第三位なら許されても、最下位の魔王の分際で本人が会合に出ないとは何事だ、とか言われそう。そうだ、言われるに違いない。本人が出ないと政治的な意味で不味いに違いない。
そうだ。そうだ。
頭の中でミニミディアがうるさく喚いている。
だが、現実は厳しかった。リーゼが致命的なまでの一言を述べる。
「カノン様はミディアを代わりに出すようにと仰せです」
「……え? 名指し?」
信じられない思いでリーゼを見上げる。
意味がわからない。なんで私が――
「名指しです。レイジィ様が寝ている場合はミディアを引っ張ってくるように、と」
「……」
リーゼが腕に炎をまとわせて脅すようにそれを見せてくる。その力は明らかに私よりも上だった。
脳裏にカノンの姿が浮かんだ。
私が昔ここに来たばかりの頃に、レイジィ様の監察官をやっていたカノンの姿が。
あの女……レイジィ様に日和りやがった。
絶望的な事実に眼の前が真っ暗になりかける。
たまに兄様兄様言ってたし、明らかにレイジィ様に甘かったから絶対何か起こすと思っていたけどまさかこんな最悪なタイミングで……
公平だと思っていたのに……
一方、好き放題に私を虐めるメイドがトドメの一言を述べる。
「ミディア、ちゃんとハードにあったら、軍に組み込んでくれるように頼むのよ?」
「……ハード・ローダー……」
嫉妬の悪魔を蛇蝎の如く嫌っている強大な魔王の姿を思い出す。
まずい。絶対に殺される。
四面楚歌だ。寝ている間に四面楚歌だ。
私、何か悪いことでもした? こんなのあんまりだ。
「……んっ」
私はもうどうしようもない状況に、そのままテーブルの上に突っ伏して一人涙を零した。
すいません、年度末につき、多忙のためそろそろ更新とか色々遅れます。家帰れない……




