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堕落の王【Web版】  作者: 槻影
Chapter9.簒奪(アワリティア)

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38/63

第四話:分の悪い賭けだ

「ダメだ……全然出てこないです」


 ゼータが、さすがに疲れたような表情で指を離す。

 その眼の前には、ミディアと同じくらいの年齢の女悪魔が無表情を面に貼り付け、沈黙している。

 人形のように固まる悪魔の姿ももう見慣れたものだった。


 ほとんど人通りのいない灰岩の街の、更に大通りを左折した所にある裏路地。昼間でも昏く、悪魔は愚か鼠すらいない。


 ヴァニティの支配地の中でも端の端だ。何分、閑散としているので隙を狙うのは難しくねえ。

 既にゼータは九人の悪魔の記憶を簒奪していた。


 悪魔のスキルは渇望そのものだ。

 だが、いくらでも使えるわけじゃない。高い気温に湿度、不快指数はすこぶる高く、まるで霞を掴むような作業は精神的にも深い疲労を齎す。


 ジリジリと朱の光がゼータの灰髪に輪を作っていた。


「……どうだ?」


「簒奪するまでは凄く簡単なんですが……彼女もダメですね。見ていません。……いや、目撃はしているのですが、その先までは見ていない」


 既にそれは八回聞いた台詞だ。

 一度目で天使を見た悪魔を引き当てた時はラッキーだと思ったが、とんでもねえ。

 天使は相当派手に力を使ったらしい。今まで簒奪した九人の全員が全員天使の姿を見ていた。

 だが、同時に目的や、向かった先を見たものはいない。


 天使は皆一様に派手な光を纏う。俺達が苦手とする神の力を源とした光だ。

 それは、目を引くという意味では都合が良かったが、同時に嫌われる光を放っていたが故に、好んでその行方を見ようとしたものはいなかったのだろう。


 無理もねえ。相手は自らの君主の軍を討滅した神の使いだ。逃げたくなってもおかしくはねえ。

 おかしくはねえ……が、


 不気味だ。あまりにも不気味だ。

 俺の経験が警鐘を鳴らしている。あまりにも静かだ。何も出てこなさすぎる。

 そつがなさすぎる。

 本来ならば天使の出現自体、狂言を疑う所だが、こっちはゼータの『強欲の手』を使っている。

 記憶は偽れねえ。


「……おい、ゼータ。天使が出たと言い出したのはどこの申告か知ってるか?」


「……はい。ヴァニティについていた黒の徒――監察官の報告です。天使が出現したとなったら一大事ですからね……ヴァニティが追撃に出した軍に参加していたとか」


 黒の徒

 大魔王直属の精鋭にして、忠節を尽くす下僕。

 カノン・イーラロードのためならば魔王にも歯向かう、大魔王の手足であり、眼と耳だ。

 リーゼの嬢ちゃんもそうだったが、黒の徒の大魔王に対する忠義は本物だ。傲慢を司る王を観察する任を負ったということはその忠義も一入(ひとしお)なはず。彼奴らがその任を誤るとは思えない。


 可能ならば、監察官の記憶も奪って確認したいが、無理だろう。

 監察官ともなればその級はゼータを超えた将軍級であることは間違いない。記憶の簒奪は、ただの物と違って本人の意志、抵抗により成功率が上下する。今日奪った下級の悪魔達ならともかく、将軍級を相手にするとなるとゼータでは到底荷が重い。


 今の状況を一番不安に思っているのはゼータなのだろう。

 記憶は蓄積されていくのにまるで手掛かりが得られない。空の宝箱を延々と開けているようなものだ。


 若い悪魔であるこいつには経験がない。言い知れぬ不安のみ本能から感じてしまうその状態は、多分俺が一万年前に感じていたものと同じものだ。


 きっきっき、そうだな。

 ならば俺は、曾て俺を見てくれた恩人の立ち位置に付くことにしてやろう。


「……ゼータ、落ち着け。確かにこの結果は予想外だが、決してありえねえ事じゃねえ。何も得られてねえわけじゃねえ。少なくとも……きな臭い、ってことはわかった」


「……なるほど……」


 まず落ち着くこと。冷静な思考を取り戻すこと。

 悪魔は自らの力を過信しがちだ。だから、アクシデントが発生すると力技で解決しようとすることが多い。

 まず、大きく深呼吸することだ。深呼吸して思考する。それが力と同時に知性を併せ持つ悪魔の強みに他ならない。


 自分の頭で考える事。それが度々、命運を分ける。


 時にはリスクを踏んで命を掛けにゃならんこともあるが、それは少なくとも今じゃねえ。


「天使の奴ら、よほど優秀な頭脳(ブレーン)を得たか……いや、それにしても五体という数は少ないし、灰岩(この街)を狙った理由もわからない。何故、こんな辺鄙な場所を狙った……目的は何だ?」


 悪魔の討滅?

 百体の悪魔だ。軍属ということは力も一般の悪魔に比べりゃ高え。天使が狙う理由には十分なりうる。

 だが、だから分からない。何故、五体しかこなかったのか、が。


 いくら天使の得意とする相手だからといって、ここは悪魔の能力が大きく上がる魔界だ。

 運良く、軍に将軍級の悪魔がいなかったから百体相手でも討滅できたが、もし将軍級がいたら五体じゃ相手が分が悪かったはず……

 今までの天使なら、一旦悪魔と出会ったら不退転となる天使なら、それもまぁわかるが、今回の奴らは……退いてる。


 ちぐはぐ。ばらばらだ。

 五体で百体を相手にする無謀さと、軍が見えた瞬間に引く聡明さのギャップに違和感がある。

 今までの天使に重ならない。


 俺の迷いを感じ取ったかのように、ゼータが提案する。


「……やはり、もう少し奪いますか」


「……いけるか?」


「ええ……くふ、私の強欲は……まだ満たされていませんよ……」


 無理して作ったような表情でゼータが笑う。

 簒奪の乱用。溜まっている疲労、体力の消費はわかる。


 が、今回ばかりは甘えさせてもらうしかねえ。

 記憶の齟齬に誰かが気づく前に手掛かりを得て、この街を出るのがベストだ。

 時間は俺らの味方じゃねえ。天使がいつどこにまた現れるかもわからねえ。少しでも押すべきだ。


 だが、同時に俺は直感していた。

 この街の住人からはこれ以上は手掛かりは出ない、と。


 再び人っ子一人しかいないカフェテラスに戻る。身体がでかい俺がいるとターゲットも警戒する。

 俺は思考する役割だ。


 この地に何かしらの因果がある事は間違いねえ。件の戦乙女を除いて、ここ最近で天使による大きな被害が出たのはここだけだ。

 レイジィの旦那の軍を抜けてから各地を巡ってきたが、変わった話を聞いたのはそれくらいだった。


「……やはり、ダメですね……はぁ。空の宝箱を開け続けてる気分です」


 また一人、簒奪を施行し、ゼータが深い嘆きのため息を付く。

 奇しくもその言葉はさっき俺が考えていた例えと一致している。


 ルーチンワークのように、ゼータに確認する。


「十人目か」


 俺と同じように、ルーチンワークでゼータが答えた。


「ええ……見ていたものは多少の差異はありますが、先ほどの九人と大体おな……じ……?」


 瞬間、ゼータの表情が戦慄いた。

 青褪め、口がぱくぱくと何かを求めて開閉した。尋常ではない表情。

 反射的に立ち上がり、ゼータの視線を追う。


 視線は上空、魔界に広がる低い天を追っていた。

 思考が切り替わる。受動の周回路(サーキット)から能動の直線路(ストレート)へ。


「デジ……さ……あ……れ」


「……おいおい、マジかよ……どんな絡繰だ」


 人影がいた。

 紅の空で白く燦然と輝く人型。背から生える巨大な一対の純白の翼。

 神に愛され、産み落とされたもの。悪魔と正反対の魂を持つ善性霊体種(スピリット)の頂点。


 『天使(エンジェル)


 刹那の瞬間、力が展開された。

 悪魔の纏う邪気とは正反対の聖気とも呼べるオーラが一瞬で大地に展開される。

 身体が震える。原初の記憶、悪魔の魂に刻まれた執行者に対する畏怖の記憶に。


 天使の位置は俺からどう考えても百メートルは離れていない。


 おかしい。何故、どうしてここまで近づかれるまで気づけなかった?

 天使は悪魔の天敵だ。詳細な位置まではともかく、近づけばすぐに気づくはず――


 停止しかけた思考を気合で吹き飛ばす。いい。今考えるべき事はそんなことじゃねえ。

 硬直しているゼータの背中を叩いて起こす。


 哄笑した。

 笑い飛ばせ。聖なる気を吹き飛ばす程の邪気を。


「きっきっき、手掛かりさえ見つからないと思っていた矢先にまさかのご本人の登場とは……ラッキーだぜ」


 幸いな事に俺とゼータの他に人はいない。驚くほど街中は静かだ。スペースも十分ある。全力で戦える。

 天に浮かぶ影を手早く数える。


「十体……か。増えてやがる」


 それぞれの力は予想通り大したことはない。相性はあっても、俺の力より遥かに低い。本能からくる畏怖さえ沈めてしまえば十分に勝てる相手だ。


 しっかりと地に足をつけ、力をためる。いつ如何なる動作にも対応できるよう、魂を最適化する。

 天使の群れは驚くほど静かに、俺達を見下ろしていた。その眼差しに浮かぶのは純粋な侮蔑。下等種を見下す眼差しだ。

 きっきっき、舐めやがって。


 これが本隊か?

 いや、そうではないだろう。これは小手調べだ。

 五体との話で十体出てきたのがその証拠。悪魔の力を測っているのか?


 まぁ、ダース単位で出てくるがいい。強欲には強欲のやり方がある。


 ゼータは十分に役立ってくれた。


 頭脳労働と肉体労働。

 調査と戦闘。


 ここからは俺の役目だ。


「デジ――さん」


「きっきっき、下がってな」


 『強欲の蔵(ビッグ・ポケット)


 亜空間に存在する強欲の蔵を開く。

 一年前に戦った質の悪い暴食の王のせいで中身はほとんど残っていない。だが、とっておきの一振りが残されている。


 それは曾て魔王に匹敵する強大な火竜を焼き殺したとされる炎の魔剣。

 慣れ親しんだ剣がしっくりと腕に収まる。相も変わらぬ莫大な魔力を秘めた紅の刀身が、燃える太陽のもとにさらけ出された。


 魔剣セレステ


 今は昔、堕落の王から賜った最高クラスの宝具。

 神とは正反対にして、それに匹敵する波動がわかるのか、人形のような天使の表情が酷く歪んだ。


「きっきっき、安心してくれ。俺は強欲(アワリティア)、命までは取らねえよ」


 一を得れば十を望み、十を識れば百を欲する


 たかだか、天使十体じゃ満足できねえ。百体、千体、万体かかってこい。

 俺の渇望の対象じゃあねえが、飲み干してやろう。


 セレステを軽く振るう。剣身から溢れた魔力が炎の竜を形作り、天使の一体の翼を貫いた。

 同時に刹那の瞬間で全身が炎に包まれ、錐揉みをして落下する。


 轟音。


 天使の巨体を受けた、カフェテラスの屋根が騒々しい音を鳴らし、陥没した。

 竜種すら焼き尽くす伝説を持つ豪炎に包まれた天使はぴくりとも動かず、力も感じない。


 唇を舐める。予想通りだ。

 ……一撃、か。やはり大した相手じゃねえ。


 騎士級以下だ。セレステ抜きでも、なんとでもなるレベル。

 剣身を天使に向ける。突き上げた見えぬ剣身に貫かれたかのように、天使が中空で揺れた。


 手加減するか?

 少なくとも一体は生かして残しておかなけりゃ、記憶が取れねえ。

 だが、それだけの余裕はあるのか?

 殺す気なしに無力化できるのか? 地の利は天を支配する敵にある。

 セレステは威力が高過ぎる。殺しちまう。

 跳んで叩き落とすか? できるか? 宙で攻撃を防げるか?


 思考を巡らせたその時、天使の力が爆発的に膨れ上がった。

 全身から湯気のように力が、魔力が、神気が湧き出す。立ち上る黄金の聖なる気は悪魔である俺の眼から見ても神々しい。


 突然上昇した敵の力を肌で感じ、一瞬で把握する。

 力の規模は騎士級の上位。今まで手加減していたのか? 力の量にして一・五倍から二倍。その差は極めて大きい。


 だが、それでも俺の優位は揺るがねえ。


 九体の天使が天を仰ぐように腕を掲げる。

 明らかな攻撃の予備動作。俺はそれに合わせるように、セレステを大きく薙ぎ払った。


 魔剣の炎が腕を焼く。セレステの出力をあげた代償。

 一撃目の数倍に値する炎が柱のように立ち昇る。


 肉を切り裂くような痛みに耐えながらも制御したそれが、天から下った光の柱と激突した。


 あまりの極光に視界が眩む。セレステの紅蓮と天使の放った白の光がぶつかり合い、余波がカフェテラスと周辺の家屋を揺らす。

 屋外に並べてあった三つの円形のテーブルが尽く衝撃に吹き飛び、壁に叩きつけられ割れる。俺の後ろに隠れていたゼータが身を低めて、光と炎の拮抗を見上げた。


 天使がケタケタと笑う。

 その様はとても正義(ユースティティア)を司っているようには見えない。


 そして、笑うのはまだ早え。


 光を(スキル)を受けてはっきりと分かった。こいつら……間違いなく『悪食』の王よりも格下だ。

 きっきっき、比較対象が悪いか。


 ゼブル・グラコスとの衝突の時は拮抗していた。手なんて抜いていない、抜く余裕なんてなかった。

 いくら力を注ぎ込んでも全く動かない衝突はまるで絶対的なナニカ、まるで世界そのものを相手にしているかのようで怖気が止まらなかったもんだが、こいつらは違う。


「……まぁ、こんなもんか」


 セレステを再度振る。それだけで炎の竜は更に勢いを増し、あっさりと光を飲み込んで天を焦がした。

 天使のど真ん中を貫いたそれに巻かれ、数体の天使が一瞬で丸焦げになって地べたに落ちた。


 天からの哄笑が止まる。

 天使の姿は悪魔と変わらねえ。人の似姿に全身に纏った象牙色の法衣が風ではためく。ガラス球のように色のない瞳が堕ちた仲間を見下ろしている。だが、そこに恐怖の表情も焦りの表情もない。


 ――既に半分の仲間が敗北したはずなのに。


 ……何だこの感覚は。

 天使にだって感情くらいあるはずだ。それがあそこまで無機質となると――


 不自然さに得体の知れぬ不安を感じながら、セレステを振りかぶる。


 同時に、天使が散開した。

 空を四方に渡り飛翔する。その速度は、悪魔よりも素早いわけではないが、天には道がない。障害物も。

 天空は奴らの庭だ。その機動力は極めて高い。


 紅の剣が咆哮した。

 剣身が生み出す途方も無い魔力の渦が再び閃光となって空を追う。

 セレステは糧を欲していた。剣と言っても悪魔の作った一振り。神に仇なす為に生み出された逸品。性格は最悪だ。

 縦横無尽に暴れまわる魔剣の炎の速度は如何な天翼による飛翔といえど、逃げ切れる速度ではない。


 五方向に散った天使が炎に食い殺され、また一体地に堕ちる。


 実力差は明確。

 装備の差もセレステがある以上、こちらが圧倒的に勝り、状況も極めて有利に進んでいる。

 正義のスキルを容易く押し切った以上、勝利は揺るがない。


 俺は剣による熱のフィードバックを無視して、唇を舐めた。


「……何かがやべえな」


 手応えがないわけじゃない。堕ちた天使の反応は間違いなく消失している。

 だが、しかし……そう、強いて言うのならば、釈然としないのだ。こいつらの意図が見えない。

 それは、ゼータが記憶を読み取った際に感じ取った物なのかもしれなかった。


 上空から飛来した光の矢をセレステで打ち払う。

 スキルを使用するために停止した天使を炎の渦が食い殺す。


 ――後三体


 瞬間、全身をさらなる悪寒が襲った。


「デジ、さん……こいつら――」


「……どういう絡繰だ……」


 煌々とした光が空を埋める。

 空気がざわめいていた。悪魔の力の源とは異なる神々しい魔力の波動に世界が悲鳴を上げるかのように戦慄く。

 先ほどの力の発露が児戯に思える程の魔力。仮に力の規模で言うのならば先ほどの十倍はあるだろうか。

 それはつまり、初めに会った時の二十倍程度だということだ。


 十体の天使が二百体になったようなもの。


 この規模の天使が相手だと、将軍級悪魔がいても盛衰は判断できないだろう。


 だが、問題はそこじゃねえ。一番考えなきゃいけねぇのはそんな下らない事じゃねえ。


 極端な力の振り幅は本来の天使の本質とはかけ離れている。

 それが第一に考えるべき異常事態。


「馬鹿な……ここまで力の振り幅があるだと? 隠していた? いや、ここで隠蔽することに意味はねえはずだ……」


 天使の残数は三体。だが、そいつらは揃いも揃って凄まじい神気を纏っている。

 位にして騎士を遥かに越え、悪魔で言うのならば間違いなく将軍級の域にいる。


 三体の天使がいつの間に現れたのか、腰から白磁の剣を抜く。

 いつかどこかで見たことのあるスキル。


 そうだ、あれは前回の戦争で敵方の正義の天使が操っていた光の剣。


 正義のスキル

 『断罪の剣』


 騎士級の天使に使える階位のスキルじゃねえ。

 天翼が光を伴い、大きく羽ばたく。飛翔、滑空、下降。

 その速度たるや神速の名に相応しい。高位の天使は光の速度で動くというが、なかなかどうしてこいつらも疾い。


 遠距離戦では分が悪いと思ったのか。悪魔を滅する光に包まれた剣が視界に入る。

 まるで特攻だ。表情に張り付いた傲慢な笑みだけが、その行為がその類のものではない事を示している。


 戦い方はお粗末だ。技も何もねえ。だが、力だけは分相応にある。

 ため息をつく暇すらねえ。


「……やれやれ、面倒臭えなあ」


 馬鹿な奴らだ。

 強欲(アワリティア)の悪魔相手に、しかもこの俺を相手に剣で挑むとは。


 眼前に突出された正義の剣が一瞬で消える。

 俺の左下の手に新たな武器が握られる感触が生じた。突然手の中から消えた武器に、一瞬停止した天使を、奪いとったその剣で下から薙ぎ払う。


 断罪の剣はその張本人を相手にしても遺憾なく発揮された。

 弾丸のような運動エネルギーを下半身に力を入れて受け止める。剣を振るった腕に膨大な負荷がかかる。

 天翼で勢いのついていた事もあったのか、天使の身体は剣によって深く切り裂かれ、そのまま宙に大きく浮く。

 逆袈裟に切り裂かれた己の身体を愕然とした表情で見下ろしたその表情が逆光の下でもよく見えた。セレステで焼き殺した時とは違い、絶望の表情は大きく何度か色を変え、そのまま停止した。


 ドサリと音を立てて力を失った天使の身体が転がる。


 確かに力は強い。その神力はまともに受ければ俺でもダメージは免れないだろう。

 だが、それだけだ。まともに受けるわけがねえ。天使も悪魔も基本的には防御よりも攻撃に秀でてる。

 それはつまり、防御に特化した稀有な悪魔――怠惰のレイジィのような一部例外を除けば、全て躱さなければいけない事を示している。


 だが、こいつらにその気はない。


 ちぐはぐだ。力と戦闘経験が見合ってない。

 相手の属性すら測れず、突撃なんて愚の骨頂だ。

 だからセレステを使わない俺でも容易く落せた。強欲相手に武具を使用するなど、奪ってくれと言ってるようなもんだ。強欲(アワリティア)のスキルにはそういう類のものが多いのだから。


 だが、敵が弱いのは決して悪いことじゃねえ。

 俺にも戦闘本能はあるが、ハード・ローダーのようなバトルジャンキーじゃねえからな。楽して結果を得られるならそれに越したことはねえ。


「後二体……か」


「デジさん……強いですね……」


「敵が弱いんだよ」


 ゼータの言葉に軽く返す。本心だ。天界との戦争はこの程度ではなかったはずだ。


 残りの二体は空中で停止していた。

 男の天使。まるで機械的に製造されたかのように似通った二つの顔が、四つの眼が俺を睨みつけている。

 そこにあったのは憎悪か悲哀か。


 上位の天使が二体。

 だが、この相手には負ける気がしねえ。

 一体は討滅し、残りを捕縛して記憶を取り出す。

 将軍級だろうが何だろうが、何もかも奪い取ってやる。


 なーに、簡単な事だ。一万年以上生き延びる事に比べりゃな。


 セレステを再度強く握りしめる。

 腕は既にその焼気によって焼けただれている。セレステの代償。担い手へのフィードバック。

 限界までセレステを行使したものはその炎に焼かれ滅ぼされると言う。根も葉もない伝説だが、それを確信させるような魔性の剣気をセレステは纏っている。


 だが、その程度で力を抜く程、俺は落ちぶれちゃいねえ。


 それを嘲笑うかのように、天使が矯正のような声を上げた。

 耳の中でハウリングしているかのような癇に障る高音。ゼータがそれに耐えかねるように耳を塞ぎ、うずくまる。


 世界が揺れていた。鳴動。振動。

 実際に揺れているわけじゃない。そう錯覚してしまう程の神力の波動。

 魔界の空気が染まる。漆黒から純白へ。闇から光へ。


 尋常ではない状況にゼータが瞼を痙攣させ、二体の天使を食い入るように見た。

 何だこれは……こんなの知らねえ。


 いや、まさか……


「まだ上がる……のか。馬鹿な――」


 天使の身体が膨張したかのような錯覚すら抱かせる聖なる気の放出は先ほど天使が使った光の柱にも負けずとも劣らない。

 立ち上る力が空を裂き、雲を貫く。

 戦闘の高揚で完全に収まっていた身体の震えが再び発生しかけ、寸前で力を込めせき止める。


 天使の身から感じる力は、今やこの俺を完全に上回っていた。


 ヴァニティの『混沌の王領(アビスゾーン)』が侵食されたかのように破られる。

 代わりに一面に広がったのは聖なる気。まるで神の祝福が降り注ぐかのように光が舞い降り、銀の風が瘴気を上書きする。

 力の増加により、天使の出で立ちは完全に変わっていた。

 どこか作り物めいた無表情に生気が宿り、その眼に今までのそれが児戯であるかのような強烈な戦意が宿る。


「これ……って――」


「……おいおい、勘弁してくれよ……」


 天使に魔王級は存在しない。魔王とは魔なる王の事を指すが故に、魔王と同格の力を持つ天使をこう呼ぶ。


聖王(セイクリッド・ロード)


 悪魔と天使は対なる魂だ。

 黒と白。闇と光。悪と善。

 

 故に、悪魔と天使はその本質が故に、常に敵対する運命にある。

 その存在は、天敵の中でも一際最悪な敵だった。


「ちっ、どういう事だ……王が魔界に降りてくるだと!?」


「…………」


 王には義務がある。領地がある。臣民がある。それは天使も悪魔も変わらないはずだ。

 魔界に天使が襲来することはたまにあるが、王が降臨したことはほとんど記憶にない。


 言葉が聞こえているのかいないのか、天使は答えない。

 ただ黙って向けられた指先に一瞬で光が、魔力が集約する。


「ッ!?」


 戦士の勘。今までの経験で、反射的に横っ飛びに大きく跳んでいた。

 刹那の間もなく光が放たれた。その速度は、まさに純粋な光に近く、上位悪魔として高い知覚能力を持つ俺でも残像すら見えない。先ほど放たれた光の矢を圧倒的に引き離しているそれこそが王たる力なのか。


 偶然抜けた光がカフェテリアを穿ち、刹那の瞬間に音と衝撃が全身に奔る。

 轟音が鼓膜を揺さぶり、崩れかける五感が状態異常治癒のスキルにより取り払われる。

 投げ出された身体をとっさの判断で制御する。


 回転する視界。


 ゼータが地べたに叩きだされたのを確認する。大丈夫だ。あの程度で騎士級悪魔は死なねえ。

 自身の状態を確認する。スキルが直撃したわけじゃねえ。爆風を背中に受けたがダメージは行動に支障が出るレベルじゃねえ。


 何故、どうしてこんな辺鄙な場所に天使の王が降りたのかは知らねえ。知りたくもねえ。


 幸運だったのは、この瞬間でもセレステを離さなかった事だ。

 強欲のスキルの威力は高くねえ。魔剣抜きだとどうしても決定力に欠ける。


 だが、逆に言うのならばこいつがあれば聖王相手でもまだ勝ちの目はあるってことだ。


 思考は天敵との邂逅によって酷く澄んでいた。魂を揺るがせる本能が視界をクリアにする。

 指先から放たれた光。威力、速度共に間違いなく王が使用するに足るスキルだ。


 足を曲げ衝撃を殺し、体勢を立て直す。

 左手の『断罪の剣』

 右手の『セレステ』


 再び向けられた指先に合わせるように魔剣を振り下ろす。

 炎龍が天使を食らうべく向かう。

 光が俺を討滅すべく追う。


 規模は俺の攻撃(セレステの炎)の方が遥かに広大だが、天使の放つ光は一極に集中している。

 光が龍の体内を食い破るかのようにゆっくりと前進する。食い止めきれねえ。


 光を放った天使の隙を守るかのようにもう一体の天使が前に出る。


 驚愕に一瞬力が緩む。その隙を付くようにして光の進む速度があがった

 あまりにもでかい気配に気付かなかったが、その気配は確かにもう一体と同じ階位のものだった。

 馬鹿な……どういうことだ。何が起こっている!?


「天使の王が……二体、だと!?」


 一体でも力の差がある相手が二体。ここ一万年の間に全く姿を見せなかった天使の王がまるで悪夢のように並んでいた。

 その表情からは何の考えも読み取れず、ただわかるのはこいつらが『殺る気』だって事くらいだ。


 このままじゃジリ貧だ。横に跳ぶのと同時に、制御を失った炎龍を容易く貫いた光が、一瞬前に俺のいた場所を通り過ぎた。

 光を身に受けたわけでもないのに全身がぎりぎりと痛む。


 一旦退くか?

 退けるのか? 王を相手に。

 奇しくも、一年前に怠惰のレイジィの軍から脱退してきた時の事を思い出す。


 運命。俺の運命はここで俺を見捨てるのか?

 かの傲慢の魔王、ハード・ローダーから逃げ切った俺がここで死ぬ?


 ぞくりと。何かがつま先から頭にかけて駆け上る。

 魂から燃え上がった昏い熱が全身に力を供給する。


「きっきっき、面白えじゃねえか。やれるもんなら、やってみろ」


 握った魔剣を振りかざす。天使の王が警戒するように一歩後ろに下がる。

 セレステの炎は強力無比だ。だが、その魔剣の本質はあくまで剣。


 それは切り裂くためにある。


 魂がズキリと痛む。


 俺は地面を強く踏みしめ、思い切りセレステを振りかぶった。

 身体のねじれ。全身の運動エネルギーを全て魔剣に乗せて、投擲する。

 

 魔剣は紅蓮の彗星になって天使に襲いかかる。本来炎として放出される魔力が全て剣身に集中したその一撃は間違いなく俺が撃てる最たる手だ。

 それを確認する事なく、俺は地面に転がっているゼータを抱え上げた。


「はぁ、はぁ…‥ぐ……逃げるんですか?」


「きっきっき、人生、命あっての物だねだ」


 財も宝具も命さえあればいくらでも集められる。比較するまでもない。

 天使の悲鳴とも取れる高い歌声が耳を打つ。その効果を識るまでもなく、自動的に状態異常抵抗のスキルが発動し、それを打ち消す。

 手が決まりゃ、後は逃げるだけだ。天使の機動力は脅威だが、しかしここは街中、空から探されたら厄介だが、隠れられる場所はいくらでもある。


 そして俺にはまだ逃げ切れる目があった。

 天使が現れたということは、卑慢のヴァニティが気づかねえわけがねえ。ましてや、今回は自らのゾーンが破られている。

 『混沌の王領(アビス・ゾーン)』はただの友軍への補正を与えるスキルじゃねえ。

 それはいわば、肥大化した魔王の知覚だ。敵対種が入ってきた時点で感知できる。


 軍が来るまで逃げ切れれば俺の勝ち。見つかれば俺の負けだ。

 きっきっき、分の悪い賭けだぜ。


 そう狭くないとは言え、大通りは丸見えだ。背後からあの光を撃たれたらさすがに逃げきれねえ。

 街のマップはここ一週間の聞き込みで頭に入っていた。奴らはこの街に慣れていないはずだ。特に、記憶を簒奪するために覚えていた、人通りが少なく視界が悪い襲撃ポイントが、逃亡で役に立つとは皮肉な話だ。


 一本の路地に入ろうとした瞬間に、足元に転がる人影に気づく。

 カーキ色の大きめの外套に身を包んだ小柄な悪魔だ。同時に、その姿はここ一週間で見知ったものだった。

 行きつけのカフェテラスでずっと突っ伏して動かなかった悪魔だ。俺も大抵そこにいたから、見ない日はなかったが同時にもう風景の一部とさえ錯覚していた。


 ……こいつ、まさかテラスにいたのか?


 死んだようにうつ伏せのまま動かない悪魔を見て、一瞬だけ躊躇う。だが迷っている暇はない。

 覚悟を決め、その首根っこを持ち上げた。


 他人なんざどうでもいいが、こんな所に置いていくのも流儀に反する。

 そんな善意とも言えない、強いて言うのならば気まぐれの感情。もともと、俺の力ならば一人担ぐも二人担ぐも同じようなもんで、セレステを捨てたおかげで腕も余っている。


 子猫でも持ち上げるかのように首根っこを掴み、悪魔を持ち上げた瞬間、フードが脱げた。


 俺は反射的にそれを思い切り背後に投げ捨てた。

 急に投げつけられたカーキ色の物体に、背後に迫りつつあった天使が一瞬立ち往生する。


 肩の上でゼータが喚いた。


「ど、どうしたんですか!? いきなり……」


「ば……かな……何故――」


 頭の中に浮かぶこの感情をなんと表現したものか。

 愕然。驚愕。戸惑い。唖然。その全てが入り混じったものであり、だが強いて一言で言うのならばそれは『呆然』といえるだろうか。


 気配がなかった天使。

 二体の天使の王。


 連続する想定外を凌駕するさらなる奇想天外。

 天使以上に悪夢のような奇跡。


 言葉を吐こうと口を開くが、思考がまとまらねえ。何て言えばいいのか分からねえ。

 必死で口を動かして、二転三転した感情の末に出た感情は、呆れだった。



「レイジィの旦那……手ぇ抜きやがった……のか……」


 脳裏には何を考えているのか、ただひたすらに怠そうな怠惰の王の姿が浮かんだ。

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