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堕落の王【Web版】  作者: 槻影
Chapter9.簒奪(アワリティア)

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第三話:……奪うか

 灰岩(この街)は暑い。

 手がかりが驚くほどない。

 その二つの事実がじりじりと思考を炙っていく。

 灰岩で調査を開始してはや一週間、何もないままで時間だけが過ぎていた。


 焦燥感。だが、新たに他の地で五体の天使が現れたという情報は入ってきていなかった。


 天界に帰ったか?

 可能性はある。一時的な斥候だった可能性は確かにある。

 その場合は、俺達は無駄足だったということになる。


 何しろ第四位の魔王が準備万端で待っているのだ。普通の思考だったら再度同じ場所に襲撃をかけるなどありえないだろう。

 だが、天使というのは普通じゃない。奴らの抱える正義(ユースティティア)は悪魔の渇望と同じくらいに業が深い。


 今日もカフェは俺たちの他に一人しかいなかった。

 俺はいつものテラスのいつもの席で額の汗を拭き、タンブラーグラスに注がれたライム色の水を一息に飲み干した。


 眼の前で、俺よりも位が低いが故に憔悴しているゼータに声をかけた。


「きっきっき、面白いねえ。ここまで何も出ねえとは……」


「痕跡がまるでない……ですね。破壊の跡すら――」


 さすが元軍の駐屯地だ。

 それほど長く滞在させたわけでもないだろうに、ここの建造物はやたら硬く、防護の結界が隙間なく張り巡らされていた。

 天使と交戦があったとされる広場にも行ってみたが、そこにも破壊の跡はほとんど残っていない。


 これでは天使の属性が想像できない。

 が、それでも収穫は零じゃねえ。わかったことはある。


「結界を破れない程度の攻撃しかできない。やはり、天使の実力はそれほど高くねえな。相性も含めて考えると、せいぜい騎士級だろう」


「騎士級がたった五体で百人の悪魔を討滅したと?」


 ゼータが信じられないものでも聞くかのように俺を覗う。


「ありえねえ話じゃねえ。天使の力は悪魔の力を削ぐからな……まぁ、魔界で戦う分には補正があるから、最終的には自力の差になるんだが……」


 ヴァニティ本人はともかく、その軍は有名じゃねえ。だから、あるいはヴァニティの軍が弱かった、とも予想できる。

 何しろ、本人が出張るならともかく、軍の強さと魔王の強さは根本的には無関係だからな。


 まぁ、だが、どちらにせよこのままでは真実がわからない。

 聞き込みはやった。戦場も仔細に観察した。


 ……仕方ねえ。これ以上時間を無駄にするのも尺だ。


 ……奪うか。


 熱せられた上気が脳を煮るかのように感情を揺らす。

 卑慢の領内であまり手荒な真似をするのは心苦しいが……この世は弱肉強食だ。


「……きっきっき、ゼータ。仕方ねえなぁ――目撃者の顔はわかっているな?」


「……本気ですか? ここはあくまで友軍の支配地ですが……」


「そんな事言ってたら何もできねーだろうが。臨機応変だ、臨機応変。それに……なぁ、ゼータ――」


 一週間の間この地で調査を進める事で、若い男悪魔のストレスは既に破裂寸前まで溜まっていた。

 だが、今のゼータの表情に疲れは見られない。


 俺は口を歪めて笑い、気づいていない後輩に指摘してやった。


「――お前、笑ってるぜえ?」


「……くふ……まぁ、デジさんがそういうのならば仕方ないですね」


 僕はどうでもいいんですが、とでも言いたげに忠実な後輩が笑う。


 忠実だがあくまで忠実なのは俺にではなくその欲望に、その渇望に対してだ。

 それは悪魔としての才覚の高さを示している。才能のある悪魔を見るのは楽しいねぇ……


 ゼータがゆっくりと立ち上がる。その表情には既に疲れは見えない。

 強い光を放つ灰の眼だけが紅蓮に燃える太陽の光の中、輝いて見えた。


 その場で立っているだけにも関わらず、その痩身が一瞬膨らんで見えた。

 力の発露。肩で息を吐き、獣のような悍ましい表情で、そしてそれに反した静かな声でゼータが呟いた。


「『強欲の手(グリード・ハンド)』」


 強欲(アワリティア)のスキルは求め、奪い取る渇望。

 他を顧みず、魂の欲するままに万物尽くを嬲り辱め簒奪するそのスキルの本質の実は、他者を喪失させる事にある。


 きっきっき。


 奪い取る。


 得る者が在るという事、それは失う者もまた在るという事。

 嫉妬(インヴィディア)よりも横暴で、暴食(グラ)よりも悪辣。

 俺が魔王にもなれずに一万年もの長き時を生き延びることができたのにも理由(ワケ)がある。


 強者は喪失を想定しない。

 彼らは失った後に気づくだろう。


 強欲(アワリティア)の恐ろしさを。


 ゼータ・アドラー、強欲の悪魔の両腕が薄っすらと黒く発光する。


 強欲のスキル。『強欲の手(グリード・ハンド)


 その力は暴食の持つ『飢餓の波動』程の凶暴さを持たないが、飢餓の波動よりもよほど凶悪だ。

 きっきっき、だが大丈夫。命までは取らねえ。命だけは、な。


「ゼータ、手早く終わらせろよ。きっきっき、天使とまみえる前に悪魔とやりあわなくちゃならなくなる。そりゃさすがに骨だぜ」


 レイジィの旦那から受け取ったセレステは凶悪無比な魔剣だが、それでも相手が魔王ともなると分が悪い。さすがにただの悪魔から少し奪っただけで魔王が出てくるたあ思えねえが、ヴァニティは得体の知れない魔王だ。用心するに越したことはない。


「ふ……分かってますよ。」


 ゼータもそれはわかっているのか、軽く頷いて獲物を物色し始める。

 この街は狭く、それほど住人が多いわけではないが、真っ昼間だけあって人通りはちらほら見えた。


 天使が出たってのに、大した余裕だ。

 悪魔は魔界の支配種族だ。敵はほとんどいねえ。

 だから、普段戦闘を行わない下級の悪魔になればなるほどに自らの生まれ持った力に傲慢を抱く傾向にある。

 

 ゼータはまるで散歩をするように道端を歩く一人の悪魔に近づく。ゼータと年齢はほとんど変わらないだろう、若い悪魔だ。

 だが、警戒が足らねえ。一万年に近いその時のほとんどを軍属で過ごしていた俺にははっきりとわかった。その出で立ち、仕草は常在戦場の魔界でよく生きてこれたもんだと呆れるくらいに平和ボケしている。


 ゼータが近づいても、訝しげな表情をするだけで特に身構える様子もない。ゼータの背が自分よりも小さいから、ということもあるのだろう。その腕は他者を害するようには見えない程華奢だ。

 手に触れる程の距離まで近づき、ようやく青年悪魔が声をあげた。


「な、何か――!?」


「くふ」


 青年の動きが停止した。その眼は、表情は真っ直ぐ前を見ているようで何も見ていない。

 ゼータの、骨のように細い指先がその額に触れている。何気なく伸ばした腕はあまりにもあっけなく事を成した。

 突き刺さっているのではない。ただ、触れているだけだ。毛程の傷も付けない繊細さで。


 ゼータがにんまり三日月のように口を歪めて笑い、指を引く。この間、数秒。

 張本人以外に誰も目撃者はいない。また、例え目撃者がいた所で見て見ぬふりをするだろう。弱肉強食。その意味は知っているはずだ。



 ゼータの渇望は記憶だ。

 俺が古今東西、森羅万象の宝具を望むように、他者の経験を、記憶を欲する強欲(アワリティア)の悪魔

 必然、その簒奪のベクトルは他者の持つ記憶(メモリー)に向いている。


 俺には何が楽しいのかさっぱりだが、他者の渇望を理解できるとは思わねえ。好きにやるがいい。

 少しでも俺のメリットになるんだったら、万々歳だ。

 

「……終わりました……くふ……」


 奇妙な笑い声は、どこか上機嫌だった。

 目的通りのモノを奪えたのだろう。


 強欲のスキル。『強欲の手(グリード・ハンド)


 自らの欲の対象を簒奪する強欲のスキル。

 俺ならば宝具を、ゼータならば記憶を、他者のモノを奪い取る悪欲の腕を下す、強欲(アワリティア)のスキルの中では最も使用頻度の高いスキルだ。そして同時に、渇望の向く先によっては強力無比となるスキルでもある。


 ただ物を奪い取る将軍級の俺よりも騎士級のこいつの方が質が悪いように。


 視界を恍惚と飛ばしながら、酩酊したような目つきで呟く。

 その視線は前を見ているようで前を見ていない。


「なるほど、これが……天使(エンジェル)――私達の仇敵、ですか」


「きっきっき、一発目で大当たりかい。お前、目撃者かどうか確認しなかっただろ」


「そんなの……さしたる問題じゃないです」


 そりゃそうだろうよ。お前にとってはな。

 まぁ、許す。そこまでは許す。

 だが、存在し続け渇望を満たし続けるためには越えてはいけない線ってもんもあるもんだ。

 常世国でも見ているかのような目つきに、力を込めて視線をぶつけた。


「最小限でいったんだろうな?」


「……もちろんですよ。デジさんの教えの通り……すぐに動き出すでしょう」


 その言葉を待っていたかのように、固まっていた青年悪魔が動きだした。

 化かされたかのような不審そうな表情でしばらく周囲を見渡していたが、すぐに前に進み始める。その足取りはしっかりしたもので、たった今『奪われた』ようには見えない。


 何一つ、証拠は残らない。

 日常生活の中でふとした瞬間に僅かな疑問が浮かぶかもしれないが、それだけだ。記憶なんてその程度のもの。長く生きていけば生きていくほど、日常生活の僅かな記憶なんて気にもとめなくなる。


 もしかしたら俺の記憶も奪われてるかもしれねえなあ。きっきっき、そう考えると悍ましいこった。


 ゼータの表情が夢現から現実に戻る。そのまま、前の席に腰を掛け、報告を始める。


「さして苦労もせずに剥ぎ取れましたが……真新しい情報はないようです」


「……そうか」


 一発で新たな手がかりが得られるとは思っていない。

 そもそも、ここに来て一週間情報を集めたが何もなかったのだ。でなくて当然、何か手に入ったら幸運だと思わなけりゃなあ。


 人生は波だ。上昇することもあれば下降することだってある。


「ここで集めた情報は真実のようです。天使は五体、天翼を持った天使が五体ですね。侵入経路は空。街を襲撃し、駐屯していたヴァニティ軍が迎撃し、返り討ちとなった、と。記憶の主が見た経緯はこんな所です」


「……なるほどねぇ。で、肝心の天使はどこに去った?」


「さぁ……空から逃げたのは明らかなんですが、方角までは見ていないようで……」


 なかなか上手くいかねえもんだ。

 まぁ、今の収集した情報が真実だとわかっただけでも、儲けもの、か。


 きっきっき、まだ『一人目』だしなあ。

 それに、百聞は一見にしかず、情報収集というステージに置いて、実際に見たという記憶を得られるメリットは計り知れない。


「天使の攻撃手法は?」


 俺の問いに、ゼータが目を瞬かせる。

 しばらく首をかしげ、ゆっくりとその言葉を口から出した。記憶を簒奪し我が物にするとは、即ち体験を追走するということでもある。

 その口調はまるで眼の前で起こった脅威を語るかのように慄いていた。


「光……そう、光の柱、です。直径数十メートルもあろうかという巨大な光の柱が――街を焼き、悪魔を薙ぎ払った」


正義(ユースティティア)の天使のスキル……だったか。確かそんなのがあったはずだ」


 悪魔が七の属性を持つように、天使も幾つかの属性で分類される。


 正義(ユースティティア)はその中の一つ。


 とにかく攻撃力に特化した属性だったはずだ。

 かつて、一万年前に垣間見た正義(ユースティティア)の光の波は絶えることない魔界の闇を晴らすだけの力を持っていた。


 広範囲の天使の攻撃……騎士級以下しかいなかったというヴァニティの軍にとっちゃあ相性最悪の相手だ。

 軍が弱かったというよりも、運が悪かったのか……?


「……天翼は何枚だ?」


「……え?」


「翼だよ、翼。天使の証だ。天使は翼の枚数で力の格が決まるからなあ」


 天界と争った経験を持つ者にとっては常識だ。

 翼は奴らの誇りだから、謀ることもない。


「……なるほど。一枚ですね。いや、一対、とでも言いましょうか」


 一対の天翼。

 やはり大した天使じゃない。下級から中級の天使だ。悪魔の格と同一とするのならば、ゼータと同程度かそれ以下の可能性が高い。まぁ、悪魔と天使じゃ相性が悪いからゼータ一人じゃ厳しいだろうが……


 セレステがあればたやすい相手だ。いや、セレステ抜きでもいけるだろう。

 いくら光の柱で焼いたといったって、街中を回った感じだと大きな破損の跡はない。

 所詮、結界を破れない程度の威力、か……


 後は本隊がつめている可能性だが……


 まぁそこまで考えてもしょうがねえか。

 絶対安全な戦いなんて存在しねえ。多少のリスクくらい飲み込んでこそ、だ。


 何より、天使を下しても、魔王を討滅しうる戦乙女なんて化け物が出てきてやがる。

 これは時代の転機だ。今後のためにも天使との戦いを経験しておくのは悪い事じゃねえ。


 まだ記憶を見返しているのか、ぼんやりとした表情で宙を追っているゼータに指示を出した。


「おい、ゼータ。次の簒奪を始める。とりあえず手掛かりが足りねえ。いっそのこと、全員の記憶をかっさらう気でいこうじゃねえか」

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