第四話:よは
そしてまた、日常が始まる。
「レイジィ様、お食事の時間です」
「ああ……」
ローナが作った料理を食べ、部屋の掃除をしてもらう。
部屋の掃除が終わったらベッドのメイキングを受け、その間は安楽椅子の上でゆっくりと微睡むのだ。
精神は平静で、ストレスもほとんどない。
働く必要はなく、今まで定期的に襲来していた敵も来なくなった。楽でいい。
「え? ひゃ……? レ、レイジィ様……これは……」
だが、今日は珍しくローナが悲鳴を上げた。
掛け布団を取り払ったままの姿勢で、表情が引きつり、身体が固まっていた。
俺の憂鬱が原因ではないだろう。
ベッドの上には小柄な少女がいた。一糸まとわぬ姿で。
枕を抱え込んだまま安らかな表情で眠っている。
名前は知らない。
「な、なんでミディアが……レイジィ様のベッドの中に……」
「……知らん」
いや、入ってきたのはかろうじて覚えているが興味がなかったので放っておいた。
別に俺を害するわけもなく、何をするわけでもなく、そしてベッドの広さも十分にある。俺に拒否する理由がなかった。というか面倒だった。
理由はわからないが、居るも居ないも好きにするがいい。
「ミディア? ミディア!? ちょ……起きなさい!!」
「んぁ……」
がくがく揺さぶられ、ミディアと呼ばれた女悪魔が億劫げに目を開ける。
その眼は酷く淀み、濁っていた。眠そうに眼を擦る。
「……ん……何?」
「な……何、じゃありません! な、な、なんで貴方がレイジィ様の部屋に……」
「私は枕。以上。眠い。おやすみ」
「は? ちょ……起きなさーい!」
再び枕を抱きしめて寝入りにかかるその姿形はもはや悪魔としての尊厳の欠片もなかった。
がくがくと再度揺らすが、今度は起きる気配がない。そして、その身から感じる、深くただ静かな気配。
それは俺もよく知る気配だ。
それ即ち、『怠惰』の力に他ならない。
そして、それが真実である以上ミディアが起きることはないだろう。
怠惰は睡眠に補正がかかるのだ。いや、耐性ではなく……
「ローナ、放っておけ」
「え? ほ、本気ですか?」
「……ああ」
怠惰の悪魔の気持ちはよく分かる。
無理に起こすこともないだろう。迷惑もかかってないし。
ローナはしばらく俺とミディアを交互に見ていたが、やがて深くため息をついた。
それは酷く珍しい表情だった。
「分かりました。レイジィ様。……ですが、やはり男女の仲でもないものが同じベッドで寝ることはあまりよろしくないかと……」
「そうか」
随分と倫理的な台詞を吐く悪魔だ。
まぁ、その言葉に特に反論はない。賛同もしていないんだが、それは俺にとって割りとどうでもいいことだった。
「ミディアは別室のベッドに運ぶ事にします。よろしいですね?」
「……ああ」
有無をいわさぬ鬼気迫る表情。
決して怒りを抱いているわけではないだろうが、珍しく意志の篭ったその言葉に是非もなく頷く。
ローナはまるで大きな物でも抱えるかのように、身動ぎ一つしないミディアを抱きかかえ、一礼して部屋から去っていった。
メイドって大変だなあ。
そんな事をぼーっと考えながら、椅子の上で身を縮める。
カノンが送ってきた新しい椅子だ。前回まで使っていたものは凍りついてしまいダメになってしまったが、これもなかなか心地よい。
その時、扉を開けてまた新たな悪魔が入ってきた。それは一つの日常の範疇でもある。
憤怒を司る悪魔であり、俺を観察しているらしい悪魔でもある、リーゼ・ブラッドクロス。
俺を観察して何が楽しいのか、知らないが黙って観察するだけならばいつでも観察しているといい。
「レイジィ様、起きていたのですね……」
「ああ」
いつもわりとピンピンしながら動き回っているのに、その顔には珍しく深い疲労が見て取れた。
そのまま倒れこむように、テーブルに付随している椅子に腰をかけ、何も言わずにへたり込む。
「……疲れているようだな」
「……はい。さすがにハード・ローダーとレイジィ様の二人を監視するのは骨が折れます……」
なるほど。担当案件が二つあるようなものか。
それはご苦労なことだ。
「……愚痴っていいですか?」
好きにするといい。俺何かに愚痴って意味があるのかは知らないが、黙って聞いてやる程度の事はしてやる。
別に左から右に聞き流すだけだし、聞くというよりは耳から入ってくるだけみたいなもんだが。
「ハード・ローダーは化け物ですね。もしかしたらレイジィ様以上かも……おまけに凄い動くんですよ。魔王になってからまだほとんど経っていないのに、一歩でも領土に踏み込んだ魔王を一人も許さずに尽くを討滅……ちょっとちょっかい出してきただけなのに自ら敵本陣まで踏み込んで完全に殺してますからね」
「…………」
「おまけに常に虎視眈々とカノン様の首を狙ってるみたいだし……ぜんっぜん気の休まる暇がないんですよ。彼の所に何人監察官が派遣されているか知ってますか? 十人ですよ、十人! 傲慢はその特性上最も危険だからといって……異常です。カノン様が如何に憂慮しているのかが見て取れるかのようで……」
「…………」
「レイジィ様の序列を上げろってうるさいし」
「…………」
「あっという間に序列が上の悪魔を優越して、もう第一位ですからね」
「…………」
「全く動かないレイジィ様の担当はやりがいがほとんどなかったですが、やりがいがありすぎるのも困ります……」
「…………」
そうか。大変だな。
ならば別に、こっちを観察しなくてもいいのだが。
どうせ敵など居ないし、俺はただ寝ているだけだ。動く事もない。
声には出さない俺の意志を感じ取ったのか、リーゼが疲れたような軽く引きつった笑顔を俺に向けた。
その身に感じる力は、俺の記憶にある一番古いリーゼのそれとは比べ物にならないくらいに、増大している。
「……いや、ここにはただ休みに来ているだけなので……」
「……そうか」
ならば、好きにするがいい。
俺の眠りを邪魔しないのならば、別に何をしようが構わん。
いや、邪魔できるものならばしてみるがいい。
「……一応聞きますが、何かそちらに問題は起こりましたか?」
「……別にないな」
「そうですか……そりゃそうですよね」
安心したようにリーゼが顔を伏せる。
嘘だ。たった一つだけ、問題にならないようなちっぽけな変化だが、たった一つだけ動かない俺に起こっていた。
気がついたのはごく最近だ。いつ起こったのかはわからないが、多分領土を剥奪され静かな生活が戻ってからだろう。
実の所、今の俺はもう魔王ではない。
クラス『邪神』
魔王のクラスが変化した、それが俺の新たなクラス。
まさか王の次があるとは思わなかったが、邪神ってもう職じゃねーだろとか思う。
まぁ、クラスが変わろうがやる事は変わらない。
俺はただ、そこにあるがままに存在するだけだ。これまでも、そして多分これからも。
いつか討滅されるであろうその日まで。
話題を変えるようにリーゼが言った。
「……そういえば最近、魔界にちょっかいを出してくる天界からの刺客にやたら強い者がいるらしいです」
「……?」
それがどうかしたのか?
俺の思考の変化に気づいたのか、リーゼが首を横に振る。
もはや言葉を出す必要すらない。全てを察する洞察力。リーゼは俺にとって得難い存在になりつつあった。
「いえ……それが魔王クラスを討滅するほどの恐ろしい力を有しているらしくて……おまけに翼で空を飛びますからね。機動力が高いので、さしものハードと言えど取り逃すことがあるかもしれません。今カノン様が対策を練っていますが、一応周知だけはしておこうかと……」
「魔王を殺しうるほどの天使か……」
確かに、それは恐ろしい存在だ。
そもそも天使の力は悪魔に取っては天敵とされている。魔界に満ちた魔力は悪魔に高い能力の補正を与えるが、そうであっても度々悪魔を討滅しうる程に奴らは面倒臭い。天使が魔界を攻め入る事があっても、悪魔が天界を攻めることが滅多にない理由でもあった。
俺の言葉に、リーゼがテーブルに身体を伏せたまま首を横に振る。
「いや、天使じゃないです……いや、一応分類は天使なんですけど……『戦乙女』って知ってますか?」
知らないな。聞き覚えもない。
いや、前世でちょろっと聞いたことくらいはあるかもしれないが……多分ファンタジー用語だったはずだ。
俺の態度に、リーゼがため息をつく。
「『戦乙女』ってのは天使の一種で、天に召された『英雄の御霊』が変異して出来上がる特殊な天兵です。長い年月を経て力を蓄える私達や一般の天使と比べて、生まれた頃から膨大な戦闘経験を持っているのでかなり厄介なんですよ……まぁ、魔王を打倒しうる程の英霊はそうそういないはずですけど……」
へー。そんなの居るんだ。
良かったね。
やる気が一切ない俺に、リーゼが肩をすくめて言った。
「銀碧の剣、セルジュ・セレナーデ。現段階で確認されている最強の『戦乙女』です
一応記憶に止めておかれた方がよろしいかと」
「……ああ」
それは、予想外の名前だった。一瞬起き上がろうとして身体が動かなくて諦める。
だが、脳内には一気にかつての情景が蘇っていた。
信じられねえ。なんで生きてるんだよ。
もうやだ。日本だと死者が生き返ったりしないのに、この世界では起きるのか。
死すら可逆。いや、今回の場合は可逆というパターンとは異なるかもしれないが、どっちにしろなんというファンタジー。
俺はもう一度、自分のクラスを眺め直した。
『邪神』
恐らく、悪魔の持ちうる最高位のクラス。
「? 何か嬉しそうですね?」
「……いや」
だが、いいだろう。
いつまでもただ待っていてやろう。それは俺の得意分野であり、多分、一人の魔王としての、最後の敵としての義務でもある。
貴様は邪神を打倒しうるのか?
その勇姿を俺に見せてみろ。
よは
満足して、眼を閉じる。すぐに微睡みがやってきた。
俺こそは堕落の王。
ただそこに居るだけの無為の王
そして、他者を堕落させ、万物尽くを絶望の奈落に叩きこむ悪意の権化。
気がついたら異世界に転生していた。
寝ていたらいつの間にか望んでもないのに魔王になった。
働かなくていいなんてこの世界、最高じゃないか。きっと日頃の行いがよかったからに違いない。
怠惰の味は蜜の味。栄光、勤勉、貞淑、名誉など興味もない。
堕落の王とは何を隠そう――この俺の事だ。
これにて本作品は完結となります。
一月の間お付き合いいただき本当にありがとうございました。
予想以上の多くの方に読んで頂けて、ランキングにまで載せて頂けて作者として光栄の極みです。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
年末の暇な時間にささっと書き始めたこの作品をなんとか完結までもっていけたのは間違いなく読んで頂いた皆様のおかげです。
閲覧、感想、評価、ブックマークして頂けた全ての方に感謝を!
また、ツイッターで面白いと書いていただいた方、サイトで紹介して頂いた方もありがとうございました!
2015/02/28 続編書くことになりました。それに伴い、完結を解除しました。一度締めくくった話を再度書き始めるのも奇妙な気分ですが、今後もよろしくお願いします




