第三話:カーテンコールに相応しい
怠惰のスキルは非常に多岐に渡る力を誇っている。
だが、それは同時にそこまでやらなければ怠惰を獲得できなかったということでもあった。
そもそも、戦わずとも渇望を満たせる以上、そのスキルには戦闘向けのスキルというものがほとんど存在しない。
全身に力が漲る。レイジィが暴食の王を軽々と討滅したという事実は、僕の力をより高めていた。
巨大な天蓋付きのベッドを支えていた足が折れる。
ベッドが大きくバランスを崩した瞬間、僕は裂帛の気合を込めて突きを放った。
拳が容易くレイジィの頭に突き刺さる。何かが折れるごきりという音。
衝撃が天蓋の柱を吹き飛ばし、レイジィの身体がまるで紙切れのように吹き飛んだ。
轟音。
建物全体が大きく揺れる。まるで影寝殿が鳴いているかのように。
リーゼに燃やされないように丹念に張り巡らされた結界が容易く貫き、壁さえも突き破っていた。それも一枚や二枚ではない。
見通せない程に遠く空いた暗闇。レイジィの寝室の周囲に他の者の部屋はない。
ベッドの残骸を足で弄ぶ。
コンディションは最高。傲慢を遂げるに何の障害もない。全身に漲る力は修行の集大成であり、同時に我が主との歴史の蓄積でもあった。
息を深く吐き、そして吸う。
怠惰の時間を与えてはいけない。
床を蹴った。速度は一瞬で最高潮まで高まる。
誰よりも疾い速度。
誰よりも強き力。
――誰よりも高く翔ぶために
それこそが傲慢の原罪。
武器など不要。己が身一つで十全。
視界が音速で流れる。
床に大の字で倒れているレイジィに肉薄するまで僅か一秒にも満たない。
助走の勢いのまま、その頭を蹴り飛ばす。手応えがない。躱された。いや、消え去った。
怠惰の持つ瞬間移動のスキル。自分の縄張り間を自在に転移するスキルだ。
気配は背後。感じる前に身体は動いていた。
勢いを載せたハイキック。つま先がレイジィの頭に突き刺さる。
わかる。思考がわかる。何年、何万年、何十万年。付き従った結果が誰にも読めない怠惰の王の思考を読むことを可能にする。
誰にもわからぬその行動理論が、僕だけにはわかる。
膂力に天井の結界がぶち破られ、巨大な穴が空く。頭の大きさ程のブロックががらがらと崩れ落ちる。
身体が一瞬重くなる。悪魔の持つ渇望を重さと化し、枷をはめる怠惰のスキル。
既に既知だ。『優越』を発動し何の問題もなく打ち破る。
恐ろしきはその頑強性、その生命力。
並の魔王ならば討滅してもおかしくない程のダメージを与えたはずなのに何の問題もなくスキルを使えるVITこそが怠惰の本領。
ならばそれ以上の力で正面から打ち破ればよい。
「……痛い……」
間延びした声が穿たれた穴から漏れる。
力を集中する。
遠距離戦は愚策だ。怠惰の耐性は並大抵のことでは破れない。
正面から放たれたスキル。魔眼だ。問題なく優越する。
この僕が唯の魔眼で縛られるワケがない。
長期戦はこちらに有利。
怠惰のスキルは動けば動く程に力が減っていく。
だが、そのまま能力低下を待つつもりはない。
息を整える。しっかりと地に足をつけ、丹田に力を込める。
「行くぞ」
跳躍で結界が容易く破られ、床が大きく陥没する。
爆発的なエネルギーに身体を乗せて、天井の穴に跳躍する。
視界に入ってくるのは、瓦礫の山に身体を埋めたレイジィの姿だった。涙を滲ませて、もう傷の消えた頭を抑えている。
一瞬で距離をゼロにした僕を驚愕の表情で見る。相変わらず殺意、殺気、戦意と呼ばれるものは微塵もない。
「はぁあああああああっ!」
「くっ……」
気合、咆哮。
身体全体の力を使い、突きを繰り出す。。
レイジィの表情が初めて歪んだ。同時にその身体の全面に透明な壁が現れる。
防御を高める結界を張る怠惰のスキル。
無駄だ。それもまた、既知。
拳が当たると同時に、結界が何の抵抗もなく、まるで硝子のように砕け散った。
優越している以上、結界系は愚の骨頂。
心臓が熱を全身に循環させる。
拳がレイジィの顎を動く直前に、その姿が掻き消える。
厄介なスキルだ。だが、同時に移動する怠惰という矛盾を含んでいる。
それの使用は、怠惰の力を鈍らせる要因の一つだ。
「……俺、何かやったっけ?」
聞く意味がない。話が噛み合うわけがない。
横から聞こえた声に裏拳を放つ。
レイジィがそれを腕で防御した
骨の軋む音。
怠惰のスキルには、ただでさえ鈍い痛覚を完全にシャットダウンするスキルがある。レイジィの表情には、もはや痛みはない。
そして、傷さえもレイジィの生命力ならば一瞬で治癒されるだろう。
「父上、もうお休みください」
「……ああ」
何いってんだこいつ、みたいな眼で頷く。
聞いていない。コミニュケーションが取れない。
不安定な足場で蹴りは困難。固く握りこんだ拳に、身体強化のスキルを乗せて繰り出す。
レイジィはそれを腕を構えたまま受ける。
怠惰のレイジィに戦闘理論など存在しない。彼の攻撃手法は単純だ。
それ即ち――力による制圧。
並の魔王を引き離す巨大な力――魂の塊
そこに並大抵の技術は意味がなく、そして同時に技術を扱うという思考は存在しない。
一撃当てる毎にレイジィの腕が嫌な音を立てる。
押してる。
だが、その表情にはいささかの痛痒もなく、その程度の打撃じゃ力を消費させることはできても決定打にはなれない。
硬すぎる。だが、そんな事最初からわかっていた。
怠惰の王を押しているという事実が『優越』を更に強化する。身体の底から力が湧いてくる。
そして、ついに蹴りがガードを打ち抜き、レイジィが大きく吹き飛び最後の天井を突き破った。
血のように真紅の空、影寝殿を構築する黒の構造物――砦が視界の許す限りに広がっていた。
日に一度は、塔の上から見るようにしていた。塔と比べれば低いが、ここの光景だって馬鹿に出来たものじゃない。
いずれなくなるかもしれないこの光景は、僕にいつも覚悟を感じさせる。
見張りを行う兵士が、いきなり床を突き破ってきた僕の元にあわてて駆けてくる。
「ど、どうなされましたか、ハード様」
「貴様が気にする必要はない。元の配置に戻れ」
「は、はい。承知致しました!」
何もかも下らない話だ。
ゆっくりと砦を見渡しながら、倒れ伏すレイジィの元に歩を進める。
「父上、美しいとは思いませんか?」
「……ああ」
周りをひと目すら見ることなく、答えるその心中は恐らく僕が永遠にわからないものなのだろう。
だからこれはただの一人よがりに過ぎない。
胡乱な瞳が、黒の濁った瞳がこちらを見上げている。
無感情な眼。腐った魚のような眼。
手の平を固め、手刀を作り出す。
「次は斬ります」
「……降参だ」
「…………」
その全ては、かつて見知った経験に過ぎない。
その言動、怠惰な所作に惑わされダース単位で魔王が滅んでいった。
だが、僕には、息子の僕にだけはわかる。こいつは、やるときはやる男なのだ。
戦意など、殺意などいらない。唯、怠けるためだけにレイジィは力を使う。
故にまだ逃げていない。瞬間移動で長距離を翔べば一時的には逃げられるというのに。
――ここで僕から逃げても何の意味もないと考えているから。
是、也。
それこそが怠惰の王の証。
戦いたくはないが、面倒だから潰しておこう。
数多の悪魔の戦意を塗りつぶす不純な動機こそがその渇望の証明。
通常考える怠惰のイメージとのその差異に悪魔は、魔王は滅んでいった。僕はその様子を具に観察してきた。
こうしている間も、レイジィの力は徐々に弱まっている。膨大な蓄積があるから気がつかないだけで、その力は無限に近くとも決して無限ではない。
こちらが撤退して次に万全な体調で挑めば次はさらに有利な状態で戦闘を進められるだろう。
だが、その選択肢はありえない。有利になるから一旦去る?
何故、その程度の理由で一度引かなくてはいけないのか!
「……ふん、必要のない処置だ。この僕が敗北するわけがない」
「……ああ、お前が最強だ」
燃える魔界の太陽が血のように赤き光で僕達を照らしている。
それは僕が生み出されてからずっと続いてきた光景で、同時に僕が生み出される前からレイジィが見てきたはずの景色。
レイジィが億劫そうに言う。
それと同時に、上空から力の塊が振り下ろされた。
『空の右手』と『空の左手』
腕と連動した念動の力。動かずに遠くのものを取るための下らないスキルが、その莫大な力を背景に明確な脅威となって僕を叩き潰す。
と同時に、力の塊が霧散した。とっくの昔にそのスキルも『優越』している。準備は十全に整っていた。
レイジィが明らかに顔を顰める。
「……面倒だな」
「……ふん、父上はいつも楽をしすぎている」
恐らく、その果てしない生の中でもほとんどのスキルを無効化される経験は初めてだろう。
僕は逆だった。『傲慢』は傲慢故に其のほとんどのスキルが知れ渡っている。戦う相手はこちらに対して対策を取っている事が多く、その全てを正面から叩き潰してきた。
父上はただ漫然と生きてきた。その事実のなんと無為な事か。
僅か一歩で接敵。頭を踏みつぶす。手応えは在る。あるが砕けていない。
そのまま手刀をその肩に叩きつけた。
金属でも切りつけたような鈍い感触。そのあまりの硬度に手の平の方が音を立てて軋む。
ぬるりとする冷たい感触。レイジィが何の意味もない眼でこちらを見上げ、肩を見て短い悲鳴をあげた。
効いている。その防御を突破出来ている。
肩に穿たれた穴。べっとりとついた血を振り払い、連撃を叩き込む。
レイジィが消える。だが、戦闘の中で高揚した精神はレイジィの場所を一瞬で感知していた。
後方十メートル。そんなの一瞬で踏破できる距離だ。
振り向き様に手刀を飛ばす。
構えようとしたレイジィの腕に突き刺さり、鮮血が舞う。
遅い。遅すぎる。
見えてはいるのだろう。だが、滅多に動かさない身体では躱せはしまい。
燃費が悪い瞬間移動でも使わない限りは。
正面から襲来する『空の手』を無効化する。
ここに至ってもまだその手を使ってくるということは、やはり攻撃スキルが他にないのか。
それはそうだ。悪魔のスキルにもルールがある。防御と攻撃どちらも秀でているなどありえない。
ましてや、怠惰のスキルは怠惰に過ごすためのパッシブ系のスキルでその大部分が埋まっている。
痛みがなくても何度も連続で攻撃を受けるのは不味いと思ったのか、レイジィが再び消える。
感知する。巨大な力は塔の頂点に転移していた。
影寝殿に存在する最も高きその建物の上に。
円錐上の屋根の上に寝そべり、僕を見下ろすレイジィの眼はやはり眠そうで、それ即ち微塵の隙もない。
距離は数百メートル。だが、その程度の距離などゼロに等しい。
踏み込もうとした瞬間、砦を穿つ奇妙な音が聞こえた。
茶色の物体が立ち上がる。
表情は愚か目鼻口すら存在しない茶色の頭。
細長い胴体に、同じく長い手足は全てが土の質感で、かろうじて全身を見る事で人の形を作っている事がわかる。
魔界広しといえども、このような形の悪魔は存在しないだろう。
成長する人形を生み出すスキル。
レイジィがスロータードールズと呼ばれる所以となったスキル。
『虐殺人形』
生まれた頃の自身を思い出し、僕は顔を顰めた。
「……ふん、くだらんな」
レイジィ本人を追い詰めた僕を相手に生まれたばかりの人形が敵う訳がない。
例え――
辺り一面に生成された感情も痛みも持たない人形『達』を見渡す。
――数百体の数を生み出したとしても。
間近に生み出された人形を手刀で貫き、真っ二つにする。
抵抗はあったが、その程度防ぐにすら値しない。
手刀の先についた茶の物体を確かめる。
「……土……いや、砂を源にした人形か……」
砦に積もった僅かな砂を元に生み出したのだろう。
確かに、一瞬でこの数を生み出せるのは脅威だ。
だが、こんな下らない事に自らの力を割くなど、僕ならばありえない選択だった。
例え、このスキルしか残っていなかったとしても。
天高くにいる父上を見上げる。
「……父上、これが最後のあがきですか……」
先に生まれた僕が負けるわけがない。
それは、『傲慢』の特性を考えても必定。
襲い掛かってくる土人形の速度は確かに速く、力も弱くない。
だが、所詮はそれだけだ。渇望もなく、経験もない。
しかし、それでもこの数を下すのは面倒臭い。
目を閉じて、スキルを使用する。
『傲慢の重圧』
傲慢の上位スキル。
他者を強制的に跪かせる下らないスキルだ。だが、弱者を間引くのに有効なスキルでもある。
無数の土人形が重圧に耐え切れず、地に伏す。
手近な人形の頭を踏み砕いた。
下らない。それとも、この程度の数で僕を倒せると思ったのか?
「……今行きます、父上」
脚に力を込める。魔力を循環させる。石畳を強く蹴る。
強大な身体能力。地に伏す哀れな土人形も、地上の何もかもを置き去りにして、視界が一気に上昇する。
――僕はもう遥か昔にどこまでも翔べるようになっている。
父上の手を借りなくとも。
塔の先端に捕まり、勢いを殺し、屋根を踏み砕いて脚をつけた。
寝そべっていたレイジィが今まで見たことのない機敏な動きでこちらを捉える。だが、それでさえ遅すぎる。
その時には既に、僕の手の平は父上の左胸――悪魔の心臓である、魂核のある位置をいともあっさりと貫いていた。
レイジィの眼が驚愕に歪み、自身の左胸を見る。
「おやすみなさい、父上。後は僕に任せて下さい」
「……ああ……」
手の中で確かに砕けた悪魔の心臓。
王領が消える。
手の平を引き抜くと、堕落の王がゆっくりと倒れていった。
そのまま、塔の下にまるで枯れ葉のように落ちていく。
優越した。だが、今は微塵も達成感が沸かない。
最後の『傲慢』の渇望を満たし、魔王に至った事を本能で理解する。
せめて、今だけは偉大なる怠惰の王に黙祷を捧げよう。
そして、何もかもを支配し亡き我が主に捧げよう。
それこそが、カーテンコールに相応しい。




