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堕落の王【Web版】  作者: 槻影
Chapter7.傲慢(スペルヴィア)

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第二話:せめて至高のままに



 魔界。

 強きが何より尊ばれ、悪魔同士が渇望を求め、限り在るリソースを奪い合う群雄割拠の世界。

 

 論ずるまでもなくくだらない。


 強欲

 色欲

 憤怒

 暴食

 嫉妬

 傲慢

 そして――怠惰。


 僕の目標はたった一つだった。


 鍛え、優越し奪い合ううちにはっきり理解できる。


 領土が増える。身にまとう魔力が増え、傲慢のツリーが成長する。

 まるで草の根を刈るかのように、それはたやすい事だった。

 悪魔はもちろん、天界からの刺客を、時には表の世界から魔王討伐に来る愚かな英雄を。

 何もかもが屈服した。僕の力に。そして、我が主の力に。


 基本的な性能がそもそも高かった。

 力の塊といってもいい怠惰の王に造られた僕が弱い『わけ』がない

 そして、度重なる鍛錬。

 自らの力を鍛えあげる。筋力、魔力、知力、統率力。万が一にもつまらぬ理由で敗北せぬように。


 それが第一の優越であり、傲慢の根源にして僕の力を高める要因だった。

 他の王の渇望など我が主君の怠惰に比べなんと脆弱な事か。


 時が矢の如く過ぎ去る。


 やがて、城が作られる。

 主の住んでいた極小さな家とも呼べぬ家を中心にして生み出された城壁は万里に届き、

 中央に建造された塔は天さえも貫く。

 影寝殿と名付けられた怠惰の王の寝所は他の如何なる魔王の城をも遥かに超えた圧倒的な広さと威容を誇っていた。

 我が主の城。満足などしない。仮初にでも我が上に立つというのならば、この程度の城では足らぬ。


 悪魔が集まる。

 屈服した、屈服させた悪魔が。

 有象無象を統率し、まとめ軍を成す。他の如何なる魔王の軍をも超える至高の兵を。


 時が経つにつれ勇名が知れる。

 怠惰のレイジィの擁する精強な軍団(レギオン)


 直接屈服させなくとも、自ら頭を垂れる愚かな悪魔達が増える。

 人数が増え、軍が増える。一軍、二軍、三軍。

 だが、構成するその如何なる悪魔を持ってしても僕の力の足元にも及んでいない。


 脆い。脆すぎる

 『優越』するまでもなく優越している、そいつらは僕の敵に足るには弱すぎる。


 無敗にして絶対。

 この僕に敗北は無く、それ故に主にもまた敗北はない。

 倒せば倒すほど、上に行けば上に行くほど、年月が経れば経るほど僕の力は上昇していく。


 傲慢の悪魔の強さとは戦闘経験に比例する。


 既知とは乗り越えた証。一度勝利したものには二度と負けない。

 学べば学ぶほど、知れば知るほどに敗北は遠退き。

 年月が過ぎ去れば過ぎ去る程に敗北は遠のく。いくら渇望を突き詰めようが、年若い悪魔に敗北するほど落ちぶれてはいない。絶対の自信が蓄積される。



 ――だが、同時にそれは怠惰の魔王に時間を与える事でもあった。



 やがて、大魔王に服従を求められる。 

 大魔王とは魔王と悪魔の差異とは異なり、ただの最も大きい縄張りを持っている魔王の自称だ。

 だが、この魔界でそれだけの勢力を率いているという事は、最も大きな渇望を持っているという事でもある。


 実際に会う。我が主が出るまでもない。

 大魔王の司る原罪は傲慢。僕と同じく優越を礎とする悪魔。そして同時に、

 目的は魔界の制圧。戦火渦巻く魔界をまとめ、ひいては地上を、天界さえも飲み込むという力に粗ぐわぬ巨大な野望を持つ男。


 実際に目で見て確信する。大したことがない。

 出会った時点で僕はその大魔王を『優越』していた。それ即ち、怠惰のレイジィには敵わないという事。

 発生してからの年月も、長くはあるが主は愚か、この僕にすら及ばない。所詮は少し才能があるだけの魔王だ。


 こいつを屈服させれば主の地位は上がるか?

 くだらない話だった。この程度の魔王ならば、討滅する価値すらない。

 傲慢の魔王ならば屈服させてしまえば力も落ちよう。軍に組み込む価値さえ――


 主の堕落の具合は深まるばかり。

 威光は些かも増えないが、力だけがどんどん増していくその様はまさに悪魔の王にふさわしい。


 主に伺いを立てる。


 いつも通りの答えが帰ってくる。

 何年たっても変化することのないただの一言が。


 大魔王に与することにした。

 雑事はやるつもりはないが、魔界が一つに纏まればさらなる強敵が現れるやもしれん。


 大魔王が主と面会する。

 そして、しばらく経って力を失い、大魔王の代が変わった。

 同じ魔王の間でのあまりの差異。石のように動かぬ超越者の想いを周囲は察することができない。


 大魔王が変わる。何代も変わる。


 魔界は結局統一される気配がない。

 魔王が新たに生まれ、そして死んでいく。

 名立たる英雄が入れ替わりで魔界に侵攻する。

 天界からの大規模な侵攻が発生する。大多数の悪魔が討滅される。




 ――だが、影寝殿は未だ眠ったままだ。




 主は結局微睡みの中におられる。動かないまま、それ故にただ力が高まっていく。どんな悪魔も魔王も追いつけない高みへと。

 同時に、そこから生み出された僕の力も上昇していく。その傲慢の本懐は満たせないままに。


 傷ひとつ付けられない怠惰の王。

 そのスキルから生み出された人形は強力無比。


 幾星霜の時の間に暇つぶしのように戯れに生み出された人形が魔界全土に散る。人形は主の名も知ることのないまま、戦場を動き続ける。


 堕落のレイジィはいつの日にか『殺戮人形』のレイジィと呼ばれていた。

 その原初の一体の功績によって。


 主に仕える悪魔の一族ができる。理解できない。が、それもまた是、也。

 我が主ならば、そういった一族がいるのも悪くない。いや、いて当然だ。


 黒の徒なる騎士団から監察官が派遣されてくる。

 是、也。我が主を好きなだけ観察するがいい。所詮、僕以下の力しか持たない貴様らなんぞに堕落のレイジィを傷つけられはしない。


 部下が死んでいく。何人も死んで顔ぶれが次から次へと移り変わる。

 僅かな油断で僕の片腕を張っていた男が死ぬ。馬鹿な奴だ。戦場で油断などありえん。

 老いはなくとも、戦闘本能を持つ悪魔の死者の数は多い。


 強者として有名だった魔王が別の魔王に滅ぼされ、弱者が魔王に成り上がる。


 盛者必衰の理。


 敵も味方も、次から次へと顔ぶれが変わる。魔王、悪魔の情報を書き留めた資料が図書室を溢れ、第二、第三の図書室が出来上がる。

 ほとんどは遥か彼方に優越した、もはや不要な資料だ。


 一年に一度、壁に刻んだ印が部屋を溢れ、廊下に刻まれていく。


 石の気分を味わう。

 変わらないのは我が主の存在と魔界の蒼き月のみ。


 それでも敵わない。底が見えない。


 怠惰の悪魔を好んで襲った。

 ほとんどが凡百の悪魔だ。話にならない。記すに足るスキルも使わない。


 何十年、何百年、何千年たっても他の怠惰の魔王が現れない。

 堕落のレイジィと同じく地の底にでも眠っているのだろうか?

 それとも、怠惰の悪魔が魔王に至っていないだけなのだろうか?

 それすらも不明。


 屍山血河

 積み上げた悪魔の死体はもはや数えるのも億劫だが、初めて怠惰のレイジィを見た時に感じた衝撃は悠久の時を経て尚色褪せない。

 劣等感。それは『傲慢(スペルヴィア)』の悪魔の最大の敵だった。


 さらに月日が経つ。

 情報を集める。自らを鍛える。敵対種を撃退する。

 気がついたら獲物はいても、敵はほとんどいなくなっていた。


 優越する相手がいない限り、傲慢の力は強くならない。根拠なき傲慢など無意味に等しい。


 頭打ち。スキルは極めきり、肉体を引絞り、魔力を研ぎ澄まし、傲慢のスキルツリーは魔王になる一歩手前で止まっている。

 最初にして最後の壁。堕落のレイジィという名の壁に。




 ――だが、それも今日までの話だ。




 ミディアの処分は準備運動にもならなかった上に、予行練習にすらならなかった。

 所詮は他者の猿マネしかできない嫉妬(インヴィディア)の悪魔。

 主のスキルを模倣するなど愚の骨頂。攻撃力の低い怠惰のスキルなど、強奪や嫉妬の悪魔が奪い模倣し、使用したところで大した威力は出ない。

 ため息をつく。精神は、ギアは既にトップクラスにまで高められていた。もはや記憶の片隅にすら残らぬ霞の戦闘経験は確実に僕の預かり知れぬ所で蓄積されている。


 扉を開ける。

 度々、カノンの小娘の部下によって焼き払われているため、頻繁に変わった父上の寝室は新しく、微かな性臭がした。


 明らかにわかっているはずなのに、気配に気づいているはずなのに、父上は声一つ、身動き一つしない。


 まるで死んだように眠っていた。


 堕ちたもんだな……堕落のレイジィ


 たかがメイド一人助けるためにスキルを使う。

 自ら戦闘に赴いた上に、ゼブルなんぞに傷を受ける。

 あまつさえ、襲われるに任せる。

 最近の所作は我が主として嘆かわしい。


 ……いや、そろそろ潮時という奴なのだろう。


 本当に長い年月が過ぎた。馬鹿らしくなる程に。

 そして、父上は更に多くの年月をその生に費やしてきたはずだ。それは僕の経験全てを積み上げてさえ、微塵も予測できない。

 今、当時の魔界を知るものが何人いようか。


 いつか時が来るはずだと思っていた。ずっとその時を夢見てきた。

 幾ばくかの寂寥感を感じながら、足を踏み入れる。


 その身に感じる魔力は未だ絶大。

 並の魔王など束になっても敵わない。だが、僕には明確に理解できた。


 ――堕落のレイジィは、弱っている。

 ここ数千、数万の時でも稀に見ない程に。


 それは、司る『怠惰(アケディア)』から背いた証拠だった。


 全ては……想定通りだ。


 『怠惰(アケディア)』は怠惰に過ごせば過ごす程に強力になるが、逆に自ら動けば動く程にその力が下降していく。


 ベッドの横に立つ。まるで死んだように目を閉じる主の顔には虚無の他何も浮かんでいない。

 力の入っていない怠惰の王の手を取る。鍛錬のたの字も見えない骨のような指に、死人のような透き通る白い肌に薄っすら浮いた青い血管。


「父上……長い年月が過ぎましたね」


「…………」


 レイジィは答えない。だが、知っている。

 父上は眠っていない。怠惰の王にとって寝るも起きるも全ては泡沫の夢にすぎない。

 故に、僕はそのまま続けた。


 本当に久しぶりの会話を。


 堕ちた、失望したなど言うに値しない。レイジィもそんな理由には興味がないだろう。

 そもそも、これは遥か昔生み出されたその時からの必定でもあった。

 父上は敏い男だ。怠惰を司り、同時に怠惰以外の側面も持っている。

 それは、他の怠惰を司る悪魔との明確な差異で、きっと怠惰のレイジィが悠久の時を過ごすことになった要因なのだろう。


 言いたいことは沢山あるが、言葉はいらない。


 配下を増やし、大魔王軍の中でも随一の力を得た事。

 天界からの無数の刺客を堕落させ、悪魔に堕とした事。

 一ダースで徒党を組んで襲撃してきた人族の英雄を眠ったままで撃退した事。

 元大魔王の娘であり、まだ渇望すら抱かぬ小娘だったカノンが新たな大魔王とまでなった事。


 幾千幾万の死を築き、時の流れさえ置き去りにする。

 発生当時に存在していた魔王はもはや誰一人残っていない。

 知人、友、敵ですら死に、新たに生まれ、そしてまた死んでいく。

 感情すら摩耗する時の流れを歯牙にもかけない父上は天性の堕落の王で、

 そして、至高の魔王から生まれた僕は最強の魔王に他ならない。


 父上の隣に跪き、頭を垂れる。

 それは覚悟。僕は今日魔王に至り、二度と敗北することはないだろう。いや、例え敗北したとしても――


 ――跪くなどありえない。


 それこそがこの僕が、傲慢独尊のハード・ローダーが、父上に対してできる唯一の報いに他ならない。


「お疲れ様でした。終わりにしましょう。僭越ながら、僕が最期を看取らせて頂きます」


「……そうか」


 ――だから、せめて至高のままに滅ぶといい。堕落のレイジィ。

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