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堕落の王【Web版】  作者: 槻影
Chapter6.嫉妬(インヴィディア)

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第二話:また会いましょう

「やれやれ、二人も司令官が出てなんてザマだ……レイジィ様のお手を煩わせるとは……情けない」


 まるで地面に落ちていた生ごみでも見るかのような冷たい瞳で青年が言う。

 奈落の底のような黒の瞳をした眉目秀麗な青年だ。まるで王のように深く腰をかけ、脚を組んで私達を睥睨する様は趣味は悪いが、確かに王の姿だった。レイジィ様とこの男を二人並べれば十人に十人がこの男を王だと判断するだろう。

 同時に、その渇望に従い悠久の時を自身を鍛えあげることに費やした生粋の武人でもあった。

 ハード・ローダー。怠惰の片腕。傲慢(スペルヴィア)を司る悪魔。


 私の頭が『ずきり』と痛んだ。

 それは、決して、傲慢なこの男に対する怒りではなく。


「いやいや……あのゼブル・グラコスはカノン様の配下でも有数の強力な魔王……魔王抜きで討滅するには荷が重い相手です」


 レイジィ様を引っ張ってくるという恐ろしく無礼なマネをしたカノンの直近がたしなめるように言う。


 その傲岸不遜な手段によって私達は助かったのだから、私には何も言えないが……

 脳の奥から刺すような痛みを感じる。私は、それを宥めるように再び額を撫でた。


 ハードはその視線に、皮肉げな笑みを浮かべ答える。彼の言葉は常に自信に満ちている。


「ふん……それは凡百な悪魔ならば、の話だろう。仮にも偉大なる怠惰の王の軍を統率する者として、あまりに無様だ、と僕は言ってるんだ。リーゼ・ブラッドクロス」


「……よくもまあ、そこまで大口叩けますね。一人だけ出撃しなかった癖に」


「そうだな。確かに、ここまで使えないとは思えなかった。次に魔王が攻めてきた際には僕が一人で出る事にしよう」


 忌々しげに、だがしかし、即答する。


 ハードの表情には何一つ冗談を言っている色はない。将軍級二名を含んだ一軍がたった一人の魔王に敗北したというのに、その眼には全く焦り、緊張がなかった。

 ただただ、優雅に。何よりも傲慢に。


 傲慢(スペルヴィア)の悪魔は強い。


 現に、魔王に至る悪魔のうちのおよそ七割は傲慢(スペルヴィア)の悪魔だと言われている。

 敗者は糞にも劣り、勝者は神に等しい。そして、自身は神をも超える。

 それが、傲慢(スペルヴィア)の原罪。弱きに強く、強きに弱い酷く不安定な悪魔。それでも、最も強力とされる悪魔。


 彼らが求めるものは結果のみであり、過程がどうあれ敗北すれば貶められる。


 それはその他の渇望と同様に、強ければ強い程にその傾向に傾く。


 円卓を囲んでいた四人のうちの最後の一人――その収集品のほとんどを失い、軍まで失った一番の被害者であるデジが傷だらけのセレステを検分しながら言う。


「……だがなあ、ハード司令官。リーゼのお嬢ちゃんの言うとおり、悪食のゼブルは魔王の中でも別格、ありえないくらい巨大な力を持ってたぜ? いくら傲慢不遜のハード司令官と言えども、奴を『優越』するのは難しかっただろうさ」


「ふん……それは君の今まで支えてきた魔王の中でも、ということかい?」


「きっきっき、ああ。あれよりも強力な存在と言われたら……レイジィの旦那と大魔王様くらいしか思いつかねえなあ」


 苦笑いで答える。

 古き悪魔としてのデジの言葉は説得力があった。


 そもそも、悪食のゼブル・グラコスは間違いなく私が出会った中で三指に入る凶悪な魔王だった。其の魔力もスキルもあり方も並の悪魔では足元にも及ばない絶対強者。一万年前の天界との戦いで天兵を食らったという噂もただの噂と笑えなくなるくらいの『暴食(グラ)


 私にあれだけの力があったら――

 砂時計から刻と共に砂が落ちていくように、私の精神の奥底で泥のような何かが溜まっていくのを感じた。

 あまりのその重さに目眩がする。


 将軍級に至ってから私はただの一度の敗北もなく、今回の戦争が初めての敗北だった。

 久しぶりに敗北したせいで、衝動が抑えきれない。


「ふん、だが我が主はいとも容易く討滅せしめたらしいじゃないか」


「きっきっき、まぁ、さすが第三位としかいいようがねえなあ。レイジィの旦那は――化け物だな。悪食の王が完全に手玉に取られていた。なんたって旦那は……動いてすらいなかったからなあ」


 デジの言葉に、先ほどの魔王とレイジィ様との戦いが脳内で想起される。

 確かに、レイジィ様は立ち上がりすらしなかった。……見たこともないスキルで瞬間移動はしてたけど。

 ハードが、知った顔――鋭い傲慢な瞳でその言葉に頷いた。


「……ふん、怠惰のスキルは、動かなければ動かない程強くなるからな……レイジィ様らしい選択だ」


「多分、あの男はそんな事考えてないと思いますが……」


「他に主はどんなスキルを使用したのか、教えてもらえるかい? デジ」


 果たして、なにゆえハードは傲慢を未だ保てるのか?

 ここにいるだけで、遠い寝室におられるはずのレイジィ様の魔力が痛いほどに感じる。この力の量、質はともに間違いなく悪魔には届かないステージにはあった。将軍級の私や――私よりも強いはずのデジやハードと比較しても、その差は恐らくは十倍じゃ二十倍じゃない。


「きっきっき、さすがの俺でも全てわかったわけじゃねえなあ。リベルの奴も食われちまったし……」


「……探求のリベルが食われたのか……目につけてたんだが……ふん」


 ハードがくだらないとでも言うかのように一度目を閉じた。


 死を悼む者ではない、その眼を、表情を、仕草を見ても、デジの表情は変わらない。

 リーゼの表情が曇っても、リベル・アイジェンスという盟友だった男を失ったデジの表情は変わらない。

 それは、天界との戦争すら生き抜いた古参の悪魔であるデジの強さなのだろう。


 ――その強さが、ただただ妬ましい。


 デジは、ハード・ローダーを恐ろしい悪魔だと言う。私には見えていない何かを見ているのだろうか。

 この中では私が一番若い悪魔だ。悪魔は基本的に年を取れば取るほど渇望を深め、強くなる。デジは一万年前の天界との戦争を経験しているというし、ハード・ローダーは太古の昔からレイジィ様に付き従う最初の悪魔だったらしい。

 ほんの数千年前に生まれた私何かではとてもじゃないが、追いつけない年月の差。


 ――それが、ただただ妬ましい。


 震える腕を強くつかむ。

 デジは、ハードの言葉に応えず、セレステの炎の剣身を鞘にしまうと、自身の蔵にしまった。上位の魔剣は生きている。些細なひびならば自動的に修復される。


「俺が見たのは……重力をあげるスキルと、瞬間移動のスキル……後は正体不明の、ゼブラをふっ飛ばしたスキルくらいだ」


「……ふん……随分と出し惜しんだものだ」


 デジの言葉に、ハードが顔を顰めてため息をつく。それは傲慢の悪魔には本来浮かばない類の感情だった。

 テーブルの上に肘をつき、思考の海に沈むように顎にてを当てるハードの姿は遠目に見てもそのまま絵画にできる程にできた画だった。

 器用に六本の腕を組んでデジが訝しげな顔で尋ねた。


「出し惜しんだ……?」


「……ふん。僕の知っているレイジィ様の力はその程度ではない。そもそも、肝心の『殺戮人形(スローター・ドール)』を使用していないではないか」


「きっきっき、確かになあ。だが、如何な旦那といえど、人形程度でゼブルを討滅できるたあ思えねえ。現に、俺が頂いた人形はばらばらにされて食われちまった」


「……デジに賜われた人形と一緒にするな。レイジィ様の本来の殺戮人形は……至高だ」


 ハードが嗤う。デジをリーゼを私を。

 それは恐らく、私が仕えるより遥かに過去からレイジィ様に仕え続けてきたハードにしかわからない事実。

 そして、ハードがその言葉を言った。


「……ご本人よりもな」


「は? ……いくらなんでも人形が本体よりも強いなんてありえねえだろ?」


「……ふん。並の悪魔ならば、な」


 殺戮人形のスキルは怠惰の魔王が持つスキルらしいので、前例がほとんどない。

 だが、いくらなんでも魔王を超えた力を持つ存在を作れるというのは常識の範囲外だった。


 リーゼがまるで、顔に嘘とでも書いてあるかのように、驚愕の表情でハードの顔を見つめる。


 ハード・ローダーは正気だった。少なくとも、傲慢ではあってもその力は確かで、スキルだけでなく知性、カリスマを確かに備えている。そうでなくては、最も人数の多い第一軍を率いることなどできない。

 

「きっきっき、それが本当なら、凄えなあ。是非とも、もう一体ほしいねえ。だがまぁ、そうだったとしても……今回の相手は旦那に傷を負わせるレベルの魔王だぜ? 原罪のスキルも持たない人形じゃあ荷が重いと思うがね」


 その言葉にハードが目を大きく見開いた。

 身を乗り出して、デジを強い視線で睨みつける。魂を震わせる程の感情の発露。


「……馬鹿な……レイジィ様が傷を負った……だと!?」


「……ああ。まぁ、ほんの少し血が出たくらいだったし、すぐに治ったけどなあ」


「……十分だ……そうか、堕落のレイジィに傷をつけたか。悪食のゼブルが……。ふん、なるほどな……」


「何かおかしな事でもあるんですか? 如何な魔王といえど、相手が魔王では傷くらい負うでしょう。……目の前で連れてった時に泣き事言ってたし」


 リーゼの問いに、ハードがため息をついて椅子に深く腰を掛けてふんぞり返った。何か考えがあるのか、宙に視線を彷徨わせる。


「……ふん、それはいつもの事だ。だがまあ、怠惰のレイジィを僅かなりとも傷つけられる者など……二千年ぶりだな」


「二千年……二千年前にもいたんですか?」


「ああ……貴様もよく知っている相手だ。だが……まぁいい」


 会話を終えたとでも言うかのように、ハードが立ち上がる。


 その身体から放たれる抑えつけられるような圧迫感――傲慢(スペルヴィア)の魔力が一気に密度を濃くする。

 極寒の視線が私とデジを睥睨した。身体がこわばる程の世界を侵食する力。

 雰囲気の変化に、リーゼが眉をひそめ、あからさまに顔を顰めて立ち上がる。もし派遣されてきた直後だったら、激怒していただろう。最近憤怒を制御する事を覚えたらしく、滅多に部屋も焼かなくなっている。


「ちょ……」


「……ふん。結果的には問題なかったとはいえ、無様の代償は払ってもらうぞ。追って沙汰を言い渡す。楽しみにしておけ」


「きっきっき、せいぜいお手柔らかに頼むぜえ」


「……ふん」


 大きな音を立てて扉が閉まる。

 空気が元に戻り、リーゼが憤慨したように言った。ちらちらとその髪が紅蓮の燐光を纏う。


「な、あの男……いくらなんでも友軍に対しての態度じゃ――」


「きっきっき、リーゼの嬢ちゃん、若いな。傲慢の将なんてあんなもんだ。むしろこの場で処刑されなかっただけ……俺たちの運はまだ残っているという事だぜ」


 デジがにやりと嗤って立ち上がる。

 私よりも遥か以前から生きている悪魔、その言葉には経験に裏付けされた重みがあった。

 六つの瞳が私を見る。そこにある感情は私には理解できなかった。


「ミディアのお嬢ちゃん、俺は――この軍を抜ける事にする」


 その言葉は、ある意味私の予想通りであった。

 デジはこんな形をしていても、理性的な悪魔だ。その渇望が、欲が、人ではなく物に向かっている時点で他の悪魔よりよほど信頼できる。

 リーゼにとっては予想外だったのか、その言葉を聞いて再び立ち上がった。


「なっ……本気ですか? デジ」


「ああ……このままここにいたらハード総司令官に処分されちまうからなあ。怠惰のレイジィの片腕、傲慢独尊……きっきっき、厄介な事だ」


「馬鹿な……司令官の貴方がそんな事が許されるとでも?」


「許されるだろうさ。なんたって、俺の渇望は――別にここにいなきゃ満たせねえ類のものじゃねえ。嬢ちゃんやハードはどうだかは知らんがね」


 即時決断。判断力。

 デジの言葉は的を射ている。強欲(アワリティア)の渇望はどこの軍に参加しても満たせる類のものだ。デジ程の実力ならば、どこの魔王の配下になっても評価されるだろう。ましてや、ゼブルに恐ろしいと言わしめた魔剣まで持っている。

 そして、後者も的を射ていた。


 私の渇望は――『嫉妬(インヴィディア)』はここで無くては満たせない。


 脳を傷つけられたかのように頭が痛む。


 デジは引き際を知っていた。だからこそ、天界との戦争も生き延びたのだろう。鋼のように鍛えあげられた肉体、理性、思考、渇望。ああ、その全てが――羨ましい。


 きっきっき、と聞き慣れた声でデジが笑う。

 そして、私が考えもしなかった言葉を出した。


「きっきっき、一応、同じゼブル戦の生き残りとして聞くぜ? 嬢ちゃん、俺と一緒に抜けねえか?」


「何……それは――」


「渇望を満たせるのは一箇所じゃねえ。きっきっき、嬢ちゃんは若い。ハードに処分されるよりはまだましな人生が送れるはずだ……」


 リーゼが慌ててデジと私を見た。監察官として、魔王の軍の不和は彼女たちの失点となる。大魔王の憤怒(イーラ)は彼女たちに向くだろう。例え本人のせいじゃなくても、竜の逆鱗に触れるようなものだ。いや、竜よりもさらに恐ろしい。


「……私がハード・ローダーを説得しましょう。大魔王様の戦力を減らすわけにはいかない」


「きっきっき、お嬢ちゃんの提案はありがたいが、そりゃ無理ってもんだ。ハードは……嬢ちゃんの憤怒より強え。なんたって奴は俺がまだ凡百の悪魔だった頃――太古の昔から生きている悪魔だ。傲慢(スペルヴィア)の『優越』のスキルは長く生きれば生きるほど強力になるからなあ」


「私の命令は大魔王様の命令、私の言葉は大魔王様の言葉です。それでも聞かないと?」


「そんなの知らねえよ」


 デジが言い捨てる。


「……だが……嫌な予感がする。きっきっき、もう奴をただの悪魔だと考えない方がいい。これは……年上からの忠告だ」


 その忠告は素直にありがたい。

 その言葉は事実なのだろう。私がここに残れば近いうちにハード総司令官に処分されるというのも。

 だが、しかし、それでも――私にはまだここにいる理由がある。いや、あるはずだった。

 心を決めて、はっきりとデジを見上げた。一時とは言え、ゼブルとまともに打ち合った武人である悪魔を。


「……ありがとう。だけど、私の渇望は……ここでしか満たせない」


「……きっきっき、そう言うと思ったぜ。まぁ、せいぜい頑張りなよ。一応、元同じ司令官として、嬢ちゃんが生き残れる事を祈っといてやろう」


 握手でもするかのように右手を差し出すデジの手を握った。

 ごつごつとした、筋肉で覆われた手だ。どれだけの力があるのか、私は知らない。だが、そこには確かに積み重ねられた年月を感じられた。

 それが羨ましい。積み上げてきた年月が。


 悪魔としての格は年月と比べたらそこまで突出していなくても、その性格はハードよりも遥かに好ましい。

 デジが最後に思いついたように尋ねてくる。


「嬢ちゃん……そういえば一つだけ聞きたいことが残っていた。『色欲(ルクセリア)』の魔王を知っているか?」


「……知っている。会ったこともある」


 『色欲(ルクセリア)』の魔王が討滅されてから、もう数千年も経つ。

 だけど、たった一度会っただけで、とてつもない嫉妬を感じたその魔王の事は、まだ昨日の事のように鮮明に覚えている。

 デジが似合わないため息をついた。


「……やっぱり嬢ちゃんには色が足りねえなあ。俺に盗れるわけがねえ……か。まぁ、その幸運に感謝する事だ。」


「…………」


「『今度は』上手いことやるといい」


 その一言で、私ははっきりと理解した。

 ああ、この男……気づいているのか。

 私が『色欲(ルクセリア)』ではなく、『嫉妬(インヴィディア)』を司っている事に。


 気づいて当然なのかもしれない。私は一度、デジの目の前でセレステを『嫉妬』してしまっている。


 そして、それを言葉に出さない。それは渇望がぶつからないという事も理由の一つではあるだろうが、同時にこの強欲の悪魔の優しさでもあるのかもしれない。

 いや、そうであって欲しいと思った。


 そして、私はデジの言うとおりに、デジを嫉妬した。

 私はデジになった。


「きっきっき、怠惰と堕落のレイジィ……随分と面白い魔王だったぜ。そして、恐ろしい……欲望すら感じないねえ。まぁ、次出会うときも願わくば味方でありたいもんだ」


 ああ、その通りだ。願わくば再会せんことを。

 私ははっきりとデジを見上げて言った。


「……そうね。また会いましょう。『強欲(アワリティア)』」


「きっきっき、またな。『色欲(ルクセリア)』」

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