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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第四部
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第三話 奇跡の象徴

「ま、待って! 神子、って……?」

「歩きながら説明するよ。ついてきて」

 戸惑うように訊き返してくる少女――ニナに微笑を返し、城に戻る道を歩き出す。笑顔が武器である、と僕に教えてくれたのは先生だった。かつての彼のように、『必要だから』笑う。神子が僕に抱く印象は、良いものでなければいけない。この国のためになるなら、それが僕の義務だ。だけどやはり僕はまだ先生のようにはなれなくて、ずっと『王子様』を演じたまま彼女と向き合うのは避けたかった。

「神子っていうのは、当然君のことだよ、ニナ。信じられないかもしれないけど、ここは恐らく君が生まれたのとは別の世界だ」

「別の、世界?」

「そう、別の世界からこの世界に降りた奇跡の象徴、それが神子だ」

 神子という存在について、はっきりと定義する言葉は未だない。こことは別の世界で生まれたことを除けば、歴代の神子たちも僕たちとまったく変わらない人間である。しかし神子という言葉の受け取り方すらも国によって様々で、神に愛された子、神に選ばれた子、挙句の果てには神の子そのものだという国すらあった。

「ちなみにアネモス――この国では、神に愛された子の説が有力だね。最初に神子が降りた国、クローウィンも同じ。神の子だって言うのは少数派だよ。まだ僕は君のことは何も知らないけど、恐らく君も何らかの能力に秀でているんじゃないかな」

 この世界に最初に神子が降りたのは遠い昔、まだ大陸歴すら定まる前のことで、以来彼らは色々な国に現れてはその国を栄えさせてきた。だから、神子が降りたというのは、国にとってそれはそれは大きな意味を持つ。

「大きな意味?」

「自国に神子が降りたと知れば、民は王に逆らわない。神子という存在そのものが、国全体の幸福を約束したも同然だからね。他国にとってもそれは同じで、神子に剣を向けるなんて愚かな真似は……前例が無いわけじゃないけれど、余程のことがない限りしないだろう」

「……信じられない」

 僕から目を逸らすように俯き、少女は呟く。答えを求めているわけじゃなかったのだろう、不意に僕に向けられた彼女の表情は、困惑と不安に揺らいでいた。

「だって、そんな……別の世界とか、神子とか。そんなの物語の中だけの話だと思ってた」

「知られていないだけで、きっと君の世界にも神子はいたはずだよ。そういう世界では、神子は特定の国に属することは無いらしいけど。魔法が見せられれば早いんだけど、僕はまだほとんど魔法が使えないから」

 難なく読めるのは著名な学者くらいだと言われる古アネモス語を、そのレベルまではいかなくともある程度理解する必要があるし、加えて魔法陣や魔力の扱い方も学ばなければいけないのだ。アネモスは他国に比べて魔法使いが多いけれど、年若い魔法使いを探そうとするとその人数は激減する。そのごく少数も、幼い頃からずっと魔法を学び続けた人ばかりで、あっという間に魔法を習得した先生がいかに人間離れしていたかを思い知らされた。

 古語の勉強は昔からしていたとはいえ、魔法自体はつい最近学び始めたばかりの僕に、見てそれと分かるような高度な魔法が使えるわけがない。

「もちろんこの城には派手な魔法の使い手もいるから、見たければ後で連れて行くよ。ただ、まずは父上――国王陛下への謁見が先だ。良いかな?」

「……うん、分かった。信じられないけど、それについては保留」

 少し考え込んだ後、彼女はそっと頷いた。

「もう一つ聴いて良い? さっきの話から推測しただけだから、違ったらそれで構わないんだけど……シリルが私を『保護』したのは、私の身の安全のためとかじゃないんだね?」

「……うん、否定はしないよ」

 驚きを表情に出さないように努めつつ、僕は静かに頷く。ニナは、実年齢より幼く見える外見とは裏腹に、僕と同い年とは思えないほどに落ち着いた少女だった。そして。恐ろしいほどに聡い。さっきからしばらく話していれば、嫌でもそれが感じられた。

 僕も自分が人より賢いことは嫌というほど自覚しているけど、二ナの恐ろしいところはそこではない。僕が彼女と接するために作った笑顔の、その奥まで見透かすような、その瞳こそが。幼い頃、僕や先生を恐れた周囲の人間の気持ちが、今ならよく分かる。

「だけど、誤解はしないでほしい。一番の理由は確かにアネモスのためだけど、神子が見知らぬ世界で不自由な思いをしないためでもあるんだ」

「さっきの人たちにシリルが私のことを教えたのはそのため? 国王に伝えて、って言ってたよね。……えっと、さっきも言ってたけど、国王様ってシリルの」

「うん、父上だね」

「待って、謁見って私そんな、王様に対する話し方とか礼儀とか、全然知らないよ。……もしかして、シリルにも敬語とか使った方が良い?」

 焦ったように立ち止まって見上げてくるニナに、僕は微笑を返した。

「平気だよ。アネモスでは対等ってことになってるけど、国や状況によっては王族が神子に頭を下げることもあるからね。君が王族に何かを命令したりしても、責められる人間はいない」

 言い終えると同時、謁見の間に辿り着く。父上は執務室にいたはずだけれど、神官長からの伝言を聴いたならこちらに移動しているだろう。普段は奥の小さな扉から部屋に入っているから、正面から入るのはどこか新鮮だった。

 扉に近づくと護衛の騎士たちが僕らに気づき、そのうち一人が口を開く。……視線が完璧にニナの方に向いているのは、まぁ気持ちは分かるから見逃してあげよう。

「お待ちしておりました、シリル様。では、この方が……?」

「うん、今代の神子殿だ。父上は中に?」

 頷く騎士たちを見て、隣でニナが身を強張らせた。思わず苦笑し、彼女の頭に手を乗せる。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だって」

「……その、シリル。手」

「あ」

 その言葉で、初対面の少女に対して自分がしていたことに気付く。……完璧に無意識だった。同い年とは言え、出会って間もない男に頭を撫でられるなんて、普通は嫌だろう。マリルーシャに知られたら殺されそうだ。

「ご、ごめん、その……変な意味じゃなくて」

「当たり前!」

 周りで笑いをこらえる騎士たちを横目で睨みつつ、頭を下げる。ニナは怒った顔で言い放つと、次の瞬間おかしそうな笑みを浮かべた。

「でもまぁ、おかげで気は楽になったし、許してあげる」

「それは良かった。じゃ、面倒なことはさっさと終わらせようか。開けてもらえるかな」

 最後は騎士たちに向かって言うと、彼らはまだ意味ありげな笑顔のまま扉に手をかける。……後で覚えてなよ君たち、と心の中で呟いた。


 ◆◇◆


 ニナを謁見の間に連れて行ったのは言わば父上との顔合わせのためであり、最低限の説明は僕がしていたから、謁見自体にそう時間はかからなかった。

 何かあったときに僕を頼れるように、僕の部屋からそう遠くない部屋に滞在してもらうこと。この世界のことを学んでもらう必要があるが、それ以外の時間は自由に過ごして構わないこと。しばらくしたら公の場にも顔を出してもらうかもしれないこと。それを告げ、女性の騎士を呼んで部屋に案内させる。残された僕と父上が始めたのは今後の――つまり、ニナに言った『公の場に顔を出す』ことについてだった。

「見た目の割に肝が座っていたな。あれならすぐに貴族の中に放り込んでも何とかなりそうだ」

「そうですね。僕の説明も一度聞いただけで理解していましたし、少し対処法を教えればまずい事態も避けられるでしょう。……あの中にいきなり放り込むのは、流石に酷です」

「分からんぞ。どこぞの賢者は軽々とやってのけた」

「……先生は、先生ですから」

 彼と一緒にするのは、色々と駄目だろう。

 アネモスの貴族にだって、よからぬことを企む輩はいるのだ。この間まで戦争をしていたせいで腐敗は広がって、父上でも抑えきれなかった一部が更につけあがる悪循環。神子が降りたとなれば少しは治まるだろうけど、……逆に最悪の事態も考えておかないと、何かあってからでは遅い。

「それと父上、僕がずっとニナにつきっきりでこの世界のことを教えるのは、流石に厳しいかと。去年ならともかく、年が明けてからは僕も忙しいですから」

「ああ、そうだろうな」

 僕に政務の一部を任せるようになった張本人は、面白そうに喉を鳴らす。……いや、父上はその何倍もの政務をこなしているのだから、単純に僕が未熟なだけなんだけど。

「幸い、教師になれる優秀な人間ならたくさんいるだろう。適任はマリルーシャなのだが、流石に妊婦を引っ張り出すわけにもいかんな」

「アドリエンヌはどうですか?」

「ほう?」

 前公爵夫人の名を上げると、父は意外そうに目を見開いた。その目を面白そうに細めると、彼は僕を見る。

「十分な知識がありながらお前たちの教育係にならずに済んだ数少ない人間だな」

「……父上、言い方が酷いです」

 まるで僕たちの教育係になるのが災難だったかのような。これについても、先生以外の全員を辞職に追い込んだ自覚はあるため何も言えないけれど。僕の弱い反論を無視し、父上はふとどこか懐かしむように遠くを見る。

「あの頃はドミニクがうるさくてな。昔は奴があれほどの愛妻家になるとは思わなかったが……ふむ、確かにアドリエンヌなら適任か。今日はリオネルが来ていたな? 決めるのはアドリエンヌだが、リオネルなら反対はするまい」

「はい。呼んできましょうか?」

「いや、お前はそろそろ部屋に戻れ。あまりここで時間を浪費して、後で苦労しても知らんぞ」

「……はい、失礼します」

 今日は政務こそ無かったけれど、やることが何もないわけじゃないのだ。さっきリオネルに運んでもらった本も、理解するまでに何日かかることやら。乾いた笑みと共に頷き、僕は謁見の間を後にした。

 後で……一段落したら、ニナのところを訊ねてみよう。彼女との会話を楽しみに思う自分がいることに、少しだけ驚く。それは妹や親友がまだこの城にいた頃に感じていた、もしくは師に何かを教わるときに感じていたあの感覚と、よく似ていたから。


こんばんは、高良です。……ごめんなさい遅刻しましたわざとじゃないんです石を投げないで!


今回は第三部番外編ではあまり説明されなかった、神子という存在について。シリル君とニナは距離の取り方に戸惑っているようですが、それもじわじわ埋めてもらいましょう。

……さて、問題。今まで何度か名前だけは出しましたが、アドリエンヌってどなたでしょう?


では、また次回。

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