第二十一話 君に告ぐ
「どうして、…………君が、ここに」
掠れた声で呟いた僕を、リザは無言で睨むように見てくる。後ろ手に勢いよく扉を閉めると、彼女はつかつかとこちらに歩いてきた。にこりといつもの強気な笑みを浮かべて、リザは僕を見下ろす。
「話があるの、ジル。今だけで良いわ、それ、止められる?」
「……うん」
それ、というのは間違いなく、魔力の放出のことだろう。続ければ死に至ることは、リザだって当然知っているはず。……ずるいな、と心の中で呟く。そんな言い方をしてしまえば僕が断れないことを知っていて、そうやって僕をこっち側に縛り付けて。
すぅ、と部屋中を覆っていた光が治まる。魔力の放出を止めると同時、恐ろしいほどの虚脱感に襲われた。ただでさえ重かった体が更に言うことを聞かなくなって、僕はぐったりと壁に体重を預ける。大きく肩を上下させる僕を見てリザは僅かに顔を顰めると、そっと僕の横に膝をついて、さっきからずっと右目を抑えていた僕の手に触れた。そっとその手を取ってどけると、巻きつけられた包帯に、リザの表情は更に険しくなる。
「どうしたの、これ」
「食べられた、かな」
乾いた笑みと共に答えると、少女は目を見開いた。
「……そう」
呟くような声と共に、僕の手を握る力が強くなったのが伝わってくる。……あれ、と一瞬胸をよぎる、僅かな疑問。彼女のこれは、驚いているだけではないような気がした。リザが滅多に浮かべない、けれど数か月前に確かに浮かべた、……そう、まるで怯えているような、強張った表情。見ればその手も僅かに震えていて、理由を問いかける前に、リザはそっと嘆息した。
「あの王女も『アレ』と同じくらい狂ってた、ってわけね。……本当、呪われてるんじゃないの、あたし」
「リザ?」
「何でもないわ」
苦笑のような表情を浮かべ、リザは首を横に振る。気になったけれど、彼女の側まで踏み込むことは、今も出来ないままだった。
代わりに僕は掴まれた手をそっと払うと、彼女の手首を掴み返して、ゆっくりとリザを見上げた。……眩しいほど、痛いほど真っ直ぐな、透き通った深紫の瞳。
「……どうして、来たの? 危険なのは、分かっていたんだろう」
アネモスにいれば安全なのに、どうしてわざわざ、こんな危険な国に戻ってきたのか。
「そこまでする価値なんて、僕には――」
「ねえ、ジル」
僕の言葉を遮るように、彼女は不意に声を上げた。
「あたしの言ったこと、覚えてる?」
「っ……そ、れは」
リザが言っているのは、あのときの――僕のことを好きだ、という言葉だろう。もちろん、覚えている。けれど、リザがそれを平気そうに、それどころか僅かに笑みさえ携えて言ってくるのは、少し意外だった。……傷つけてしまったと、そう思っていたのに。それは思い込みでも何でもなく、事実だったはずなのに。
そんな疑問が顔に出てしまったのか、彼女は苦笑する。
「ジルのことが好きだ、って、そう言ったわ。それは嘘じゃない。あたしはずっと、柚希だった頃からずっと、あんたのことが大好きよ。……ジルが嫌いな言葉なのは知ってるけど、それでも、愛してる」
「……うん」
彼女の言葉に、僕は頷き、そっと目を逸らした。
知っているよ。君が本当に僕を想ってくれているのは、ずっと欲していた、本当の意味での愛をくれるのは、もう十分に分かっているのだ。そうでなければきっと、ここにはこなかっただろう。
だけど、リザ。
「……僕はきっと、君を不幸にするよ」
ただ、怖いのだ。僕はリザに、彼女が望むであろう愛を返せない。変えたいと、変わりたいといくら願っても、彼女が僕を愛するように僕が彼女を愛することは、今は決して出来ない。それを知ったリザが離れていくのが、怖い。リザを信じたいと、僕だってそう思うのに、前世の記憶が邪魔をする。慎が味わっていた痛みが、少し弱さを見せたときの、周りの人たちの失望するような表情が、一歩踏み出したいと足掻く僕を繋ぎとめて、そして離さない。
僕の言葉を聞いて、彼女はほんの一瞬だけ目を丸くする。けれど次いでリザが浮かべたのは、どこか呆れ気味の苦笑だった。
「やっぱり、ね。ジル、何か勘違いしてない? ……ああでも、あのときのあたしの言い方じゃ仕方ないかしら。あのね、ジル」
そこで一旦言葉を切ると、リザは真っ直ぐに僕を見据える。
「あたしは、返事が欲しくて言ってるんじゃないわ。ジルが抱いている色々なものを無視してまで、応えてほしいわけじゃない」
「……だったら、どうして」
絞り出すように紡いだ言葉に、リザは微笑んだ。そして不意に、彼女の胸に僕の頭を押し付けるように、その腕で僕を包み込むように抱き締めてくる。
「っ」
「大丈夫よ、別に突き放したりしないわ」
彼女の顔は見えないけれど、頭上から聞こえた声は、どこか苦笑しているように聞こえた。それでも、僕はそっと首を振る。彼女を振り払うだけの気力と力は、今の僕には残ってはいなかった。すると彼女は僕の訴えとは真逆に、僕を抱き締める腕に少しだけ力を込める。……痛いほどに、優しい温もり。
「これでも、分からない? あんたは独りじゃないのよ、ジル。あんたが傍にいてくれるからじゃなくて、あたしがジルの傍にいたいから、あたしの意志で、選んでるの。あたしにとっての不幸は、あんたを失うことだけだわ」
「……リ、ザ」
「ジルは信じてくれないかもしれないけど、これは前世からずっと思ってたのよ。柚希だった頃は、時間はまだまだたくさんあるって思い込んで、慎をあいつらから引き離して、ゆっくり伝えればそれで良いって、そう思ってたわ」
「……だけど、僕が死んだから、出来なかった?」
「そう。もう後悔はしないって、決めたのよ。伝えたいことは、全部伝えるわ」
少しずつ、ぽろぽろと、壁が壊れていく。慎だった頃から僕と周りを隔てていた、分厚く高い壁。それが、少しずつ崩れていく。
「無理するなとか、そんなことはもう言わないわ。だけどね、あたしがあんたの前でしか泣かないみたいに、あんたにも一か所くらいそんな場所があっても良いと思わない? あたし以外の誰も、ジルが泣いたことなんて知らないわ。誰もあんたを責められない。あたしが責めさせないし、見捨てさせないし、あたしだってあんたを見捨てたりしない。この先何があっても、例えジルに嫌われたとしても、他の奴らに何を言われても、あたしは絶対ジルを一人にはしないわ。だから、ね」
……それは恐らく、リザだからなしえたことなのだろう。ずっと壁が一番薄い場所で、寄り添ってくれた彼女だから。
「もう良いのよ、ジル。もう我慢しなくていい。ジルだって弱くて良いし、臆病で良いし、泣いたって良いの。あたしは、何があってもあんたの傍にいるから」
「あ……」
瞬間、崩れた。その音すら、聴こえた気がした。
見開いた目から頬を伝う、熱い雫。……ああ、そうか、これが。
「………………っ、ぅ」
声は出なかった。ただ涙だけがぼろぼろと溢れて、止まらない。今まで堰き止められていた全てが、一気に流れ出す。
肩を震わせる僕をそっと抱き締めたままの、小さく優しい温もり。ようやく、それを受け入れられるような気がした。
こんばんは、高良です。ギリギリ、の割に短い。
孤独を何よりも怖がった彼が、ずっと欲しがっていながら、ずっと受け入れられなかった言葉。伝えたいと願い続けた彼女の祈りは、ようやく届きました。
ですが皆さん、忘れてはいませんよね。ここが、どこなのか。
では、また次回。




